将棋盤と海

 将棋盤と海はどちらが広いか。
 もちろん、物理的な面積でとらえるならば、考えるまでもない話です。
 では、海と将棋盤を人の心が捉える「世界」に置き換えた場合はどうか? こうなるとどちらがより広大な世界かは、途端に言い切れなくなる。
 それが今回取り上げる本である『勝負師と冒険家――常識にとらわれない「問題解決」のヒント』(著:白石康次郎,羽生善治)を読んでまず感じたことです。
 この本には将棋棋士・羽生善治氏と、1994年に史上最年少ヨット単独無寄港世界一周を達成した海洋冒険家の白石康次郎氏の対談が収められています。
 将棋もヨットも、その世界を極めようとすれば一生を費やすこととなるでしょう。
 二人の対談を読んでいて、私は将棋盤と海、それぞれの世界に一つの宇宙があるように思えてなりませんでした。

 将棋棋士と海洋冒険家。インドアとアウトドアという観点で分ければ対極とも言える二人。ところが一つの道を極めようとするもの同士、共通するものがあるのでビックリです。
 羽生氏は将棋の世界で、白石氏はヨットレースの世界で勝負しています。
 二人の対談は、勝負に対する心構えだったりセオリーというのは俯瞰的な視点では繋がっていると気づかせてくれます。
 例えば、白石氏はこう述べています。

前にいる艇がどんどんトラブルを起こして脱落していくわけです。そうすると「ラッキー、ラッキー、うちらの順位が上がった」ではなくて「いや、次は自分の番かも」という考えが頭をよぎるんです。(P.40)

 この言葉に対し羽生氏はこう共感しています。

そういう状況というのは“場が荒れている”ということなんですよ。場が荒れてるときというのはそういうことが連鎖的に起こりやすいんですね。(P.40)

 将棋でも特に名人戦の場合は期間が長く、いろいろな紆余曲折を経ることが多いそうです。

 勝負という点に着目すれば、私はアマチュアながらも、何かを創作することも一種の勝負に思えることがあります。
 コンクールや新人賞に投稿しない限りは創作活動(私の場合は小説)に勝ち負けがあるわけではありません。
 しかし、読者を楽しませることができるかどうか、という点においては小説を書く事も一つの勝負だと思うわけです。
 どうせ書くなら、より多くの人に作品を楽しんでもらいたい。そのために心血を注ぐ必要がある。そういう意味では創作だって勝負です。
 創作は勝負であるという考えを念頭におくと、将棋やヨットの世界の話が途端に身近なものになってきます。
 特に身につまされたのが、白石氏の師匠の話です。白石氏の師匠は多田雄幸という人物で、いわゆる天才型の人物だったそうです。
 白石氏は師匠に対して以下のように言及しています。

あの人ねえ、なんだろうなあ。尊敬する人物じゃなくて崇める人物というかなあ。あの人の真似したら破滅します。事実、あの人の真似をして何人も持ち崩した人がいるんだから。普通の人間じゃない。あの独創的なスタイルというのは僕にないものだから、ものすごく憧れて、目指したいなあと思うんだけれども、めざすならそれは僕のやり方でやるべき。もし多田さんの真似していたら、たぶんサル真似で終わってしまうし、人生を崩してますよ。(P.148)

 小説を書いていて、私にも憧れの作家はいます。もちろん、そういう人たちの作品から技法などを学ぶことはできるでしょう。
 しかし、最終的にはサル真似であってはいけない。これは創作の上で忘れてはなりません。
 また白石氏の言葉からは、勝負とは同時に自分の道を見つけること、すなわち芸術なのだと気づかされます。
 羽生氏と白石氏はそれぞれが将棋盤と海の上で勝負をしています。勝負である以上は勝ちを目指すべきです。しかし、ただ勝つだけではなく、そこには自分なりの創意工夫が求められています。
 私も小説という「世界」に魅入られてしまった身である以上、お二人の言葉を肝に銘じたいと思いました。

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