14歳かーらーのー?

 かつて14歳というキーワードが世間を騒がせたのを覚えているでしょうか?
 14歳による犯罪がニュースで頻繁に取りざたされ、14歳に関する書籍がやたらに出版された時期がありました。
 例を挙げれば、
「14歳からの哲学」(著:池田晶子)
「14歳からのお金の話」(著:池上彰)
「14歳からの社会学」(著:宮台真司)
 などなど。
 書籍に限らなければ、「14歳の母」なんてドラマもありましたね。
 なぜ、世の大人たちはこれほどまでに14歳というキーワードに群がったのでしょうか。
 不思議です。
 まあ、私の知る限りでは14歳を経験せずに成人を迎えた人はいないので、そこら辺に14歳ブームの原因があるのやもしれませんな(超テキトーなまとめ)

 14歳という年齢に関していえば、別につい最近になって危うい年齢になったわけではない。そんな感慨を抱かせてくれるのが本日の一冊のヒロインです。
「ロミオとジュリエット」(著・シェイクスピア)のジュリエット。実は、彼女もまた14歳の若者の一人だったりします。
 敵対する家同士の子息と子女のロミオとジュリエットが、お互いに恋に落ち、そのせいで命まで落とすという代表的なシェイクスピア悲劇。読んだことがなくても、その名を知らぬ人はいないでしょう。
 作中のジュリエットの言動を読んでいると、まあ何とも危ういこと危ういこと。純真さは視野の狭さと表裏一体だと気づかせてくれます。
 この点について、臨床心理学者の河合隼雄氏は「快読シェイクスピア」という対談本の中で14歳は「とてもむずかしい年頃」と述べています。

 とはいえ、河合氏は現代の14歳の場合は、ジュリエットとは違い自分の考えを上手く言語化できないと語っています。

モヤモヤするばかりだから、最後は「分からないからやってしまえ」ということで、思いもかけない結果が出てしまう。(P.19)

 らしいですよ?
 表現すること――それが14歳からの心に効く薬なのだと思います。
 人間というのは言葉を使って自分の心を整理する生き物です。それができないときは、文字通り言いようのない感情が胸のうちで蠢くしかない。
 俗に言う「キレやすい子ども」というのは、自己表現が上手くいっていないケースが多いように思います。
 自分の内側にあるものを、外に出せない。これはツライですよね。
 14歳といったら、学年で言えば中学二年生です。普段からラノベばっかり読んでいる私には「中二病」というタームが頭によぎる年齢です。
 白状すると今回の記事のタイトルを「中二病でも恋したい」にしようかしらん、と思ったくらいです(やらなくて正解だったと思います)
 でもまあ、中二病の場合はまだいい。
 変な能力があるという妄想だろうが、洋楽にハマるのだろうが、それはそれでアリだと思います。
 多少おかしな形でも、一応は自分というものを形成しようとしているのだから。
 とすると逆に、問題なのは中二病を患わなかった場合なのやもしれません。世間的にみた正しい青少年のあり方に合わせようとする方が、よっぽど不健康でしょう。

 かつて騒がれていた14歳に関する論争に、今になって「中二病」という形で一つの答えが得られたと解釈するのは横暴でしょうか?
 ……横暴ですね、ハイ、すいますん。
 とはいえ、中二病という言葉は思春期の荒削りな状態を非常にまろやかに示していて、実は私は好きです。もうちょっと前の世代だったら「電波」と表現されていたでしょう。「電波」だと、ちょいと近寄りがたい響きですよね。

 以前は「ロミオとジュリエット」を読んで、ジュリエットのオーバーな表現に「この子、大丈夫か?」と思ったりもしました(まあ、演劇の脚本だから仕方ないですが)
 しかし、最近やっと腑に落ちた部分があります。
 14歳の感性なら、多少オーバーになっても不思議ではない。むしろ、14歳で自分の胸の内を言語化するための手本といってもいいでしょう。
 そんなわけで、14歳かーらーのーロミオとジュリエット。ときにはシェイクスピアの世界に圧倒されるのも良うございましょう。

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