ラノベ読書録/ストライク・ザ・ブラッド8

 記憶は毒にも薬にもなりえます。ただし、どちらにせよそれは劇薬です。
 そんなことを思いながら『ストライク・ザ・ブラッド8 愚者と暴君』を読みました。
 今回の話は第7巻から引き続き、主人公・暁古城が第四真祖になった経緯が語られる過去編です。
 今回は、那月の夢の中である監獄結界の中で、古城が過去についての夢を見るという形式で進んでいきます。
 私はこの形式を、まるで催眠療法みたいだな、と思いました。
 催眠療法というのは、患者を催眠状態にして無意識下にあるものにアクセスしていこうという精神療法です。
 人間、誰しも思い出すのも辛いという記憶を持っているものです。けれど、そんな記憶がいちいち意識に上がっていたら日常生活に支障をきたします。だから、抑圧という形で思い出せないように記憶に蓋をします。けれど、それは思い出せないだけであって、無意識では消化されずに残っています。無意識に残留した思い出したくない記憶は例えば神経症といった形で悪さをし始めます。

 この話の主人公である暁古城の場合の場合はどうなんでしょう? 自らが第四真祖になるきっかけとなったアヴローラの記憶は、毒なのか薬なのか……。
 語られる記憶を読み解く限り、毒でもあり薬でもある。そんな印象を受けます。
 彼にとってアヴローラと過ごした時間は、自らを形成することにおいて大きな意味を持つでしょう。
 というか、思春期の少年が美少女と出会って、悪い奴らの襲撃からその娘を守ろうと命を張る。それはどうしょうもなく特別な経験です。その記憶は、忘れられない想い出になってしかるべき。
 いや、特別な想い出でなくても、思春期の記憶は想い出――すなわち想いが出ずる根源となります。例えば、誰かと食べたアイスクリームの味であっても。

『ストライク・ザ・ブラッド』シリーズは、ド直球にライトノベルです。それは悪く言えば、いわゆる中二病ということです。けれど、人間にはきちんと中二病をする時期がないと、逆に健全に成長できないというのが私の勝手な持論です。
 過剰なまでの自意識と、現実と理想の区別が中二病の根源だと私は思うのです。
 自分に変な能力が宿ってみると信じてみるも良し、洋楽や洋書にかぶれてみるも良し。そういった、傍から鼻に笑われそうな行動を取ることをしないと自分の中のファンタジーが育ちません。
 ファンタジーは一見すると単なる現実逃避とも取られがちです。
『ゲド戦記』を著したル=グウィンはかつて、ファンタジー小説は子どもが現実から目をそらす温床になるから児童書コーナーに置かないという図書館に遭遇したそうです。
 それぐらい、ファンタジーというものは「大人」から白い目で見られます。
 しかし、自分なりのファンタジーを健全に育てない人間の方が恐ろしいです。客観や現実だけではどうしても限界がある。それらのものを主観やファンタジーを使ってどう下支えするのかこそが、物語が持つ意味なんじゃないかな、と思うのです。
 その点で、『ストライク・ザ・ブラッド』は、きちんとファンタジーをしています。しかも、思春期という年代が手に取りやすい味付けをされた状態で。

 ファンタジーにどっぷり浸かった時間は、下手をすれば黒歴史になりうるかもしれません。
 でも、私はそれもありだと思います。むしろ「黒歴史がない人生って何が楽しいの?」くらいのスタンスでいきましょう(笑)
『ストライク・ザ・ブラッド8』の結末は、古城とアヴローラと別れです。消してしまいたい記憶を黒歴史とするならば、広い意味でこの話は古城にとっての黒歴史の物語です。
 けれど、そんな過去があるからこそ、今の古城があります。彼にとって、それはトラブルや試練に巻き込まれる日常を意味します。けれどそうやって悪あがきできるということ自体が何だか彼にとっての救いに思えるのは私だけでしょうか?