小説をデザインしよう

 小説を書くための計画はデザインではなくプロットと言うを使うのが一般的です。
「小説をデザインする」という言い方をする人はあまりいません。よくよく考えると不思議なことです。例えば、創作活動という領域においてはイラストやゲームならば「デザイン」という言葉と馴染みが深くなります。
 そこでふと疑問に思うのは、「そもそもプロットとデザインの違いって何?」という点です。
 辞書で調べてみるとプロットは「小説・演劇・映画などの筋・構想」とあります。一方でデザインの方は意味合いがかなり多義的です。狭い意味でのデザインとは「図案や模様を考案すること」ですが、広い意味になると「目的をもって具体的に立案・設計すること」を指します。
 ここで着目すべきは広い意味でのデザインについてです。「目的をもって具体的に立案・設計すること」がデザインならば、小説のプロットも広い意味ではデザインです。
 とはいえやっぱり「小説をデザインする」という言い回しには違和感を抱かざるをえないのが現状です。これまでずっと小説の計画を立てることはプロットと言ってきたのだから、それをいきなりデザインと言うのは無理があるかもしれません。
 しかし、最近私は、小説作りに際して行うのはプロット作りだけでいいのかと思いもします。
 プロットという言葉には点で考えるイメージがあります。例えば、「グラフに点をプロットする」という言い回しがあるように、プロットは面で考えたり、あるいは俯瞰的に捉えることとは真逆の意味を持つのではないでしょうか。
 このような観点から考察すると、下手をすれば小説のプロットを組む作業は、小説を完成させることだけが目的になりかねない危険性を秘めています。
「小説など書き手である自分さえ満足させられればそれでいい」というのなら話は別ですが、せっかく書くのならば読み手も楽しんでくれるものを作りたいと私は思います。
 そこでプロットではなく、デザインという視点で小説を書きたいというのが最近の私の課題だったりします。

「小説をデザインする」という考え方は不自然さも内包しています。しかし「デザイン思考」という考え方を導入すればある程度は違和感も解消されるのではないかと思っています。
 Wikipediaを引用するとデザイン思考について以下のように書かれています。


デザイン思考(Design Thinking)とは、人間中心デザインに基いたイノベーションを起こすための、主として非デザイナーを対象とした発想法である。

 ……これだと、さっぱり意味がわかりませんね。
 そこでもうちょっと噛み砕いて説明するために『デザイン思考が世界を変える』(著:ティム・ブラウン)という本を参考に説明していきます。
 この本では「従来のデザイン」と「デザイン思考」は区別されます。従来のデザインでは商品の意匠を考案することが目的ですが、デザイン思考では社会が抱える問題や課題を解決することに重きがおかれます。
 医療用品の開発を例にして考えてみましょう。
 従来のデザインではあくまで性能のいい機器(つまり商品)を作ることを目的にします。ところが、デザイン思考ではそもそも商品を作る前に受付や検査における問題点を改善していくことを目的とします。たとえば、受付から検査までの手続きをスムーズにするなどがそれです。
 更にデザインの手法は、以下のように進化を遂げるとされています。
・第1段階:デザイナーが消費者のために創る
・第2段階:デザイナーが消費者とともに創る
・第3段階:消費者自身が創る
 詳しい定義は本書には書かれていませんでしたが、情報を埋めるとしたら以下のようになるのだと思います。
「デザイナーが消費者のために創る」とは、開発者が独りよがりにならずに、消費者目線でデザインする。
「デザイナーが消費者とともに創る」とは、消費者の意見をフィードバックしながらデザインする。
「消費者自身が創る」とは、消費者に素材や場所などを提供し、彼ら自身の好み合うデザインを作ってもらう。「pixiv」や「小説家になろう」などの投稿サイトがこれだと思います。投稿サイトでは、作品の置き場の提供はしていますがコンテンツを作るのはユーザーですから。

 こうして見てみると、私みたいに画力が貧弱な人間でもデザイン思考はヒントになることに気づきます。
 デザイン思考とは、要するにモノではなくそれを使うヒトを中心に考えるわけです。小説で考えるならば、作品自体の構成を考えるというよりは、その読者を中心に据えるということになるでしょう。面白い物語を作るだけではなく、読みやすく体裁を整えることや、読者の反応や感想を作品に反映していくことも小説をデザインすることだと言えそうです。
 更にネット小説に絞って考えると、公開する場所を投稿サイトにするのか個人サイトにするのか選択することもデザインの一環だと思うのです。逆を言えば、これからの時代は書き手の独りよがりにならず、読者の利便性にも配慮しなければならないことになります。そういう意味ではネット小説は難しい局面にあります。
 更に言えば、小説をデザインするとは小説を書く文化をデザインすることに繋がっていくのかもしれません。
 気楽なノリで小説が書ける土壌があると、生きるのが多少楽になると私は思うのです。
 小説というのは自己表現としては入口が広い手法です。漫画やイラストだと、ある程度の画力がないと表現したいことを読者に識別してもらえません。しかし、小説の場合はとりあえず言葉がわかって文字が書ければ表現できます。
 自分の内側にある漠然とした物語を、きちんと外に出すことができれば少しは心がスッキリするものです。自分の感情や意見を言語化できるというのは精神衛生的にも重要です。言いたいがことあるのに言えないのはもどかしいものです。
 俗に言う「キレやすい現代人」が生まれる背景にはここら辺に事情があるのかもしれません。言いたいことがあるのに言葉が見つからない、だから暴れるほか手がないと考えてみると現代人の病巣が見えてくる気がするのですがどうでしょう。
 あるいは、むしゃくしゃしたことをブログやSNSに投稿したせいで炎上したというのがありますがそういうのは表現方法が芳しくない。生きている以上、ストレスを感じることもあるでしょうが、それをストレートに書き散らすと基本的には周りと軋轢を生みます。しかし、それを小説という形に加工すれば、読み手からしても受け止めやすくなります。

 小説を介してヒトとの付き合い方を考え、自分の感情や意見の表現方法を学ぶ。となると、小説をデザインするとは心のありかたをデザインすることに繋がります。
 また、物語を描くことも小説を創る上では重要です。これを突き詰めると、人生という長いタイムラインの上での自分の立ち位置を俯瞰的に見る技術に応用できそうです。人間、生きているとつい刹那的になったりもします。もちろん、人生を「今ここ」という感覚で捉えて一瞬に全力を尽くすのは素晴らしいことです。しかし、時には人生を点ではなく線で捉え、周りの人々との中での自分という面で捉えるのは大切です。それができないで追い詰められているのが現代人なのかもしれません。
 どんなにニヒルに構えてみても、自分の人生の主人公は自分以外にはなりえません。小説をデザインする技術は、人生の主人公をどう動かすかを意味しているのです。自分という主人公が考え感じたことは、やがて作品に還元することも可能です。
 となると、本当に面白い小説をデザインするならば、まず自分の人生を豊かにする必要が生じてくるのではないでしょうか。長い間、小説を書いてみてわかったのですが、書けないときは主に書くネタがないことが原因だったりします。欲を言えば「書きたいことが山ほどあって時間が足りない!」とか語ってみたいものです。もっとも、理想と現実には必ず開きはあるものですが。

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