ログ・ホライズン経済学

 世界経済が混乱に混乱を重ねていると、ニュースなどを見ていて「そもそも経済ってなんだろう?」とか根本的なことを考えてしまいます。
 そんな中で、ふと目にとまったのが『ログ・ホライズン』(著:橙乃ままれ)という作品です。

 ログ・ホライズン。
 2014年10月現在で原作小説は8巻まで発売されており、アニメ版もNHKにて放映中。この記事では、そんなノリにノッている作品に焦点を当てて行きたいと思います。
 とはいえ、この作品について知らない方がいるかもしれません。そこで、まずはざっくりとあらすじをまとめたいと思います。

 大規模多人数同時参加型オンラインRPG〈エルダー・テイル〉に12番目の拡張パックが導入された日、ログインしていたプレイヤーがゲームの舞台によく似た異世界に転移してしまうことが物語の発端となります。
 この出来事は、後に〈大災害〉と呼ばれ、それ以降プレイヤーたちはゲームの世界からログアウト不可能となり、ゲーム内で死亡しても大神殿で再復活してしまいます。
 つまり、ゲームの世界に閉じ込められてしまったわけです。日本ではおよそ3万人がこの事態に巻き込まれてしまいます。
 プレイヤーの混乱はピークに達し、一時は無秩序なPK(プレイヤーキル)やNPCである〈大地人〉からの略奪が横行したりします。やがて大規模なギルドが幅を利かせて表面的な混乱は沈静化しますが、代わりに一部のプレイヤーやギルドが幅を利かせる殺伐とした世界になっていきます。
 主人公である青年シロエは〈エルダー・テイル〉の世界で、仲間たちと行動を開始し、〈記録の地平線(ログ・ホライズン)〉というギルドを立ち上げます。シロエを中心に、現実世界からやってきたプレイヤー〈冒険者〉たちも、〈大災害〉を克服しようと奮闘します。

 私の場合、ゲームの中に閉じ込められるという設定は、今となっては小説(特にライトノベル)では珍しいものではありません。『ソードアート・オンライン』(著:川原礫)や、1990年代まで遡れば『クリス・クロス 混沌の魔王』(著:高畑京一郎)などがあります。あるいは商業作品にこだわらなければ、小説投稿サイトである『小説家になろう』でもゲームの中の世界が舞台という作品が一時期大ブームとなりました。

 ぶっちゃけてしまうと私は『ログ・ホライズン』という作品にノータッチだったとき「ソードアート・オンラインの二番煎じ?」とか考えていた人種です。しかし、蓋を開けてみるとゲーム内が舞台という点以外、『ソードアート・オンライン』とは大分毛色が違うことに気づきます。
 そもそも、あらすじ紹介にも書いたように『ログ・ホライズン』では、ゲーム内に閉じ込められたプレイヤーは死亡しても再復活してしまいます。そこら辺は、「ゲームでの死=現実での死」であった『ソードアート・オンライン』とは全く違うわけです。
 同時に何をやっても死ねないというのが曲者で、裏を返せばどれだけ世界に絶望してもプレイヤーは死ねないことを意味します。
 本来ならば楽しいはずのゲームの世界が、一転して灰色のディストピアに変わってしまうわけです。

 プレイヤーたちは、様々なゲーム内の仕様に悩まされます。ログアウトできないことは言うに及ばず、それ以外でプレイヤーたちを悩ませたのは食事面でした。〈エルダー・テイル〉は元々ゲームであっても、プレイヤーは睡眠や食事など生理的な欲求が生じる仕様となっています。
 睡眠に関しては程よい寝床を確保すればいいだけの問題でしたが、食事はそうはいきませんでした。店舗で購入できる食材は、どれもこれも味のしない激マズ料理で、作中では「湿った煎餅のような味」「食用段ボール」などと描かれるほどです。
 食べるということは、生命である以上は根本的な欲求です。それが満たされなければ生きる楽しみが湧かないというのも無理からぬことです。

 しかし、そんな食事事情を一変させることが起こります。主人公シロエ一行は、美味しい料理の作り方を知ったのです。方法としては実は簡単なものでした。〈エルダー・テイル〉には〈料理人〉という職業があり、料理人としてのレベルの高いプレイヤーが、一から食材を調理すれば美味しい料理が出来る仕様となっていたのです。

 これは主人公たちの暮らすアキバの街を一変させるに足りる新事実でした。ちゃんとした味のついたハンバーガーを作って、プレイヤーたちに対して販売したところ即日完売。むしろ、材料や売り子が足りないほどでした。これをきっかけとして、殺伐としていたアキバの街は賑わいを取り戻していきます。

 実のところ、ゲーム内のモンスターがドロップするため、プレイヤーはお金を持っていました。ところが、どれだけお金があっても使い道がなかったのです。睡眠は宿泊施設でとった方がいいけれど、それに関して莫大な額が必要というわけではありません。どれだけお金を稼げたとしても、消費する対象がない。経済学でいう需要と供給のバランスが完全に破綻していたわけです。

 そんなところに味覚を満足させてくれるハンバーガーという商品が登場し、需要に対する供給が生じた。つまり、ここで初めて〈エルダー・テイル〉には、本当の意味での経済が萌芽したわけです。

 お金というのは、元をただせば商品やサービスの交換を円滑にするための手段です。例えば、Aという人物は小麦を在庫に持っていて、Bという人物が漁で魚を獲ってきたとします。しかし両者とも小麦や魚だけでは食生活にバリエーションが生じません。そこで、Aは魚が欲しく、Bは小麦が欲しい場合、物々交換すればAとBは相手からそれまで自分が持っていなかった品物を手に入れられます。
 逆をいえば、AかBのうち一方が相手の品を欲していない場合には面倒くさいことになります。BはAの持つ小麦が欲しいけど、Aは魚より肉が欲しいとしましょう。この場合、AとBの間での物々交換はできません。
 小麦が欲しいBは肉を持っている人を探し、肉と魚を交換してもらい、その上でその肉と小麦を交換してもらわなくてはなりません。
 はっきりいって面倒臭いですよね?
 そこで発明されたのがお金です。お金という皆が価値を認める引換券があれば、物々交換をしないでもBはお金を支払えば小麦を手に入れられます。これがお金の力であり、経済というシステムの根幹なのです。

 あるいはお金は材料調達や調理にかかる手間を省くことにも使えます。例えば、美味しいラーメンを作る方法を知っていても、よっぽどの気合が入っていなければ原材料から用意しようとはしないでしょう。そんなことをするのはTOKIOぐらいです(笑) なぜなら、普通の人からすれば原材料を全部揃えるのは手間だし、加工や調理にも時間がかかります。身も蓋もない言い方をするとすごく面倒臭い。そこで市販のカップ麺を買ったり、ラーメン屋さんで食べるわけです。

 これは何か一つの商品を作るのにも様々な工程が必要であることを意味しています。〈エルダー・テイル〉内でのハンバーガーを引き合いに出せば、肉などの原材料を調達する係も必要だし、小売店での販売員も不可欠、売上と経費をきちんと計算して店を継続的に経営できる人もいないと困ります。

 経済というと、まるで俗っぽいお金の話みたいにも聞こえます。しかし、経済やあるいは経済学の本質とは様々な人が、協力して一つの世界を作り、運営する手法のことなのだと『ログ・ホライズン』は気づかせてくれます。
 人間は一人では健康で文化的な生活なんてできないのです。それを実現するためには、経済を考えることは避けて通れない道です。

 では『ログ・ホライズン』から離れて、私たちの暮らす現実に視点を移しましょう。現在、この世界の経済は本来の意味での経済と言えるかどうか。
 そう問いかけると、私は首をひねらざるをえません。本来、人類の発展と幸福のためにあるべき経済システムが、格差社会や紛争のもとになっています。
 世界経済の混乱は、おそらくこれから数年、いや数十年は続いていくでしょう。しかし、それに立ち向かうためには「そもそも経済とは何か?」というところに立ち返る必要があるように思えてなりません。

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