ログ・ホライズン哲学

 ――われ未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや。
 弟子に「死ぬとはどういうことか?」と問われた孔子は、上記のように答えたと言われています。
 現代語訳すると「生きているこということもわからないのに、どうして死について理解できよう」となります。
 この言葉に「さすが孔子は言うことが一味違うぜ!」と感心するか、「要するに明言できないから言い逃れを図ったのね」と一笑するかは個人の自由です。ちなみに私は後者ですね。孔子の言うことは、逐一お説教臭いですから。現代社会で孔子のように高潔な生き方はほぼ不可能ですし、そんなことしたら破綻します(笑)

「どう生き、どう死ぬか」というのは哲学の根幹にあります。哲学とはいわば善く生きるための学問です。そして、善く生きるためには、死ぬとはなんぞやということも考える必要がある。もちろん、究極的に死については実際にそれが訪れるまではわかりません。しかし、死についての考察を放棄することは善く生きることの放棄となります。

 とまあ、一歩間違えれば怪しい宗教にもなりかねない理論を展開してもしょうがありませんね。私が言いたいのは、死について向き合わないとそもそも探究活動などありえないということです。
 その点で、『ログ・ホライズン』(著:橙乃ままれ)の世界観というのは興味深い。この作品においては数多くの登場人物が死んでしまっても再復活してしまうという環境に置かれています。
 そんな世界の中で「生命とはなんぞや?」という疑問を探究していたキャラがいました。
リ=ガンという名のエルフで、彼は大地人です。大地人とはNPCの別名であり、大地人はプレイヤーキャラとは違い一度死んだら復活できません。命は一度限りなのです。

 プレイヤーキャラは、自らが暮らすアキバの街を盛り上げようと、経済やルール作り、あるいはインフラ整備に力を入れていました。もちろん、物語の舞台となる〈エルダー・テイル〉の秘密を解き明かそうとアクションも起こしました。しかし、その末にたどり着いたのが、この世界で絶対の死を持つ大地人リ=ガンだったのです。
 死を宿命づけられているからこそ、生について深い探究が可能であったと言わざるを得ません。

『ログ・ホライズン』について、頭の硬い人々は「死なない世界の物語など命を軽んじる風潮につながりかねない」とか言い出しそうですが、実際は真逆です。
 死んでも再復活する人々がいて、しかし同時に一度限りの命を生きる人もいる。それにより「そもそも生きているとは何ぞや?」という哲学的な思索が生じるのです。
 だからこそ、彼らは「われ未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや」なんて無責任な逃げには走りません。それもまた『ログ・ホライズン』の魅力の一つと言えるでしょう。

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