自分の力作は他人の駄作

 pixivで作品を閲覧していると、「落書きってなんだっけ」「落書き・・・だと・・・」みたいなタグがついていることがあります。そういう作品は素晴らしい作品である場合が少なくありません。つまり、作者は「いやあ、こんなの落書きですよ」と言うけれど、他の人から見たら「これのどこが落書きだよ」みたいなノリで使われるわけです。
 作者の言う「これは落書きです」は日本的な謙遜な場合もありますし、本気で落書きだと思っている場合もあるでしょう。私が興味を抱くのは後者の場合です。

 素晴らしい作品を描いているのに本人はそれを落書きと言う。これはなかなかに複雑な心理です。
 どんな技術であっても上級者であるほど謙虚であるといいます。例えば、10のことがわかると、20のわからないことが見えるそうです。だからこその謙虚さなのでしょう。
 あるいは、本人としては本当に手早く描いたから落書きだと言い張る場合もあるでしょう。こっちの場合、技量の低い人間からするとかなりショックです。閲覧者にとっての傑作が、製作者にとっての駄作なわけですから。

 どうしてそのような齟齬が生じるのか、もう少し深く考察してみましょう。
 それを紐解くカギとなる考え方として、行動経済学の概念をちょっと使ってみたいと思います。
 行動経済学というのは経済学の一つのジャンルです。従来の経済学は「人間は合理的な行動を取るものである」という前提のもとに研究されていました。つまり、お金の無駄遣いはしないし、適切な情報さえあれば必ず正しい決断ができると考えていたわけです。
 けれど、当然に人間はいつでも合理的な行動が取れるわけではありません。どちらかというと傍からすると「どうしてそんな馬鹿なことするの?」とツッコミたくなる行動をする生き物です。
 行動経済学では、そういった人間の不合理さを考慮した上で経済活動についてを研究していきます。

 で、行動経済学の知見を平易にまとめた本に『不合理だからすべてがうまくいく』(著:ダン・アリエリー)というのがあります。
 この本によると、人間は労力をかけて何かをこしらえると、その作品の愛着を感じ、過大評価するようになるそうです。これはイケア効果と呼ばれます。イケアとは家具メーカーのイケアのことです。イケアで買った組立式の家具を自分で組み立た場合、それがいかに低い完成度でも、労力がかかっていればいるほど自分の中での評価が高くなってしまうそうです。

 自分が作ったものに関しての評価は客観的な完成度など大して問題ではなく、かけた労力の量こそがカギとなる。
 これをもとに考えると、手早く描いた作品を「これは落書きです」と言う心理も納得できます。労力をかけたものほど自己評価が高いなら、労力をかけなかったものは自己評価が低くなっても無理からぬことです。そのせいで愛着が湧かずに落書きという自己評価を下すわけです。

 このイケア効果は、創作活動をするのであれば注意する必要があります。
 完成度の高い作品を落書きと自分で言うならばまだ救いはあります。なにしろ周りの人が「落書きってなんだっけ」「落書き・・・だと・・・」みたいなタグをつけて反論してくれます。
 問題なのは労力をかけたわりに完成度の低い作品を製作者が傑作だと勘違いする場合です。この場合、ダメージは大きですよ? 製作者本人は内心で「ドヤァッ!」と思っているのに、周りからの評価は低いわけですから。
 しかも、悪戦苦闘した作品というのは、スムーズにできた作品とは違い、往々にして粗が目立つものです。だから、自分にとっての力作は他者にとっての駄作になりやすいと言えるわけです。
 もちろん、労力を費やした分と完成度が上がる場合もあります。ゲーテが書いた『ファウスト』なんて六十年前後もかけて書き上げられたそうですし。
 一方で、時間をかけた割に超駄作になってしまう場合もあります。いわゆるクソゲーと呼ばれるものに、どれだけ発売延期を繰り返したものが多いことか。

「別に自己満足のために創作活動をしている」という場合は構いませんが、「自分の作品で誰かを感動させたい」という人はイケア効果に気をつけるべきです。でないと、「自分が心血を注いだ作品を誰も評価してくれない!」と悲嘆にくれることになりかねません。
 労力や努力におごることなく、一歩引いた目で自分の作品を見つめられる目を持ちたいものです。

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