ウケたいのなら怪力乱神を語れ

 ――子、怪力乱神を語らず。

『論語』で有名な孔子は、弟子によると理性では説明がつかない「怪力乱神」の四つについて口にしなかったといいます。

「怪」は、不思議で奇っ怪なこと。つまりはミステリーと言ってもいいでしょう。
「力」は力の強いこと。要はバイオレンスです。
「乱」は世の中の風紀を乱すこと。色香などがこれにあたります。
「神」は鬼神などのオカルトと言い換えられます。

 孔子の弟子は、自分の師匠が怪力乱神など口にせず、とても立派だったと言いたかったのでしょう。
 確かに怪力乱神を語らずに生きることは高潔です。
 しかし想像してみてください。怪・力・乱・神のどれ一つもない人生を。
 その人生は確かに潔いとは言えますが、果たしてそんな人生は楽しいのでしょうか?
 はっきり言って無味乾燥としていると言わざるを得ません。
 特に、それが小説や漫画などの物語作品の登場人物だったら、人気のないキャラ確定です。

 そこまで考えてみて、私は一つの仮説を立ててみました。
 面白い物語作品を創造するためには、怪力乱神を語らなければいけないのではないでしょうか。
 本屋で平積みにされている作品で、怪・力・乱・神のいずれも含まないものなんて極少数だと思います。
 心ときめくミステリーもなく、バトルなどのバイオレンスもなく、ドキドキするような色香もなく、背筋が寒くなるオカルトもない作品。はっきり言って売れそうな作品とは言えません。
 物語から怪力乱神という要素を抜いたら、まるで文科省推薦図書のように味気ない作品ができて終わりになるでしょう。そんなものは学校の教科書だけにしてほしいものです。
 多くの人が求めているのは、味も風味もない道徳の教科書ではありません。きちんと味わいのある作品なのです。

 もちろん、怪力乱神の味をやたらに濃くすればいいというわけではありません。味付けの加減は必要です。
 しかし、物語にきちんと味付けをするためには怪力乱神は欠かせません。
 シェイクスピアも、ゲーテも、ドストエフスキーも、コナン・ドイルも、太宰治も、世の中を見渡せば名作の作者は、怪・力・乱・神を描いています。聖書でさえも、ミステリー、バイオレンス、色香、オカルトの要素を含んでいます。
 純白で高潔な物語などありえません。ウケる話――つまりは人を楽しませる話を描くならば怪力乱神の四文字を忘れないようにしたいものです。

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