ナタリーに学ぶネットの作法

 当たり前のことを馬鹿にせずちゃんとやる。もしも周りの人間が怠け者ばかりなら、これだけで大きな差を作れると気づかせてくれたのが本日の一冊です。
『ナタリーってこうなってたのか』(著:大山卓也)を読了しました。
 本書は、音楽ニュースサイト「ナタリー」の創設者である大山卓也氏が、ナタリーができるまでの経緯や、そのポリシーを語ったものです。

個人サイトのコンセプト?

 大山氏は2001年10月に「ミュージックマシーン」という名前の音楽サイトを立ち上げたそうです。このサイトはウェブ上の様々な場所に散在する音楽情報にリンクを貼り、ちょっとしたコメントをつけて紹介するというものだったそうです。本書では、今で言うところの「まとめサイト」のようなものをイメージすればわかりやすいかもとあります。
 このサイトを作るにあたって「この2つは絶対に守ろう」と決めたコンセプトがあったと大山氏は語ります。その2つとは以下の通りです。
①批判をしない
②全部やる
 個人サイトを立ち上げるときにコンセプトを決める人は、世の中にどれだけいるでしょうか。ちなみに私は個人サイトでそこまで気合の入った設計はしていません。「楽しければいいや」くらいの軽い気持ちで作ったことをここに告白いたします。
 しかし、仕事ができる人はどうやらきちんとコンセプトを決めて、サイトの存在意義から設計するみたいです。そこら辺は軸がぶれぶれの私とは違います。見習いたいです。
 その後、「ミュージックマシーン」では少し物足りなかった時期に、後にナタリー運営の母体である会社を作ることにしたそうです。

下品な記事は載せたくない

「恋愛禁止」の原則を破ったアイドルが頭を丸坊主にして動画サイトのチャンネルで謝罪した事件がありました。この一件を引用しながら、大山氏はナタリーのポリシーとも言えるべきことを語ります。
 このアイドルの丸坊主の件に関して、大山氏はすぐにナタリーには丸坊主の画像は載せず、動画サイトへのリンクも貼らないと決めました。インパクトのある画像を掲載した方がPVは稼げますが、そんな下品な記事を載せるメディアの姿勢がイヤで仕方なかったそうです。
 ネットのみならず、マスコミが抱えるセンセーショナリズムの問題には根深いものがあります。視聴率やPV稼ぎを目的とするならば、記事の内容は衝撃的・挑発的になっていく傾向があります。まとめサイトのタイトルの頭に【悲報】とか【衝撃】が付いているのなんて、もはやありふれた光景です。

ネットで無色透明であること

 品位を求めるナタリーの姿勢は、ある意味では草食系とも言えます。しかし、そこにナタリーの存在価値があります。
 ナタリーにはいい意味で偏った主張はありません。ナタリーは徹底的に無色透明でありたいと大山氏はいいます。
 これはかなり勇気のいるスタンスです。膨大な情報があふれるネット空間で、無色透明であるのは、ともすればその他の情報に埋没することにもなりかねません。
 しかし、ナタリーは没個性に陥っているかと言われれば違います。むしろ、アーティストの特集記事を載せる際にも、きちんとアーティスト本人を取材するなど多大な労力をかけています。
 つまり、当たり前のことを馬鹿にせずちゃんとしているわけです。お手軽に話題のニュース記事やスレッドをコピペしただけのサイトとは次元が違います。

オリジナリティの極意

 当然のことを真面目にするだけで、きちんとオリジナリティになる。ナタリーの仕事ぶりはそんなことを気付かされてくれます。
 現在のネット空間には、広告と内部リンクだらけで肝心の記事がスカスカなバイラルメディアが溢れています。残念なことです。
 しかし、検索エンジンの性能が向上すれば、この手のサイトが検索結果の上位に来ないようになるでしょう。事実として、Googleは無断転載や内容の薄いウェブコンテンツに対しウェブサイトで警告するということがありました。
 となれば、これからのネット記事に求められるのはオリジナリティといえます。ナタリーのあり方は、これからの時代におけるネットの作法のいい見本であるといえます。

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