これからのことは利休にたずねよ

15-01-14-01
 ニュースなどで世界情勢を見ていると、いよいよきな臭い時代に入ってきたという感じです。
 イスラム過激派によるテロに、こじれにこじれる各国の外交。加えて、我が国の財政赤字は1000兆円を突破しました。
 世界恐慌の末に第二次世界大戦へと突入していった暗黒の時代を連想してしまうのは私だけでしょうか。
 漠然とした不安を抱えるご時勢の中で、今回紹介する一冊は『利休にたずねよ』(著:山本兼一)です。第140回直木賞受賞作品であり、映画化もされた作品です。

 この作品では千利休が並々ならぬ美意識を茶道に傾けている様が描かれています。利休を中心にして、同じ時代を生きた豊臣秀吉、徳川家康、石田三成なども登場します。
 利休が生きた戦国から安土桃山時代は、まさに動乱の時代と言っていいでしょう。そんな時代に彼は、武ではなく茶道という極めて文化的な方法で大成しました。

 本書を引用すると以下のようなことが書かれています。

 天下を動かしているものは、武力と銭金だけではない。
 美しいものにも、力がある。
 天地を震撼させるほどの力がある。

 この言葉に、利休の生きた理由が集約されていると思います。
 同時にこれは、きな臭い時代に生きる我々が学ぶべきことです。
 仮にどこかの国同士が戦争をして、どちらかが勝ってもその国は文明国ではありません。本当に洗練された国というものには文化というものがあります。日本で言えば、和食、書や絵画、あるいはおもてなしの精神などがそれにあたります。

 よくよく考えてみたら、茶道にはそういった文化を形成する要素がことごとく含まれています。茶道では茶だけでなく茶菓子なども振舞われますし、床の間には掛け軸がかけられます。また、招いた客人に心地よい時間を過ごしてもらうおもてなしの精神も必要不可欠です。
 ……まあ、似たようなことは明治39年にニューヨークで刊行された『茶の本』(著:岡倉天心)にも書かれているんですが(汗)

 軍を持たず、経済成長も滞ったこの国がそれでも世界と対等に渡り合うための手段は文化です。いわゆるCool Japanと呼ばれる戦略が取られようとしていうのは真っ当な流れだと思います。
 ただし、それを政治・官僚が主導するとなると若干の不安はぬぐい去れませんが。彼らが私腹を肥やすためだけに文化を利用しないかは国民がしっかり監視すべきことでしょう。

 ……などと国の行く末を、生真面目に語ってみましたが実は利休から他のことも学べます。それはブランド戦略についてです。
『利休にたずねよ』には書かれていませんが、歴史を紐解いていくと、茶の湯とは元々豪華にどんちゃん騒ぎする場所だったみたいです。それを厳かな美を楽しむ時間に変えたのが利休だったわけです。
 利休は元々それほど裕福な家の出身ではありませんでした。なので、利休以前の豪華な茶の湯で勝負をしても財力的についていけない。そこで発想を転換させて、それほど裕福でなくても楽しめるように利休は工夫を凝らしていきます。それがわびさびの世界に通じていったわけです。この路線は富裕層ではない一般の民に広く受け入れられ、利休の世界観は浸透していくわけです。

 世界観という言葉はブランドと言い換えてもいいでしょう。
 ブランドというと、どうにも高価なバッグや洋服を想像しがちですがそれは本質ではありません。ブランディングの本質とは付加価値をつけることです。
 利休で言えば、例えばこんなエピソードがあります。ある日、利休は弟子を集めていくつもある茶碗をいくつも並べ、弟子たちに好きなものを選ばせて、残った一つに「木守(きまもり)」という名前をつけます。木守とは、収穫の際に来年もよく実るようにと祈りを込めて木の先端に一つ二つ取り残しておく柿の実が由来です。
 利休が「木守」という名前をつけたことにより、選ばれなかった茶碗は一転して誰もが欲しがる品に変わります。
 つまり、利休が名づけたというストーリーにより残った茶碗に付加価値が生まれたわけです。

 経済が不安定な今の世の中で本当に成功しようと思うなら、自分というものをブランディングすることが不可欠といえます。これは商品開発だけでなく、人間関係や創作活動にもいえることでしょう。自分や自分の創作物には果たして、いかほどの価値があるのか見定め、それをどのようにして世に提示していくのか。
 そんな生存戦略についても利休にたずねてみたいものです。

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