教育にゲームデザインのセンスが必要なわけ

 学校には様々な教師がいるわけで、彼らが行う授業の良し悪しもピンキリです。
 授業を盛り上げるために様々な準備をしてくる教師ももちろんいます。一方で、教科書の内容を黙々と読むだけ、あるいは黒板に写経するだけという人も少なからず存在します。
 私の高校時代に後者のパターンの数学教師がおりました。
 その人の授業はとにかく面白くなかったのを記憶しています。『面白くない』と思っていたのは私だけではないはずです。なぜなら、その教師の授業になると毎時間とも学級崩壊していたからです。雑談の絶えないカオスな授業だった記憶があります。
 んで、その教師も人間ですのでついに態度の悪い生徒たちにブチ切れるときがやってきました。
 教師は「この中で俺の授業をノートに取っていない奴は手を挙げてみろ!」と怒鳴ってくるわけです。
 突然の豹変ぶりに教室は一瞬静まりかえるわけですが、次の瞬間、教師に対して高々と手を挙げる者が現れます。
 そのシーンに教師はおろか、他の生徒たちも唖然とします。
 なぜなら、手を挙げた生徒はクラスで一二を争うほど数学の成績がよかったからです。数学の点数もすごぶるよく、試験前になると数学がわからずに困っている生徒に勉強を教えるほど理解している奴です。
 これには教師も閉口せざるをえません。
 きっと、教師は怒鳴った後に、
『いいか、お前たちはノートも取らずにしゃべってばかりいる。だから試験前になって困ったことになるんだ』
 とか言いたかったに違いない。
 しかし、数学の成績優秀者が手を挙げたことにより、そんな説教は封殺されました。
 教師による生徒たちへのリベリオンはスベリオンに終わったわけです。
 この話から何が言えるかというと、教科書のコピペみたいな授業はまったくの無価値ということ。無感動な教育は罪なのです。

シリアスゲームという考え方

 という昔話を私が思い出したのは、『デジタルゲーム学習~シリアスゲーム導入・実践ガイド~』(著:マーク・ブレンスキー)という本を読んだからです。

 この著作ではデジタルゲームを教育に応用するのは有効であり、従来の教育の退屈さ払拭するインパクトを持っていることが論じられています。
 教育などの真面目な分野にゲーム開発の技術を応用することをシリアスゲームといいます。また、教育(エデュケーション)に娯楽性(エンタテイメント)を掛け合わせることは二つの言葉を組み合わせてエデュテイメントと呼ばれます。
 要するに本書では、シリアスゲームを使ってエデュテイメントを実現する方法が書かれているわけです。
 シリアスゲームやエデュテイメントという言葉は、一般的には聞きなれないため想像しづらい部分があるでしょう。しかし、『信長の野望』や『戦国無双』、あるいは『桃太郎電鉄』あたりのゲームを思い出すとぐんと理解しやすくなります。
 若者の中で三国志や日本の戦国時代の武将に詳しいという人の中には、それらの時代を舞台にしたゲームをプレイしたからという場合が多いはずです。また、桃鉄で遊んでいる間に様々な日本の地名を覚えていたということもあるでしょう。
 これらは意図しなくてもシリアスゲームやエデュテイメントになっていたわけです。
 逆に学校の授業の影響で戦国武将や日本地理に詳しくなった人はどれぐらいいるでしょう。私個人のことを言えば、暗記物は本来苦手で歴史上の人名も日本の地理も、ゲームするまではテストが終わってしまえば忘却の彼方へ追いやられていました。
 あえて言う必要はありませんが、テスト期間にしか知識を覚えていないようでは教育が成功したとは言えません。

とにかく学校がつまらない

『教育』という言葉からは、非常にお堅いイメージを受ける人が多いのではないでしょうか。私もその一人です。
 加えて、子どもの頃に受けてきた教育がガチガチに堅苦しく、つまらないシロモノなら話題にするのも嫌という人もいるかもしれません。
 しかし、教育は次の未来をつくる上で欠かせない要素です。にもかかわらず、『お堅いからちょっと……』という風潮は歓迎すべきではありません。
 学力低下、学級崩壊、不登校、いじめなど日本の教育には問題が山積みです。
 これらの問題は複雑に原因が絡み合っているため一言で解決策を示すのは困難です。しかし、これらの問題の原因の一つに『そもそも学校や授業がつまらない』という要素はあるはずです。
 生徒は学校生活の大半を授業を受けて過ごします。それなのに、肝心の授業が馬鹿馬鹿しいまでにつまらないのではストレスも溜まって当たり前です。そりゃ、どこかで爆発もするでしょうよ。
 私のtwitterのタイムラインには学生であろう人たちが大勢います。その人たちは休日明けともなると『今日から学校があること』に怨嗟の念をつぶやきます。『今日は月曜日だ。学校に行けるぜヒャッホー!』なんてテンションの高いツイートにはまだ出会えていません。

授業デザインではなくゲームデザインしてみる

 飛躍した比較ですが、今の日本では相手のモチベーションを上げる方法についてゲームデザイナーは教師よりも深く考えているはずです。
 特に公立高校の場合ならどれだけだらだら授業をしようと、よほどの問題を起こさない限り給料をもらえます。
 しかし、ゲームデザイナーは違います。相手がゲームに興味を引き、熱中してくれなければご飯を食べていけないのです。こうなったら、死ぬ気になって相手のモチベーションを上げる方法を考え抜くしかありません。
 事実、良いゲームには相手を夢中にさせる工夫が随所に用意されています。
 例えば、

  • 最初の戦闘にチュートリアル戦にしてプレイヤーがいきなり挫折しないようにする
  • 費やした時間や料金などの労力の分だけ操作キャラが成長する
  • 直感的に操作できるインターフェイスを開発する

 など様々です。
 あるいは『ゲーム』という言葉を『コンテンツ』と置き換えてもいいでしょう。
 ゲームとは様々なコンテンツの複合体です。
 一気に興味を引き込まれるシナリオ、美麗なグラフィック、盛り上がる音楽。それらなくして今のゲームは成立しません。
 今後重要になってくるのは、教育を施す者とコンテンツづくりのプロであるクリエイターが手を組むことといえるでしょう。
 今までの学校教育では、準備を含めた授業デザインや遂行だけでなく、生徒の相談を聞く、部活動の顧問、保護者との連絡、生徒の評価など教師一人が行ってきました。しかし、いくら優秀な人材でも人間が一人でできることには限りがあります。一日は二十四時間しかありませんし。
 また、コンテンツ産業は飽和産業となりつつあります。イラストやシナリオなどコンテンツはつくれるけど仕事がないというクリエイターは少なくないはずです。
 ならば教師とクリエイターが手を組めば、教師側の仕事が減り、クリエイター側の仕事が増え、教育の質が向上するのではないかと私は思うわけです。

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