漢字の書き分け・表記揺れ

 漢字は画数が多いと格好良い印象を受けるものです。
「知恵」より「智慧」の方が深淵そうですし、「両生類」よりも「両棲類」の方が賢い人が使うような雰囲気です。
 他にも「反乱」と「叛乱」、「日食」と「日蝕」、「賛美歌」と「讃美歌」なども、その類でしょう。
 では、格好良いからといって画数の多い方の漢字を使えばいいかと言えば、必ずしもそうではありません。
 画数の多い漢字には一目見た時にわかりにくいという欠点があります。
 どちらの漢字を使うかは作家の感性や、物語の世界観に合わせて選ぶ場合がほとんどです。なので、一概にどちらが正しいとは言えません。
 しかし、同じ意味をもつ二つ漢字を何の意図もなく気分で使い分けていては読み手側が混乱するのは言わずもがな。可能な限り、使う漢字は統一するのが望ましいです。

ニュアンスの書き分け

 同じ「あう」でも「合う」「会う」「遭う」など様々な漢字があります。そして、これらは意味やニュアンスに応じて使い分けなければいけません。
「合う」はタイミングや呼吸、あるいは焦点などが一致するという意味です。
「会う」は人と人が面会するという意味です。
「遭う」は事故や事件など、予期せぬ出来事に巻き込まれるときに使います。
 日本語には、こういう同音異義語が多々存在します。小説を書いていて迷うことがあったら、積極的に辞書で確認していきましょう。
 また、「わかる」という言葉にも「分かる」「解る」「判る」などの違う漢字があります。どれも若干ニュアンスが違います。しかし、そのニュアンスの違いは「合う」「会う」「遭う」よりは小さなものです。どの「わかる」も知覚し理解するという意味においては一緒だからです。
 こういう場合、例外的に表記がごちゃごちゃになるのを防ぐ裏技が使えます。それはすべての「わかる」をひらがなで書いてしまうことです。これにより、いくつもの「わかる」を意味する漢字を書き分ける手間を省くことができるのです。

「とき」「ところ」「もの」「こと」

 まずは次の文章を読んでみてください。

  • 魔法で時を止めたとき、少年は魔物に襲われる一歩手前だった。
  • 大切な所だったので、管理人に掛け合ったところ、更地にならずに済んだ。
  • 鑑定士たるもの、物を大切に扱わねばならん。
  • 事を成し遂げた後は、日本に留まることは避けたほうがいい。

 それぞれの文章に、
「とき」と「時」
「ところ」と「所」
「もの」と「物」
「こと」と「事」
 という具合に、ひらがなと漢字が混在しています。
 しかし、これらは間違った表記というわけではありません。
 例えば、最初の例の「止めたとき」に着目してみましょう。「~したとき」の「とき」は、あくまで特定の瞬間や状況を示しているだけにすぎません。一方、漢字で書いた方の「時」は名詞として使われています。「時」を「時間」と言い換えても意味は通じますが、ひらがなの「とき」は名詞ではないので「時間」という言葉には言い換えられません。
 では、残る「ところ」「もの」「こと」の場合は、どうでしょう。これらの場合もぜひ考えてみてください。

接続詞と副詞はひらがなで

 まず、次の文章を読んでみてください。

【例文】
 然し、そんな風に厳しい態度をとれば却って相手は意固地なる一方である。

 この文章、妙に硬い印象を受けませんか?
 その理由は漢字の使いすぎにあります。
「然し」は「しかし」に、「却って」は「かえって」と書いた方がわかりやすいです。
「しかし」のような接続詞や、「かえって」のような副詞はひらがなで書くのが一般的です。
 ただし、副詞であっても「結局」のように全てが漢字の音読みで構成されているものは漢字で書く場合がほとんどです。

表記の揺れ

 以上見てきたように、漢字とひらがなを書き分けるのは存外難しい作業です。
 同じ意味の言葉なのに、表記の仕方に生じるズレは「揺れ」と呼ばれます。
 揺れは何もひらがなと漢字だけの間で生じるものではありません。
 カタカナで表記する言葉にも、

  • コンピュータとコンピューター
  • ヴァイオリンとバイオリン
  • ワトスンとワトソン

 などのように、多様な書き方をするものがあります。どちらを使うかは作家が判断することですが、混在させて読者を混乱させることのないようにしましょう。

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