対立と葛藤

※2014年06月28日(土)加筆修正

 ドラマという言葉の意味は多種多様ですが、ここでは「劇的なストーリー」という意味合いで使用していきます。
 ドラマと切っても切り離せないのが登場人物の葛藤という存在です。特に登場人物の内面を描写することを目的とした小説では、その重要性は他の媒体の比ではありません。
 葛藤はどのように生じるものなのか。そもそも、葛藤とは何なのかを今回の話では考察していきたいと思います。

対立から葛藤が生まれる

 葛藤は何かの対立から生じるものです。
 自分の内面にあるいくつもの意見の齟齬だったり、群雄割拠する複数のグループのぶつかり合いだったりと、対立の形は様々です。どのような形であれ、対立がなければ読者のために積み上げられる緊張は存在しえません。
 対立に立ち向かい、解決しようと思い悩む姿勢が葛藤なのです。
 心理学者のK.レヴィンは心理的葛藤を、人が欲求に対して取る行動によって以下の3つに分類しています。

  • 接近―接近型
  • 回避―回避型
  • 接近―回避型

 それぞれの型について、もう少し説明します。
 接近―接近型の葛藤は、どちらの選択肢も好ましい結果をもたらすけれど、1つしか選べない場合をいいます。例えば、一度に複数人の異性から告白を受けたというシチュエーションがこれにあたります。この場合、誰からの告白にイエスと答えても幸せになれるとしても、誰か1人を選ばなければなりません。つまり、プラスの選択肢のどれかを諦めなければならないわけです。
 回避―回避型の葛藤は、どちらの選択肢も好ましくないけれど、1つは選ばなければならない場合をいいます。例えば、課題をやるのは面倒だけど成績が下がるのも嫌だというシチュエーションがこれに当たります。この場合、面倒な課題に取り組むというマイナスか、課題をやらずに成績が下がるというマイナスのどちらかを選ばなければなりません。どっちにせよ、何か1つは嫌な思いをしなくてはならないわけです。
 接近―回避型の葛藤は、1つの事柄の中に好ましい面と好ましくない面の両方が含まれている場合をいいます。例えば、好きな人と喋りたいけど、会話が弾まないで気まずい空気になるかもしれないのは嫌だという葛藤がこれに当たります。この場合、「好きな人と喋る」という状況の中に、「会話をすることで親密になれるかもしれないチャンス」と「会話が弾まないで気まずくなるリスク」の両方が内包されているわけです。
 このように葛藤について分類してみると、葛藤の本質とは何かを取捨選択することにあるといえます。与えられた状況に対して、どのような選択をするのかは登場人物の個性を描く場となるでしょう。

ぶつかる壁は高くあれ

 物語の主人公は、行動する上でいくつもの壁にぶつかります。その壁は主人公の願望を阻むものです。主人公の前に立ちふさがる壁は様々です。社会との対立、他人との衝突、自分の中での葛藤など色々なものが考えられます。
物語と壁の関係
 物語をドラマティックにする上では、主人公が遭遇する壁の存在は不可欠です。
 更に言えば高い壁でなければ、ドラマティックな展開にはなりません。壁がすぐに乗り越えられるような低いものでは、葛藤など生まれようがありません。
 簡単には乗り越えられない高い壁であるほど、物語はドラマティックになります。もちろん、壁が主人公の力を圧倒しているのですから、主人公は一足飛びに敵役を乗り越えることはできません。
 ときには修行・鍛錬といった過程を経るかもしれませんし、思いもよらぬ奇策を立てる必要があるかもしれません。
 主人公に回り道をさせると、登場人物が精神的に成長する、あるいは仲間同士の絆が深まるなどを描きやすくなります。
 主人公が一直線に進む効率重視のやり方をすると、物語に深みが生まれません。何が正しいかを思い悩み、苦しみながら答えを模索していく。この過程が葛藤でありドラマなのです。

第3の道

 壁にぶつかり、葛藤する登場人物がいたとします。古典的なパターンでは「大切な人が死ななければ、世界を救うことができない」という状況設定があります。具体的な例としては『ファイナルファンタジーX』のストーリーが挙げられます。この物語では、主人公たちは世界に大きな災いをもたらすシンという魔物を倒すために旅に出ます。しかし、シンを倒すためにはヒロインであるユウナが死ななければならないという真実を主人公は知ってしまいます。つまり、ヒロインの命を取るか、世界の平穏を取るかという究極の選択を迫られるわけです。
 主人公は大いに悩み、葛藤します。
 しかし、主人公が出した答えは「ヒロインを死なせずに、かつ世界に平和をもたらす」という道でした。つまり、2つしかなかった選択肢を覆す第3の道を行く決断をしたのです。そして主人公は様々な困難を乗り越えて、見事に第3の道を成し遂げてみせます。
 第3の道という手段は、物語に大きな深みを与える効果を持っています。
 前述の例で言えば「ヒロインの命」か「世界の平和」かという選択肢は、その世界における基本的なルールでした。「ヒロインを死なさずに世界も平和にする」というのは、世界のルールに反する非常識な発想だったのです。
 第3の道を選ぶことは、それまでの世界の枠組みや価値観をひっくり返すということに繋がります。物語の読み手は、往々にして意外な結末を求めるものです。第3の道には読み手にあっと言わせる意外性を与えます。そして、それが物語に深みを与えるのです。
 第3の道を選び、そして完遂することは現実の世界でも物語の世界でも難しいものです。その方法は場合によって多種多様ですが、第3の道を発想するヒントはそもそも論で考えてみることにあるのかもしれません。
『ファイナルファンタジーX』の例で言えば、「そもそも、どうしてシンという魔物を倒すのにヒロインの命が必要なのだろう」と考えるところから第3の道が始まります。そして、情報を集めた結果「シンを操るエボン・ジュという存在がシンの体内にいる。シンが外殻みたいなものになっていて、外からではエボン・ジュは倒せない」という事実を突き詰めます。このことを知った主人公たちは「ならば、どうにかシンの体内に突入して、本体であるエボン・ジュを倒せばシンを倒すという目的は達成できるのでは?」と考え、それを実行します。
 つまり、それまでの常識であった「シンを倒すには誰かの命が必要」という大前提を、そもそも論を使って疑ってみたわけです。現実の世界でそもそも論を連発する人は、話の腰を折る迷惑な人にもなりかねませんが、物語の世界では新しいアイデアを生み出すキーマンにもなりえるのです。
そもそも論と第3の道

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