アルカナ・ナラティブ/第1話/01

 臆面もなく陽の下を歩ける高校生活でありたい。ささやかで、けれど、罪人が口にするにはおこがましい夢を俺、瀬田翔馬《せた・しょうま》は抱いていた。
 普通の高校生として、普通の日々を、普通の仲間たちと、普通に過ごせれば、それだけで俺は満足だった。
 なのに入学早々、誤ったピースを無理矢理に嵌めこんだジグソーパズルみたいな気持ち悪さがあった。
 自分の教室がどこにあるのかすらうろ覚えの、入学式を終えた翌日。高校生活初心者の俺は一つの実験を試みていた。
 廊下ですれ違った、まだ名も知らない教師に、
「おはようございます」
 挨拶をした。傍からすれば、どこにでもありそうな朝の風景。
 この挨拶自体が実験だった。昨日から頭を悩ませていた案件を解決するための実験だ。
 教師は挨拶を返してきた。
「おはようございます」
 ――と。
 相手は敬語で恐縮した表情だ。
 教師は筋骨隆々とした体つきで、多分体育科の担当だ。いかにも、威厳ありといった風格。生徒に対しては豪快に『おはよう!』なんて言いそうなキャラ。
 もしも、彼が俺を一般生徒と認識していれば、今取った態度は不自然だ。
 これは実験成功と言っていいのだろうか。
 実験といっても、まさか成功するなんて思っていなかった。悲しいかな目を白黒させるしかない。
 茫然としていると、教師の方は怪訝そうに、こう言った。
「どうかされましたか、校長?」
 ……。
 この人は俺を校長と言ったが、当然、俺は校長になった覚えはない。
 俺が知っているこの学校の校長は、五十代半ばくらいの、がっしりとした体格で、質実剛健そうな雰囲気を放った、どこぞの企業の重役みたいな出で立ちのオッサンだ。
 一方、俺の外見は、どこにでもいそうな若者である。体格は割と痩せ型、優柔不断そうな雰囲気の草食系男子。仮にここが暗い夜道でも校長と間違えるなんてありえない。
 目の前の教師が幻覚でも見ていなければ説明がつかない。
 実験が妙な方向に結果を出している。春先にも関わらず薄ら寒い。
 この状況をコメディと取るべきか、ホラーと取るべきか。
「いえ、なんでもありません。昨日から考えていた案件がふと頭に過っただけですよ」
 教師を誤魔化すように笑顔をつくった。
 誤魔化したといっても、言葉の内容に嘘は含まれない。
 本当に昨日からの頭を抱えていた案件を考えていた。
 高校生活は新しい自分を手に入れるチャンスなのだ。徹底的に『嘘』を排除しなければならない。
 そそくさとこの場を後にして、三階にある自分のクラスへと駆けこんだ。
 座席表で自分の席を確認。席に着くと、今しがた起こったことについて真剣に思案。
 ことの始まりは昨日の朝。
 目が覚めたときには、悩みのタネは思考回路に刻み込まれていた。

 ――自分の存在を対象者に錯覚させることができる。

 妄想染みた考えだ。
 これが中二病か! ロクな中学時代を過ごしていない俺は、発症したことについて、興奮を覚えたものだ。
 ……世間的には痛い病気らしいけどな。
 ……それに、中二どころかもう高校生だけどな。
 最近、同年代の連中に話題を合わせるためにマンガや映画をよく観ていた。その内容が夢にでも出てきて、一部が目覚めた後まで残ったのだろう。……などという分析が正しいのかは保留しよう。
 昨日は入学初日の高揚感とその妄念を一緒くたにしてしまった。気にはなるものの思いつめるほどではなかった。
 しかし、二日目も昼夜問わず続くともなれば話は別だ。
 中二病って、発症すると長く潜伏するものなんだろうか。
 本日の登校中、そんなことを考えていた。
 そして、辿り着いた結論。
 ――悩むぐらいなら実験すればいい。
 その結果、廊下ですれ違った教師に対して『あなたは俺が校長先生に見えますよ~』なんて念じてみたのである。
 頭が春な人みたいな行動だが、念じるだけなら傍から気付かれるわけでもない。よって、ノーリスク。ちなみにリターンは期待していなかった。
 さっきの先生が、俺を一般生徒として捉え、ふんぞり返った感じに挨拶を返してくれれば、俺の高校生活は普通のスタートを切れたのだ。
 でも、結果は先ほどの通り。
 あの怪奇現象をどう解釈すればいいのだろうか。
 オカルトや神がかり的な力の位置づけは、俺の中では人を騙すための方法の一つ。
 この世には魔法や超能力などなく、万事は非情なまでの合理と物理法則に従って動いているというのが俺の世界観。
 だが、このままでは常識は撃沈。高校入学早々からパラダイムシフトをこしらえるはめになる。
 困った。
 右眉の上を手で摩る。
 実は俺が抱えている悩み事は、『自分の存在を対象者に錯覚させることができる』という妄想だけではない。
 それは奇しくも妄想と同じくして、昨日の朝からあったもの。
 思考回路なんて目に見えない概念的なところにではなく、身体的に。
 昨日の朝、身支度を整えるべく洗面台に向かうと、自分の右眉の上に変なものが書かれているのに気付いた。
 I ――と。
 五百円玉を縦に二個並べたくらいの大きさで、色はくすんだ青色。
 最初は、ゴミが張り付いているのかと思った。だが、払っても顔から落ちる気配は無い。
 文字は完全に額に定着しているようで、誰かの落書きの可能性を疑った。しかし、現在俺は叔父夫婦との三人暮らし。いたずら好きな兄弟などいない。また、叔父夫婦はそんな意味不明な悪戯をする人たちではない。当の彼らに訊いても心当たりは無いと言う。
 ならば、家の外から誰かが忍び込んで、夜な夜な俺の顔に落書きを施すなんて犯行を?
 それこそありえない。どんな動機で、そんなガキみたいな悪戯目的で住居不法侵入を決行するんだ。殺されるような恨みは買っているが、中途半端な嫌がらせを受けるいわれなんてない。
 しかもこの文字、消すことができない。
 例えば、油性マジックで書かれていたとしても、指の腹で擦れば多少なりとも薄くなってくれるものだ。なのに、この落書きは薄らぐ気配が微塵もない。周りの皮膚が赤くなっただけ。
 さながら、シミか刺青みたいな頑固さ。
 以上の理由から、自然発生説についても疑ってみるが、こちらもしっくりとこない。
 自然に浮かび上がったものにしては線が定規で引かれたみたいにまっすぐだ。さりとて、刺青だったら、施されている最中に絶対に起きる。
 気持ち悪いが警察に届けるのは躊躇われる。せっかくの新しい生活が幕を開けようとしているのに、初日から警察のお世話になるのは断固拒否。
 I……。
 アルファベットの『アイ』?
 それともローマ数字の『イチ』?
 変化球でカタカナの『エ』?
 それとも大穴狙いで漢字の『コウ』?
 どう読むべきかを教えてくれ。
 謎は深まるばかり。
『自分の存在を対象者に錯覚させることができる』能力と、謎の文字。
 二つの問題は、早急に解決しなければならない。普通で、健全で、今時の若者らしい高校生活を送るために。
 とはいえ、異能(?)の方は、ひとまずの結論に辿り着きつつある。
 やっぱり、妄想か心労から来る精神疾患的な何かだろう。
 新しい生活を始めるのは、心に大きな負担をかける。
 特に俺の場合、小中学校ともちゃんと通っていなかったので、やっぱり不安は大きいわけだ。
 非現実的な妄想に逃避して、心の安定を保とうとしているに違いない。
 うむ、我ながら筋の通った精神分析。人の心を弄んでいた経験がこんな方向に役に立つとは思わなんだ。
 ……消したい過去だが。
 先ほどの教員はきっと心を病んでいて、幻覚でも見ていたのだ。最近は教師が心の病を患いやすいって聞くしな。念じていた校長と一致したのは偶然の産物という方向で。
 思案していると、始業のチャイムが鳴り響く。
 合わせて、このクラスの担任である女性が教室に入って来る。
 二十代後半くらいの若い教員。グレーのレディーススーツを上品に着こなしていた。落ち着いた印象を受ける大人のお姉さんだった。
 ここでふとひらめく。
 この人にも、さっきの教師にやったみたいに、俺の姿を錯覚させるように念じてみたら、さてどうなる?
 例えば、俺がさっきの先生に思えてしまうように念じてみたとする。
 もし、俺に本当に異能があったなら、この先生は慌てるかポカンとするか、何らかのリアクションを起こす。何せ、自分のクラスに無関係な先生がいるのだから。声を掛けずにはいられまい。
 逆に、異能が俺の妄想だったなら、普通にホームルームが進行するだけ。
 十中八九、後者であろうが、念のために確認しておこう。
 憂いは断っておいて損は無い。
 本当は教室にいる人間全員に同時にやってみたかったが、何となく出来る気がしなかった。何かの縛りか?
 細かい条件は無視して、思い立ったが吉日と言わんばかりに、念を送ってみる。
 子どもの頃、テレビに出ていた自称超能力者の真似をして、スプーンを曲げようと必死に念じたことを思い出す。もちろん、スプーンは曲がるはずはなく、後になってスプーン曲げのトリックも周りの大人から教わったのだが。
 超能力なんてない。
 魔法なんてありえない。
 ……はずだったのだが。
 担任教師は目を瞬かせながら、俺を凝視してきた。
「どうかされたんですか、亀岡先生?」
 亀岡先生というのは、さっきの教師の名前か?
 この先生、念というか電波というか、その手の不思議エネルギーを受信しておられる。
 あり得ない、あって欲しくない展開に悪寒が走る。
 大慌てで担任教師への念の送信を中止。
「何かあったのか、先生?」
 痛いぐらいの視線を送ってくる担任に、さも無知な生徒を装ってみせる。そんな狡すっからい演技ばかりに長けている自分が憎い。
「ごめんなさい、ちょっとあなたがうちの教員に見えてしまって。でも、そんなわけないわよね、気にしないでちょうだい」
 先生が謝って来たので、
「そうっすか」
 表には出さないが大混乱。
 マジでこの人は、俺をさっきの教師と錯覚していたらしい。
「先生、もう歳なんじゃないですか~」
 恐れ知らずな茶々を女子の一人が飛ばす。
「こら、初対面の相手にそんなことをいうもんじゃありません。私はまだ一応二十代よ。ちなみに嫌いなタイプの人間は、人の歳を四捨五入するヤツね」
 ユーモア交じりにたしなめる。教室は皆の笑い声で和やかな空気に。
 俺も表面的には笑っていたが、内心は全然笑えない。
 冗談抜きで俺に変な異能が宿ってやがるのか?
 いや、それは百歩譲って認めるにしても、内容がマズ過ぎる。
 ――自分の存在を対象者に錯覚させることができる。
 つまり、相手を騙したい放題。
 俺にとっての禁断の果実が、手の届くところにぶらさがっているようなもの。
 嫌だ。
 断固拒否する。
 もう詐欺とか、ペテンとかそんなものから足を洗って、真っ当な道を歩きたいんだ。

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