アルカナ・ナラティブ/第1話/04

 この日の日程は、朝のホームルーム、始業式、クラス写真撮影、帰りのホームルームという緩いものである。
 帰りのホームルームでは、クラスメンバーによる自己紹介が催された。シャイではないものの隠蔽したい過去が山積みの俺にとっては苦渋のイベントだ。
 しかも、苦渋であれ嘘は吐きたくない。
『呼吸をするように嘘をつけ』と命令されたら、きっと出来てしまうほどに俺の倫理観は破綻している。ただ、積み重ねてきた嘘がバレて、目指している普通の生活が破綻してしまうのは恐ろしい。
 したがって、正直一辺倒で自己紹介。ただし、隠すところは隠す方向で。
 幸いにして俺は名字が『セタ』だから、名簿番号の最初から始まろうが終わりから始まろうが、順番は真ん中ぐらい。周りの空気を察しつつ、自己紹介を空気に合わせたものに練っていく時間は充分にある。
 自己紹介は名簿番号一番から始まり、みんな自分の名前と出身中学や趣味を言う程度の簡単なものだった。みんなやっぱり今日は様子見段階で、『個性を大事に!』なんて昨今の教育事情なんてクソ食らえと言わんばかりの無個性さ。
 順番は巡って前の人までやってくる。
 つまり、朝のホームルームで俺をガン見していた女子である。
 彼女はすっと席から立ち上がると、愛想成分が皆無な表情と声で、
「周防氷華梨《すおう・ひかり》です。出身中学は北中です」
 とだけ述べて静かに着席した。
『周りに媚びないその態度潔し』と取るか、『何あの子、超恐いんですけど~』と取るかは個人裁量。なお俺は前者だ。
 さて、俺の自己紹介だが、
「瀬田翔馬です。趣味はマンガや映画を観ることです」
 無難に柔和な表情と言い回しで、ありふれた内容。
 本当は『翔馬って名前をペガサスって読まれたことがありますッ! DQNネームじゃありませんッ!』とかほざこうとしたけどやめておいた。大滑りするリスクに対し、得られるものが少なすぎる。別に面白キャラで一年過ごす予定はない。
 そもそも、そんなかっ飛んだ読み方をしたのは保護観察官だ。監察官様から派生したネタを出すのは危なすぎる。
 辞める勇気を持った自分に全力で拍手。
 そんな具合に、全編に渡って温いテンションでクラス全員が自己紹介を終える。後は担任が『じゃあ、みなさん、一年間このクラスで仲良くやっていきましょう』と普通に閉めて、起立、さようなら、解散という流れ。長いようで短い一日であった。
 が、俺にとって本番はここからである。
 周防氷華梨をつかまえて、眉の上の【I】について聞かねばならぬ。
 朝のホームルームが終わってからは、彼女と言葉を交わしていない。
 ホームルームが終わった後は体育館にて始業式。次いでクラス写真の撮影と、この日のスケジュールは進行していった。
 名簿番号の並んでいる俺と周防氷華梨は常に隣合わせだったのだが、周りに人がいるところで、得体の知れない【I】の話はしたくなかった。
 周りにいた連中に、変な噂を広められたらたまったものではない。
 まっとうな生き方をしていれば、変な噂を流されても断固として否定できるが、俺の過去は後ろめたさの百貨店。胸を張って陽の下を歩きたい。
 なので、日程終了後に彼女が一人になったところを話しかけるしかない。
 ホームルーム終了後に、一目散に下駄箱へ向かう彼女の後ろを着いていく。
 尾行しているわけではない。たまたま、帰る方向が一緒なだけだ。……と自分に言い聞かせないとやってられない。
 下駄箱で靴をはき替え、玄関を出たところで、
「周防、ちょっと良いかな」
 背後から、彼女の肩に手を掛ける。
「……いやッ!」
 ばしんっ!
 大慌てで振り回された周防氷華梨の腕は、俺の頬をしたたかに殴打。
「痛ェ……」
 頬を抑えながら、わが身の悲運を嘆く。が、いきなり背後から肩を掴まれたら誰でも驚くわな。彼女の場合は、反応が激しすぎる気もするが。
「ごめんなさい。大丈夫?」
 冷静さを取り戻した彼女は、俺の身を案じてくれているが、じりじりと後ずさり。
 あれ? 言ってる内容と取るべき行動が違うんじゃねえ? むしろ俺、変質者扱い?
 軽く傷つきながらも、
「あのさ、朝のホームルームでこれを気にしてたけど、何か心あたりがあるのかなと思って」
 前髪を掻きあげて【I】の文字を提示。
「そうよね、やっぱりあんな中途半端な態度を取ったら気になるわよね。じゃあ単刀直入に訊くけど、あなたはその数字に心当たりがある?」
 フレンドリーさに欠ける堅苦しい言い草だ。
 喧嘩を売っていると受け取られても仕方が無い態度だが、俺への敵意の有無についてはあえて考えない。
「残念だけど、全くないよ。昨日から、この数字が何を意味してるのか気になって、調べようとはしてるけど、どう調べたらいいのかすら分からずじまいだ」
 ……ん、数字?
 今、周防は【I】を、数字と言ったよな?
 そんな困惑など意に介さず、彼女は落胆した様子で、
「だったらいいの。ちょっと気になっただけだから訊いてみただけよ。じゃあ、さようなら」
 そそくさと立ち去ろうとするが、ここで逃すわけにはいかなくなった。
「ちょっと待った。もうちょっとアンタと話したいことがある」
 勢いで彼女の腕を掴んだ。
 彼女の発言はちょっとおかしい。
 この【I】の文字を初見で数字と判断するのは不自然だ。
 書き込まれた張本人さえ、アルファベットかローマ数字か、それとも他の何かなのか分かっていないのに、第三者の彼女が『数字』と言う。
「どうしてアンタは、これが数字だと思ったんだ? 他にも色々読み方はあっただろうに、わざわざ数字を選んだ理由を教えてくれ」
「は、離して……!」
 彼女は全身を震わせて、腕を振り回した。
 尋常ではない怯え方に、俺も自分の余裕の無さを恥じて手を離す。
 ここで彼女に逃げられたら、それはそれでしょうがないよな、やっぱり。
 貴重な情報を逃してしまうが、嫌がる相手から無理に訊き出そうとするのは人としてどうかって話だ。まっとうな道に戻るのが高校生活のスローガンなので、ここは道徳優先という方向で。
 なんて諦めていたが、予想に反して彼女は逃げなかった。
 力なくへなへなとその場にしゃがみこむ。
 ぜいぜいと全力疾走したみたいに呼吸が荒い。
「大丈夫か?」
 手を差し伸べるのは控えたが、何もかも急性な彼女の反応を、心配せずにはいられない。
「ごめんなさい。調子が悪いから今日は帰らせて」
 心底申し訳なさそうに懇願されたら、誰が彼女に事情聴取を強要できようか。
 有順不断な自分を正統化しているのは重々承知。
 何も言い返せない俺に行儀よく一礼だけすると、周防はこの場から去って行った。
 ぽつんと残された俺は、一人立ち尽くし、状況を整理する。
 結局、俺の額の【I】について、彼女がどこまで知っているかすら情報を入手できなかった。
 調査能力がなかったから失敗したのか、俗に言う『女のあしらい方』がなってなかったから御破算となったのか。
 後者な気がする。
 かといってこちとら同年代の異性のいる環境には慣れていないのだから、これから腕を磨いていくしかない。
 できる気がしないなあ。
『普通の高校生活』を送るのに、カノジョの存在って必要条件なんだろうか。
 カノジョいない歴と年齢がイコールのチェリーボーイの悩みは尽きませんでしたとさ。
 はあ、と自然とため息が出てしまう自分は人生に疲れているのだ。
 考えていても、暗い気分になるだけだから俺も帰ろう。
 下駄箱を出て、校門をくぐる。
 で、そこにあったのは――
「君、一年生だよねえ。入学式の時から可愛い子だなと思ってたんだけど、こんなところで会えるなんて超ラッキー」
「ねえねえ、これから俺たちと遊びに行かない?」
 ガラの悪そうな男たちに女子生徒が絡まれている。
 こんなシーン、現実にあるのか。
 ベタベタ過ぎる場面の顕現に、不謹慎ながら感動する。……訂正、できない。
「いや、放して下さい!!」
 囚われの女子生徒は周防だった。
 ……今日は彼女にとって厄日なのか?

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