アルカナ・ナラティブ/第1話/05

 絹の滑らかさの黒髪に、凛とした涼しい瞳を湛えた周防は、まるで戦国の世の姫君のような美しさ。
 そんな美姫に絡んでいるのは、ガラと頭の悪そうな二人組の男たち。
 一人はド派手な金髪に、耳には髑髏のピアス。
 もう一人は、スキンヘッドで耳だけでなく、鼻にもピアスを装備したいかつい男。
 どちらもうちの学校の制服であるブレザーを着崩している。
 校則は守るべきだ、とは言わないが、如何せん彼らの過剰な装飾は美的感覚を疑ってしまう。宗教上の理由でなければ、彼らのセンスは最悪と評せねばならない。
 こんな白昼堂々ナンパとは御苦労なこった。いや、むしろ、彼らの強引なやり口はナンパではないな。
 いきなり相手に取って捕まえるなんて痴漢行為だろうよ。
 阿呆な連中だ。
 これだけ往来が激しい中で、嫌がる乙女に強引に迫っていれば、誰かが止めに入るに決まっている。
 ……誰かが、きっと周防を助けてくれるよな?
 それまで冷静に状況分析していたが、この場に立ちこめる違和感に気づいてしまう。
 現実問題として、誰も周防を助けようとしていないではないか。
 改めて周囲を見渡す。
 通り過ぎる生徒は多数いる。
 なのに、周防に絡む彼らを止めようとしない。
 ちらりと横目で彼らを見て、そして我関さずと言わんばかりに視線を逸らす人の群れ。
 ああ、そうか。
 高校生活への希望に胸を膨らませっぱなしで、すっかり忘れていた。
 ――所詮、人間なんてこの程度の生き物であるのを。
 誰だって、自分が可愛いのだ。
 誰かが困っていても、ガラの悪い連中と関わり合いになるのは嫌なのだ。
 だから、みんなして自分の正統性を守るための言い訳を心中に紡ぎ上げる。
 ――自分は無関係だ。
 ――きっと他の誰かが助けに入るだろう。
 ――絡まれたヤツにも非がある。
 通り過ぎる連中の頭の中にあるのは、きっと、こんなカンジの自己正当化。
 じゃあ、俺はどうなんだと、自分に問うてみる。
 普通の学校生活を送りたい。
 ここで周防を助けに行こうものなら、どんなトラブルに巻き込まれるかわかったものではない。
 普通の生活のための危険因子は排除せねばならない。
 自分に反吐が出る。天に向かって反吐を吐き、自由落下してきた反吐を自分の顔にぶつけるべきだ。
 相変わらず、俺は何も変わらんな。
 自分の利益が最優先で、他人の不幸などお構いなし。
 これでは、嘘をつかないと誓いを立てたところで、詐欺師・瀬田翔馬とどこが違う?
 普通って何?
 誰かが困ってたら、助けるのだって『普通』なんじゃないのか?
 だけど、彼らは外見からすると、かなり屈強な体躯をしている。
 ボクシングや空手などの格闘技経験者を彷彿とさせる体つきは、それだけで圧迫感を与えてくる。
 もし、向こうがこちらに手を出してきたなら、簡単に吹き飛ばされる。
 高校入学に当たって、周りの若人についていく為に体力作りや筋トレはした。しかしそれは、運動不足の最低値を平均値に持っていっただけにすぎない。
 かといって、武器に使えそうなものは転がっていない。
 どのように動けば、効果的に周防を助けだせるか思案する。
 別にあの二人を倒す必要はない。
 撹乱なり混乱させるなりできれば、そのスキをついて周防に逃げて貰えばいい。
 ……混乱ねえ。
 頭に過ったのは最低で神様に中指を立てたくなる計画だ。
 相手を混乱させるなら、おあつらえ向きの『異能』を俺は持っている――。
「おい、お前ら何をしている」
 腕組みをしながら、可能な限り威圧的な声で金髪とスキンヘッドを牽制した。
「うげッ!」
「あんッ?」
 二人の反応は真っ二つに分かれた。
 金髪は気まずそうな表情をし、スキンヘッドはこちらにメンチを切っている。
「何をしていると俺は訊いているんだ」
 恫喝の声を張った。
 すると金髪は、
「いやだなあ、先生。俺たちは新入生の彼女に学校案内しようとしてただけっすよ」
 腰低く言ってきた。
 金髪は俺を『先生』と言う。一見すると奇妙な状況でも、俺にとっては計画通り。
『自分の存在を対象者に錯覚させることができる』異能を金髪に使っている。
 金髪には俺が、俺が亀岡先生とかいう、朝、第一実験台に使った屈強な体格の教師に見えているのだ。
 彼らのガタイが良くても、こちらはガタイと教師の権力の合わせ技だ。下手に大きな態度はとれまい。
 この異能がどういう原理で、どういう風に作用しているのかは未だ謎だが、そんなものはこの際どうでもいい。
 使えればいいのだ。
 ただし、この方法には一点だけ問題がある。理由はどうあれ、これは立派に相手を騙すという行為だ。
 ――ズキリ。
 金髪に異能を使用してからずっと、頭に万力で締められるような激痛が走っていた。
 詐欺事件の被害者に罵倒されたり、殴られたり、泣きつかれてから、俺には特異な症状が現れていた。
 それがこの頭痛である。
 嘘をつくと俺は激しい頭痛に見舞われるという特異体質を患っていた。
 一応、脳外科には診てもらっているが検査結果は異常なし。医者の話では心因的なもののようだ。
 朝に体育教師や担任に異能をかけたときは『騙す』という意図はなかった。しかし、今回は『騙す』ために異能を使用している。
 他者を騙すと容赦なく頭痛に見舞われるのが俺の現状だ。
 気分はさながら、三蔵法師に宛がわれた輪っかに苦しむ孫悟空。
 気を失いそうになりながらも、しかし、ここで倒れたらわざわざしゃしゃり出た意味がなくなってしまう。
 気合と根性という前時代的な精神論だけで俺は立ち続ける。
 金髪に対して異能を使い続ける限り、この頭痛は止まないのだろう。
 しかし、一方でスキンヘッドは、
「おいおい、このガキのどこが先生なんだよ。制服も着崩せてない唯の一年生だろう?」
 金髪の言い分に反論。
 それもそのはず。俺の『自分の存在を対象者に錯覚させることができる』異能は、何故か限定一人にしか使えないしくみ。
 しかし、この場での目的は『相手を混乱させること』。二人して俺を『亀岡先生』と錯覚されるより、『両者で見えているものが違う』状況を作りたいのだ。
「いや、先生だろ? 生徒指導で体育の先生の亀岡先生以外に何に見えるんだ?」
「ああん、ただのヒョロそうなガキだろうが!」
 見解の違いに、二人は混乱。
 いや、それどころか双方意見を譲らず、みるみる顔が赤くなっていく。
 仲互いまで発展するのは予想外だが、嬉しい誤算だ。精々、不毛に争っていてくれ。
 既に周防への縛は解き放たれており、この好機を俺は見逃さない。
「そこの女子生徒、関係ないならさっさと下校しなさい!」
 周防へ指示を出す。
 恐怖からかおぼつかない足取りになっていたが、しっかりと退避してくれた。
 周防へ絡んだのは、単なる好奇心か暇つぶしだったのか、金髪とスキンヘッドは周防を追おうとしない。
 飽きずに俺が『先生』か『男子生徒』なのか揉めている。
「いいから、もう一回よく見てみろッ!! ……って、あれ?」
 金髪が、再度こちらを向くが、そこには『先生』の姿は無かった。
「……どうなってんだ?」
 更に言えば、スキンヘッドの前に『男子生徒』の姿も無い。
 既に俺は異能の標的を変更して、現在はスキンヘッドに俺をクラスの『女子生徒』に錯覚させている。
 金髪にとっては俺の姿は初見。無関係な通行人の男子生徒Aにしか見えない。
 スキンヘッドにとっては異能で歪んだ俺の姿は、通行人の女子生徒Aにしか見えない。
 二人を更なる混乱に沈めて、俺は悠々とこの場を脱出した。
 上手くことを運べたが、達成感や快感はなかった。残ったのは頭痛の残滓と、自分への嫌悪感。
 ――騙してしまった。
 あれほど『もう人を騙さない』と自分へ戒めたのに。
 自分の決意の浅さが嫌になる。
 周防を助けるためだったといえば、自己正当化できるのだろうか。
 いや、できそうにない。
 今やったことは、結局自分が『嘘でしか物事を解決できない』という実証になってしまった。
 やっぱり俺は、どこまでいっても詐欺師なのだろうか。

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 そして、学校の最寄り駅。
 プラットホームの両側が線路に接している形式の島式ホームと呼ばれる形状。
 上り電車に乗る者と下り電車に乗る者が、互い背を向ける形で電車の到着を待っていた。
 降車する駅の構造の関係で、俺はホームの奥へと進んでいく。すると、改札口から一番遠いに上り電車の線路を向くベンチに、先ほどの逃がした周防の姿があった。
「よう、今日は散々だったな」
 俺は努めて軽めに挨拶した。
 重々しい空気は苦手だし、深刻な風に捉えるのは彼女自身にも良くない。
 ネガティブな想い出を、ネガティブな解釈で心にしまいこんでしまうのは良くない。
 悪いのはしつこい男たちなのだから、単に『運が悪かった』くらいに取ってしまうのが一番良い。
 俺が声をかけたのに、周防は茫然と虚空を見つめたままだ。
「おいおい、大丈夫か?」
 周防の顔の前で、手を振ると、彼女はびくりと身体を少し跳ね上がらせて、
「大丈夫。ちょっと、嫌なことを思い出しただけ」
 やや呼吸が早く浅くなったが、周防は答えてくれた。
 そして、呼吸を整える周防。
 落ち着きを取り戻した彼女は立ち上がる。
「さっきはありがとう」
 俯き、顔を合わせてくれないが、声は真摯なものだった。
「どう致しまして。でさ、話は変わるんだけど……」
 いきなり、この話題に転換していいものかと、俺は言い淀む。しかし、周防が俺の言わんとしている話を汲み取ってくれた。
「顔の文字を数字と思った理由?」
「そう、それ」
「……話さなきゃダメ?」
 顔をうつむけて、目線だけ上目にして訊いてくる。
 美人の上目づかいは、男には反則技であり、クリティカルヒット狙いだと思うのは俺の心が邪だからでしょうか。
『嫌なら良いよ』と優柔不断な態度を取りそうな自分を、『喝!』と叱咤した。
「話せる範囲で良いから教えてくれ」
 彼女はしばし逡巡しながらも、
「ねえ、ここで見たことは絶対に誰にも喋らないって約束できる?」
 深刻そうな表情に、俺の方が気押されてしまう。
 ともあれ、ここまで来て無理なんて言えるはずもない。
「約束する。絶対に誰にも話さない。絶対にだ」
 絶対なんて念押しの言葉は、実のところ自信のなさの表れだ。
 詐欺を働き、人を騙した過去はこうした約束の場において暗い影を落とす。
 俺はそんな簡単に、人と約束することが許される人間なのだろうか。
 俺はどこまでいっても簡単に人を裏切る下衆のままで、約束は相手を傷つけて罪の数を増やすだけなのではないだろうか。
 自分に対する疑念が渦巻く。
 でも、この言葉を嘘にしたくないのは事実。
 自信の無さ故の『絶対』は、自分を奮起させるための『絶対』でもある。
 嘘になるのが怖いなら、破ったら針千本飲むぐらいの覚悟で約束するしかない。
「わかった。じゃあ……」
 周防はブレザーの左腕を捲くる。おずおずと、気の進まない速度で。
 現れた彼女の左手首には暗い紫色で、五百円玉二個分ほどの大きさの文字。
 II
 どう見ても、それはローマ数字でⅠの次の数を表すもの。
 それも重要なのだがもう一つ気になる点が。
 彼女の腕の文字の周囲には無数の切り傷か刻まれていた。幾条もの痛々しい傷は、どこかでひっかけて付けた傷とは言い難いほど量がおびただしい。
 リストカットというやつですね、はい。
 昨今の若者の間では、やっている人が結構いると某夜回り先生の書籍で伝え聞く。
 本当かよと疑っていたが、初めて声を掛けたクラスメイトが該当者だなんて、夜回り先生へ謝罪の念を送信しておいた。
 傷だらけの腕を提示するのをためらったのは、彼女なりの乙女心であったのだろうか。
「もういいわよね」
 傷だらけの腕を見られるのは、やはり周防にとって苦痛らしい。渋い顔をしながら、袖を下ろす。当然の反応だ。初対面に等しい相手に傷だらけの体なんて見せたくはないし、周防は女の子なのだから尚のこと。
「十分だ、ありがとよ。それでその数字なんだけど、一体いつから?」
 傷の跡については触れない。着目すべきは【II】の文字だ。
「昨日の朝、起きた時にはすでにあったわ。心当たりがなくて気味が悪かった」
「昨日の朝……。俺も一緒だ。確かに不気味だよな、これ」
 同じ感覚を共有できる同年代の人間がいるってのは、こうも心地よいものなのか。まあ、共有した感覚は気味悪さなんだけど。
「この数字が何なのか気になってたけど、調べようがなかったの。そうしたら、あなたの顔に似たような文字があったから、声を掛けたの。でも、あなたにも心当たりがないんじゃ手詰まりね」
 彼女はがっくりと肩を落とす。期待に添えずに申し訳ないが、彼女も俺の期待に添えていないので痛み分けって方向で。
 しっかし、何だろうねこの文字。
 周防の腕の【II】の存在から、俺の眉の上の【I】はローマ数字であると見なすのが自然な流れ。
 I、II、と来れば、III、IV……と続いていきそうだ。
 でも、続くとすればどこまで続くのだろうか。仮に続くとすれば、俺たちみたいに文字が刻まれた人間が他にもいるのだろうか。
 謎は深まるばかりだった。

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