アルカナ・ナラティブ/第2話/04

 バーベキューの最中にトイレに立った。
 トイレはバーベキュー場から、少し離れたところに位置している。
 寂寥感漂う佇まいだった。向こうの方から、バーベキューに舌鼓を打ち、食事に会話にと盛り上がる声。距離はあるが人の気配。人の気配が俺に安心感を与えてくれる。このトイレは、夜中に絶対利用したくない。
 トイレに備え付けられた蛍光灯が、幽かに周囲を照らすだけの空間。完全なる闇よりも不気味だ。
 怪談の類は信じないタチではある。だが、理性的な判断以前に、何が潜んでいるか分からない状況への本能的な警戒心が滾々と湧いてくる。自然と魑魅魍魎の存在をイメージしてしまう。
 ……べ、別に怖いわけじゃないぞ!
 とか、自分で自分に強がりをしてみせるヘタレ具合にちょっと傷心。
 暗い場所で、暗い想像をするのは良くないな。
 悪い所より、良い所を見つけよう。
 雰囲気に流されていれば、勝手にネガティブな気分になってくるものだしな。
 耳を傾ければ綺麗な虫の音が聞こえて……来ないな。今は四月で、鈴虫もコオロギもシーズンオフ。
「うう……」
 精々、女のうめき声くらいしか聞こえてこない。
 ……って、オイオイ。
 どうして、そんなオカルト成分全開な怪奇音が?
 空耳?
 聞き間違い?
 ゾク、っと背筋が凍る。
 怪談話には、ちょいと季節が早すぎやしないか?
 あえて無視して、用だけ済まして立ち去るべきか?
 好奇心は猫を殺す。触らぬ神に祟りなし。
 でも、ここで逃げたら、この先ずっと、この声の正体について悩み続けるハメになる。
 それは嫌だ。
 むしろ、幽霊なんていないんだい! という当初の自分の信念を貫くべきだ。脳内会議にて、ぎりぎり急進派が保守派を抑えつける。
 意志を持つって、とっても大事。
 幽霊は、イメージの中だけにいるもの。真実を知ればそんなものは容易く退治できよう。幽霊の正体みたり枯れ尾花ってヤツだ。
 声のする、トイレの裏に回り込む。
 トイレの窓から零れてくる光は、そこにうずくまる影を照らしていた。
「誰!?」
 俺の気配に気づいた影は、こちらを振り向く。聞いたことのある声。
 振り向き露わになったのは、見たことのある姿。
「周防?」
 いたのは、我がクラスの美姫と名高い周防氷華梨。が、こんな暗がりでは容姿など関係なく気味が悪い。
「翔馬……」
 見上げる周防の瞳は、どこか憔悴しており、元気など微塵も感じさせない。彼女に会ったことがなかったら、きっと幽霊と勘違いしていた。
 こいつ、こんなところで何をしているのだろう?
 だが、よく観察して、疑問はすぐに氷解。
 周防の右手には剃刀。左腕の袖は捲くられていた。
 そういえば、そうだった。
 彼女の腕には無数の切り傷の跡がある。
 おびただしい数は、うっかり怪我をしたなんて言い訳が通用するレベルではない。故意に傷つけたとしか説明できない。
 いわゆるリストカットというヤツだ。
 暗くて彼女の左腕の状態はよく見えないので、事後か未遂かは判別がつかない。それでも、現状がよろしくないのだけは嫌でも分かる。
 てか、普通するかね。旅行先で、みんなが楽しくバーベキューしている真っ最中に。
「こんな暗い所で切ると、変なところ切りかねないぜ?」
 手首を切りつける行為自体は否定しない。
 注意して『うん、そうだね』なんて納得してくれるようならば、そもそも切りつけもしないだろう。
 周防がリストカットをしているのを偶然知ってからのこと。俺なりにリストカットする人間の心理について調べた。そして、得た知識をフル活用して、この場での対応を考える。
 リストカットに至る動機には色々ある。その一つに、クライシスコールと呼ばれるものがある。要するに、自傷行為によって『私は苦しんでいるから注目して』とメッセージを発信しているのだ。
 けれど、こんな人目に付かない場所でやっている段階でその可能性は薄い。そもそも周防自身は、自分の自傷癖を隠したがっている。
 ならば、もっと内に向いた理由であると結論づけるのがベターだ。
 そうなってくると、大まかに分類して三つの可能性が考えられる。
 一つめは、親や友人、恋人などを手首に見立てて、見捨てられた等の怒りをぶつけている場合。ムカつくのであれば、直接本人を攻撃すれば早い話なのだ。しかし、特に女性の場合は男性に比べて力が弱いため、怒りを外に出せずに自分に向けてしまうらしい。あるいは、手首が親などではなく、『裏切られた自分』の象徴をする場合もある。誰かから見捨てられる自分には、なんの価値もない、即ち敗北者である自分自身を罰する意味で手首を切り刻む。
 二つ目は、大切な人から見捨てられるなどして生じた空虚さが高まると、自分が自分でないような感覚――専門的には離人感という――を感じるようになる。このような状態から我に帰るために手首を切る場合がある。要するに、気付け薬的なリストカットである。この手の理由の場合、もっと進んだ場合はトランス状態となり手首を切ることもある。
 三つ目は現実逃避や否認のため。見捨てられ感に襲われた際にリストカットすることで、辛い思いを切り離そうとするのである。
 と、三つ、いや、クライシスコールを合わせると四つになるが、こういった動機は単独で現れもするし、複数混合型もある。
 つまり、教科書的に分類してみたところで、周防の心内を見透かすのは現状不可能。アルカナ使いの中に、人の心を読める方はお見えませんか? って感じだ。
 ただ一つ言えるのは、無理矢理に『切るな』って言うのはやっぱり愚策。本人自身もやりたくてやっているわけじゃないケースが多いのだ。
 対応の仕方に困るな。
 このまま無言で立ち去るって手も無くは無い。だが、自傷行為をしている場面を目撃しておいて、手を差し伸べずにサヨウナラでは薄情すぎる。双方とも気持ち悪さが残るだけだ。
「何か嫌なことでもあったのか?」
 訊いてみる。
 けれど、周防は何も言わずに俯いてしまう。
 が、これはこれでありだ。
 答えられないなら、無理強いする必要もない。
 質問の意図はあくまで『俺は貴方の行為を心配しています』という空気感を醸し出すこと。
 人間、苦しいときに誰にも注意を向けられないのは辛いものだ。今は言えなくても、いざとなったら話を聞いてやるための布石にはなるだろう。
「調子が悪いなら、先生呼ぼうか?」
 一応聞いておくが、周防は首を横に振る。
 でしょうね。リストカットが先生に知られることは、説教や折檻に繋がると思ってしまうのは自然な思考。
「そうか。んじゃ、悪いけどトイレ行かせて。マジで漏れそうなんだ」
 これは受け狙いのジョークではない。本当に限界だ。そもそも、ここまで来たのは用を足したかったからだし。
 んで、出すもの出してすっきりしてから、改めてトイレの裏をちらっと見た。すでに周防の姿は無かった。
 このまま失踪か? という不安もあった。しかし、バーベキュー場に戻ったら、周防の姿をちゃんと見かけたので一安心。
 もっとも、班のメンバーとは見えない壁みたいなものがあるように見えたのだが。

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