アルカナ・ナラティブ/第2話/09

「人間は負けるように造られてはいない。人間は殺されるかもしれないけれど……負けはしない――アーネスト・ヘミングウェイ作『老人と海』からの引用だよ」
 闇に現れた【隠者】は、もう一度、今度は出典つきで意味深な言葉を述べる。
 格好良い台詞だが、そっちは保留して、むしろ問題なのは、
「どうしてヒノエ先輩がこんなところにいるんだよ?」
 同じ無断外出する者が言うのも変だが、怪しすぎるぜヒノエ先輩。
「先輩、仄かにタバコのにおいがするのは気のせいですか」
 周防はヒノエ先輩に近づき、匂いを嗅ぐ。
「いやいや、私はマルボロなんて吸っていないよ。この言葉は嘘ではないね、氷華梨君」
「ええ、まあ、嘘じゃないですけど……」
 周防が言いたい事はよく分かる。
 ヒノエ先輩の発言はあくまで『マルボロ』って銘柄を吸っていないのを言及しているだけ。タバコを吸っていないとは言っていない。
 このまま追及してもどうせしらばっくれるだけだろうから、深くは追求すまい。
 勝手に外出している俺たちを、先生にチクらない確証さえ得られればそれでよし。
 となると次に気になるのは、
「先輩、いつからそこにいた? どこまで俺と周防の話を聞いていたんだ?」
「翔馬君の生命線が伸びた辺りからこっそりと。なんなら、暗唱しようか?」
「気持ちだけ受け取っておく」
 あんなの暗唱されたら、顔から火が出るわ!
「じゃあ、私の中学時代の話も聞いていたんですね」
 眉間に皺を寄せる周防。
 勇気を出して、ここだけの話として話したのに、それを横からこっそり聞かれたら腹立つわな。
「盗み聞きした件については言い訳するつもりはない。しかし、こう考えてみてくれないかね。名壁司君の悪逆非道を知る人間が一人増えた――即ち、君がマイナスの感情を向ける司君に、私も彼を女の敵だと認識しマイナスの感情を向けている。よって、心理学でいうところのハイダーのバランス理論にあてはめるならば、氷華梨君は私にプラスの感情を向けるのが自然なのだ」
 ハイダー? バランス理論?
 詐欺師として人の心を弄んでいたが、専ら実践で腕を磨いていたので、心理学なんて引き合いに出されてもちんぷんかんぷんだ。
 俺でもわからんのに、周防が理解できるはずもない。
 相変わらずのプレゼンテーション能力の無さに感服する。そもそも『言い訳するつもりがない』と言っておきながら、全力で言い訳している点はいただけない。
「先輩、もっと簡単で、子どもでも分かる、言うべき言葉がありますよね?」
 にこり、と笑う周防。でもごめん、その笑顔は写メに収めたくない。静かな怒りを湛えた美姫にヒノエ先輩すらひるんでしまう。
「素直にあやまろう。すまなかった」
 うむ、なんというか周防の新たな面を発見してしまった。
「……私の話、誰かに言いふらしますか?」
「まさか。忘れはしないが、私が他に漏らして良い類の話でもあるまい。それはさておき、今の氷華梨君の笑顔は、君が【女教皇】のアルカナ使いであるのを思い出させてくれたよ」
「どういう意味です?」
「そのままの意味だよ。何か不思議かね?」
「……えっとですね、実は私、タロット占いの本とかで【女教皇】の意味を調べてみたんですよ」
「ふむ、良い心がけだ。独学に優る勉強などないからね」
「だけど、【女教皇】ってカードの意味に『嘘を見破る』っていう記述がなくって、自分の魔法が【女教皇】のカードと食い違ってるんじゃないかなあ、と」
 手を後ろにまわし、周防は自身なさ気に質問する。
「ふむ、言われてみれば通常の書籍で【女教皇】のカードの意味欄に『嘘を見破る』という意味合いの記述はないね。しかし、占いとは言わば意味の拡充、イメージを広げていく作業とも言えるから、演繹的な思考法を取るのが望ましいよ」
 分かったような分からんようなヒノエ先輩の説明。
「イメージを広げる?」
「つまりね、【女教皇】の教科書的な意味には『直観力』や『鋭い洞察力』がある。そこからイメージを広げてみて、いわゆる『女の勘は鋭い』という風にも言えるわけだ。そして、鋭い女の勘は相手の――往々にして交際相手などの――『嘘を見抜く』と解釈しても乱暴ではないだろう」
「女の鋭さは嘘を見抜く、ですか。でもそれって辛くないですか? 嘘が分かるってことは、つまり相手を信用できないわけで、きっと私はこんな魔法を持っていたら、この先、つぶれてしまう気がする」
「それもまた、【女教皇】のあり方だね。逆位置という考え方は知っているかね?」
 とヒノエ先輩。氷華梨は頷く。
 逆位置とはタロット占いにおいて、開かれたカードが文字通り上下逆になっている状態だ。
 その場合は、通常の状態――これを正位置という――とは意味が逆転してしまう。
 例えば、『社交性』という意味を持つ【魔術師】のカードが逆位置で出ると『臆病』という意味になる。『終末・破滅』を意味する【死神】のカードが逆位置で出ると『誕生・再生』という意味になる、という具合である。
「【女教皇】の逆位置の意味は『冷淡』『気難しい』などがある。嘘が分かることや、真実を見抜く能力はときとして、眉間に皺をよせやすい人間を作ってしまうのだよ」
「でも、嘘は良くないことで、嘘をつかれたら誰だって傷つくし、傷つけられたら気難しくなって当たり前です」
 周防の言葉は、俺の胸に突き刺さる。
 そうなのだ。
 人は真実と虚実の中で生きている。そうやって生きるしかない。それは認めよう。
 嘘はいけないことで、人を傷つけることしかできない罪なのだ。
 俺は嘘を吐きたくないし、周防は嘘を吐かれたくもなく見破りたくもない。
 アルカナ使いの魔法とは、かくも皮肉なものばかりだ。
「そうかね? 世の中には多少の嘘は必要だし、嘘が人を救う場合だってあるのだよ。嘘も方便とも言うしね」
 嘘が人を救う、本当にそんなことありうるのだろうか。
 その場では上手くいっているようにみえても、結局最終的には嘘がバレて、嘘をつかれた相手は傷つくのではないだろうか。
 どこかにあるのだろうか。俺が詐欺師として培った技能が、誰かの役に立つ手段など。
 そして、周防が自分の魔法を受け入れて、嘘を吐かれてもなお、ひた向きに前に進む姿は見られるのだろうか。
 自分の存在について嘘を吐く俺の魔法と、相手の嘘を見破る周防の魔法の性質は正反対。
 なのに、根本はきっと同じものだ。
 ――嘘への恐怖。
 俺たちが抱えている心の闇。
 正反対の魔法。
 そんなことを考えていると、ちょっとした疑問が湧いてくる。
 周防の魔法ってどこまでを嘘と識別できるんだろうか。
「なあ、周防。お前の魔法ってこれが嘘だってわかるのか?」
 俺は【レンチキュラー】で、周防に対する自分の存在を、ヒノエ先輩であるように錯覚させた。
「うんと、結論から言うと私の魔法ではどっちが本物のヒノエ先輩かは判別できない。というか、剣道やバスケでのフェイントが『これは嘘』って閃きみたいなものが無いから、言葉でつかれた嘘じゃないといけないみたい」
「なら、この状態で俺がヒノエ先輩を装ったらどうなるんだ? 例えば、『私は三年生のヒノエだ』……と言った場合」
「それは嘘だってわかる。でも、いきなりどうしたの?」
「んー、気になったから訊いてみたんだよ」
「……悪用したりしないわよね」
「少なくとも、自分勝手に誰かを傷つけるために使うつもりはない」
「……微妙な言い回しね。でも、嘘じゃないから一応目をつぶっておく」
「そりゃ助かる。さて、ロッジに戻らないか。だいぶ話し込んだし、長い間、部屋からいなくなるのはまずいだろう」
 立ち上がり、ズボンについた砂をパンパンと払う。
 賛同して、周防とヒノエ先輩も同じ動作。
「ロッジに入る前に、もう一服はいいのか先輩。それぐらいなら待つぜ」
 喫煙者と思わしき黒マントの【隠者】に訊いておく。ニコチン常習者に、このキャンプの環境は辛かろう。
「いやいや、私はラッキーストライクを吸う人間ではないから、それは無用な気遣いだよ」
「さようですか」
 全く素直じゃないなあ、と肩をすくめて俺はロッジの方へ歩き始めた。
 ――今しがた思いついた、『悪だくみ』を頭の中で転がしながら。

次へ→

←前へ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする