アルカナ・ナラティブ/第2話/10

 周防の名壁へのトラウマは、解決しておいた方が良い。放置すれば、学校生活を送る上で重大な問題に発展しても不思議ではない。
 具体的に確信したのは、キャンプ二日目の午前に行われた二クラス合同での写生大会。
 ロッジの近辺は鬱蒼と木々が茂っているだけで、文字通り絵にならない風景だ。ところが十分ぐらい歩くと、視界が開けた小高い丘へと辿り着く。
 下方には田んぼや畑の並ぶ田舎の情景広がり、遥か彼方に海が望めた。
 風光明媚な場所であり、どう切り取っても牧歌的な日本の原風景を思わせる絵に仕上がりそうだ。
 ……描き手に画力があったのならば。
 うちのクラスの男子どもは、ひとところに固まって絵を描いていた。俺もその中に混じって描いていたのだが、俺のスケッチを覗き込んだ一人が言った。
「……おいおい翔馬、下手にも限度ってものがあるぜ」
 そいつはクラスで『軍曹』と渾名される男子で本名は熊沢。見るからに体育会系。美術とは程遠い外見だが、なるほどよくわかってらっしゃる。
 はっきり言って絵は苦手だ。まず、直線や円などの基本図形がちゃんと描けないのだから、いきなり写生などどだい無理。
 なのに先生方は情操教育を刃としてかざし、描けとのたまう。
「『軍曹』それは酷いよ。これは翔馬なりの前衛芸術なんだよ、きっと……多分……ひょっとしたら」
 同じくクラスメイトの犬養がフォローしてくれるが言葉尻がさらりと酷い。ちなみに彼の渾名は『少佐』だが、先ほどの『軍曹』と一緒にいると、『少佐』なのに『軍曹』に気迫負けしている。十中八九、二人の渾名の命名者は軍の階級について知識不足だ。
 熊沢軍曹と犬養少佐の言葉をきっかけとして、みんなが俺の絵を見物し始める。
 そして、口々に、
「スゲー、ピカソの絵みたい」
 とか、
「遠近法って概念知ってる?」
 とか、
「ありがとう、自分の絵に自信が持てた」
 俺の絵と精神はボッコボコ。
 下手だなあって、自覚はあったがそこまで言われるほどだったとは。
 自分の絵のここが良いのだ、と売り込みもできず、
「うるせえ、口を動かしてる暇があったら、手を動かせ~」
 負け惜しみ。情けない。
 空を眺める。トンビがぴんよろ~、とか鳴きながら優雅に空を行き交う
 今だけでいいから、お空を翔ける鳥サンになりたい。
 現実逃避をしていると視界の端に、周防の姿が入って来た。
 やっぱりというか、女子は女子で固まってグループになっている。周防は、その中で絵を描いている。しかし、特定の誰かと交流している様子は無く、目立たないように同じ場所に居るだけみたいだ。
 でも、本当に目立ちたくないなら、こんだけの絶景を前にして、目線を地面に向けているのは頂けない。
 ……何書いているんだ、あいつ?
「周防さんって近寄りがたいというか、独特だよね」
『少佐』が言うと、一同が同意する。
 すると『軍曹』が、
「全くだ。今度元カレだとか言う六組の名壁に、どうやって付き合っていたのか聞いてみたいな」
 何気なく言う『軍曹』だったが、男子どもは「え?」と頭にクエッションマークを浮かべていた。
「どうして、『軍曹』がそんな情報を掴んでいる?」
 と俺。話の中身自体は知っているが、気になるのは『軍曹』の情報源だ。
「ん、今朝、六組の部屋に遊びに行ったら、そこで知った。いや~、あのイケメンと周防が付き合ってたなんて、ルックス的に最強カップルだよなあ」
 つまり、六組では既に噂になっているのか。
「でも、周防がすぐに癇癪を起こす危なっかしい奴で、すぐキレるから別れちまったんだと。と、こっちは名壁本人が言ってたんだが、どうかしたか翔馬」
『軍曹』は得意げに情報を披露するが、それは間違いだ。
「『軍曹』、本当に周防が危なっかしい奴だと思ってるのか?」
「おいおい、おっかない顔してどうした。……んー、俺はちょっと眉唾ものだと思ってるぜ。うちのクラスじゃ周防って仏頂面なだけで大人しい方だからな」
 そんなやりとりをしていると、女子の方から黄色い悲鳴があがる。
 何事かと見てみると、名壁が現れたのだ。
 甘いルックスで、笑顔を振りまきながら女子の中に入っていく。
 絵を描いていた周防の腕はストップし、俯いたまま全身硬直。
 ある程度の女子と絡んでいくと、名壁の視線は周防にとまる。
 ここからは何を言っているかは聞こえないが、周防は名壁に目を合わせようともしない。
 一方、名壁は相変わらず愉快そうだ。
 とりまきの女子たちは不思議そうに、彼女たちの様子を眺めるしかない。
 しょうがない。事情を知っている人間が動かなきゃならないのは、当たり前の話で、俺はあの二人の事情を知っている。
「おい、そこのイケメン。あんまり嫌がる女子をなぶってんじゃねえぞ」
 女子を背後に従えた名壁への突貫は、無謀と言われてもしかたがない。
「なぶる? 人聞きが悪いなあ。オレは彼女と同じ中学の出身でね。正直彼女については、中学で良い噂を聞かなかった。だから、五組の可愛いお嬢さん方に不快な思いをさせていないか確認していたんだよ」
 張り付けたような笑顔で応対してくる。
「まるで警察か裁判官気取りだな」
 悪い噂を流しているのは、きっとこいつだ。でも、それを言ったところで状況の改善は望めない。
 周防自身が名壁とのいざこざをみんなに言わないなら、俺から糾弾すべきではない。
 かといって、現状で名壁を調子に乗らせるのも得策ではない。
 ここは話題を、徐々に氷華梨以外へとズラしてしまう方針でいこう。
「裁判官、ねえ。まるで人は人を裁けないとか、陳腐な綺麗事を言いたげな印象を受けるね」
「人は人を裁けないだろう。法廷とかでも裁いているのは人ではなく罪なんだし」
 よし、滑り出しは上々。何か知らんが向こうから話を変な方向にスライドさせ始めた。
「いいや、人が裁くのは人だよ。例えばキリスト教では原罪という考え方がある。人類の始祖が、人間の本性を損ね、あるいは変えてしまった。だから、以来人間は神の救いなしには克服し得ない罪を持つことになったというね。オレは、宗教は信じないけれど、そういった文化的な考察には興味を引かれてね。この話から仮定すると人間は存在自体が罪なんだ。よって、人は罪を裁いているつもりであっても、結局人を裁いている。ならばこそ、もう罪を裁くなんて甘っちょろい言い訳なんてせずに、最初から裁く対象は人であると腹を括るべきだ」
 淀みなく、理論のすり替えを取り行うこいつの舌の回りには脱帽だ。
「お前の考え方には矛盾がある。原罪を大前提として話を進めているが、そもそも大前提を立証する手立てがない。反証可能性がない事柄をさも論理的風に展開しても無意味極まりないガキの屁理屈だよ」
「屁理屈ねえ……」
 名壁の目から光彩が消える。極めて侮蔑的な、心底つまらなそうな目。
「だったら、これ以上は水掛け論だね。いやいや、オレと論議出来る人間が高校生にいるとは。これは思わぬ収穫だ。それじゃあ、オレはこの辺で失礼しようかな。じゃあね、五組のみなさん。そこの売女には気をつけてね」
 手を振る名壁は傍からすれば初夏の風の爽やかさ。
 だけど、俺はそこに薄ら寒さを感じずにはいられない。
「災難だったな、周防。まあ、あんな奴の言葉なんて気にするな」
 画用紙の挟まれた画版とともに蹲る周防に声をかける。
「ごめんなさい」
 死にかけの重病人みたいな小さな声。
 そんな声で言われると、俺が名壁に絡んだのが、正しかったのか自信がなくなってくる。
 しかし、やっちまったものはしょうがない。
「いいってことよ」
 俺は軽く返すが、そうできないのは女子の皆さまだろうな。
「名壁君が言ってた、気が触れてるとかっていう話は本当?」
 女子の一人が周防に訊いた。
 本当なわけないだろう、と俺が言おうとした矢先に、
「私は……確かに気が狂ってるのかもしれない。例えば、皆が優しい声をかけてきてくれても上手く笑い返せない。みんなの会話にちゃんと入っていけない。みんなが広い景色を絵にしている最中に、足元にあった花を描いている。私は、きっと狂ってる」
 周防の独白は、場の空気を重たいものへ変化させる。
 この状況に対して、クラスの女子はどう反応する?
 空気の読めない奴と周防をそしるか。
 正直な想いを告げてくれた仲間と取るか。
 誰も、何も言わない。
 いたたまれなくなった周防は、
「私、調子が悪いから先生に言って、ロッジで休ませてもらってくる。これってどこに出せばいいの?」
 よろよろと立ち上がり、スケッチの提出場所を知らないらしく、聞いてきた。
「俺らの分とまとめて出しておくよ」
 画版と、彼女のスケッチを受け取る。
 周防が描いていた内容は俺だけでなく、他のクラスメイトも気になるところ。彼女は地面を見ながら何を描いていたのだろうか。
 紙の上にあったのは、白黒写真と見紛っても不思議ではない精緻な写生だった。
 雑草に囲まれながら、それでも堅い土を割って、大地に根を下ろす一輪の花。
 花の名前はクラスの誰も知らなかった。
 けれど、そこに描かれた美を理解するのに、花の名前など瑣末な問題。
 クラスの奴らが、ケータイのカメラに収め始めたのは言うに及ばず。
 みんなすっかり周防の『作品』の虜になっていた。
 周防、恐ろしい子ッ!
 こういう才能があるのならば、もっと前面に出していけばいいのに、才能を生かしけれない人は見ていて切なくなるね。
 絵の描き方でも指南すれば、みんなと盛り上がれてだろうに、退場してしまうのは惜しい。
 しかし、周防自身が調子が悪いというのなら仕方がない。
 それに、ここで周防がロッジで一人になるのは俺からすれば好都合。
 いずれ試みる予定だった『ハッタリ』を、大幅に前倒しできるのだから。
 午後からの予定はロッジの近くのグラウンドでクラス対抗のドッヂボール大会。
 精々、状況を利用させてもらうさ。

 さあ、嘘をつこう。
 業を背負って嘘をつこう。
 せめて、誰かの笑顔を求めて――。

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