アルカナ・ナラティブ/第3話/02

 うちの学校には部室棟はない。代わりに体育館一階が多くの部室を収めた空間となっている。
 現在、俺と周防は魔法研究部の部室へ移動中。二人の間には一メートルほどの物理的な距離がある。
 これは『女は男の三歩後ろを歩け』なんてカビの生えた男尊女卑思想からくるものではない。
 周防自身、まだ男性に近づくのに抵抗を持っているのだ。
 新入生キャンプの一件をきっかけに、中学時代に負った心的外傷は癒えつつある。
 それでも日常的に男性に近づいたり触れたりするのはまだ怖いらしい。
 新入生キャンプ最終日に、仇敵の名壁に平手打ちをしたのだから、男性恐怖症は治ったかと思っていた。
 しかし、あれはあくまで『敵に攻撃した』だけらしい。男性に友好的に接するのは未だに難しいようだ。
 ちなみに、周防は学校外でも祖父の経営する剣道場に通っている。そのとき試合相手としていたのは、祖父か数少ない女性門下生だけだったとか。
 焦る必要はないので、徐々にトラウマを克服していってほしいものだ。
 魔法研究部部室に到着したのは三時四十分。指定された時間より五分前行動。後輩の鑑であると胸を張りたい。
 魔法研究部の備品はいつもながら充実している。デスクトップのパソコンが置かれたパソコンデスク。その手前にはガラス天板の小洒落たテーブルと、テーブルの四方には来客用のソファが並べられていた。
 天井にはオカルティックな魔法陣が描かれている。……それは無視する方向で。
 既にここの部長である、ヒノエ先輩が中央ソファに座っていた。
「お疲れ様。今日は急に呼び出してすまなかったね。早速だが、二人とも、パソコンデスクの裏に隠れてくれたまえ」
 事情説明などない。唐突な要求にげんなりした。
「おいおい、その行為に何の意味があるんだ?」
 他者への要求や説得の際に、理由の説明が大事なのはいわずもがな。
 そんな不文律を、土足で踏みつけるヒノエ先輩は、見方によっては豪放磊落だ。真実は、プレゼンテーション能力に、致命的な損傷があるだけだが。
「これから、盗み聞きしてもらいたい会話があるのだ。時間がないので、早急に準備して欲しい」
 盗み聞きとは、穏やかではないな。
 この部では探偵養成も行っているのか?
 話の内容は無茶苦茶。言い方は強引。けれど、先輩の目に遊んでいる様子はない。
 渋々ながら、俺と周防は承諾。
 パソコンデスクの裏、足が置ける空間に、詰めて入れば高校生の男女二人は入れそうだ。
 この空間は、部室入口からは完全に見えない。
 机自体が座る側の面以外は三方をしっかりと板づけされている。加えてパソコンデスクの手前にはソファが鎮座。
 偶然こういう家具を選んだのか、今回みたいな盗み聞きの為にこうなっているのか。
 ところで、二人でパソコンデスクに隠れようとする場合、二人は密着する形になる。空間の容量の関係で必然的にそうなる。そこまで広々とした空間ではないのだ。
 当然、男性恐怖症が治り切らない周防が耐えられる状況ではない。
 周防は身を硬直させていた。目で見て分かる時間停止。
 中学時代の暴行未遂事件は、彼女の中では未だ寛解していない地獄絵図。
 仮にここで彼女と一緒にデスク裏に隠れようとも、彼女へ不埒な行為に及ぶ気はない。
 強引にでも、一緒になってしまうべきか。
 恐怖を克服するには、恐怖の対象となる刺激に少しずつ慣れて行くのが手っ取り早い。
 けれど、ヒノエ先輩の張り詰めた様子も気がかりだ。
 以前、脅迫まがいの手で、俺を魔法研究部に勧誘したときのものとは明らかに異質。
 真摯な眼差しとでも言おうか、邪悪な気配が、一切感じられない。
 たかが盗み聞きといっても、彼女にとっては重要な案件だと窺える。
 ならば、失敗する要素はなるべく取り除くべきだ。
 無理矢理に周防とくっついて、途中で周防がパニックを起こしてしまっては困る。全てが御破算だ。
「俺に任せて、周防は退室していた方がいんじゃないか?」
「いや、むしろ氷華梨君にも残って欲しい。更に言えば、今回は詐欺事件の専門家である翔馬君にもいて欲しいのだ」
「俺を詐欺事件の専門家呼ばわりするのは止めてくれ」
 事実であっても悲しくなってくる。俺の場合、解決ではなく、発生させる方が専門だったし。
「……むむ、そうだ!」
 俺の要求は無視し、天から授かったらしいものに身を震わせるヒノエ先輩。天啓か電波かまでは知らんが。
 ヒノエ先輩は部室正面のソファのクッションを外す。クッションの下には板が敷かれており、その板も易々と外れてしまう。現れたのは人一人がギリギリ入りそうなスペース。
 察するに、雑貨などの収納スペースとして作られたものなのだろうが――。
「さあ、ここに入りたまえ」
 そうきたか。
 ヒノエ先輩のペースに、すっかり巻き込まれてしまって抜け出せない。眉間に皺を寄せて、真面目に思案している先輩の願いを蹴るのはどうにも引ける。
「終わったら、学食でフライドポテトくらい奢ってくれよ?」
 ただ働きも癪なので、ちょっとした反抗。
「よかろう。交渉成立だ」
 尚、学食のフライドポテトは一つ百円。これから盗み聞きする内容がどんな話か知らないが、割に合わないのは目に見えている。
 現役時代と比較しての、交渉力の減衰には自分で驚きだ。とはいえ、あの時は、必要とあらば人を騙すのも厭わなかったからの交渉力。反則なしで世を渡っていこうと試みる、今の俺とは、そもそも比較する尺度が違うのだ。
 ……と考えないとやってられない。

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 ソファの収納スペースの箱が閉じられてから約一分後。
 部室の扉が開かれる音がした。
「お邪魔しま~す」
 女性の声だった。若々しく溌剌とした声。まず間違いなく生徒のものだ。
「やあ、待っていたよ。今日はカガヤ君と、その友達のハナエ君の秘密の話し合いにここを使いたい、そういうことだったね」
 説明台詞っぽいヒノエ先輩の言い回し。隠れている俺と周防への、状況説明と取れる。
「そういうことです。この子がそのハナエです。しばらく、この部屋をお借りします。ではでは、ヒノエ先輩はスイマセンが席を外して下さい」
 ということは、今喋っているテンション高めの女子がヒノエ先輩の言う『カガヤ』という人物になる。
「うむ、ゆっくりとしていってくれ」
 ヒノエ先輩が言うと、扉が開閉する音。ヒノエ先輩が退室したのだろう。
「さあ、ハナエ、座って」
 カガヤが促すと、
「うん」
 と、カガヤではない声――ハナエが頷く。
 そして、しばらくの沈黙の後にカガヤが話を切り出した。
「さて、いきなり本題から入るよ。ハナエはいま付き合ってるカレシの子どもを妊娠してしまったけど、堕胎したいからカンパを募りたいという話だったよね」
 いきなり、深刻な話が切り出された。
 カガヤの声もトーンダウンしている。
 こんなところで話している以上、ハナエは高校生。
 それでいて妊娠とは話が重い。普通に高校生活を過ごしたい俺からすれば、他人事でも避けたい話だ。
「うん」
 ハナエの肯定。
 こんな話を、盗み聞きしたら不味いだろう。
 にも関わらず、ヒノエ先輩は盗み聞きのために俺と周防を部室に残した。
 飛び出して謝るべきか?
 しかし、ヒノエ先輩にも深い理由があるのかもしれない。よっぽどの理由でもない限り、ヒノエ先輩の倫理観を疑わざるを得ない。
 どうしょうもないが、乗りかかった船だ。
 最後まで、この二人の話を聞き届けよう。
「そのカンパは彼氏――フジワラが集めてこいって言い出したの?」
「いいえ」
「じゃあ、そもそもあなたの妊娠について、フジワラは知っているの?」
「いいえ」
「つまり、お腹の子を堕胎しろとはまだ言っていないのね?」
「うん」
 男は彼女の妊娠について知らず、彼女だけは一人思いつめている、と。
 一人で思いつめるなんて馬鹿げている。
 そんなもの彼氏に直接言えばいいのに。どうして、彼氏じゃない相手に話すなんて迂遠な手段をとるのか。
 優柔不断さが俺には気に食わなかった。
 でも、俺自身、ハナエを批判できないと気付く。
 俺も結局、自分が詐欺師だった過去を最後まで自分だけで抱えようとしていた。
 それが正しいとは思っていなかった。けれど、安全だとは思っていた。今でも、秘密にすることで得られる安全性の確保に、俺は必死だ。
 俺がハナエに抱いたのは、同族嫌悪の類の感情。
「どうして、ハナエはフジワラに妊娠したことを話さないのかしら」
 カガヤは、俺が聞きたかったことを聞いてくれた。
 他者に喋ると、心持ちは軽くなるが、露呈する危険度は倍増する。逆に喋らなければ、安全性は増すが、心はいつまでも晴れないまま。
 秘密を抱える者は、この均衡をどう守り、どう崩すかを、延々と腐心するしかない。
 ハナエにとっての心の均衡点はどこにあるのかは重要だ。
「それは……本当のことを話せば『堕ろせ』って言われるから。だったら、彼に嫌悪されない分、言わない方がマシよ、きっと……」
 彼女が妊娠したら嫌悪する?
 どんな男だよ、それは?
 フジワラのイメージがいびつに歪む。
 少なくとも、爽やか好青年ではなさそうだ。
「あなたが追い詰められているのは、十分わかった。だけど、ちょっと考えさせて。もちろん、この話は誰にも言わないけれど、私なりに思うところがあるの」
「え、あ、うん。わかった。お金が絡んだ話だもんね。決まったら、メールしてね」
 ハナエから、儚げな印象の言葉が紡がれる。
 しかし、どうしてか俺は違和感が拭えなかった。
「じゃあ、今日はここまでにしましょう。私はこの部屋を使わせて貰ったお礼を、ここの部長にしなきゃいけないから、先に帰ってて」
 カガヤが言うと、片方のソファが軋む音。
「私は、カガヤが私を助けてくれるって信じてるからね」
 ハナエが言うと、部室の扉が開閉する音がした。ハナエが去ったのだろう。
 俺には、その音が遥か遠くの音に聞こえていた。
 ハナエが退室しても、一息つけなかったのだ。
 これは全く理由なんてない、俺の単なる直感なんだが……。
 ――ハナエは、きっと今の話のどこかで『嘘』をついていた。

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