アルカナ・ナラティブ/第3話/08

 熟れた果実のように赤らんだ陽光は空と大地を紅に燃やしていた。傾いた太陽がつくりだす地上の影は、どこまでも、どこまでも長かった。
 日の暮れていく駅のホームに俺と周防は二人きり。
 同じベンチに座っているのに、二人の間には鞄二つ分の隔たりがあった。二人して物理的な距離をつくろうと腐心した結果だ。
 二人して、どちらから話を切り出そうかなんて無用で無意味で無駄な駆け引きごっこ。救われない。
 完全なる沈黙。
『場の空気が最悪です、なう』とツイートできる空気ですらないのが悔やまれる。会員登録していないからそもそも無理だが。
 通りすがりの快速電車が、轟音を猛らせて通過。数秒間だけ沈黙を吹き飛ばしてくれたが、所詮は単なる物理現象。それだけの話。
 背凭れに身を預け、ダラリと空を仰いでいたが、ちらりと横目で周防を窺う。
 俯いた顔から表情は読み取れない。
 両の手はスカートの裾を固く握っている。
 まるで叱責を受けた子どものような有様。
 馬鹿な奴だ。高校生型の元詐欺師の、詐欺行為を現行犯で食い止めたのだ。背を丸めずに胸を張ればいい。
「どうして周防がこんなところにいるんだ?」
 先に沈黙を壊したのは俺。このまま放置したら、周防が『ごめんなさい』と言い出しかねない。
 周防に謝られるのは苦手だ。
 過去に何度か彼女の口からその台詞を聞いたが、原因は十中八九俺なのだ。
 強くありたいと願った周防の弱気な態度は見たくない。
「駅で翔馬が、普段と反対側の電車に乗ったから、気になってつけてみたの」
 追跡者がまた別の誰かに追跡されていたとは中々に笑える話だ。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ、なんてちょっと違うか。ごめんなさいニーチェ先生。
「そりゃ怪しいな。でもさ、もしかしたらたまたま反対方向の街にお買いものとか考えなかったのか?」
「考えたよ。でも、翔馬の目はいつもの目じゃなかったから」
「……」
「翔馬は自分で知ってる? 翔馬っていつもはとても優しい眼をしてるんだよ。でも、電車に乗るときは違った。ううん、それだけじゃない。今日一日ずっと違った。一見するといつも通りなんだけどよく観ると獣じみた鋭さがあったっていうか……」
 しどろもどろながら説明してくれる周防。
 恐るべき観察力。
 俺とて、事をやらかすときには表情には気を使っているつもりだ。勿論、目元もばっちり……のはずだったんだけどなあ。
 女の勘は鋭いのか、男性に対して過敏なまでに恐怖を感じる周防だからこそなしえた業《わざ》か。
「アタリだよ。俺はね、これから三国先輩のオトモダチのハナエを騙くらかして、いけ好かないフジワラって奴を陥れようとしてたのさ」
「……何があったの?」
「昨日さ、偶然聞いちまったんだ。フジワラとその連れの会話を。フジワラは笑ってたよ、自分のカノジョが、自分の指示で犯罪に手を染めてることを。それどころか、フジワラは他に何人も女つくって、大してハナエを愛している様子も無かった」
「だから……制裁を加えようとしたの?」
 悲しげに俺を見つめてくる周防。やめてくれ。その眼差しは辛い。
「制裁というとちょっと違うかな。正義感なんて俺にはないし。ただ、ここ数日、平穏な生活をしてて思ったんだ。欲しがってた幸せのはずなのに、そういう風景に自分がいるのは変っていうかさ……なんていうか」
 しっくりくる言葉があったが、いざ正直な気持ちを打ち明けようとなるとしり込みする。
 心の奥底に張った根を引っこ抜くのは、想像するだけで痛ましいものだ。
 けれど、俺の想いは周防が汲んでくれた。
「……怖くなった?」
「ああ。怖かった。もし、俺が最低な詐欺師だったってクラスの連中にバレたらどうしようかとか、最近いつも怯えてた。こんな幸せがいつまでも持つもんじゃないってね。馬鹿だよなあ、俺。幸せなら陽気に笑ってれば済む話なのに」
 膿みたいな本心を垂れ流していく。ドクドクと、無様に。
「それと今回の追跡劇がどうつながるの?」
「どうせいつか壊れてしまう幸せなら、自分からぶっ壊してしまえばいいと思ったんだ。でも、クラスの連中に酷いことするのは嫌だった。悔しいけど、俺はさ、あの連中が好きなんだ。俺と普通に接してくれるあいつらが。そんな中で踏みにじっても良さそうな悪人が現れた。それがたまたまフジワラだったっていうそれだけの話」
「翔馬……あなたは馬鹿だよ」
「薄々は知ってた。ただ、人から言われるとちょっと傷つくな。なあ、もう一個聞いていいか?」
「何?」
「どうして、お前は俺を止める時、俺の腕を掴んだんだ?」
「だって、声をかけても止まってくれないから。だから、強引に腕を引っ張った」
 理にかなった解決策だが、周防にとっては茨を鷲掴みにするようなもの。
「男性恐怖症を押しのけてでもか?」
 触りたくない男という存在を、ただ引きとめるという理由だけで掴んだ。彼女の中でどれほどの決意がいる行為だったかは計り知れない。
 そこまでして止める価値が俺にはあったというのか。
「だって、あのまま翔馬を先に進めたら、あなたが不幸になるような気がしたから。私は、私に名壁へ立ち向かう勇気をくれた人が不幸になるのが許せなかったの」
 名壁とは周防の元カレで、中学時代周防に酷い仕打ちをした下衆野郎だ。
 新入生キャンプの際に俺は一計を案じて、周防が名壁へ抵抗できるメンタリティを植え付けた。
 けれど、事実を真正面から眺めれば、周防を欺いたにすぎない。単に嵌められただけなのに周防は『勇気をくれた』という。
 嬉しさと有難さと罪悪感が同時に込み上げてくる。
 幸せで、幸せすぎて、無性にこの場から逃げ出したくなった。
 だが、堪える。
 逃走は周防を裏切る行為だからだ。
 そんなのは嫌だ。
 周防の眼差しは凛と咲く華のよう。
 男子共は、彼女を高嶺の華と呼ぶ。言い出した奴は大した描写力だ。
 西日に照らされた周防氷華梨は、気が遠くなるほどに美しかった。
「強いんだな、お前」
 華を評した。
 彼女が遥か遠くに居る存在に思えてならなかった。
 もう少しだけ、ゆっくりと周防を眺めていたかった。
 幸いここは無人駅で、夕方だというのに人っ子一人ホームにいない。
 だけど、良い事は長くは続かない。電車がホームに近づいてくる音がした。回生ブレーキ特有の異音を上げているので、この駅に停止する腹積もりらしい。
 案の定、電車はホームに停止。ロマンチックな雰囲気なんてあったものではない。
 更に暮れなずむなんて単語とは縁の薄い、陽気な声もした。
「似てるなあと思って降りてみれば、やっぱ翔馬君と氷華梨ちゃんだ」
 名前を呼ばれたので顔を向けてみれば、見知った人物の姿。
 アーモンド形の瞳は気持ち大きめに見開かれ、唇艶やかな口元は緩やかな弧をつくっている。右手には紙パックのレモンティ。
 二年生で、【女帝】のアルカナ使い三国煌先輩だった。
「よお。三国先輩ってここが地元だったのか」
 俺は小さく手を振ってみせた。『いらっしゃい』の動作であり、『それじゃバイバイ』を意味する動作でもある。
 三国先輩はご機嫌な様子で手を振り返してくる。
「違うよ。あたしの地元はもう一駅いったところ。君たちの姿が見えたから降りて来たんだけど……うわ、もしかしてお邪魔だった。というか、二人って付き合ってるの?」
「それは勘違いだ。俺と周防は付き合ってない」
「おやおや、とか言いながら顔が赤いのは夕焼けのせいとでも言う気かね、後輩君。なので私は空気を読んで退散するよ」
 くるりと回れ右して電車内に戻ろうとする三国先輩。
 その瞬間『だが、断る』と言わんばかりに、電車の扉はプシューという音を立てて閉じた。
 夕焼けの彼方へ消えていく普通電車。立ち尽くす先輩。このシーンだけ切り取れば、映画のラストシーンみたいだ。
 いわずもがな、そのように感動巨編な経緯はない。
「カムバーック!!」
 右手の紙パックを地に落とし、左手を伸ばしながら懇願する三国先輩。けど、日本の鉄道のダイヤは冷酷なまでに正確に進行。換言すれば覆水盆に返らず。
「大丈夫ですか?」
 周防はわざわざ立ち上がり、三国先輩の元へ。
「帰っても雑誌見ながらゴロゴロするだけだったから、大して問題はないよ」
「凄く慌てているように見えましたが。紙パック落ちてますし」
「んー、ドラマティックな演出をしてみたかっただけだよ。我が部の部長で【司祭】のアマノッチは『感情表現は豊かに』とか言ってたし」
 うんしょ、とわざわざ声に出して紙パックを回収する三国先輩。
「天野先輩って、【司祭】のアルカナ使いだったんですか。知りませんでした」
 触れるところがビミョーにズレている周防。
 ただ、彼女にツッコミを入れるつもりはない。俺も天野先輩が何のカードに対応したアルカナ使いかは初めて知った。なので、ちょっと驚き。
 てっきり、あの人の変なテンションから察して別のカードを想像していた。陽気や元気を意味する【太陽】や、自由や無謀を意味する【愚者】あたりが俺の想像力の限界だった。
「ヒノエ先輩の説明不足もそこまで酷かったか。まあ、ヒノエ先輩とアマノッチは色々訳ありだからねえ」
「あの二人って、何かあったんですか? 新入生キャンプのとき私たちに同行したんですけど、いがみ合っているっていうか、余所余所しかったっていうか、変な感じで不思議でした」
「内諸。本人たちに訊いてみなさい。ただし、地雷には気をつけて」
「はあ、そうですか」
 周防、押しが弱い! そんなんじゃ新聞記者にはなれないぞ! なる必要はないけど。
 周防だけではなく、俺まではぐらかされた気分。あの二人の関係は気になっていたのだ。
 ヒノエ先輩は、基本的に人を呼ぶときは男女関わらず君付けだ。なのに、天野先輩に限っては呼び捨て。そこら辺どうよって話になってくる。
「で、二人は何してたの? 付き合ってるわけじゃないなら、こんな辺鄙なところで逢瀬なんて余計に変だよ」
 三国先輩はドぎつい質問を仕掛けてくる。今だけは、先輩の無邪気な態度が罪深く思えてしかたない。
「実は……」
 誤魔化しても余計に怪しまれても俺は構わなかった。けど、周防まで変に誤解されるのは問題だ。
 よって、俺はハナエストーキングの件をゆるりとゲロする覚悟を決めたのだった。
 やれやれだぜ。

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