アルカナ・ナラティブ/第3話/09

 大まかな事情を聞いた三国先輩は、うんうん、と深く吟味するように頷く。
 なお、自分が過去に何らかの罪を犯した件は話したが、具体的なところは伏せている。やっぱり、詳しいことを人に知られるのは恐い。
「苦しかったんだね。そんな翔馬君にはこの紙パックを贈呈しよう。明日学校のデポジットで十円に換金するといいよ」
「いや、ゴミを押し付けたいだけだろう」
 ツッコミを入れる俺。
「そんなんじゃないよ~」
 弁解する三国先輩。
「ダウト」
 格好良く決め台詞を繰り出す周防。すっかりお気に入りですか、周防さん?
 三人のぴったりと息の合った、昨日の周防と三国先輩の掛け合いの劣化した再現。
 観客がいないのが惜しくもあり、馬鹿なやりとりを見られなかったので喜ばしくもある。
 真剣に事情説明をした俺としては、肩すかしをくらった気分だ。
 けど、ここで三国先輩に深刻な顔をされたら、それはそれで面倒臭い。
 この人、空気が読めていないようで、ちゃんと読んでいるのかもしれない。三国先輩はベンチに座らず、立ったままだ。三角形を描く位置関係はとても話しやすい。
「でも、私は翔馬君を尊敬するなあ。事情がどうであれ、君はフジワラ討伐に動いたんだから」
「褒められることかよ。やったことは人を騙しての情報収集と、先輩女子のストーキングだぜ?」
 自嘲する。
「自分をあんまり責めない方がいいよ。ため息と自責は幸福と反発するから。まあ、そうやって幸せを逃がさないと君はパンクしちゃうんだろうけども」
 言い得て妙な表現を使う三国先輩。
 幸せから遠ざかろうと必死になった俺の心理状態を的確に描写している。
 感心したのは俺だけでなく、横で周防が、
「まるで、幸せには限界があるみたいな言い方ですね」
 まさにその通りだ。三国先輩の言葉を上手く要約する言葉を探していた俺は、深い感銘を受けた。
 もしも、ヒトがそれぞれに幸せを受け取り溜めておくための容器を持っていたとする。だとしたら、俺のそれはきっと底が抜けた欠陥品だ。
 感傷的になっている俺とは違い、三国先輩は、感動してるっぽい。
 いまの周防の台詞が先輩の心を震わせたんだろう。
 鞄から財布を取り出した三国先輩は、中から五枚の小さな紙切れを取りだした。それは学食の食券だった。
「完全な正解じゃないけど、的は得ているから氷華梨ちゃんには商品の贈呈だ」
「正解って、何が? ……もしかして、昨日言ってた先輩の魔法で見える分母の意味ですか?」
「そういうこと。私の魔法【トゥインクル】で見える分母の意味。それは幸福の限界――アッパーリミットだよ」
「「アッパーリミット?」」
 初めて聞く単語に、同時に首を傾げる一年生。
 そんな反応が返ってくるのが予想済みだったのか、三国先輩はにこっと笑う。
「元々はアメリカの心理学者のヘンドリックスっていう人の学説らしいよ。『幸せな気分を満喫することに耐えられない心の問題』をアッパーリミット問題っていうみたい。ちなみに、この知識はヒノエ先輩がニュースソースね」
「あんたの魔法はそんな小難しいことまでわかるのか」
「アッパーリミットって言葉は後付けだよ。初めの頃には、私はまんま『幸福の限界』って呼んでた。正直理解に苦しんだよ。どうして、対応しているアルカナが【女帝】で、そんな不思議なものまで見えるのか。ねえ、【女帝】のカードの意味って知ってる?」
「『幸福』や『豊穣』、あと『妊娠』って意味もあったな」
 カードに込められたイメージを膨らますのは苦手なので、俺の回答は単なる暗記モノ。
「よく勉強してるね。まさしくもって、その通り。でも、もうちょっと突き詰めてみると【女帝】のカードは『満ち足りてる状態』なんだ。例えば『豊穣』は、作物が沢山できたから満ち足りて幸せ。妊娠は、好きな人との愛が成就した結果で幸せ。とにかく物や想いがいっぱいあるから『幸福』になれるわけ」
「言い得て妙だな」
「だけどね、ものを一杯ためこむにはそれだけの器が必要になってくる。幸せだって一緒だよ。さて、ここで問題。周りから幸せを沢山与えられているのに、そもそも幸せを入れておく容器が小さい人は、どういう心境になってしまうでしょうか」
 考える必要がなかった。
 先輩が説明したのはまんま俺のことだ。
「不安になる。幸せから逃げたくなる。こんな幸せは不相応だと思い込む、か」
 大きくため息を吐き、背を丸めて頭を抱え込む。
「自己分析がちゃんとできていて大変よろしい。あたしが昨日、幸福度の状態は翔馬君の方がヤバイって言ったのは、そういう理由だったの。翔馬君の幸福度の状態は『39/40』でアッパーリミットをオーバーするのも時間の問題だった」
「言ってくれたら良かったのに。そうすれば、少なくとも超過しないように用心できたぜ」
「どうやって?」
「そりゃ……幸福度の上がりそうな状況を回避しまくるとか。……って、駄目だな、それだと」
 俺の言った方法だと、結局として幸せから逃げることになる。
 アッパーリミットを超過してから起こす行動と結論としては一緒だ。
「どちらをとっても同じ運命。だから、あたしは考えたの。せっかく、あたしの魔法の詳細を知らないんなら、一度翔馬君には転んでもらおうって。何も知らない状態でアッパーリミットを振り切ったら、自分が一体どういう行動を取るのかを自覚して欲しかった。一回失敗しておけば、次からの自分の行動傾向や、衝動だって予想できるでしょ?」
「おいおい、ずいぶんとスパルタだな。だけどまあ、全く以って違いねえ」
「怒らないの? 真実を話した時、君は激怒するかもしれないと覚悟はしてたんだけど。えらくあっさりしてるね」
 目をぱちくりと瞬かせている三国先輩。心底不思議そうな様子なので、彼女のいう覚悟は本物だったようだ。
「怒っても大してメリットがないからな。それに、今日はもう疲れた。……歳かなぁ」
 周防に捕えられてから、すっかり参ってしまっていたのだ。心境としては、玉手箱を開けた浦島太郎に比喩するのがぴったりだ。
 すっかり老けこんだ高校一年生に、二年生の先輩は、
「駄目だよ。身体の老いより、心の老いは深刻なんだから。とりあえず、背筋を伸ばしなさい」
 普通の母親みたいな説教に、少し感動。うちの両親、マナーとかに気を使う輩じゃなかったから。そもそも、犯罪者だし。
「ところで、厳しく指導するってのは一種の相手を想ってのことだろ。中には相手を蹂躙するための言い訳に使う下衆もいるけど、あんたのはそうとは思えない。どうして、初対面の一年生にそこまでの覚悟を持ってあたってくれたんだ?」
「言うと引かれるかもしれないから、あんまり言いたくないなあ。言わなきゃダメ?」
 三国先輩は腕を組み、目を固く閉じて渋そうな顔。
「ダメじゃないけど、聞かせてほしい」
 率直に言った。婉曲な交渉など面倒なだけで意味がない。
「……わかった。じゃあ、教えよう三国煌という人が、一体どんな人だったのか。あたしね、実は幸せって感覚がよくわかんなかったの。いっちゃえば、精神的な不感症。どうだ参ったか」
 相変わらず、三国先輩は天真爛漫に振舞っている。彼女が言ったような人物には到底思えない。
「説明が大雑把過ぎるぜ」
「本当に? 超勇気出してカミングアウトしたんだけど」
「ヒノエ先輩の説明と同じレベルって言えば、伝達率がどれぐらいだったか把握できるか?」
「わお、それは悲惨だね。なら、もうちょっと言うと、うちの親って共働きでね。お父さん会社の経営者で、お母さんはテレビのコメンテーター。人がうらやむ裕福な家庭で育ったけど、小学校の頃から家族三人が揃うなんて滅多になかった。高学年に上がったら、お金だけ渡されてほったらかし。そんな温もりに欠けた家庭環境」
「家庭環境か……俺もあまり自慢できる家族じゃなかったなあ」
 俺の場合も小学の高学年頃には家族の繋がりはあってないようなものだった。
 俺は詐欺師として一人前を気取っていたし、両親は相変わらず犯罪組織でせわしなくこき使われていた。それを寂しいとは感じなかった。
 ただ、もし自分が普通の家庭で、普通に育っていたらと空想したこともあった。
 空想なんて無意味で、腹の足しにもならないのに。
 外出したときに見かける仲のよさそうな家族の一団。自分がもしその一団の成員だったらどうなっていたのか。
 羨望は抱かなかった。端から、家庭環境は破綻していたのだから、『幸せな家族』と『現状の自分』を比較できなかった。
 ただ、よその家族に咲き誇っていた笑顔の意味は、いつまでも気がかりだった。
「だからね、あたしは幸せって奴を必死になって探してみたんだ。今はこんなんだけど、中学の頃は結構荒れててね。クラスの女子と結託していじめもやったし、家出して友達の家を点々としたこともあった。男をとっかえひっかえした時期もあったし、歳を偽ってキャバクラでバイトしたこともあるよ。だけど、なにをやっても幸福感は得られなかった」
「今の先輩からは想像もつかねえな」
「高校に入ってから状況は悪化したよ。なにせ人の幸福度とアッパーリミットがわかるアルカナ使いになっちゃったからね。幸せそうに見えてる子が全然幸せじゃなかったりしてるのを見て、もう価値観はぐっちゃぐちゃ。死のうかとも考えたけど友達に止められたりして、一年の一学期は大変だったよ」
「剣呑な話だな。でも、先輩はこうして変われたんだろ?」
「うん、メンヘル部で活動してね。幸せかどうかがわかる魔法をつかって、部員を勧誘したり、面倒をみたりするのが生きがいになってたの」
「それはなによりだ。人って変われるものなんだな」
「そうだよ。だから、翔馬君も氷華梨ちゃんもアッパーリミットが低いからって悲観的になっちゃダメだよ」
 力強く励ましてくる先輩。
「俺はともかく、周防のアッパーリミットも低いのか?」
「うん。あたしの今までの経験で見立てると、正常値は100くらいかな。70以下だと生きにくそうな人が多くて、50を下回ると普通に生きることが試練みたいな人になってくる。前に20にも満たない子がいたときは吃驚したよ」
 ちなみに、周防のアッパーリミットは三国数値で60なので、彼女は『生きにくい人』。俺は40なので『生きることが試練みたいな人』……切ないくらいにあってやがる。
「アッパーリミットを上げる特効薬ってないのか?」
「心の問題だから厳しいなあ。でも、手掛かり程度の傾向ならあるよ。アッパーリミットの低い人って、自己評価が低い場合が多いの。『自分は価値がない人間だから、幸せになるのがおこがましい』って思っちゃうみたい。子どもの頃に親との関係が上手くいってなかったとか、色々要因はあるみたいだよ」
 親との関係以外のところで、俺も周防もアッパーリミットが低くなる要因に心当たりアリ。
 俺の場合は、罪人としての罪の意識が原因だ。咎まで放り捨てて幸せになりたいとは思わない。
 周防の場合は、悲惨だった中学時代だろう。それが未だ解消されていないと。
「上げられる自信がないなあ、アッパーリミット。俺は、これからずっと自分に価値を見いだせないと思う」
「翔馬、自分に価値がないなんて言わないで」
 俺を見つめる周防がいた。深い慈悲に満ちた眼差しの中に宿っているのは、西日がつくったハイライト。黒真珠を連想させる瞳が静かに煌めいていた。
 ただ、見つめてくるだけではなかった。彼女自身の両手を眺めてから、自分に言い聞かせるように頷く。
 両腕が伸ばされる。彼女の掌は、俺の頬に優しく触れた。
 異性に触れる。それは常人にも、多少の抵抗を伴う所作だ。それが周防にとって、多少ではなく多大なストレスになるのは、嫌と言うほど知っている。
 若干の怯えを表情に隠しながら、それでも周防は告げるのだ。
「私は、男の人が怖い。でも、翔馬になら触れられる。こうして、ちゃんと。誰のおかげだと思ってるの? 翔馬がいたから、私は私の壁を越していける。だから、自分に価値がないなんて言わないでほしいな」
 きっと周防の言葉の何割かは強がりだ。微かに手が震えている。震えているが、俺に触れているのは事実。彼女の温もりが直に伝わって来て、少しこそばゆい。
 周防に宿った勇気を俺は否定しきれない。したくない。
 ならば、信じてみよう。周防の言葉を、行動を、表情を、とにかく、今ここに居る周防氷華梨という少女の全てを。
 逃がしたくない幸福だってあるんだな。
「これはこれは……」
 大仰に叫んだのは三国先輩。大声に驚き、俺から手を放す周防。恥ずかしそうに俯いてしまった。そんな動作が可愛らしい。
 周防に変わって俺が訊く。
「どうかしたのか?」
「翔馬君のアッパーリミットが、いま上がった。数値にして3ほど」
 奇跡的光景でも目撃したみたいに、三国先輩は目をぱちくりさせている。
「アッパーリミットって、そんなにホイホイ上がるものなのか?」
 さっきの先輩の話だと、アッパーリミット上昇には認識する自分の価値を高めるしかないという。認識自体を変えなきゃいけないのに、そう易々と上がるものなのか?
「簡単には上がらないよ。何日もかけて、1上がれれば大したものだよ。でも、いきなり3も上がるとは。良いものを見せてもらった」
 だとしたら、これは周防のおかけなんだろうな。トラウマを克服する手掛かりを掴んでくれたから、俺は自分に価値を見出した。そう考えれば筋が通る。
 でも、そういうあり方って健全なんだろうか?
「相手が幸せになれば幸せって感覚は、共依存的だったりするよな、やっぱり」
 まるでフジワラにつくすことでしか存在価値を維持できないハナエみたいだ。
 このまま共依存にまっしぐらなんて事態は避けたいんだが――。
「そういう感覚は至って健全だよ。一方的な搾取にならない限りは共依存ではないの。むしろ、お互いが相手に感謝し合えるなんて素敵な関係だよ。だから、君たちはハナエやフジワラみたいになっちゃダメだからね」
 自分の友人を引き合いに出しながら、三国先輩は助言してくれた。
 一見すると何の混じりっ気のない笑顔で。
 それが逆に、心残りとなった。
 やっぱり、ハナエはこの先ずっとフジワラに搾取され続けるのだろうか。
 解決しても俺にメリットはない。だけど、人として放っておくのも気の引ける問題だった。

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