アルカナ・ナラティブ/第4話/06

「なあ、瀬田翔馬。お前はさあ、自分のせいで人が不幸になるのが許せるクチか?」
 答えはノーだが、俺は答えない。答える義理がない。
 俺は沈黙を保つが、阿加坂は続ける。
「きっと、お前は優しいヤツだよなあ。なにせ、昼間、俺が周防を拉致ろうとしたら、一番に邪魔してきやがったんだから。なに、お前、そんなに周防が取られるのが嫌だったの? そんなにその女が大切? だったら、辱められるのは、お前にとってもさぞ屈辱だろうよ」
 具体的な内容までは掴めないが、良からぬ内容であろうことはすぐに察知できた。目付きが変質者染みていた。
 俺は咄嗟に阿加坂の口を塞ぐことを考えた。
 こいつはきっと魔法を使う。『名前を呼んだ他者を、命令に従わせる魔法』は、声が出せなければ、当然発動できない。
 読みは当たっていた。
 しかし、一歩遅かった。阿加坂の口を覆おうとして突き出した手を、阿加坂はしゃがむことで回避。
 しゃがみながら、阿加坂は魔法【オートマトン】を行使する。
「周防氷華梨、着ているものを脱げッ!」
 アイタタタ……。こいつ、変態という名の紳士だったか。
 でも、『相手が絶対に命令を承諾する能力』を持ってたら、やってみたくなるよなあ。健全な(あるいは不健全な?)男子高校生なら尚のこと。
「わかりました」
 周防は着ていたブレザーのボタンに手をかける。
 拍子抜けするほどに、馬鹿げた命令。でも、放置しないのが真の紳士ってものですぜ。
「やめろっての!」
 俺は周防に向かって駆け出した。
 このままでは阿加坂の命令通りになってしまう。それを阻止したいなら解決策は至って簡単。魔法効果が切れるまで、周防を動けなくしてしまえばいい。
 気は進まないが、両手を無理矢理掴んで邪魔をする。
 それだと俺が周防を襲っているみたいな構図だな。……緊急事態だったということで、謝れば許してもらえるよな、多分。
 幸いにして、水橋先輩も似たような考えらしい。機敏に立ち上がると、やはり周防に駆けつける。
 だが、俺たちは考えがあまりにも浅はかだった。
「瀬田翔馬、動くなッ! 水橋理音、動くなッ!」
 命令が室内に響く。途端、俺の身体は金縛りにあったみたいに、ぴくりとも動かなくなる。
 水橋先輩の動きも制止していた。ちなみに、阿加坂が水橋先輩の名前を知っているのは、担当クラスは違えど新入生キャンプで一緒だったからだろう。
「丙火野江も動くなッ!」
 さらにぬかりなく、ヒノエ先輩にも絶対命令を下す。
 阿加坂の魔法を受けていないのは藤堂先輩だけ。阿加坂は藤堂先輩には命令を下さない。きっと、初対面で名前を知らないのだろう。耳の聞こえない藤堂先輩に、阿加坂の魔法が通用するかは謎だが。
 藤堂先輩も必死になって周防を止めようとするが、全然歯が立たない。剣道部にも所属している周防を、見た目からして華奢な藤堂先輩がはがいじめにできる道理がない。
 ――ピコーン。
 気の抜けるような電子音が背後でした。
 阿加坂が何かをしているようだ。首すら回らないので直接は確認できないが、大方の予想はつく。
 ケータイのムービー機能を回し始めやがった!
 周防の脱衣シーンを激録って、こいつどんだけクソ野郎なんだ。
 藤堂先輩は阿加坂を睨んでいた。電子音は聞こえないだろうから、彼女の視界にケータイを構える阿加坂が入ってきたのだろう。
 周防を止めるのを諦め、阿加坂の方へと飛び込む藤堂先輩。周防を止めるより、阿加坂のケータイをどうにかする方が先決だという聡明な判断。
 俺の背後に飛び込むと、
「んーッ!!!」
 言葉にならない声を上げる藤堂先輩。
 ところが、賢明な足掻きを阿加坂は嘲笑う。
「チビッ子はすっ込んでろ」
 鈍い音がして、藤堂先輩が視界まで吹き飛ばされてくる。藤堂先輩はそのまま、
「ううっ……」
 腹部を押さえながら、苦悶を浮かべて動けなくなってしまう。おそらく、蹴られたのだ。阿加坂の手はケータイでふさがっているであろうから。
 こんな華奢な女の子に、ただ撮影の邪魔だからという理由で暴行を加える。そんなの許されるわけがない。
 ふつふつと怒りが湧いてくる。自分の残存する正義感はエンプティだと思っていたので、これは驚きだ。けれど、今はそんなバカみたいなことに感動している場合ではない。
 周防は周防で、ブレザー、スカート、シャツを脱いで、あとは下着を残すのみのあられもない格好になっている。
 俺は気まずくなって、目線を逸らそうとするが、眼球すら動かすことができない。
 飛び込んでくる周防の下着姿。思わず唾を飲み込む。清楚さを連想させる白のパンティに白のブラ。それと同系色の、白磁のような周防の肌。まるで天使みたいだな、と思った。
 ――と、心奪われている場合ではない。
 誰か、阿加坂の凶行を止めてくれ。
 魔法が切れるまで、俺は信じてもいない神に祈るしかない。
 そんな絶望的な状況の中で、足掻くものがいた。
 藤堂先輩だ。彼女は腹部を手で押さえながらも、よろりと立ち上がる。そして、周防の前に立ちふさがる。仁王立ちだった。
 猛々しい怒りが、藤堂先輩の目の奥に宿っていた。
 これが【力】――。多分、この人より腕力が強いヤツは掃いて捨てるほどいる。むしろ、同年代で藤堂先輩より非力な人間を探すのはきっと困難だ。なのに、この人は強い。人の不幸を捨て置けない、真の意味での力をこの人は持っている。
「ふーん、なんでそこまで人のために動くかねえ。バカみたい。もうそろそろ魔法も切れるし、俺は帰るわ。学年一の美少女の下着姿。たまらんね。本当は全裸姿がベストだったんだが、まあ、お楽しみはこれから少しずつ重ねていこうかね。ハハハハハ」
 そして、部室のドアが開閉する音がした。
 阿加坂が退場したのだろう。
 同時に、
「いやーーーッッ!!!」
 周防は悲鳴を上げ、下着姿の自分を隠すようにしゃがみこむ。そこへ藤堂先輩が、落ちていた周防のブレザーを上からかける。
 魔法が切れたのだ。魔法は切れたが、格好はそのままだ。
 未だ魔法が切れていない三人は、しばし視線を周防に向けるしかない。
 もっとも、掛けられたブレザーで周防のあられもない姿は隠されている。
 本音を言えば、もっと見てみたかった。見てみたかったが、見ることができなくて良かったとも思った。それは周防を傷つけることだ。それではまるで、阿加坂の共犯になったみたいできっと俺の中にわだかまりとして残ってしまう。
 そんなことをしている内に、『動くな』と命令された三人の魔法が解ける。晴れて自由の身となった。
 俺は動けるようになった瞬間に、即座に回れ右。
 俺は激怒した。そして、部室を出て走っていた。
 まるでメロスのような疾走だと自負する。周防という友人のために走っているのだから、まさしくメロス的だ。
 走る目的は、『阿加坂』あらため『アホ坂』を見つけるため。『アホ坂』……まるでアホの坂田の略称みたいだ。坂田師匠ごめんなさい。
 本当のアホは、友人が酷い目にあわされて、そんなアホなことを考えていられる俺自身かもしれない。ウツモードに入りかねないので判断中止。
 要は阿加坂見つけて、周防の下着姿を収めたケータイを処理しちまえばいいんだ。折り畳み式ケータイを、誤った角度に折り曲げてやらねば気が済まない。
 詐欺行為を重ねてきた少年は、今度は器物破損という罪を重ねようとしているが、そんなの知ったことか。
 周防を傷つけるヤツを許せなかった。
 俺はあいつが中学時代に負った心の傷を、多少なりとも知っているつもりだ。そして、彼女がどうにか乗り越えようとしているのも知っている。
 だから、そんな彼女を土足で踏みにじるヤツが許せない。
 俺の感情に、きっと正義はない。そんなものは生まれてこの方、誰かに教わった覚えがない。ゆえに、この気持ちはきっとエゴ。
 周防には笑顔でいて欲しいという、ただの俺のわがまま。わがままでもまかり通らせてもらう。
 阿加坂の行方は、きっと駅だ。やることやったら、普通は逃げるに限る。プロファイリングなんて大層なものではないが、俺だったらそうする。
 学校の最寄り駅までひた走る。
 学校から駅に通じる商店街は、下校中の生徒でごった替えしていた。勢い余って阿加坂を追い抜いてしまわないように、通行人を確認していった。
 しかし、阿加坂らしき人物を発見できないまま駅のホームまで到着してしまう。
 おかしい。いくら阿加坂が俺より先に部室を出たからといって、俺より先に駅についている可能性は考えにくい。それだと、阿加坂は部室を出た後、少なくとも俺と同じくらいの駆け足で駅まで向かったことになる。
 手に入れた魔法のおかげで余裕綽々の阿加坂が、そんな行動をとるとは考えにくい。となると、次の三つの可能性が考えられる。
 一つ目は、ここにくる途中にうっかり追い越してしまった。しかし、俺なりに細心の注意を払っていたので、この可能性は低いだろう。
 二つ目は、阿加坂は電車通学ではない可能性。電車通学じゃないから自転車でも使ってのんびりと帰宅中。
 三つ目は、まだ学校に残っている可能性。もしそうなら、悠長すぎる行動だが、余裕ぶっていたヤツなら、なくはない行動だ。
 せっかく駅まで来たがしかたない。一端学校に戻ろう。万に一つ、駅に来る途中に追い越していたならば、学校へ戻る途中に見つけられるかもしれないし。
 家路へとつく生徒の流れに逆らうように、俺は学校へと歩いていた。みんなの流れと反対に進んでいくというのは、変な感じだ。
 道中、ケータイが鳴った。ヒノエ先輩からだった。
「もしもし、どうした?」
『ようやく繋がったか。いきなり部室を飛び出して行ったので心配して、何度も電話していたのだよ。まあ、君の無事が確認できてまず何よりだ』
「俺の無事? なんでそんなものが気になる」
『君は光栄君を追って部室を出たのだろう? 大方、彼のケータイを没収するつもりで』
「当り前だろう。周防のデータは、さっさと消さないとどんな風に使うのかわかったものじゃない」
『勢いがあるのは結構だ。しかし、君には光栄君の魔法から身を守る術はあるのかね?』
 指摘されて、俺はしどろもどろながら、
「そんなもの、やられる前に、やっちまえばいいだけだろう?」
『君は意外と直情的な人間だね。だが、やめておきたまえ。光栄君は言葉だけで相手を操れるのだ。いささか分が悪い。それに、彼がどこまで人を操れるかも未知数だ。『死ね』と命じられたときに、自決するくらいの覚悟がなければ、彼を深追いしてはならない。それくらい、彼の魔法は強力だ』
 何も言い返せなかった。先輩の指摘したとおりだ。俺は少し考えが甘かったのかもしれない。
「わかったよ。軽率な行動をとったことは謝る。で、俺はこれからどうすればいい?」
『一端、部室に戻ってきたまえ。仮に道すがら光栄君に出会うことがあっても、極力無視すること。いいね?』
 釘を刺してくるヒノエ先輩。頷きがたかったが、沈黙をもって肯定とし、電話を切った。
 幸か不幸か、部室へ戻る道の途中で阿加坂に会うことはなかった。
 そうやって戻った部室には、葬式みたいな暗い空気が立ち込めていた。

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