アルカナ・ナラティブ/第5話/04

 俺は食いしん坊キャラではない。しかし、昼休みに何を食べるかを考えるのは学校生活の楽しみの一つだ。
 うちの学校には学食もあるし、もちろん弁当を持参しても良い。だが、俺が最近凝っているのは学校に出入りしているパン屋のメニューだ。
 パン屋の本店は、学校近くの小さな店だが、毎日昼休みになると出張販売に来る。
 ここのパンはすこぶる美味い。まず生地から違う。モチモチした触感は、コンビニで売られているような薄利多売な大量生産品とは訳が違う。
 パン食組のクラスメイトと、その日の気分に合わせてパンを購入。人気商品焼きそばパンも購入できた。欲しい品が手に入ったのでホクホクした気分だった。
 後はクラスで友達と、適当な話題でも喋りながら、割と充実した昼休みを送る予定だった。というか、それぐらい気が緩んでいた。
 でも、買い物は教室に帰るまでが買い物であった。
 背後から俺のブレザーの襟部分が背後から掴まれる。突然の事態に驚き、肩をすくませる。首根っこを掴まれたネコみたいな姿勢になってしまった。
 例えば、これが夜道だったなら、背後の人物を不審者と判断。『殺られる前に殺れ』の精神にのっとり、相手の足の甲を踵で踏みつけていた。
 しかし、ここは白昼の学校。相手が悪ふざけをしている可能性が高いため、軽挙妄動は慎む。
「ちょっと借りてくぜ」
 予想通り、背後の人物の言葉は緊張感の足りない響きだ。というか、聞き覚えのある声。
 振り返れば奴がいる。天野篝火さんがである。
「あれー、アマノッチじゃん。どうしたの?」
 クラスメイトの一人が訊いた。アマノッチって……。天野先輩はなめられているのだろうか。それとも親しみやすいキャラなんだろうか。ま、先輩であろうと問答無用でタメ口きいている俺が考察していい案件じゃないけどな。
「んー、翔馬を拉致しに来た。こいつには色々と訊きたいことがある」
 さらりと不穏当な発言をしてのける。
 俺がまず危惧したのは、俺の過去。どこかから漏洩した可能性はゼロではない。例えばヒノエ先輩がうっかり喋っちまったとか。
 内心、検事側の求刑が死刑である被告人になった気分。十三階段の天辺でたたらを踏んでいるような心境。
「た、助けてくれ」
 切に嘆願する俺。頼む、クラスメイトよ。ここは瀬田翔馬(学級長)を守ってくれ。阿加坂光栄の件で見せた団結力を今ここに再現してくれ。
「いいっすよ。好きに絞り上げて下さい。ただし、性的イタズラは無しの方向で。学級長がトラウマで不登校とか、超めんどいんで」
 読み飽きた本を古本屋に引き取ってもらうような気軽さで、俺を売りやがった。しかもセーフティを作る理由が利己的すぎる。
「安心したまえ。オレはノンケだよ。恋する相手は十年前からたった一人さ」
「一途っすねえ。今時少女マンガでも中々見つけられませんよ。そんな一途な想い」
 とクラスメイト。
「最近では一話目からホテルへとしけこむ少女マンガもありますからなあ。お兄さん、若い子の嗜好にはついてけないよ」
「それ、少女マンガというよりは、レディースコミックじゃないっすか? まあいいや。んじゃ、翔馬、ゆっくりしていってね」
 そしてぞろぞろと去っていく仲間だった者たち。う、裏切り者~。
「じゃあ、ちょっとお兄さんと話し合おうか」
 にっこりと、笑顔の天野先輩。そこに裏表が見え隠れしないのがせめてもの救いであった。

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 北庭とよばれている一画が我が校には存在する。
 本館校舎北側に位置し、南からの日差しが校舎によって遮られる。今日みたいな肌寒い日には訪れる者が少ない。
 地面はタイルで舗装されており、バスケのゴールが設置されている。活発な男子は昼休みや放課後にバスケに興じることができる。
 遠くでバスケットボールの弾む音を聞きながら、俺と天野先輩は、北庭に備え付けの木製テーブルに掛けていた。
「やあ、悪いね、いきなり人攫いみたいな真似をしちまって。オレンジとアップルどっちがいい? せめてものお詫びっつーことで奢らせてくれ」
 先輩の両手にはそれぞれ、自販機で買った紙パックのオレンジジュースとアップルジュース。
「じゃあ、オレンジジュースで。クエン酸が欲しい気分だ」
「ほほう、翔馬はお疲れかい? 若いのに苦労してるねえ」
「どっかの不可思議テンションな先輩に、昨日今日とボーリングや北庭に連れ回されてるからな」
 というが、言葉に悪意はない。あるとすればアイロニーだ。
「わぉ、恐悦至極ッ! と、導入はこれまでにして、今日は色々と翔馬に訊きたいことがあるわけだよ」
「取調べか? なら昔の刑事ドラマみたくカツ丼を要求する」
 軽口を叩くが、俺は知っていた。実際の取り調べでカツ丼なんて出ない。それはもう、詐欺事件で実際に取調べを受けたことがあるので、体験済みだ。
「なら、鬼の刑事と仏の刑事の両名も必要だな。まあ、別にお前さんには質問をしたいだけで、詰問をするつもりはないから鬼も仏もいらないが」
「質問って、昨日のことか?」
「どっちかっていうと、今日の話かな。今日、有馬さんがクラスでどんな感じだったのか訊きたいのだよ。陸原と有馬さんとの喧嘩の理由がよくわかんねえんだ。昨日、送っていったときも陸原は説明してくれなかったから」
「だったら有馬に訊けばいいじゃないか」
「一理あるけど、極論すると俺って部外者だろう? 有馬さんは、気が強そうだし、陸原絡みの件で俺が出ていくと、陸原にとばっちりがいきそうで怖いんだよ」
「ありうる話だな。でもさあ、当人同士の問題なんだから、そもそも天野先輩がしゃしゃり出る必要ってあるのか?」
「無いといえばない。あるといえばある」
 どっちつかずな返答に、俺は首を傾げた。
「そういう曖昧な返答って嫌いなんだけど?」
「そう? 俺は日本人的な美徳ってカンジで大好きなんだけど。『前向きに検討します』とか『善処します』って言葉も、先生に良く使うぜ?」
「どんな文脈で、そんな言葉が必要になるんだ。サラリーマンか、アンタは。と、話が脱線したが、俺は有馬とは今日は挨拶を交わした程度だよ。見た感じだけど、クラスの連中とは普通に接してたぜ」
「そうかそうか。ならまあ、陸原とはしばらく距離を置いておいておけば、大丈夫かな」
「どうしてそこまで彼女のことが気になるんだ?」
 まるで劇薬を扱うように、陸原に対しては思慮深くある天野先輩。普段はノリとテンションで生きていそうな彼だけに気になってしょうがない。
「陸原はね、行動パターンが境界例っぽいんだ。といっても、医者に診断してもらったわけじゃないから、断言はできないけど」
「境界例?」
 言葉だけなら聞いたことはある。リストカットについての調べ物をしていたときに見かけた言葉だ。その時は、リストカットについてを主に調べていたので、境界例についてはあえて調べなかった。精神科医になりたかったわけではなく、自傷行為をする人間の行動傾向を知りたかっただけだからだ。
 ちなみに、そんな調べ物をするきっかけとなったのは、クラスメイトで俺と同じくアルカナ使いの周防氷華梨だ。
「昔は神経症と精神病の境界線にあるケースだから境界例とよばれていたんだけど、今では色んな意味で使われている。ここでは、境界性パーソナリティ障害を指していると考えてくれ」
「境界性……精神医学については門外漢なんだ。そこら辺も解説頼む」
「OK。その昔、ミスターニュースと呼ばれたオジサマくらい、分かりやすい用語解説をしてみせよう。境界性人格障害ってのは、精神障害の一種だ。特徴としては、自分や他者に対するイメージが不安定、感情や思考の制御が上手く出来ない、衝動的な自己破壊行為といったものが挙げられる。そういう意味で他者との関係を形成しづらい、あるいは出来たとしても維持するのが難しい人々だな。さらにマズいことに、感情の不安定さに周りを巻き込んじまう場合もある。まあ、まさに俺が巻き込まれる人間の典型なんだけど、まだ俺には自覚症状がある分マシとしてくれ」
「わざわざ火中の栗を拾いにいっているわけだ」
「言い得て妙だ。一応彼女の所属している部の部長だからな。多少のケアはするさ。ところが、一番手っとり早いケアってのが、彼女が不安定になる場面から遠ざけちまうことなわけさ」
「随分と弱腰な姿勢だな。アンタならもうちょっとアグレッシブな対策を取ると思ってたよ」
 この人、当たって砕けろの精神の塊かと思っていた。
「俺一人だけに関わることなら、多少ちゃらんぽらんにやってたんだけどな。ところが、最近はうちの部が面倒な先生に目をつけられてるんだよ。だから、その先生への交渉なり、根回しなり、弱み握るなりが出来ていないうちは、部員にトラブルを起こしてほしくないわけ」
 これまた弱腰な態度。これでは中間管理職である。
「一体誰だ? アンタの部に目をつけている先生って」
 天野先輩すら神経質になる先生なんて、相当限られているだろう。並の先生だったら、この人のペースに呑み込まれてしまう気がする。
「困ったことに校長先生なんだよね、これが」
「最高権力者じゃねえか」
「教員の中ではな。ちなみにうちの学校は知っての通り私立校だから、真のトップは理事長だ」
 天野先輩からすれば頭が痛くなる話である。
「でも、活動しにくくなるだけだろう。多少の先生から、疎まれてても養護してくる先生もいるんじゃないか?」
「それがビミョーなところでな。うちの校長って、妙な方向に純真で潔癖なところがある人なんだよ。よく言えば教育熱心。悪く言えば頑固一徹」
 俺はうちの学校の校長の姿を頭に思い浮かべた。ガタイの良い質実剛健たる印象を感じさせる、まるでどこぞの企業の重役みたいな五十代後半くらいの男性だ。
「そういうわけで、陸原には殊更気を使ってるわけだ」
 天野先輩は溜息をついた。この人に溜息を吐かせるとは、陸原という少女は相当なものである。
「いっそ陸原に、それとなく退部勧告してみるってのは?」
 我ながら黒い考えなのは承知の上で、言ってみた。
「阿呆言え。メンタルヘルス部は、むしろ陸原みたいな子が主な構成要素だよ。だって、通称が『メンヘル部』だぜ? そういった心の機能に問題を抱えている子の受け入れ先的な存在なんだ。だから、アルカナ使いの主な受け入れ先になってるんだよ。アルカナ使いって、結構、メンタル的にだったり、これまでの人生に問題を抱えているヤツが多いから」
「そういや三国先輩も、昔は荒れてたとか言ってたもんな。じゃあ、藤堂先輩もそうなのか?」
 三国先輩とは【女帝】を司るアルカナ使いである。今でこそ明朗活発な人柄だが、彼女の話では、昔は『幸せという感覚』がよくわからなかったらしい。
 藤堂先輩は、聾《ろう》の生徒だ。しかし、自分の耳が聞こえないからといって、そこで腐るような人ではない。一度会ったことがあるだけだが、前向きな意志を持った女子生徒だ。
「藤堂は例外的な存在だな。精神保健衛生に興味があるから入ってきたっていうレアケース。メンタルがヘロヘロなうちの部員を勇気づけたり叱咤したりと、むしろ彼女が部長をやった方が良い気がするぐらいに凄い人だ」
「アンタはどうしてメンタルヘルス部に入ったんだ?」
「そりゃ、アルカナ使いの受け入れ先だったからさ。まあ、入らなかったからといって御咎めはないんだが、籍を置いておくだけならいいかな、と当時は思っていたわけだ。それが何か知らんが、暇つぶしに部に顔を出しているうちに部員の面倒を見るようになってて、気づいたら部長になってた」
「そういうところはノリで生きてるんだな」
「御縁があったと言ってほしいな」
 両腕を腰に当て、えっへんと胸を張る天野先輩。そんな態度を取っても偉そうに見えないのがこの人の面白いところだ。同時に威厳も感じさせないが。
「じゃあ、もう一個訊いておいていいか?」
「答えられる範囲で答えよう。ちなみスリーサイズと血液検査の結果はトップシークレットだ」
「そんな情報いらねえし。アンタってさあ、頭を触れた人間の階層的ネットワークを解析できるんだよな?」
「いかにも。【エクスパンデッドなハイテンション野郎】――略して【エクステンション】。ヒノエによる、ヒノエフルなネーミングさ」
 ヒノエフル――アルファベット表記するならhinoeful。勝手に英単語を創作しおった。この人、妙な方向に創造的だな。
「さっきから凄く不思議だったんだけど、どうして俺に聞き込みを掛けてるんだ? そんなことをするよりも、有馬か陸原の頭を触った方が、よっぽど早いじゃないか――」

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