アルカナ・ナラティブ/第5話/06

 天野先輩の宣言に、俺は唖然とした。
 ――好きな人がヒノエ先輩……だと?
 えっと、まず落ち着け俺。色々聞きたいことがあるが、一個ずつ確認していこう。
「そのことは、ヒノエ先輩は知っているのか?」
 まず訊くべきはそれだ。答え如何によっては、天野先輩とヒノエ先輩が一緒になった時の、俺の言動に差が出てくる。
「知ってるぜ。もう五十二回、告白した。そして、五十五回拒否された」
「告白した回数より、拒否された回数が上回っているのはどういうトンチだ」
「何の脈絡もなく、『お前とは付き合えない』って言われただけだよ」
 ともあれ、告白していたのか。しかも五十回強も。普通、二、三回告白して駄目なら諦めるだろうに。どんだけヒノエ先輩のこと好きなんだ、この人は。
 迫りくるトラックの前に立って『僕は死にません』とパフォーマンスしないことを祈る。あれ、ドラマだから死なずに済んだけど、実際にやったら死ぬからね、きっと。
「ヒノエ先輩の、どんなところが良いんだ?」
「全てとしか答えようがございませんな。小学校で初めて会った時から一目ぼれさ。それから十年、ずっとヒノエに恋焦がれてきた。不思議なもんだよな。俗に恋愛ホルモンと呼ばれるPEAってホルモンがあるだけど、その効果って長くても三~四年ほどなんだとさ。でも、オレの想いは十年間変わらない」
「脳科学を凌駕する恋愛ってわけか」
「単に気が触れてるだけかもしれないけどな」
「いいんじゃねえか? 英語で『あなたに夢中』は『クレイジー・フォー・ユー』だ」
「中々言いおる。さて、そろそろ、昼休みもお終いかな」
「もうそんな時間か?」
 俺はケータイを取りだすと、時計を眺める。現在十三時二十八分。五限目が始まるのは十三時三十五分。天野先輩ら三年生が使用している校舎である南館までの移動時間も加味すると、そろそろお開きにしなければならない。
「もっと色々と訊きたいことがあったんだけどなあ」
 人の恋愛話には、人並みに興味がある。特に知っている人の話ならなおさらだ。
「放課後にどっか遊びに行くか? 口止め料代わりにクレープくらい奢ってやるぜ?」
「マジでか。行く、絶対行く。あそこだろ。駅に続く商店街にあるクレープ屋」
「そうそう。あそこマジ美味いよな。じゃあ、授業が終わったらメールするわ。なんでアドレス教えて。ついでに番号も」
 赤外線通信で俺たちはアドレスと番号を交換。
 そして、天野先輩は去っていった。
 俺はまだ胃に納めていないパンを頬張りながら、自分の教室に戻っていった。
 放課後に振舞われるであろうクレープに思いを寄せながら。
 遠慮して一番安いメニューで済ませるべきか。がっつりとツナマヨクレープをせがむべきか。ってこれでは、単なる食いしん坊キャラだ。
 だが、結果として本日のクレープは中止となった。
 なぜなら、魔法研究部とメンタルヘルス部を巻き込む、厄介な事件が起こったからである。

   ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 教室に戻る頃、ちょうど予鈴が鳴り始めた。
 五限目開始五分前になるこのチャイムを皮切りに、よその教室を来訪していた者は、徐々に自分の教室に戻っていくのだが、今日は様子が違った。
 一年五組の教室の出入り口に大量の生徒が詰めかけていた。『黒山の人だかり』と表現したいところだが、髪を染色・脱色しているヤツもいるので微妙に黒山とは言い難い。
 まずは、クラスで誰かが愉快な催し物を開催しれているのだろうかと暢気に考えた。
 ところが、教室の中から、
「アナタのせいで私は振られたのよ。責任とってよ!」
 悲鳴と怒号の中間に位置するような声が聞こえてきた。
 人だかりに邪魔されて、教室へ入るのは困難。室内状況を観察するのは不可能。叫び声の主は不明。それでもはっきりとしたことが一つ。
 現在の教室内は修羅場と化している。
 はて、でも今の咆哮の声に聞きおぼえがあるような気がする。誰だったけか?
 そんな疑問は、次の一声で氷解する。
「そんなのアンタの被害妄想でしょ!? いい加減にしてよね!」
 こっちの声の主はすぐ判然とした。うちのクラスの有馬である。
 ってことは、最初の叫び声の主は――陸原立花?
 昨日の喧嘩を、まだ引きずってたのか、あの二人。
「私が悪いって言うの!?」
 陸原と思われる人物が、再び吠えた。
 無関係なこっちとしては、いい加減にしてくれという気分だ。
 友達(?)同士で喧嘩する分にはいい。いくらでもやってくれ。だけど、うちのクラスを戦場にするのはやめてくれ。戦争は舞台となった土地が疲弊するものなのだ。
 彼女たちの喧嘩での物理的損傷はないだろう。それでも、そこにいたクラスメイトの心には何がしかの悪影響を及ぼすのだ。
「そうよ、アンタが全て悪い。全てアンタの自業自得。アンタみたいな傍迷惑な輩は死ねばいい。とっとと失せろ」
 厳しく陸原を糾弾する有馬。そこに一切の情けや容赦はありはしない。
 ただ、『死ねばいい』は言い過ぎじゃねえか?
 これ以上エスカレートするのは流石にマズイな。歯止めが利かなくなった感情ってのは無関係な人物すら巻き込みかねない。万に一つもないとは思うが、有馬が他の連中に八つ当たりをはじめたらクラスの雰囲気は地に落ちる。
 杞憂と言われれば否定できないが、燻ぶる火種はさっさと消火するに限る。
 五限目、六限目と不機嫌な面の有馬がいるだけで、クラスメイトが委縮しかねない。有馬は女子の中でも発言力を持っているお方なのだ。
『きゃあッ』
 室内から悲鳴が聞こえた。
 悲鳴は有馬や、陸原のものではない。
 複数人の声が混成したものだった。
「な、なによ、そんなもので脅して私が謝るとでも?」
 有馬の声は強気であったが、若干震えていた。
 ――そんなもの?
 第六感が叫んだ。今すぐにこの二人を止めなければならない、と。
「悪い、ちょっと通してくれ。俺はこのクラスの生徒だ」
 野次馬たちに声を掛けながら、室内へと押し進んでいく。
『このクラスの生徒』という言葉が効いて、群集は意外にすんなりと道を作ってくれる。人間、理由を述べれば案外すんなり要求をのんでくれる生き物なのだ。
 教室に入って状況を確認。案の定、有馬と陸原が対立の構図。
 それだけならば、どこかに転がっていても不思議ではない、女の子同士の喧嘩で済まされた。
 しかし、今回は仕様が違った。陸原の手には、刃の飛び出たカッターナイフが握られている。
「そんなに、死んで欲しいなら、死んでやる。後悔しろ! 全部お前のせいだ」
 陸原の目じりには涙が浮かんでいた。それでも口元は歪に笑みをつくる。
 凄絶な表情のまま、陸原は自らの左手首にカッターの刃を当てた。
「やめろ!」
 俺は叫んで、一歩踏み出したが、時すでに遅し。
 カッターの刃は横に引かれ、陸原の左手首からは鮮血が舞った。
『キャアッッッッッ!』
 今度こそ野次馬一同がパニックを起こす。血の赤にはそれぐらいの破壊力があるのだ。
 そんな中、たった一人だけ、陸原に向かって駆け寄るものがいた。
 周防氷華梨だった。
 上質の絹のような髪をはためかせ、凛とした眼差しで陸原を見据えていた。
 周防は自身のブレザーのポケットからハンカチを取り出す。出血する陸原の手首に当ててやった。緊急の止血である。
 その機敏な動作には思わず見とれてしまうが、そんな呑気な状況ではないのは百も承知。
 周防の冷静さと反比例するかのように、他の連中のパニックは収まらない。
 仕方ない――。
「みんな落ち着けッ!」
 肺腑にあった空気を全て吐き出すくらいの勢いで、俺は叫んだ。
 パニックに対して、それ以上の大声で一喝された群集は、そわそわしているものの、一端パニックを納める。
 クラスメイトを観察。比較的落ち着いているヤツを探した。大半は、きょろきょろと周囲の顔を窺っている状態。
 そんな中、割と冷静な状態なヤツが数名いた。
「『軍曹』、一っ走り保健の先生を呼んできてくれ。『少佐』は、この子のクラス担任を探してきてくれ」
『軍曹』『少佐』というのは、クラスメイトの渾名だ。緊急時だったが、いや、緊急時だからこそ、普段呼びなれている渾名の方で指示を出した。
「わかった、待ってろ」
 勢いよく教室を飛び出していく『軍曹』。
 一方、『少佐』は、
「構わないけど、その子何組の生徒?」
 と訊いてきた。しまった、それは俺も知らない。
「なあ有馬、この子、何組の生徒か分かるか?」
 青い顔をしながら、へなへなと尻もちをついている有馬に訊いた。
「い、一組……」
 唇を震わせながらも、有馬は応えてくれた。
「承知した」
 情報を受け取ると、『少佐』も教室を去っていく。頼れる仲間を持ったものだ。
 さて、念のため救急車を呼ぶべきだろうな。
 俺はケータイを取りだして、119番に連絡するつもりでいた。が、一つの可能性が頭によぎり、ボタンを押すのが躊躇われた。
「なあ周防……」
「何?」
 必死に出血を押さえる周防の献身的な態度は、傍から見ていてとても尊いものだ。
 見ず知らずであろう相手のために、即座に動き、適切な対処をする。並のヤツができる反応ではない。
 それに比べたら俺は――最低だ。今から、俺は最低のことをしようとしている。
「なあ周防、その子の傷の具合はどんなもんだ? 酷いのか?」
「浅いと思うよ」
「本当にか?」
「一瞬だけどちゃんと傷口は見たし、今の出血具合からするとね。保健の先生に手当してもらえば済むよ」
 自信に満ちた周防の回答。自傷癖があった彼女がそう断言するなら、おそらくそれで正解だ。
 俺は胸をなで下ろす。同時に保身に走った自分に抑えきれない嫌悪を覚える。
「じゃあ、救急車は呼ばない方が良い……よな」
「私じゃそこら辺の判断はできないよ。けど、変に事を荒立てない方が、この子の為かも知れないね。保健の先生の診断によっては、すぐに病院に連れていく必要があるかもしれないけど」
 助かった。陸原ではなく、俺の首の皮が一枚繋がった。
「救急車はやめておこう。そうだよな、それが良い」
 呼吸を浅くしながら、俺はケータイをポケットにしまった。
 もし、ここで救急車を呼んでいたらどうなっていたかを想像して、俺は改めてぞっとした。
 救急車を呼んだ場合、もちろん事情説明を行わなければならない。
 陸原の自傷は、有馬との口論から発生した。救急隊員が彼女の自傷を、単なる怪我として扱ってくれればそれで良い。でももし、事件と判断した場合はどうなるか?
 当然、救急から警察の方へと連絡が行く。
 もし、この『事件』を警察がマスコミに公表したら、俺にとって非常に都合の悪い事態へと発展する。
 マスコミが事件を取材しに来たならば、俺も取材を受けかねない。というか、陸原の自傷行為の解決のため、最初に動いた者の一人の俺ならば、取材される可能性は高い。
 正直、マスコミはヤバい。
 俺は元詐欺師で、大型詐欺事件を起こした犯罪者だ。そのことをマスコミに勘付かれたら、俺の学校生活はお終いだ。
 風が吹けば桶屋が儲かるみたいな考え方。
 警戒しすぎもいいところ。
 考え方がネガティブな方向に飛躍しすぎだろうか?
 いや、警戒しすぎなんてことはありえない。
 それぐらい、マスコミの嗅覚は警戒に値すべき代物なのだ。
 そんな保身のために、俺は救急車を呼び出すのを見送った。
 最低の、クズだ。
 天井を仰いで、溜息を一つ吐いた。
 虚偽と罪に彩られた過去は、どこまでも俺を捕えて離さないことを、改めて自覚した。
 怖いのだ。
 醜い自分の正体が露呈するのが。
 せっかく手に入れた仲間たちの、笑顔が掌から零れ落ちてしまうのが。

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