アルカナ・ナラティブ/第5話/07

 駆けつけた保健の先生と、一組の担任によって陸原は保護された。
 傷の手当てのために保健室に連れて行かれた陸原が、その後どうなったのかは俺には知る由はない。
 ただ、あれから救急車のサイレンは聞こえていない。周防の診た通り陸原の傷口はさして深くなかったと解釈するのが妥当。
 陸原だけでなく、有馬も教室から連れて行かれた。喧嘩の当事者である以上、教師側からすれば、事情を聴く必要があるみたいだ。
 そして、五限目。
 教室に残されたみんなは、静かにしていたが、授業に集中している風ではなかった。
 現在俺の座席は、教室の一番後方。ここからだとよく見えるのだが、室内の三分の一くらいはケータイを操作している。
 理由は次の二つと考える。退屈な授業の暇つぶしに先刻のリストカット事件を他クラスの生徒に伝えている。あるいは、騒ぎを気にした他クラスの生徒からの問い合わせメールの返信をしている。
 どっちにせよ、今日の話題は陸原絡みで持ち切りになりそうだ。
 話題になるなら、噂好きなグループの会話に参加するだけで、情報収集が可能ということ。
 学級長の座を押しつけらた身としては、クラスメイトが持つ情報は可能な限り押さえておきたい。有事の際、自分だけ知りませんでしたでは、リスク管理が甘かったとしか言いようがない。
 授業を適当に聞きながら、五限終了後の自身の行動をシミュレーション。
 クラスでの聞き込みをして、天野先輩から質問があった場合に備えるのが無難な対策。ただし、情報収集後にすぐに天野先輩に垂れ込むのは気が引ける。軽率に言いふらすのは、人間としてどうかと思うし、天野先輩の頭痛の種を悪戯に増やすだけかもしれない。
 もし、先輩に訊かれた場合、必要な情報だけ伝える。
 もし、先輩に訊かれなかった場合、むやみやたらと口外しない。
 頭の中でIF文は完成した。後は、これを機械的に実行していくだけだ。
 そして、五限目は終了。
 机に固定されていたクラスメイト達が動き始める。
 話に花を咲かせている連中から適当に見繕って、話を聞くことに。
 教室内には、いくつかの仲良しグループが形成されている。その中から情報を収集しようとするならば、客観的にあのときの話を出来るヤツでないとダメだ。
 衝撃的な事件だったため、主観を織り交ぜて話をしそうなヤツは選択肢から排除。
 となると、陸原が手首を切ったときに、冷静な反応をしていたヤツが望ましい。
 該当者一名。
 周防氷華梨だ。
 陸原の出血をいち早く止めようとした彼女が、あの場で一番冷静だったと判断する。
 それに周防自身も、自傷癖を持っていた。リストカットという行為の実態を知っている彼女なら変なバイアスをかけずに、陸原について説明してくれるはず。
「なあお前ら、ちょっといいか?」
 周防の所属するグループに声を掛ける。グルーブは周防を入れて三人構成。三人は話中だったが、
「何?」
 と反応してくれた。ちなみに反応したのは周防。感謝するぜ。
「五限の前に起きたリストカット事件は何だったんだ? 俺さあ、教室に入るなりあんなことになってて、五限目の間中すっきりしない気分だったんだけど」
 情報収集ではあるが、嘘はつきたくないので、率直な気持ちを伝えた。
 すると、三人は少し考え込んだ。
 周防以外はとても話しにくそうにしている感じを受けた。案の定、最初に、口を開いたのは周防だった。
「有馬さんと喧嘩してたの」
 と教えてくれた。だが、それは既知の情報。問題はそれをどう堀り深めていけるかだ。
 どんな質問が適切だろうかと、思案していると、ポケットでケータイがバイブした。
「悪ぃ、電話だ」
 メールでなく電話とわかったのは、メールと電話でバイブの振動パターンを変えているから。はい、妙なところで俺は几帳面です。
 ポケットからケータイを取りだすと、天野先輩からの電話と判明。
「私たちは構わないよ。いいよね」
 周防は頷くと、ありがたいことに他の二人に視線を送ってくれた。
 ご厚意に甘えて、俺は電話に出た。
『もしもし、オレオレ――』
 電話の先の天野先輩は、残念ながら奇人モードのテンション。
 冗談でも過失でも、そんな振り込め詐欺みたいな挨拶はやめて頂きたかった。これでも俺の親は振り込め詐欺グループの末端。思い出したくもないものを思い出してしまった。
「俺には孫もいなければ、交通事故を起こすような兄弟もいねえぞ」
『ほう、一人っ子かね。中国風に言えば小皇帝?』
「そこまで甘やかされて育った覚えはない」
 中国語で小皇帝とは、一人っ子政策以後に誕生した子どもをいう。そういった子どもは、親に過保護に育てられる場合が多いため、我がまま放題に成長する傾向があるのだとか。
 だが俺は、実の親には厳しくしつけられた方だ。いや、しつけられたというか、虐待に近いものがあった。
 あまり感傷的になると回想編がスタートして、話が進まないので、俺は電話に集中する。
『おお、よく小皇帝の意味が通じたな。健闘を称える電波を送ってあげよう。ビビビビビ――』
「電波などいらん。悪戯なら切るぞ?」
『ま、待ってくれ。ちゃんと要件を話すから待ってくれ。実はさ、一年生の部員から、昼休みの終わりごろ陸原が誰かと喧嘩して手首切ったってメールがあってさ。お前さんなら、何か知ってねえかなという具合に電話してるわけよ。ほら五組と一組って同じフロアだろ?』
「勘が良いな。でも事件が起きたのは一組の教室じゃなく五組だ。原因は有馬との喧嘩で、喧嘩の理由は今周防に訊いてたところ」
『あらら、ちょっとタイミングが早かったわけか。今の言い方だと、陸原が切った現場は見たけど、途中からってカンジだな』
「そりゃそうだ。俺は昼休みは九割方、アンタのために時間を割いてたわけだからな」
『ですよねー。ちなみ周防さんに電話変われる?』
「変われるけど……周防、天野先輩が、お前と話したいって」
 周防に確認を取る。
「いいけど、どうしたの?」
「さあ、本人に直接聞いてくれ」
 俺は周防にケータイを渡す。
「もしもし、電話変わりました。周防です」
 と丁寧に奇人天野に応対する周防。実に出来た娘さんだ。
「はい……はい……」
 しばらく、天野先輩と話しこむ周防。
 そして、
「そういうことなら構いません。ではまた放課後。……もうちょっと、翔馬と話したいことがあるって」
 といって俺にケータイを返してきた。
「もしもし、変わったぞ」
『はいはい、ありがとう。放課後だけど、時間あるよな?』
「アンタからクレープを奢ってもらうための時間くらいならな」
『クレープの前に、メンタルヘルス部の部室にこないか? そこで周防さんから話を聞くことになったんだけど』
「別にかまわんよ」
『んじゃ、交渉成立ということで。また放課後に会おう。シー・ユー』
 そして通話終了。
 昨日から始まった陸原問題は、どうやら今日の放課後も続くようである。

   ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 メンタルヘルス部の部室は、正式には部室ではない。本館校舎にある空き教室を、活動する日にだけ間借りしているだけだ。扉上部にあるプレートには『多目的室』とある。
 その用途は実際に多目的。放課後にはメンタルヘルス部部室になり、日中には体育の更衣室代わりの部屋と化す。
 周防の話では、本日はメンタルヘルス部部室(仮)に、天野先輩だけでなく、他の時間のある部員も来るそうだ。
「邪魔するぜ」
「やあ、いらっしゃい」
 扉を開くと、中から女子生徒の声がした。朗らかでネガティブな感情とは無縁そうな声。
 そこにいたのは三国先輩。
 身長は百六十センチくらい。肥満体ではないが、女性的な丸みを帯びた体型。
 髪型はショートボブで、アーモンド型の目が愛らしい。唇は厚く艶やか。
 全体的に周防と対照的な美人で、周防が凛とした氷の美しさなら、三国先輩はひらりとした蝶を連想させる。
「わお、お久しぶりだね、二人とも。必殺、出会いがしらのハグ!」
 挨拶も早々に、三国先輩は抱きついてきた。……俺に。
 ええ!?
 こういうのってまず、同性にひっついていくものじゃないのか。何を考えているんだ三国先輩。
「ちょ、先輩?」
 狼狽しながらも、悪い気分ではなかった。
 フクフクして抱かれ心地が良い。母の温もりが記憶に薄い俺には、新鮮な感触。
 ただ、先輩のお胸がモロにあたる。ふくよかなバストが、俺に優しく致命傷を与えてくる。
 おちちけ、いや、おちつけ、俺!
「三国先輩、これは高校生男子には刺激的過ぎだ」
「ん、どこがどう刺激されたのかな?」
 俺から最も近い距離に悪女がいた。ニタリ、と三国先輩が意地悪く笑う。
「い、いやどこがと言いますか、まあ、はい……」
 自分のヘタレっぷりに絶望した!
 これでは変態という名の紳士の仲間入りだ。
「ちょ、先輩、翔馬が困ってるじゃないですか」
 俺を蔑まず、助け船を出してくれた周防の背後に後光が差している気がした。
「そうかなあ。女の子に抱きつかれて不愉快にはならないでしょ?」
 返答に困った。ここで『はいそうですね』と答えれば、二人にチャラい印象を与えかねない。
 さりとて、三国先輩に抱きつかれるのは悪い気はしない。
 ここで『いいえ』と答えれば嘘になる。嘘はつきたくない。
 よしんばついても、周防の魔法【イラディエイト】で即刻看破される。
 何この唐突な試練……。
「ふふふ、これで翔馬君の心は私にメロメロかな? オネエサン、ハナエの一件以降君のことが気になってたんだ。自分の身を危険にさらしてでも事件を解決しようという行動力と、ハナエの言葉の裏に隠された真実を見抜く知性。そういう、男の子って私のタイプなんだ」
「そ、それは恋の告白なのでしょうか?」
 全身が熱い。きっと今の俺の顔は真っ赤だ。
「さあ、どうかなぁ。唾付けたいだけかもしれないし、からかってるだけかもしれないよねえ。ああもう、パニック起こしてる様も可愛いのう」
 より強く抱きしめてくる先輩。このまま落城してしまおうかな。とか、考えていると、
「しょ、翔馬を誑かさないで下さい」
 周防からの一喝。誑かすって……。いや、文句は言えまい。事実だ。
「ん、良いじゃん。翔馬君が氷華梨ちゃんのカレシってわけじゃないんでしょ?」
「そ、それは……そうですね。私と翔馬は単なるクラスメイトです。だから、先輩に抱きつかれても関係ないですよね」
 普段、姿勢が良い周防にしては珍しく片足重心。荷重の掛かっていない脚はぶらぶらと遊んでいる。
 俺たちがそんなやりとりをしていると、教室の扉の開く音。入口にいたのは天野先輩。
 ちなみに三国先輩は未だ俺に抱きついたまま。
「……お取り込み中、失礼した」
 一言言って、天野先輩が扉をしめた。
 きっと壮絶な勘違いをしている。
「だ、大丈夫だ天野先輩。これは三国先輩の悪ふざけであって、変な意味はない! 三国先輩もいい加減はなれてくれ」
 大慌てで釈明する。
 すると、
「はいよ~」
 けろりとした声で返事をする。案外素直に離れてくれた三国先輩。
 何もしていないのに、どっと疲れた。
 弄ばれちゃった、俺。

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