アルカナ・ナラティブ/第5話/09

 校長は、ゆったりと、しかし無駄のない動作で、余っている椅子に腰をかける。
「こんなところに何の御用です?」
 天野先輩の声に、わずかながら緊張感が籠っていた。
「私は陸原立花君について話に来た」
 どっしりと構え、固く腕を組む。幾星霜を耐え抜いた巌のような佇まい。
 厳しく眉間にしわを寄せ、言葉をしゃべる時以外は口は真一文字に閉じられている。その表情からは、一切の心中が読みとれない。
「陸原なら今日は早退したそうです」
 よっぽど校長が苦手なのか、天野先輩の目が泳いでいた。もっとも、彼の態度をヘタれていると糾弾できない。
 鉄血の意志を持っていそうな校長の面構えは、下手な極道者よりよっぽど威圧感がある。俺は裏街道の人間を幾人も知っているが、この校長より迫力がある人間といわれると数えるほどしか浮かんでこない。
「ならば陸原君なしで話を進めよう。私はこの部の廃止を考えている」
 単刀直入に切り出す校長。天野先輩以下、メンタルヘルス部員の表情には焦りの色。
「随分といきなりですね。お気に触ることでもしましたか?」
 あくまで下手な態度で接する天野先輩。でも、腰は引けていない。まずは相手の出方を窺っているようだ。
「あえて言う必要はないが、あえて言おう。今日の昼休みの事件のことは私の耳まで届いている。神聖なる教室でリストカット。実に痛ましい事件だ」
 特に叫んでいる風でもないのに、太鼓を叩くような声量の校長。ボリュームを下げるつまみを設置しておいて欲しいくらいだ。
「僕たちとしても、仲間が自分自身を傷つけるなんて、とても悲しいことだと思います」
 一人称を『オレ』から『僕』に変更して、大人しめに相槌を打つ天野先輩。
「私はね、身体と心の健康について考えるこの部の活動は大変尊いと考える。しかし! 今回の一件は見過ごせる事態ではない。諸君らの仲間が起こした事件は捨て置くわけにはいかない」
 放課後の校舎の静けさに、校長の主張が響き渡る。
 校長は続ける。
「諸君らは仲間の起こした事件に収拾をつけるために責任を負う必要がある。よって、メンタルヘルス部に無期限の活動休止を命じる!」
 鋼の硬度を持った断言が、室内に響き渡った。
「ちょ、ちょっと待って下さい校長――それはあんまりにいきなりな決定じゃないですか」
 抵抗する天野先輩。
 だが、校長は一言、
「何か文句でもあるのか? 貴兄は確かこの部の部長であったな。ならば覚えておくが良い。部活動とは須らく学校側が管理するものである。そして、その学校の長は私である。故に、貴兄には私の命を聞きいれる義務がある」
 射殺せんばかりの鋭い眼差しを天野先輩に突き刺す。そして、校長はとどめと言わんばかりに問う。
「違うかね?」
 厳粛な沈黙が辺りを包む。
 だが、一人の馬鹿がそんな沈黙を両断する。
「――違うな。アンタの言っていることは単なる詭弁だ。いや、ガキみたいな横暴といってもいい」
 学園のトップに啖呵を切るような言い回し。言葉の主は、俺だ。
「私の弁に何か落ち度でもあったかな?」
 俺に反論されて尚、校長は怒りを表したりしない。むしろ、泰然自若とした態度。逆にそれが気に食わなかった。
「この部のメンバーが、事件を起こした。だから、連帯責任を取れっていうのがまずおかしい。昼間の一件は陸原がメンタルヘルス部とは何の関係もないところで起こした事件。なら、その影響を部活動にまで波及させるのは飛躍しすぎだ」
「それはこの部の活動内容に所以する。この部活動は、心身の健康を考えると謳っている。にも関わらず、その部員が校内でリストカット。これはこの部活動が学生側の精神衛生を向上させるという責務を放棄したと受け取られてもしかたあるまい」
 考える間もなく、校長は主張する。この人は単に喋り方が威圧的なだけの能無しではないようだ。感情だけで喋る類の人間ではなく、理路整然と自分の意見を通す術を知っている。
 なら、かえってやりやすい。感情のぶつけ合いだったら、俺は確実に負ける。感受性が人並み以下だからだ。でも、弁舌ならまだ戦える。それがダメなら、本気で凹むしかない。
「なるほどな。アンタの言い分は確かに一理ある。でも、この部にも責任があったとして、責任の負い方をどうしてアンタが勝手に決める?」
「それは生徒には、自らが犯した過ちの責任の負い方を、自ら決める力がないと考えるからだ」
 想定内の回答。俺は内心ほくそ笑む。
「それが横暴だっていうんだよ。どうして高校生には自分で考える力がないと思うんだ。高校生はガキじゃない。自分のやったこととの尻拭いくらい、自分達でさせるべきだ。それとも、自分の学校の生徒を信用できないのか?」
 さて、どう返してくる?
 ていうか、これで『信用ならん』と言われたら、こっちがチェックメイトに傾くな。人間不信の権力者を説得させるのは至難の技だ。
 だがまあ、こんだけ豪胆そうな性格の持ち主なら、それは考えにくい。
「良かろう。私はこの校の長である。確かにまず生徒を信頼するところから始めねばならんな。だが、諸君らの主張をただ鵜呑みにするわけにはいかない。責任の負い方を当事者だけで決めるのは頂けない。当事者と第三者、これら二つの視点から決定してゆくべき。ふむ――、ならば、まず諸君らが考えるが良い。諸君らなりの結論をまずは出してもらおう」
「そうこなくっちゃ」
 俺は思わずガッツポーズ。しかし、校長の話には続きがあった。
「ただし、期間は一週間。それまでに最上の答えを用意できなかった場合は、無期限停止などと言わず即廃部とする」
「な……」
 即廃部……だと?
「文句、罵倒、誹り、大いに結構。だが私は諸君らと最大限の取引をしたと自負している。それとも、取引に応じず、何もせずに無期限の休部を受け入れるかね」
 この人は、とんだ食わせ者だ。究極の選択を突きつけてきた。
 俺には……答えが出せなかった。出せるはずもない。そもそもメンタルヘルス部の人間でもないヤツが出しゃばっていただけなのだ。
 なにも言えず立ち尽くす俺の肩を、天野先輩がぽんと叩く。
「良くやった翔馬。お前のおかげで無期限停止は間逃れる」
「ということは、結論は――」
「言うまでもない。オレたちは足掻く。部活動は生徒のものだ。だから、自分たちの身の振り方は自分たちで決めさせてもらう」
 天野先輩の言葉に対して、三国先輩、藤堂先輩からの反論はない。
「勝手にしろ。最後にこれだけは言っておこう。私の中ではメンタルヘルス部を廃止すると決定した。この意志は到底のものでは動かない。更に言えば、この学校の教員の命令系統のトップはこの私。故に、私の命令を覆せる教員など存在しない。他の教員を取りこもうなどという手ぬるい方法をとろうなどとは思うてくれるなよ」
 それだけ言って、校長は部室から去っていった。
 嵐が去った。そんな印象を俺は受けた。
 入学式と朝礼でしか顔を見たことのない先生だったから、今まで『声のでかい先生』くらいにしか思っていなかった。ところがどっこい、その実情は巌と比喩してもいいであろう質実剛健にして食えない男。
 俺の人を見る目もまだまだだ、と反省。
 と、腑抜けた感慨には浸っていられない。
 俺たちの戦いはこれからだ。未完。
 なんて冗談めかした思考に持っていかないと、潰れてしまいそうなほど、俺は追い詰められていた。
 天野先輩に……いやメンタルヘルス部に発破を掛けてしまったのは俺なのだ。
 俺が調子に乗って校長に反論さえしなけれもっと穏便に済んでいたかもしれない。『生き残るか廃部か』という両極端な道にメンタルヘルス部を突き進ませたのは俺だ。
 最悪の未来を想像し、寒気がした。
 また自分のせいで、多くの人が不幸になる。
 昼休みに、学校中のどこにも居場所がなくなる生徒。そんな生徒たちの最後の居場所が失われるかもしれない。
 嘆きの発端には俺がいる。
 自分の背負う罪の十字架の重さが、再び増した気がした。
 俺は座りこんだまま、頭を抱える。
 思考停止している場合ではないのは自覚しているのに、正常な考えが生産されない。
 でも考えなければならない。
 校長の企てからメンタルヘルス部を守る手立てを生みださないといけない。
 頭に抱えていた手を降ろし、掌をじっと見つめてみた。
 小刻みに震える手。そこにあったのは明確な恐怖。
 こ、これは武者震いなんだからね! ツンツンと強がりを言えば止まるだろうか。
「大丈夫?」
 腰をかがめ、目線を合わせた周防が訊いてきた。
「も、もちろんさ」
 朦朧とした意識の中、そう言うことにしておいた。
 だけど、目の前の【女教皇】は告げる。
「――ダウト」
 それは周防が魔法を以って、相手の嘘を見破ったときの宣言。
 やっぱり、バレるか……。万が一にでも、周防の魔法を突破できるかもとタカを括ったが無意味だよな、そりゃ。
 俺は大丈夫じゃない――。
 一層震えの振幅が増した。
 もう自分一人ではどうにも収拾がつかなくなっていた。
 そんな情けない俺の手に添えられたのは、周防の両手。
 その温かさに、俺の震えは徐々に吸収されていく。
 俺は吐露した。
「どうして俺、こんなに臆病になっちまったんだろう。昔はもっと、どんなことがあっても、冷酷に冷静に判断を下せたのに。弱くなったのかな、俺」
 詐欺師だった瀬田翔馬には、怖いものなどなかった。否、そんなものは知らなかった。
 けれど、今の俺にはもう無理だ。知ってしまった。誰かを不幸にする恐怖と、罪の重さを。
「翔馬は、今の自分が好き?」
 周防は、優しい眼差しで俺に問い掛ける。
 答えられない俺。好きと言えば嘘になる。嘘は周防に看破されて塵と化す。だから、本心を隠すためには沈黙を持って答えるしかない。
「私はまだ、今の自分が嫌い。でも、ちょっとずつでも好きになる努力はしてる。それはね、翔馬が勇気をくれたからだよ。困難に立ち向かう勇気を。自分に向き合う勇気を。だから、翔馬には、そんな悲しそうな顔をして欲しくないな」
 陽だまりみたいな笑顔で、周防は強く頷いた。
 情けなさの次は、恥ずかしさが込み上げてくる。
 女の子の前で、俺は何をうじうじしているんだろう。ていうか、これが映画や漫画といった物語の世界なら、立場が逆だ。男が女の子に励まされていてどうするっていうんだ。
「ふむ、お熱いことだ」
 と手を繋ぐ二人を見て、ヒノエ先輩は言う。
「あ、いや、これは、えっと……」
 顔を真っ赤にしてたじろぐ周防。大慌てで俺から手を放そうとするが、
「せっかく繋いだ手なんだ。まだ離す必要はないよ。二人が手を合わせたついでだ。俺たちも、若人たちの手の上に、掌を合わせましょうや」
 そう言って、本当に俺と周防の手の上に、自身の手を重ねる天野先輩。
 それに続いて三国先輩、ヒノエ先輩、藤堂先輩が手を載せる。
「んじゃ、エイエイオーで、いきましょうか」
「それ、ちょっと古くねえ?」
 俺が茶化すと、天野先輩はちょっとはにかむ。
「いやいや、この台詞は一致団結の際のテンプレートだよ。青春って感じでいいよね。では、打倒校長を目指して、エイエイオー!」
『エイエイオー!』
 ちょっと時代錯誤な叫び声と笑い声が、放課後の校舎に染みわたった。

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