アルカナ・ナラティブ/第5話/11

 天野家は、学校から歩いて約十分のところに存在する。
 ごく普通の二階建てのごく普通の一軒家。親御さんの職業がサラリーマンならローンを組んでこの家を建てたに違いない。
「ただいま」
 と天野先輩が言うと、家の奥の方から、
「おかえりなさーい」
 女性の声がした。恐らく天野先輩の母親だ。
「まあ、おあがり下さいませ。オレの部屋は二階の突きあたりだから、先に言っててくれ。オレはお茶を淹れてくる」
 促されて、俺は玄関を入ってすぐに目に飛び込んできた階段を上がった。
 天野先輩に言われた通り、階段突きあたりの部屋へ。
「お邪魔しまーす」
 誰もいないであろうが、一応挨拶。誰かいたら凄く気まずいからだ。
 もっとも当たり前ながら部屋には誰もいない。日の傾いた時間帯なので部屋は薄暗かった。
 明かりがないと部屋の詳しい様子は窺えないが、鼻孔を畳の匂いがくすぐってくる。この部屋は和室なのだろう。
 扉付近の壁を手で探り、蛍光灯のスイッチを探し当てる。
 スイッチを入れると、天野先輩の自室の全貌が窺えた。
 とっ散らかった本人の普段の言動から想像できないくらいに片付いていた。
 勉強用と思われる机にはデスクトップのパソコンと、ノートパソコンが置いてあった。高校生でパソコンを二台も所有しているとは贅沢な。
 部屋自体は八畳ほどの広さなのだが、圧迫感を感じさせる部屋でもあった。原因は窓と机のあるところ以外の壁際には隙間なく本棚が置かれているから。
 天野先輩、どうやら意外に読書家らしい。
 部屋の様子を拝見させてもらっていると背後から、
「おまたせ。って何つっ立ってるんだ? 苦しゅうない、好きなところに座ってくれや」
 お盆に湯飲み二つと、パッケージ袋入りのせんべいを乗っけた天野先輩が現れる。
 俺は、部屋に置いてあった座布団の上に胡坐をかいた。
 デスクトップのパソコンを起動させると、対面する位置に天野先輩は腰掛ける。
「まあ、粗末な品ですけどお召し上がりください」
 せんべいの袋を開けてくれる天野先輩。
「ではお言葉に甘えて」
 ほのぼのとした会話。これから理事長へのプレゼンテーション資料をつくろうという雰囲気ではない。
 パソコンはまだ立ち上がらない。それを横目で確認して、俺は天野先輩に訊いてみた。
「なあ、ヒノエ先輩のどこを好きになったんだ? 見た目?」
「ぶほっ! なんでい、藪から棒に」
 盛大にお茶を噴きだす天野先輩。そして何故か江戸っ子口調である。
 今回の一件とはおそらく全然関係ないであろうが、昼休みから気になってしかたがなかった。
 ヒノエ先輩は、外見は美人である。ただ、黒マントのせいで色物キャラっぽくなっているが。
「いや、昼休みの話が、時間の関係でぶった切れただろ? せっかくの機会だがら、話の続きを聞いておこうかと」
「ほほう、初恋もまだなピュアハートボーイが人の色恋沙汰に首を突っ込むとはねえ。恋に恋焦がれるお年頃かな?」
 にやにやしながら、天野先輩は俺を凝視。
「べ、別にいいだろ。話が中途半端なところで終わったままってのは気に入らないだけだ」
「全然喋りますけどね。むしろ、オレにヒノエの魅力を語らせたら、キリがないぜ? 片思いをする男子の妄想の重きことを思い知るが良い」
「安心しろ。道を踏み外しそうになったら修正してやる」
「心強いお言葉ありがとう。んで、オレがヒノエに惚れた理由か。理由って言っても、発端は一目惚れだから、具体的なエピソードってないんだよねえ。ただ、同じ小中学校に通ってるうちに、どんどんヒノエの魅力を発見していったってカンジ」
「一目惚れねえ。黒マントを羽織った女子に恋をするなんて、アンタ中々に強者だな」
「何か勘違いしてるっぽいな。ヒノエは小中学校の頃は、あんなマントは羽織ってなかったぜ。初めて学校に着てきたのは、高校一年のゴールデンウィーク明けだよ」
 なんと。デフォルトで黒マントではなかったのか。
「ゴールデンウィーク明けって……。普通、見なりがおかしくなるにしても、制服を着崩すとか、髪を染めるとか、そういう方向に走らないか?」
「ノリとしては、そういう非行の類なんだろうけどな。ただ、奇抜すぎると最早非行ではなく奇行になってしまう不思議。まあ、そこら辺の事情はスルーしておきましょう。ヒノエにはヒノエの信念があるってことで。でさ、ヒノエの魅力だけどさ、まずは美麗なところだよ。大人な雰囲気があるよねえ。でも、その実、自分に自信を持てない性格なもんだから、これは男としては支えてやりたくなるわけですよ」
 嬉々として天野先輩は喋ってくれるが、……ヒノエ先輩が自分に自信を持てない?
 奇抜な格好をする人間が、自分に自信が持てないというのは釈然としない。それに、普段のヒノエ先輩の態度は、何事も淡々と進めていってるように思われる。俺を魔法研究部に勧誘したときだって、脅しまがいの方法をとっていたし。
 と、ここまで考えて、ふとあることを思い出した。
「そういえば、昨日のボーリングでアンタが帰った後、ヒノエ先輩が言ってたんだ。天野先輩が惚れた女は醜い、みたいな内容の話を。でも、天野先輩が好きな相手はヒノエ先輩なわけだから、それってつまり……」
「自己否定だな。ヒノエはね、本質的には劣等感の塊だよ。特に中学までは酷かった。何を頑張っても成果が出せないで、いつも自分を責めるような子だった」
 天野先輩は、目線を下に落とす。これ以上の言葉は躊躇われる、そう言いたげだった。
「あんまり無理して話す必要はないぜ?」
「いや、翔馬はあの部でヒノエの後輩になるわけだからな。知っておいてもらいたいな。んで、何かあったら真っ先に俺に連絡して欲しい」
「おいおい、俺をお目付け役にする気か?」
「そんなところさ。ほら、恋を成就させたいなら内堀から外堀まできちんと整備しないとダメみたいだからさ」
「そういう話は、胸の内にとどめておいた方がいいと思うぞ」
 打算的な話など、交渉の場においては不利に働くだけだ。この人、企画とか交渉は得意なんだろうけど、恋愛偏差値は低いんだろう。……俺が言えた義理じゃないけど。
「胸に留めておくよ。で、ヒノエ先輩が何を頑張っても成果が出せないって話だけど、俺には想像がつかない。いっちゃアレだが、あの人学年首席だろ。……魔法を使ってはいるけれど」
「そう、まさにヒノエが高校に入ってから出している成果は魔法あってのものだ。ボーリングのスコアから試験の成績まで。アルカナ使いの魔法はコンプレックスの現れってのはもう知ってるよな」
「再三聞いてるよ。ていうか、『一切の情報を忘れない』魔法が発現するようなコンプレックスって何?」
「そりゃあ、簡単な話だ。つまりね『学校のお勉強ができないこと』だよ。学校の勉強――特に試験なんて暗記力があれば大抵は乗り越えられるものだ。まあ、大学に入ったら知らんがな」
「よく言うな。『試験の数学は暗記力だ』みたいなこと」
「そうそう、それ。ヒノエはね、とにかく知識を忘れなかったら成績優秀になれると思ったクチなのよ。だからコンプレックスをバネに『一切の情報を忘れない』という魔法が身に付きましたとさ」
 そいつはなんとも複雑な話だ。努力しても結果が出せなかった者が、何の努力もなしに結果を出せるようになる。楽観的な人間なら手放しに喜べばいいだけだろう。けれど、ヒノエ先輩はそれほど能天気な性格には思えない。
「ヒノエ先輩は、魔法を身につけていると知った時、どんな風だった? 喜んだ? 落胆した?」
「高校卒業後の自分の記憶はどうなるのか、という問題に気づくまでは無茶苦茶喜んでたよ」
「それはちょっと意外だな。それまでの努力が、魔法っていうわけのわからんものに屈服したっていうのに」
「うーん、そういう考え方はできなかったんだろうな。うちの学校入るために猛勉強はしていたから、努力の結果の魔法習得でもあったといえなくはない。ヒノエにとって、高校生活は希望に満ちたものになるはずだった。高校からはヒノエが一番嫌悪していた授業もなくなってくれるから、入学当初はお気楽にヒノエのケツを追いまわしていればいいや、と俺も考えてた。さてここで問題。ヒノエが嫌悪していた授業ってなーんだ」
 いきなりクイズ形式かよ。
 俺は中学では不登校だった。だから、高校に入ると無くなる授業といわれてもピンとこない。
 なので適当に答えてみた。
「体育?」
「ハズレ。普通にあるじゃん、高校でも」
「美術?」
「うーん、芸術科目は選択式だけど、そうじゃない」
「じゃあ給食」
「いや、授業じゃないし、それ。でも、高校からは確かにないね」
「ギブアップ。もったいぶってないで答えをどうぞ」
 正直、これ以上は思いつかない。中学に通わなかった人間には厳しすぎる。
「答えは『道徳』だよ。つっても都道府県によっては、高校でも教えるところもあるみたいだけどね」
「ああ! そういやそういう科目があるって噂で聞いたことあるな。小学校の時、少し齧ったけど、あまりの馬鹿馬鹿しさにいつも寝てた」
 こちとら親御さんが詐欺師である。親の教育方針と最もかけ離れた授業であるため、全く以って馬耳東風な授業だった点だけは記憶している。
「でも、どうしてヒノエ先輩は道徳が嫌いだったんだ? テストが難しかったからとか?」
「道徳は原則テストをしてはいけない教科だよ。仮にテストをやってる先生がいたら、それは教育委員会に密告してもきっと問題ない。そうじゃなくってさ、道徳でやることって、良い子作りだから。道徳の授業なんて心の農薬だ。良い子であることを生徒に求め、ネガティブなものを徹底的に排除する」
「ずいぶん言うな。アンタも嫌いだったのか?」
「オレはどっちでも良かった派の人間かな。あんなの適当に教師やクラスメイトに嫌悪されないこと言っておけば、それで済む授業だし。でも、ヒノエが嫌っているってのなら話は別。ヒノエから笑顔を奪うものはゴミと一緒だよ」
「そこまで、ヒノエ先輩は嫌悪してたのか。たかが授業だろうに」
「授業だからこそだよ。中三の時は、ヒノエと同じクラスだったんだけど、あいつ普通に道徳の時間になると教室から逃走してたよ。よっぽど良い子を押しつけられるのが嫌だったみたいだな」
「はあ、そんでその時間、ヒノエ先輩は一人ぼっち、と」
「いやいや。少なくとも三年の時は一人じゃなかったぜ。オレがいたから」
「ということは……」
「イエス! ヒノエのケツを追い掛けて、一緒にサボりました。いやー好きな子と二人で授業をサボるなんて、こう青春って感じでいいよねえ。ヒノエが道徳を憎むなら、オレは道徳嘲る者になる」
 天野先輩は手をグッと握り、しみじみとした顔で回想に浸っていた。
「道徳嘲るか……」
 天野先輩が何気なく言った言葉を俺は噛みしめた。
 道徳。
 それは俺が親から教わらなかったもの。
 社会生活を送る上で、必要なものだと常識人は口にする。
 でも、結局、俺にはその感覚は欠けたまま。幼い頃に手にいれ損ねた常識は、きっともう身に付きやしない。だから道徳の代替品として、俺は賞と罰で自分を律するしか手段がない。
 それはきっと、綱渡りに等しい行為。
 そんな壊れた心の機能が、いつか誰かを傷つけてしまわないことをただ祈るしかない。
 そんなことを考えると、自ら進んで『道徳嘲る』なんて言えてしまう天野先輩が、やはり妬ましかった。
 なので、最後に一つ気になったことだけを聞いて、対理事長用プレゼン資料作りに移行することとする。
「なあ、そこまでヒノエ先輩のことが好きなのに、どうしてアンタは魔法研究部に入らなかったんだ? ケツを追いまわすならそっちの方が好都合だろう?」
「ああ、それ。オレも魔法研究部に入ろうかな、と思ったんだけどね。ヒノエが言ったんだよ。『お前が魔法研究部に来るなら私は魔法研究部を辞める』と。どうにもオレを避けたがってるみたいだね、ヒノエは」
「単なるツンデレだったりして」
「だったらスゲー幸せなんだけどね」
 天野先輩はただただ苦笑するのみだった。

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