アルカナ・ナラティブ/第5話/15

 カウンセリングルームは、本館校舎一階にある。本館校舎一階は、調理室や生徒指導室などの特別教室、あるいは応接室や小会議室といった生徒とは無縁の部屋があてがわれたフロアである。
 一般教室があるわけでもないので放課後になると、学校特有の活気や賑やかさとは縁遠い。離れたところにある下駄箱から、帰宅する生徒の声が聞こえるが、距離によって減衰した声では寂寥感が増すばかり。自分たちだけ異次元空間に放り込まれた気分。
 放課後になっても、結局陸原は姿を現さなかった。天野先輩の話では、裏で陸原への交渉を頑張っていたメンタルヘルス部員はいたらしい。しかし、陸原を学校に召喚するには至らなかった。よって、昼休みに計画したとおり、俺と周防と天野先輩の三人でスクールカウンセラーを訪問する運びとなった。
 天野先輩がカウンセリングルームの扉をノックする。すると、中から、
「どうぞ」
 声がした。抑揚のない、酷く事務的な声だった。
「失礼します」
 まずは天野先輩から部屋に入る。ついで、周防、俺と続く。
 扉が放たれると、すぐに二十代後半くらいの女性の姿が視界に入ってきた。スクールカウンセラーその人だ。実際に対面したことはなかったが、顔だけなら知っていた。今年からこの学校に配属されたということで、始業式の日に生徒たちに挨拶する姿がうっすらと記憶に残っていた。
 俺はすかさず、部屋の奥のデスクに座っていたカウンセラーに向けて魔法【レンチキュラー】を発動。
 同時に俺の頭に激痛が走る。
 それは俺の持病みたいなものだった。人を騙すと頭が万力で締められたみたいに痛むのだ。医者の診断では、脳には異常はないらしいので心因性のものだ。
 頭痛は激しいものだったが、ここでよろめくわけにはいかない。気合とか根性とか情熱とか、そこら辺の非合理的なノリだけで姿勢制御。
 これで俺の姿は陸原に見えているはず。
 カウンセラーは、
「あら、今日は陸原さんと部長さんの二人で来ると聞いていたのだけど、もう一人の子は誰かしら」
 不思議そうに周防を見ている。
 未知の男子生徒がいるはずなのに、そこには触れない辺り、魔法は効いているようだ。
「彼女は一年の周防氷華梨さん。メンタルヘルス部の部員じゃありませんが、今回の件で興味があるらしいので、同行してもらいました。マズかったですかね?」
 と天野先輩。
 カウンセラーは、しげしけと興味深そうに周防を観察する。
「私側からは特に問題はないわ。ただ、事前に連絡をしておいてくれると有難かったかしら。まあ、それについてはとやかく言及するのはやめておきましょう。はじめまして周防さん。私はスクールカウンセラーの淵井杏《ふちい・きょう》。以後お見知りおきを」
 にこりと笑うと、周防に右手を差し出す。
 周防は淵井先生の手を握ると、
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 会釈するが表情はどこか硬い。営業スマイルができないのは痛いが、八方美人にへらへらしないのは美徳と言えば美徳だ。
「立ち話も何だから、とりあえず座りなさい」
 カウンセリングルームには、カウンセラーの仕事机以外にも、テーブルと四脚の椅子が置かれている。俺たちはそれぞれ椅子に座る。それと同時に淵井先生も席を仕事机から移動。
「では、話を聞きましょうか」
 口元を緩く湾曲させ、淵井先生は手を組んだ。淵井先生は、ありていに言って、妖艶な雰囲気を漂わせている女性だった。この世に夢魔がいるとすれば、きっとこんな感じなのだろうな、とか想像してしまうようなタイプの容貌だ。
 どことなく、全てを見透かされてしまいそうな視線。とはいえ、【レンチキュラー】が効いているのは、疑いようもない。俺は陸原に成りすまして騙る。
「先生はどこまで私のしたことを把握していますか?」
 まずは、この先生が持っている情報の確認から入る。こちらに都合よく話を組みたてるには、まず相手のことを知る必要がある。
「そうねえ、陸原さんが大勢の前でリストカットに及んだことと、その一件が元になってメンタルヘルス部があわや取りつぶしになりかけている、という点はそちらの天野君から聞いているわ」
 組んだ手の上に、顎を載せて、視線を天野先輩に送る淵井先生。
 品定めするような態度。
 俺は以前、ちゃんとした資格を持った人にカウンセリングを受けた経験がある。それは、詐欺で捕まった際に鑑別所で受けたものだった。
 そのときのカウンセラーは、淵井先生とは違い、オープンそうな人柄の人物だった。しかし、淵井先生には、その受容的な態度というか、親身になって傾聴しようという態度が見られない。
 それは、人が違えばカウンセリングでの態度が違うからなのか。それとも、今の淵井先生は俺たちをクライエントではなく、交渉相手として品定めしているからなのか。
 なんとなくだが、後者な気がした。世の中には、仕事になるとスイッチが入ったように人格レベルで態度を切り替えられる人間がいる。淵井先生はそういうタイプなのかもしれない。
 俺は、そういった淵井先生の性格傾向も視野に入れながら言葉を選ぶ。
「先生の言う通りです。だから、私は自分がしてしまったことの責任を取りたいんです」
「ほう、責任とは?」
「メンタルヘルス部を取り潰すといっている校長先生に、メンタルヘスル部を認めてもらうことです。そのために、淵井先生の協力を仰ぎたくて、私は今ここにいます」
「ふむふむ、それは興味深い話ね。どういう理屈で、私が協力すればアナタたちが校長に認められるという話になるのかしら?」
「それは――」
 俺は天野先輩に視線を送った。
 天野先輩は頷くと、持っていた資料を淵井先生に差しだす。
「詳しい計画は、この資料にまとめてある通りです」
「これはご丁寧にどうも」
 資料を受け取った淵井先生は、内容に目を通していく。……物凄い速度で。
 ページをめくる速度が尋常ではないが、斜め読みをしているわけでもなさそうだ。淵井先生の視線は反復横跳びでもするがごとく移動する。それはさながら覚醒しながらする高速眼球運動。
 いわゆる速読というヤツだ。噂には聞いたことがあったが、実際に出来る人に会うのは初めてなのでちょっと感動。
 淵井先生は、五千字プラス概略図付きの資料を、ものの一分もせずに読了。
 速読の威力、恐るべし。
 資料を読み終えた淵井先生は、
「大体、趣旨は理解できたわ。要するにアナタたちは私に部活の顧問をして欲しい、というわけね」
 五千字に及ぶ骨子を一言でまとめる淵井先生。しかし、その顔は難しそうな表情を浮かべていた。
 その表情から予期されるように、淵井先生は告げる。
「一言で言って、無理ね」
 残念そうに視線を落としながら、淵井先生は言った。
 あまりに早急にはじき出された結論に、俺は眉をひそめる。好展開とは言い難いが、最悪の事態とはまだ考えていない。交渉は始まったばかり。最初の反応が芳しくないからといって素直に引き下がるのは馬鹿のやることだ。
「どうしてですか?」
 ここで感情的になっても仕方ない。目の前のカウンセラーが首を縦に振らないのは大きな障害だ。しかし、俺はこの障害を乗り越えなければならない。障害を乗り越える上で重要なのは、障害の高さをまず吟味すること。
「まず最初に、私もまだまだ勉強中の身だということが挙げられるわ。いくら資格を持っているとしても、私はまだまだ若輩者。力の及ばない人間が、顧問という指導者の立場になってしまっては、かえってアナタたちを混乱させてしまうわ。プロである以上、私は最高の仕事をしたい。けれど、今の私は力不足。無責任なことをしたくないの」
 申し訳なさそうに淵井先生は、淡々と述べていく。
「そんなことありません。いくら先生自身が力不足と思っていても、それでも私たちの知識や技術と比べれば、それは雲泥の差です。だから、そんなに自分を卑下しないで下さい」
 俺は慎重に言葉を選びながら、淵井先生を説得する。
「それともう一つの理由としては、カウンセラーとクライエントがべったりとした関係になるのは良くないというのが挙げられるわ。カウンセリングというのは、あくまで決められた枠組みの中で行われるから意味があるものなの。カウンセリングルームという秘密を保持できる場所や、決められた時間。そういったクライエントを守れる環境があってこそスクールカウンセラーは初めて役に立てる。つまりは、カウンセリングルーム以外でアナタたち生徒と接してしまうと、その関係はなあなあになりかねない。私がアナタたちの顧問を出来ないというのは、どちらかというと、アナタたちの心の健康を思ってのことなのよ」
 俺はカウンセリングについては詳しくないが、先生が言うからには、そういうことなのだろう。
 ある意味で一番困る言葉を出されてしまった。
 アナタたちのため――それは一見すると、とても慈愛に満ちた言葉だ。言っている本人には悪意はないのだろう。それどころか善意から出た言葉と言えよう。
 ところがこの善意というヤツが曲者だ。善意というのは下手をすれば、並大抵の悪意よりもタチが悪い。
 淵井先生が、善意から断っているいる以上、その善意を上回るものが必要だ。餌で釣るというのも厳しそうだ。
 というか、ひょっとしてこの状況って俺らにとってのチェックメイト?
 そんな可能性が頭をもたげたが、そんな不安を頭から振り払う。
 最適の一手を考えろ。
 淵井先生はカウンセラーとしての理屈を引き合いに出して拒否している。ならば考え方は二パターンある。
 一つ目は、カウンセラーの理屈という土俵で戦う方法。しかし、これはカウンセラーという仕事について明るくない俺たちにとっては不利なやり方だ。よって却下。
 ならば、相手が引き合いに出す理屈とは別の観点から攻める手はどうだろうか。これならば、わざわざ相手の土俵で戦わなくてすむ。問題なのは、何を論点にして話し合うかだ。部を存続させつつ、かつ、淵井先生側の要求を満たせる方法……。
「先生が協力してくれなければ、メンタルヘルス部はオシマイです。そうなれば何人かの生徒は居場所をなくして、先生の元を訪れることになりますよ」
 半分脅しみたいな言い方だったが、しかし事実だ。
 メンタルヘルス部は昼休みに居場所のない生徒の、居場所づくりも担っている。その部が無くなったとあれば、それは少なからずスクールカウンセラーにも波及するはず。
「構わないわ。私はそういう子の心のケアをするためにいるんですもの」
 淵井先生は、臆することなく言い切った。
 こっちとしては切り札として切ったつもりの台詞だったので、次の言葉が見つからない。
 ヤバい。本当に、メンタルヘルス部が無くなってしまうかもしれない。
 考えろ。
 考えろ。
 考えろ。
 そう命じる声が頭に響くだけで、もはや頭が真っ白だった。空疎な思考が虚しく空回りするだけ。
 ここで終わりなのか?
 嫌だ。そんなのは嫌だ。
 絶望の重みが両肩に圧し掛かる。
 目まぐるしく頭の中を、様々な考えが通過する。でも、それは建設的な考えではなかった。このまま交渉が失敗したときに浴びされられる罵声とか、冷やかな視線とか、そういったものへの恐怖ばかりだ。
「先生、私の質問に正直に答えて下さい」
 俺の思考が混乱の極みに達そうとしたとき、横から声がした。
 声の主は周防だった。彼女は、怖いくらいに真剣な眼差しで淵井先生を捉えていた。
「何かしら?」
 半ば睨むような周防の視線に、超然と微笑みながら淵井先生は首を傾げる。
「淵井先生、アナタは部活顧問をするのに自分が本当に力不足だと思っていますか?」
「ええ」
「アナタは、決められた枠組がなければスクールカウンセラーは役に立てないと本当に考えていますか?」
「ええ」
「アナタが顧問を出来ないというのは、本当に私たちの心の健康を思ってのことですか?」
「ええ、そうよ。他に質問はあるかしら」
 まるで糾弾するような周防の質問に、淵井先生は涼やかに返していく。
 そして、周防は最後の質問をする。
「今私が質問した内容に、先生は全て嘘をつきましたね?」
 怜悧な視線で【女教皇】は、目の前の女性を射ぬいていた。

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