アルカナ・ナラティブ/第6話/10

 名壁が去った後の公園で陸原は、再度、俺と周防をその両手で掴む。力強いその手は少し痛いくらいだ。
 そして陸原は、
「――解除。これで魔法は解けたはずだよ」
 ゲームにありがちな派手なエフェクトがあるわけでもなく、俺と周防の魔法は解除された。極めて地味で、絵にならない幕引きだった。
 公園には地面に巻かれた餌に集る鳩の群れがいた。その鳩たちが魔法解除の瞬間、一斉に空へ飛び立っていけば、それはそれで象徴的だったのに、そんなことすら起きはしない。
 アルカナ使いの魔法は、世界の片隅でひっそりと生まれ、そして消えていく。
 陸原に言われ、俺は周防を確認する。
 相変わらず美麗な娘だな、と見惚れてしまう。
 だけど、それだけだった。
 この数日感じていた、それ以上の感情はもう湧いてこない。
 世界で周防だけが輝いて見えるような胸の高鳴りは、今はもうない。
 これも一種の失恋なのだろうか。
 胸が軋む。ようやく気づいた。それが例えニセモノの感情であっても、どうしょうもなく俺にとっては初恋だったのだ。
 胸がガランドウになってしまったかのうような感覚。明日になれば、こんなものはただの副作用か後遺症だと言えるようになっているだろうか。
 否、そうであらねばならない。
 俺と周防は友達で、その関係はきっとこの先ずっと変わることはない。
 周防も俺を眺めていた。
 けれど、俺とは違ってとても穏やかな表情だった。その微笑みは温かく、一服の絵にしてしまいたいほどだ。
「良かった」
 胸に手を当てながら周防は呟く。
 良かった? 何が?
 意味深な周防の物言いに俺は逡巡するが、やっぱりここは『ニセモノの想いが消えて良かった』と取るべきだよな。
「でも、本当にいいのか陸原? お前との約束は果たせず終いなんだけど?」
 この質問は極めて儀礼的なものだった。社交辞令といってもいい。
 名壁が去ってから、陸原は言ったのだ。俺たちに掛けた魔法を解除すると。
 それはつまるところ、もはや陸原自身が名壁へ未練を残していないという意味だ。
 俺たちは、陸原の申し出を素直に受け入れた。元々、魔法解除が第一目的であって、陸原と名壁をくっつける計画など、そのための手段でしかなかったのだ。
「魔法を解除した後に訊くなんて、瀬田って案外卑怯者?」
 クスリと陸原は笑った。
「あえて言うけど、嘘をつかないようにしているだけで俺は卑怯者だよ。十八番は言葉の文を操ることだしな」
 言ってから気づいたが、それって嘘をつくよりも性質が悪いな。嘘をつく詐欺師より、嘘をつかないで相手から金銭を巻き上げる詐欺師の方が何倍も高級で、何倍も悪質なのだ。
「そっか、私って瀬田はもう少しボーっとしてて、お人よしかと思ってたんだけど、全然人を見る目がないね。名壁にしてもそう。顔が良いから、ついクラッと来ちゃったけど、中身は最低だった。あーあ、私の恋って、どうしてこうも上手くいかないんだろう……」
 陸原は笑っていたけど、同時に泣いていた。表情は朗らかな笑顔のままで、しかし、両目からは涙が流れていた。
「どうして……どうして……」
 次第に笑顔は消え失せて、滂沱だけが残った。
 悪いのは陸原だ。人を外見だけで判断して、痛い目を見たのは自業自得。
 けれど、居たたまれない。
 どのような理由であったとしても、陸原が名壁へ抱いていた感情は立派に恋なのだ。俺と周防に魔法をかけたのは許せないが、しかし、今となってはそれも恋は盲目であることの証明。
 俺が許せないのは、陸原の想い、正面から向き合おうともしなかった名壁だ。
「泣くなとは言わん。これ貸してやるから、気か済むまで泣けよ」
 俺は陸原にハンカチを貸した。台詞がキザったらしいかなと思ったが、本心なので修正は加えない。
 人間、状況が許す限りにおいては、自分の感情には素直に従っておくべきだ。溜めこんだところでそんなものはいつか爆発するだけ。泣くって行為にはストレス物質であるコルチゾールを体外に排出するって意味合いもあるらしいし。
「なあ陸原、今回の一件はさ、一つの学びだと思えば良いんじゃないかな」
 横で泣いている陸原に俺は諭すように言う。
「学び?」
「そう、学び。人って誰でも後悔しない道を歩きたいと考えるものだ。でも、暗中模索で未来へと歩く者たちが最善の道を選ぶなんて中々できる話じゃないよ。時には失敗することもある。自分の選択に後悔して涙を流すことだってある。だけどさ、大事なのはきっとそれからで、失敗をその後の人生にどう生かしていくかなんだよ」
「何それ、お説教?」
 嗚咽交じりに、陸原は訊いてくる。
「単なる俺の自己満足の一人言だよ。気に入らないなら聞き流せばいいさ。俺にはね、人に言えないような過ちを犯した過去がある。その過ちからはきっと俺は一生逃れることはできない。でもね、逃げようとするんじゃなくて、面と向かって立ち向かおうとしたときに、ほんの少し、微々たるものかもしれないけど、背負うべき過去が軽くなった気がしたんだ。それはきっと、自分が過去の過ちから学ぼうとしたからだと思うんだ。自分の失敗を直視して、どうやって未来に生かすべきかを考えた方が建設的だ」
「例え、その過去とやらが失敗続きだったとしても?」
「陸原の失敗ってさ、『結局自分が酷い目にあった』で止まってるだろう? だから、その失敗は誇っていいものだよ。いつか自分の失敗を、笑って話せるようになったら、それは陸原が成長したってことだ」
「私にいつかそんな日が来るのかな?」
「それは陸原次第さ。選択するのは陸原自身だ。その選択で生じた成功も失敗もかけがえのない自分の一部だと咀嚼できるようになれると良いな」
 俺自身、ちゃんとできていないことを、他人に要求できない。なので、語尾は弱くなってしまう。
「そっか、そうだね。立ち止まってなんかいられない。よーし、これから私、女を磨くよ。自分を磨いて、良い男の方から自分に寄って来るようなそんなレディになってみせる」
「おお、勇ましい。てか俺、ここに一人肉食系女子を生みだしたのかな?」
「ふふ、そういうことだね。気を付けなよ瀬田。私の『良い男リスト』の中に、もう瀬田は入ってるんだからね」
「そりゃ光栄の至りだ。さて、大分暗くなってきたし、そろそろ撤退としようや」
「えー、私はもっと瀬田とデートしたい」
 大胆に迫ってくる陸原。
「だーめ。俺のスペックじゃ、暗い夜道で女の子を守る騎士になんてなれません。よって、危なくなる前に帰るべきだよ」
「ぶーぶー」
 陽気にブーイングなんぞしてくる陸原。その陽気な態度から察するに、彼女は今回の一件で自分の心に一区切りつけられたようだ。

   ◆ ◆ ◆

 帰りの電車の駅のホームで、俺と周防は陸原と別れた。俺と周防は快速電車、陸原は普通電車に乗り込んだ。
 幸運にも二人掛けの席が空いていたので使用させてもらう。その際、体の弱そうな老人や妊婦さんがいないのを確認するのは公共のマナーだぜ。
 学年一の美少女である周防と二人きり。クラスメイトでカノジョがいない連中が目撃したら、嫉妬に狂うことであろう。アメリカンスタイルなら射殺されかねないな。日本の銃規制に感謝。でも、刃物で襲われた場合は対処しきれない。お腹に週刊誌を装備しているわけでもないし。
 とか、阿呆な思考を巡り巡らせることで脳のリフレッシュ。今日は疲れた。体力的というよりは精神的に。
 よくよく考えれば、何が悲しゅうて、この前まで赤の他人だったヤツの恋の応援をしなければならないのか。
 今回のダブルデート計画の提案者である天野先輩には、後でくどいぐらい愚痴と怨念の籠ったメールを送呈だ。
「今日は散々だったな。名壁まで出てきて、周防としては最悪の休日だっただろう?」
 横で気難しく黙っていた周防の表情をほぐすべく声を掛けた。
「そ、そんなことなかったよ。最後には翔馬がどうにかしてくれたから」
 きょとんとし、周防はブンブンと腕を振った。
 慌てたような態度に、俺も虚を突かれた気分になってしまう。黙考しているところに急に声を掛けたのは思慮が足りなかったかなと反省。
「俺、どうにか出来てたかな? 公園でのことは結構行き当たりばったりだったぜ。正直、自分では奇跡だと思ってる」
「結果だけ見れば、翔馬は私を守ってくれたよ。私に迫ってくる名壁に対して堂々と対処して、その、えっと、凄く格好良かった」
 周防の最後の言葉に、思わずドキリとしてしまう。こ、こいつ俺をおだてて木に登らせるつもりか。周防におだてられたら世界の頂きすら目指せそうだぜ。なので、ここは逆にクールになるんだ瀬田翔馬。
「堂々としたといえば、周防だってこの数日、相当なものだったぜ。陸原の魔法に掛けられても、普段通りに俺と接してくれた。静かな水は深いって言葉を思い出させてくれたぜ」
 逆に相手を褒めて、自分の気恥かしさの解消を試みる。
「私もちゃんと翔馬に恋をしてたよ。でも、翔馬から見て私は普段と変わらない態度だったんだ。……翔馬はもう、私に恋心を持ってないんだよね」
「おう、安心しろ。もうお前に対して鼻の下を伸ばしたりはしないぜ」
 親指をぐっと立てて、快活に笑ってみせる。
「そう……なんだ。ねえ、翔馬。最後にどうしても言っておきたいことがあるの」
 真剣な眼差しで俺を見据えてくる周防に、俺はどぎまぎせざるを得ない。
「なんだ?」
 平常心を装いつつも、俺は若干ビビっていた。
 言いたいこと? 今日一日を改めて思い返してみる。ダメ出しを受ける要素は多分にあった。
 ここが御座敷ならば正座で身を正していたであろうほどに緊張した面持ちで俺は受け答える。
「んっと、ここだと人が多いから、人が少ないところで話したいな」
「だったら、俺が降りる駅でお前も一端降りるか? 駅を出たところがペデストリアンデッキになっててるんだけど、休日のこの時間帯なら人が少ないと思う」
「じゃあ、そこで話す。ごめんね、急に我儘を言い出して」
「構わねえよ。あ、でも、厳しいご指摘の場合はなるべくオブラートに包んだ言い回しで頼む」
 当方はヘタレですからね。ノミの心臓ともいう。
 マゾっ気はないので、周防の鋭い目つきで糾弾された日には心に傷を残すことになりかねない。
 俺の家に最寄りの駅で降りる。
 駅の構内を抜けると、そこはペデストリアンデッキにになっていた。
 稀に現れる通行人がうざったいので、俺たちはデッキの一番隅にあるベンチに腰を掛けた。
 もうすっかり夜だった。街明かりが賑やか過ぎて、空に星は見えない。しかし、半分の月が下界を見下ろすように中空でひっそりと輝く。
「さて、じっくりと話を聞かせてもらおうか」
 俺はなるべくベンチに深く腰を掛けた。浅く座ると、ビビっているのがモロにバレそうだからだ。何事も心構えをしっかりする、というのは難しい。そういう場合は形だけでもしっかりさせておけば、案外と様になってくるものだ。
 周防は真剣な顔で俺を見つめてくる。
「翔馬って確か陸原さんに掛けられた魔法が、初恋だったんだよね」
「といっても、魔法が解除されたから、その想いはもう消えちまったんだけどな。」
「ねえ、翔馬。どうして私が、陸原さんに魔法を掛けられてから、普段と変わらない態度だったかわかる?」
「それは……周防の心が強いからじゃないのか?」
「違うよ。私はね、ずっと翔馬に恋心を抱いていた。本当はずっとドキドキしっぱなしだったんだよ」
「だったら、どうして?」
「そんなの決まってるじゃない――私がずっと、陸原さんに魔法を掛けられる前から翔馬に恋をしていたからだよ」
 時間が止まった。
 周防の言葉を咀嚼するのに何十秒もかかった。
 ……周防が俺のことをずっと好きだった? そんなこと在りうるのか?
 俺の戸惑いを無視するように、周防は言葉を続けた。
「翔馬、魔法が解けて、アナタの初恋は失われてしまったのを承知で言うよ」
 一拍置いて、そして周防はその言葉を口にする。

「――もう一度、私に初恋をして下さい」

 それは、完全に、完膚なきまでに、周防からの俺への恋の告白だった。
 俺の脳が、処理能力の限界を越えた。
「ちょ、ちょっと待て周防。だって、お前、陸原に魔法を解除してもらったとき、『良かった』って言ってたじゃないか。あれって、俺への恋心が無くなって『良かった』って意味だろう?」
「違うよ。あの『良かった』は、魔法を解除されても、翔馬への想いが消えないで『良かった』って意味だよ。本当はね、凄く怖かったんだ。陸原さんの魔法を解かれたときに、元から私が持っていた翔馬への想いも消えちゃうんじゃないかって。でも、実際にはそんなことはなかった。だからあの時は本当に安心したんだ」
「おいおい、だったらどうして、解除に応じたんだよ?」
「恋をしている相手が私に対して恋心を持ってくれてても、それがニセモノだったら嬉しくないから。それに勝算はあったんだよ。陸原さんの魔法はあくまで『異性同士を両想いにさせること』だったから。だったら、魔法が解除されることは『両想いじゃなくなる』ってことを意味しているだけで、私の想いが消えるとは限らないじゃない」
 なんて肝の据わった考え方。やっぱ周防は外見だけじゃなく、中身も優れた女性だ。
「なら、今回の一件って陸原が周防に魔法をかけなくても、周防は俺に恋をしていた、と?」
「そうだよ。今回の一件は、完全な陸原さんの空騒ぎ。こういう言い方もどうかと思うけど、彼女にとっては無駄骨だったてわけ」
 なんていう真実。これ、陸原が知ったら、また落ち込むかもしれないな。
「どうして、このタイミングで告白を? いや、そもそも、どうして俺なんだ? 他に良い男なら一杯いるだろうに」
 疑問の増殖は抑えられない。周防ほどの美少女なら、カレシなんて選びたい放題だ。
「何故今かなんて訊くのは無粋だよ、翔馬。でもしいて言うなら、翔馬の魔法が解けたからかな。私は自分の好きな人が、自分に恋をしているという嬉しさを知ってしまった。だから、それを手放したくはないの」
「だったら、陸原の魔法解除を拒否すれば良かっただろう。どうしてお前、今日のダブルデートに参加したんだ?」
「翔馬が私を好いてくれる理由が、単なる魔法じゃ嫌だったから。私を好きになってもらうなら、魔法なんかじゃなく、正々堂々と、ニセモノの気持ちなんかじゃない気持ちで好きになって欲しかったんだ」
「周防、俺は知っての通り、元詐欺師の前科者だぜ? そこんところ理解してる?」
 つまるところ、問題はそこなのだ。周防は俺の過去を知っている。にも関わらず好きと言ってくる。そこが理解できない。
「もちろん承知してるよ。翔馬が起こした事件をインターネットで調べたりもした。だけど、私は翔馬のことを嫌いになれなかった。それどころか、アナタが背負っている罪を、少しでも癒してあげたいとさえ思った」
「共依存って言葉知ってる?」
「知ってるよ。知っててそれでも私はそう思った。私の想いって重たいかな」
「重いよ。怖いくらいに。ごめん。本当は周防の想いを真正面から受け入れたいのに、どうしてだろう、それが出来ない。周防が嫌いとかそういうのじゃなく、ともかく自分が許されることが怖いんだ」
 俺は以前、三国先輩が言っていたアッパーリミットという概念を思い出していた。人によって堪えられる幸福には上限がある。その幸福の上限を超過すると、人は逆に不安や恐怖を感じるようにできている。要するに『幸せすぎて怖い』という状態だ。
 三国先輩によれば俺はアッパーリミットが壊滅的に低いらしい。
 周防が俺を好きと言ってくれるのは嬉しい筈なのに、幸せなはずなのに、俺に言い知れない恐怖が圧し掛かってくる。
 そして、そんな度し難い臆病者は、どうしょうもない台詞を吐きやがった。
「一週間待ってくれ。それまでに考えをまとめさせて欲しい」
 言ってから激しい後悔が胃の腑からせり上がってくるが、一度言った言葉は取り消せない。我ながら情けなさ過ぎる。
 むしろ、これで周防が幻滅してくれた方が幾分か気は楽だった。
「わかった。今日はいきなり過ぎたね。でも、一週間だけだよ。それ以上は待てない。きっと堪えられないから」
 負債を負ったのは俺ではなく、周防の方だ。
 待たされるのは辛い。そんなことは考えるまでもない。なのに、俺は周防に辛い思いをさせる道を選んでしまった。
「じゃあね、翔馬。今日は一日一緒にいられて凄く幸せだったよ。月曜日、また学校で会おうね」
 そして、周防は去っていた。
 一週間。
 その間に俺は決断しなくてはならない。
 周防の告白にOKするか、NOと言うか。
 どちらにせよ、もう今までの関係ではいられなくなる。
 ベンチに座ったまま茫然と空を眺めていた。夜空で煌々と半月が輝く。その夜の女神が『アナタはどうするのです?』と詰問してくるように思えた。

【VI・恋人達】了

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