アルカナ・ナラティブ/第7話/01

 人生は初見殺しの連続だ。
 青天の霹靂どころか、隕石が降ってくるような事態だって容易にありうる。
 先週末のこと。俺は同級生の一人に告白された。
 あえて言おう、告発ではなく告白だ。
 相手は周防氷華梨――学年一の美少女と評される女子だった。普段は氷のようにクールな印象を纏っているのに、笑うと華のように艶やかになる我がクラスの美姫。男子共はゴット・セイブ・ザ・クイーン状態。
 そんな美少女がヘタレ草食系男子に恋をしたのだ。『それ、なんて恋愛シュミレーションゲーム?』とかツッコまれてもやむなしだ。
 けれど、俺の彼女への返事は、情けなさを極めた。
 一週間、考える時間をくれ。
 自分の優柔不断さに後で激しい自己嫌悪に襲われた。思慮深いなんて言葉には換言できないほどに俺は怯えていた。
 他者から告白されるというのは、その人物から好意を持たれていることに他ならない。人から好意を示されるのはとても幸せなこと。
 けれど、俺にとってはそれが罠だ。
【女帝】のアルカナ使いである三国先輩曰く、人には耐えられる幸せの限界――アッパーリミットがあるという。アッパーリミットは幼い頃に他者から認められずに育った人間ほど低くなる傾向にあるらしい。
 今、三国先輩に遭遇したら、アッパーリミットがエライ具合に超過しているとか言われるんだろう。
 周防から告白されたことは、嫌じゃない。むしろ嬉しい。ただ、二つの点から戸惑いを覚えているだけだ。
 一つ目は、人から恋の告白をされるなんて今までの人生では無縁な出来事であったという点。だってそうだろう? 中学に上がってちょっと経つまで裏街道しか世界を知らなかった。詐欺師から足を洗ってからは学校にも通わないで半分引きこもりみたいな生活。はっきり言って、異性と関わりを持つ時間すら無かったような人間だ。
 もう一つは、告白してきた周防を、俺はずっと友達だと思っていたことだ。そりゃ、確かに美人だなと見惚れることもあった。でも、それは美術品を鑑賞しているような感覚で、恋心は含有されていなかった。
 だからこそ、周防からの好意の正体が、まず俺には意味不明だった。意味不明で慌てふためいて、その幸せの意味に怯えた。
 あれから週が明けて、今日は月曜日。流石に俺の渾沌とした感情も、整理がついてきた。
 俺は周防が嫌いじゃない。俺は周防が好きだ。だけど、それは「好き/嫌い」の二分法に当てはめたときの好きであって、恋心かどうか判然としない。
 いや、遠回しな言い方はやめよう。哲学者を気取ったところで、問題は解決しない。
 俺が周防に対して抱く想いはたった一つ。
 ――俺は、周防に幸せになって欲しい。
 中学時代にイジメに遭い、酷いカレシに乱暴されかけ、リストカットにまで走った周防。だけど、高校では彼女の行く道が光溢れるものであって欲しい。
 だから俺は迷うのだ。
 周防は俺と一緒にいて、幸せになれるのだろうか。
 元詐欺師という十字架を背負った俺は、周防にふさわしいのだろうか。
 彼女が俺といて幸せになれる保証はどこにもない。
 さりとて、それを理由に周防から離れるのも、幸せから逃げているような気がする。つまり、アッパーリミットの低さに振り回されているようで癪に障る。
 結局全てが中途半端。
 せめて期限までに自分の心をしっかり整理せねば。
 俺に本気で告白してきた周防に、中途半端な気持ちで応えるなんてマネだけはしたくない。

   ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 朝、始業前の教室は、まあいつも通りだ。
 週末の出来事を駄弁っているヤツもいれば、今日発売の漫画雑誌を読んでいるヤツもいる。ちなみに校則の上では学業に関係の無いもの(つまりは漫画雑誌)は学校へは持ち込み禁止。さりとて、それを注意する者はいない。このクラスの生徒代表たる学級長の俺からして放任主義なのだから致し方ない。むしろ、読み終わったら貸してもらうつもりだ。
 俺はクラスでのツレである『軍曹』熊沢と『少佐』犬養と、週末に観たテレビ番組について話していた。
 今週の磯野家の話題から、珍獣ハンターの豪傑っぷりまで、テレビの話題だけでも結構盛り上がれるものだ。
 周防と週末デートしていたことは言わない方針だ。熊沢と犬養のことは信用に足る人物だとは思っている。けれど、ここで週末デートの話をしてしまったら、ことの顛末まで話す運びになりかねない。俺の心情として嘘をつくのは断固拒否。さりとて、周防から告白されたと正直な話をすれば、周防まで根掘り葉掘り聞かれる対象になりかねない。
 返答を保留している現状、周防から告白があったという事実を隠した方が無難。
 これは隠蔽ではない。口が固いだけだ。とか自分に言い訳しないと、罪悪感で潰れそうだ。
 十分ぐらい話していると、あらかたテレビの話題も出つくす。終いには磯野家長女が予告でしてくれるジャンケンの勝敗まで話す始末だった。
 ちなみに俺と犬養は勝利、熊沢は敗退。うちのクラスでは、そのジャンケンで勝つと、その一週間幸せに過ごせるというジンクスが誠しやかに囁かれていた。非科学的だが、そういう馬鹿話は嫌いじゃない。
「そういえば、今日から教育実習生が来るんだったよね」
 テレビの話題が完全に尽きたところで、犬養が思い出したように言った。
 犬養の示唆する通り、今日からうちのクラスには教育実習生がやってくる。しかし、どんな人が来るのかは俺たち生徒には知らされていない。
 教育実習生がやって来るのが知らされたのは先週の金曜日、担任からだった。勿論俺たちは、やってくる教育実習生の人となりを質問した。だが担任曰く『事前に変な思い込みをすりこませたくない』とのこと。俺たちが知っている情報は担当科目が数学であるという一点のみ。
「お前ら、来るのは男と女のどっちだと思う?」
 犬養の言葉を拾った熊沢はテンションがチョイ高め。
「せっかくだから、女の人が来てほしいよねえ」
 平時の声ながら、それでも犬養からも淡い期待が感じられた。
 担当科目しか知らされていないのだから、性別に至るまで俺たちは知らない。
 だから、生徒たちは想い想いの人物像を描き出す。
 女子で夢見がちなヤツは『数学担当だから、きっと知的なイケメンが来る』と夢想する。反対に現実主義者は『数学=理系=オタク』という偏見に満ちた等式を作っている。
 男子は馬鹿なもので概ね『数学担当だから、きっと知的で美人なお姉さんがやってくる』と妄想している。
 どれにせよ、『数学担当だから』という極端に断片的な情報から、勝手な憶測が飛び交っている。これ、かえって写真見せるなりして、詳細な情報を与えた方が、やってくる教育実習生のハードル下げられたんじゃない?
 まあ、詳細な情報を与えたら与えたで別のデメリットが生じるか。
 物事は万事、三利あれば三寒あり。二つ良きものさてなきものよ。何かを得るためには同等の対価が必要。
「翔馬はどっちだと思う?」
「確率的にいって男じゃないか? 数学担当ってことは大学は理工系だ。理工系の大学なら男子学生の数が多そうだ」
 熊沢の問いに、俺は現実的な回答。勿論、確率論なのでハズレの場合もありうる。俺からすればクラスに波風立てない人ならどっちでもいいし。
「翔馬は夢が無いなあ。そんなんじゃ女にモテないぞ」
 いや、何だ、モテるモテないとかじゃなく、先週末に告白されましたけどね。……なんて口が裂けても言えない。
「考えてもみろ。年上でしかも美人のお姉さんが、わけのわからん数学を手取り足取り教えてくれるわけだぞ。このシチュエーションが何を意味しているかわからんのかね」
「ジャスト・モーメント! 教育実習生が女性であるというのはあくまで予測の域を出ない。仮に女性だとしても美人である確証はどこにもない。仮説に仮説を重ねるのは危険とは思わんのかね」
「否! それでも俺は夢を諦めない。年上こそ至上なり。金のわらじを履いてでも、年上のカノジョをゲットしたい。せめてヒノエ先輩の守備範囲に年下が入っていればなあ……」
「そこでヒノエ先輩の名前を出してくるか。まあ、好みは人それぞれだしな」
 ヒノエ先輩は、容姿だけなら美人。なので、そこに釣られても憐れむわけにもいくまい。ただ、黒マントという不思議なアタッチメントに目を瞑る豪放磊落さは必要だ。
 でも、ヒノエ先輩を本気で狙うなら、漏れなく天野先輩が恋のライバルとなる。けれど、十年来の片思いを続けている天野先輩に、どうしても肩入れしたくなるなあ。
 熊沢が夢と希望とロマンに胸を膨らませていると、始業のベルが鳴る。それと同時に担任の柳川先生が教室に入って来る。
 そして、入室するなり、柳川先生は教室の扉を閉める。
 今日の日直が号令をかけると、担任は教室を見まわし、欠席者の確認をする。本日の欠席者はゼロ。皆出席なのは良いことだ。
 クラスでのトラブルの種は、欠席した生徒から始まるのが相場である。ウェルカム・トラブルなんて言葉を俺は信じない。俺が学級長でいる間は、万事つつがなくクラス運営が進んで欲しいものだ。最近、事なかれ主義のお役人の気持ちを理解できるようになりました。
 出欠席を確認した担任は、出席簿を閉じる。
「さて、先週の金曜日に話した通り、今日からこのクラスに教育実習生の先生がやってきます。そう、まさにあの閉じられた扉の向こうに待機してもらっているのです! 大学生ということでピッチピチの二十代。つまり私と同じです」
「教育実習の先生は四捨五入しても二十代なので、先生とはビミョーに違うと思います」
 熊沢が反論。柳川先生はニコやかに、
「熊沢君は今日を自身の命日にしたいのかしら?」
「いやぁ、それは……、あ! 先生、今日はいつもに増して美人ですね」
「あら、ありがとう」
 柳川先生は剣呑な笑顔で暴徒熊沢を鎮圧。
 結論。女性の年齢に関しては一の桁を切り捨てることが長生きの秘訣。
「さて、話が脱線してしまったわね。外で待っているのも退屈でしょうし、早く入ってきてもらいましょう。それでは先生、どうぞ!」
 柳川先生が扉に向かって言うと、待ってましたと言わんばかりに扉は開放される。
「「「ウォォォッッッ!」」」
 教室から声が上がった。声はとてもむさ苦しかった。成分分析せずとも、その中に女子のものは含まれていないのが明明白白。
 どうせ、冴えない理系っぽいアンちゃんが入って来るのだろう。と高を括っていた俺は愕然とした。
 入室してきたのは女性だった。しかも、妖艶な雰囲気を纏った大人の女性系の美人。
 クラスの野郎共の妄想が具現化したかのような光景。
 白昼夢でも見ているのではないかと俺は目を疑う。しかし、疑ってみたところで不毛なだけだった。
「今日から二週間、このクラスで一緒に過ごさせてもらうアカサカ・ミチルです」
 教育実習生は挨拶してくる。俺の胸がにわかにざわめいた。
 アカサカ?
 嫌なヤツの顔を思い出してしまった。それはかつて周防に対して卑劣極まりない行為をした変態アルカナ使いだ。
 とはいえ、アカサカ(赤坂)など珍しくもない名字。
 とか、俺が一人で考えを巡らせていると、アカサカ先生はチョークを手に取る。
「ちなみに名前は漢字でこう書きます」
 カツカツと、黒板に白の文字が刻みこまれていく。俺の目にはそれが邪悪な呪文に映る。
『阿加坂満琉』
 阿加坂……。
 変わった名字っすねえ。
 ていうかこれ、明らかに【皇帝】のアルカナ使いである阿加坂光栄の親類縁者であるフラグじゃねえか!
 この教室の中にフラグブレイカーの方はおられませんか?
 俺は慎ましく生きているだけなのに、どうしてトラブルの方からやってきやがる……。
 全く以って、人生は初見殺しの連続だ。

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