アルカナ・ナラティブ/第7話/04

 駅構内は人の往来がせわしない。スーツ姿のサラリーマンやOL、学生服姿の中高生。中にはこれから夜勤という人もおられるだろうが、基本的にこれから家路につく者が大半だ。なので、朝のようにせわしなく早足で移動するものは少ない。
 渾沌としながらも、ゆったりとした時間が流れていた。
 現在、夕方の六時半過ぎ。俺は地元駅にやってきていた。
 帰宅自体はすでに済ませてある。なので、駅に再度やってきた形になる。
 俺の目指している先は、駅構内にあるコーヒーショップ。全国展開されているチェーン店だ。
 今回の俺は、単にコーヒーを飲みに来ただけではない。むしろ、この時刻の店内の様子を観察しにきたのだ。
 俺は、アルバイトを探していた。
 現在、この店ではアルバイト募集中だ。しかも時間帯は夕方から夜にかけて。高校生も可。
 通学に使う駅の構内にある以上、毎日見かけており、興味のある店だった。しかし、入店するのは今日が初めて。
 アルバイトに応募する前に、実際に店の雰囲気を知っておくのは重要なことだ。そのためには実際に客として入店するのが一番早い。求人情報だけでは場の空気という情報を察することはできないのだから。
 俺はレジに並びながら、客の入りや、店員の様子を観察する。
 流石に今の時間は帰宅時間とあって、大勢の客が押し寄せている。そして、それを裁く店員には機敏な対応が要求されている。
 賃金を貰う以上、キリキリと働くのは義務であろう。しかし、あまりに忙しすぎるというのも問題だ。バイト先の選択により好み出来るうちは、労働条件にはこだわりたかった。
 さて、今の状況から判断するに、この店の仕事量と給金はあっているのだろうか。
 俺は、厚生労働省の職員もかくやと言わんばかりの査定を試みる。
 トールサイズのキャラメルラテを注文し、受け取ると席につく。その際もレジカウンターを観察できるように席を取った。
 一歩間違えれば怪しい人だが、職業選びに妥協したくないのであえて人目は気にしない。
 人間観察をしていると、レジに並ぶ人の中に見知った顔を発見。
 俺の視線を感じたのか、その人物もこちらを向く。そして、目が合う。
 その人物とは阿加坂満琉先生だった。満琉先生は注文と会計を済ますと、俺の向かいの空いている席に座った。
「お前、一年五組の生徒だよな。名前は確か瀬田翔馬」
 言い方はぶっきらぼうだが、決して不快感を与えない歯切れの良さがあった。
 いきなりやって来て、いきなり名前を確認するとは、その行動力には恐れ入る。
「いかにも俺は一年五組の瀬田翔馬だ。まだ教育実習一日目なのに、よく覚えているな」
 実を言えば、阿加坂先生とはまだロクに喋っていない。昼休みは俺の方が教室にいなかった。この人が俺の名前を知る機会があるとすれば、帰りのショートホームルーム。うちのクラスではその時間を使ってクラス全員の自己紹介を行った。行ったが、三十人強いるメンバーを一度で覚えたとは考え難い。『一切の情報を忘れない』魔法が使えるヒノエ先輩じゃあるまいし。
「ん、アタシがお前の名前を知ってる理由? そりゃ、教育実習が始まる前にクラスの子の顔と名前を暗記したからさ。何せ実習期間が二週間しかないからね。事前に生徒に関する最低限の情報を頭に叩き込まないと教育実習になりゃしない」
「おいおい、そういう情報を言っても良いのか。嘘でも『自己紹介で印象に残ってただけ』とか言った方がベターじゃないのか?」
「嘘は面倒臭いからつかないのが主義なんだ」
 指をちょちょっと振って、ざっくばらんに満琉先生は告げた。
「それはまた素晴らしいイデオロギーをお持ちで」
「人を騙し放題な魔法を使える翔馬とは、あたしは正反対かもな」
 ブボッ。
 ストローから啜っていたラテを盛大に噴いてしまった。
 今、この人なんて言った?
「俺が魔法を使える?」
 何かの冗談かもしれないので、慎重に訊き返す。いや、飲み物を噴き出しておいて、慎重もクソもないかもしれないが。
「あー、隠し事とか面倒臭いから無しの方向で。朝の自己紹介で言ったろ、アタシはあの学校の卒業生だって。んでさあ、実はアタシも学生時代にアルカナ使いだったんだよね」
 なんと!
「でも、どうして俺の魔法の特性まで知ってるんだ?」
「今日の放課後に魔法研究部で研究書を見せてもらったからさ。私がアルカナ使いだったって言ったら、黒マントを羽織った女子生徒がすんなりみせてくれたぞ」
「行動が早いな」
「さっきも言ったように、教育実習の期間は二週間。それを有意義に過ごすためなら情報収集は怠らないさ」
 なるほど、情報収集の大切さを理解しておられるとは、この人とは馬が合いそうだ。
「情報収集ってのは大事だよな」
「んでさあ、うちのクラスに一人、ベラボーに綺麗な女の子いるじゃんか」
「周防氷華梨ですか?」
「イエス。【女教皇】のアルカナ使いの子だ。その子のことで、今クラスの女子が賑やかなんだ」
「女子が賑やか?」
 どうして女子? 男子だったらいつも周防フィーバーだから不思議ではないが。
「なんでもな、昨日の日曜日の部活終わりに周防ちゃんが、告白されたらしいんだ」
 ブボッ。
 再度俺はラテを噴出。
 ナ、ナンダッテー!
 お、落ち着け俺。周防は世の男どもを蕩けさせるほどの美少女なんだ。告白を受けても何ら不思議ではない。
「相手はどんなヤツなんです?」
 努めて冷静に、俺は訊いた。
「周防ちゃんの周りにいた女子の話じゃ、要するに王子様的なスポーツマンらしいぞ」
「それは、どういう?」
「バスケ部のキャプテンのナントカ君っていうのがお相手らしい」
「……ああ、目黒先輩とかいう人か」
 名前と噂だけなら聞いたことがある。何でも、爽やかなイケメンで女子から圧倒的な人気を誇る。スポーツマンで礼儀正しく文武両道。加えて強豪である我が校のバスケ部のリーダーという付加価値もアリ。これは女子からすれば憧れの的だ。
「そうそう、そんな名前だったな」
「クラス全員の名前を覚えても、そこら辺は覚えないんだな」
「阿呆言え。アタシは元々、人の名前を覚えるのは苦手なんだよ。五組メンバーの名前を覚えるのも一週間かかった」
 逆を言えば、そんなに前から、俺たちの情報を入手していたのか。と、それはともかくとして……。
「周防は、その先輩の告白にどう答えたんだ?」
「振ったんだと。でね、ここから面白い話なんだ。聞きたい?」
 嫌な予感しかしてこない。
「いえ、結構」
「ノリが悪いな。つーわけで、聞け」
 有無を言わさぬ強制イベントでしたか。ルート分岐なんてありやしねえ。
「噂ではね、周防ちゃんには他に好きな人がいるらしいんだな、これが。でも、周防ちゃん自身はそれを言明していない。君、あのクラスの学級長じゃん。心当たりない?」
 く、どう答えるべきなんだ、これは?
 この人、口が軽そうだ。なので秘密を明らかにしたくない。
 かと言って、嘘をつくのは自らの決意を揺るがす行為。
 どうすればいい、と考えあぐねることも許されない。沈黙は即、事情を知っていると判断されそうだ。
 なので俺は言った。
「……なくないわけでは、ないこともない」
 嘘じゃないけど、この言い方は酷い。自分がかなり嫌いになった。
「ほうほう、否定を偶数回繰り返すということは肯定か」
「情報処理が早いですね」
「忘れたのか? 私の担当教科は数学だ。論理学も守備範囲なんだよ。んで、周防ちゃんの好きな御仁って誰よ?」
 遠慮も容赦もなく訊いてくる満琉先生。これ以上の隠し事は不可能と判断し、俺は意を決する。
「俺だよ」
「マジで!?」
 賑やかに声を上げる満琉先生は、凄く楽しそうだ。彼女があまりに大声だったので、他の客の視線が一斉にこちらに向く。
「落ち着いてくれ。もうちょっと声のボリュームを下げてくれ。そしてこのことはクラスの連中には内密にしてくれ」
「落ち着くのと、声を小さくするのは了承しよう。でも、クラスの連中に喋らないかは、もうちょっとそっちの事情を聞いてからだ」
 満琉先生の目の輝きが増した。好奇心に心たぎらせる子どもの目だ。
 下手に隠しだてするのは、かえって状況を悪化させるだけなので、俺は正直に事情を説明していく。
「実は、この前の土曜日に周防に告白された」
「この前の土曜日って、一昨日じゃん。うぃ~。しかも、向こうから告白とは、やるなあ少年。んで、翔馬はなんて答えたの?」
「返事を考える時間をくれ、と」
 恥ずかしさから、満琉先生に目を合わせて話すことができない。ちらりと上目づかいで、先生を観察すると、無表情でぽかん、と口を開いていた。
「つまり、イエスともノーとも言っていない、と?」
「はい」
「おいおいおい、そりゃちょいとヘタレ過ぎだろう。女の子がそれやる分には奥ゆかしいけど、男子がやったら優柔不断なだけだ」
「いやはや、全く以って」
「んで、実際、君は周防ちゃんのことが好きなの?」
「それは、嫌いではありません」
「そういう遠回しな言い方は嫌いだよ。好きか嫌いかのどっちかだ」
「好きだ。俺は彼女に幸せになって欲しい」
「なら、問題解決じゃねえか。今すぐ会うなり電話するなりして、OKしちまえ。ちっとは待たされる身になって考えろっての」
 満琉先生は軽く言ってくれる。こっちの事情も知らないで。
「でも、俺といると、周防は不幸になるかもしれない。それに、さっき先生の話してた、バスケ部の王子様にも見染められてるっていうんだったら、周防は俺なんかよりそっちと付き合った方が何倍も幸せになれるかもしれない」
 胸の内を吐露すればするほど、自分の情けなさが明るみになる。
「うわ、何それ。そんなのただの逃げ口上じゃん。ていうか、お前さあ。モロに心にブレーキが掛かっちゃってるな」
「言い得て妙だな」
 確かに俺の心にはブレーキが掛かっているようなものだ。
 はっきり言おう。俺は周防が好きだ。華のようなあの笑顔も、人のことを気遣える優しさも、必要とあらば行動に出るまっすぐさも。
 でも、そんな彼女と自分が釣り合うのかと自問すると、答えは常にノーだ。俺は脛に傷をもった前科者。周防と釣り合うわけがない。
「アタシはね、アルカナ使いだった頃に人の心のブレーキが見えたりしたんだ。昔から、自分の心にブレーキをかけちまう輩ってのは絶えないってわけか」
「心のブレーキが見える? それが先生の魔法ってわけか」
「おうよ。魔法【アクセラレーション】――元【戦車】のアルカナ使いである阿加坂満琉の懐かしい思い出さ」
「今のアンタにも、人の心のブレーキとやらが見えるのか?」
「いいや、魔法は持ち越せないよ。ただ、魔法によって磨かれた人間観察力は持ち越せる。魔法ってのは、補助輪で自転車運転の練習をしていると思えばいい。高校を卒業する頃には、魔法なしでも、人が心にブレーキをかけてる様子は、所作や言動からわかるようになるもんさ。もっとも、魔法が使えた頃は見えるだけじゃなく、ブレーキを外せたりもできたんだけどな」
 軽く言ってのけるが、アルカナ使いだった以上は、その魔法はこの人なりのコンプレックスだったり心の壁だったりしたんだろうな。
「んでさ、これは人生の先輩であるお姉さんからのアドバイスなんだが――」
 急に真面目な顔になるので、俺は思わず息を呑む。
 そして、満琉先生は言うのだ。
「――リア充は爆発しろ。リア充になるのから逃げ回ってるヤツは死ね」
 その言葉は、歴史上の人物が残した至言であるかのように紡がれた。
 しかし、リア充などというネットスラング的な響きのせいで至言に特有の格調もクソもあったものではない。
「その言葉の引用元は、どこだ?」
 思わず訊いてしまった。
「前半部分はいわずもがなネットスラング。後半部分は私のオリジナル」
『リア充になるのから逃げ回ってるヤツは死ね』――一見するとふざけた言葉だ。しかし、俺には身につまされる。
 思い出すのはアッパーリミットという概念。俺が抱える低すぎる幸せの限界。
 俺はアッパーリミットに立ち向かっているつもりで、その実、本当は逃げ回っていたのかもしれない。
「なあ先生、俺は一体どうすればいいんだ。周防が好きなのに、周防が俺と一緒になった姿を想像すると、アイツが不幸になる姿しか思い浮かばない」
 だか俺の弱音を、目の前の女性は、
「知るか。そんなもの自分で考えろ」
 酷薄に切り捨てる。そして、満琉先生は自分のコーヒーを一気飲みした。
「ごちそうさま。こんな不味いコーヒー久しぶりだ。興が覚めたから私は帰る。せっかく優雅に授業計画を練ろうと思ってたのに台無しだよ」
 空になったプラスチック製のカップを持って、先生は立ち上がる。去り際に先生は、
「いいか翔馬。いくら考えても良い。悩んだっていい。それでも自分からは逃げるんじゃねえぞ」
 と言った。

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