アルカナ・ナラティブ/第7話/05

『リア充になるのから逃げるヤツは死ね』――それは俺にとって呪詛以外の何物でもない。
 ふざけた台詞回しの癖に、耳にこびり付いて離れない。
 好きな人と一緒になれたら、それはきっと幸せなこと。だから、周防と付き合えたらきっとそれは幸せなこと。
 ――だけど、俺に幸せになる資格なんてない。
 幾度とない思考実験は、幾度となく同じ結論に帰結する。
 ウジウジと優柔不断に考え込んでいるうちに、金曜日になってしまった。
 俺には今日の朝、周防から一通のメールが送られてきていた。
『先週の告白の返事を放課後に下さい。放課後、本館六階で待っています』
 先に覚悟を決めたのは周防だった。
 本館六階。そこは生徒の間では告白の聖地と呼ばれている場所だった。屋上が立ち入り禁止になっている我が校において本館六階は、生徒が立ち入れる最も高い場所だ。
 一般的に窓から見る景色というのは、階が上がるごとに壮観になるものだ。故に本館六階は我が校において一番の絶景が見られるスポットとなっている。
 加えて、本館六階には礼法室と被服室があるのみ。茶菓部と手芸部が共に活動していない火・木・金曜日は放課後にわざわざ立ち入ろうという輩はいない。
 校内一の絶景と人気のなさから、生徒の中には恋の告白を本館六階で遂げようとする者がいるとか。
 そんなスポットに呼び出しをするとは周防の本気がうかがい知れる。
 逃げてえ。
 締め切り間際なのに原稿が上がらない作家先生も、きっとこんな気持ちに違いない。
 あるいは、某ロボットアニメのヘタレ主人公が敵前逃亡したくなった気持ちが痛いほど想像できる。
 逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
 休み時間、クラスメイトの男子と話していても、何となく視線は周防を追ってしまう。
 クラスの女子と何気なく話している周防の姿。
 入学当初、対人恐怖症で笑顔を微塵も見せなかった周防からすれば雲泥の差。
 俺は周防が好きだ。中でも笑顔の周防が一番好きだ。
 俺はそれだけで満足なんだ。
 末永く、いつまでも周防が笑顔でいられるにはどうすればいいのか。それを考えれば、告白の答えなんて簡単に導き出される。
 そして、俺は一つの結論を出した。

   ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「よう翔馬、ちょっとツラ貸せや」
 四時間目の終了後、俺は恐いお姉さんに呼び出しをくらった。
 怖いお姉さんの固有名詞は阿加坂満琉。最近クラスではざっくばらんで飾らない性格が人気の教育実習生だ。
 四時間目が終わると同時に先生は、教室に乗り込んできた。特に拒否する理由がなかった俺はなし崩し的に人気のない本館一階に連れて行かれた。
 昼休みでなくとも本館一階は閑散としている。一般教室があるのは二階から五階までで、本館一階にあるのは校長室や小会議室。なので教師や来客が使うような部屋ばかり。あるいは端の方に素行の悪い生徒を指導する生徒指導室なるものがあるが、そこもやはり一般生徒には馴染みが薄い。
 本館一階の廊下で、話し込む俺と赤坂先生。
「翔馬は結局、周防ちゃんの告白にOKするの? それともしないの?」
 取ってつけたような前置きなど無し。よく言えば率直に、悪く言えば藪から棒に、阿加坂先生は訊いてくる。
「は?」
 あまりに単刀直入過ぎて、逆に面くらってしまう俺。
「告白だよ、コ・ク・ハ・ク! もう先週の土曜日から数えて一週間だ。これ以上結論を出すのに躊躇う時間はねえんじゃねえの、って話」
「それなら、結論は出てるよ」
「へえ、そうかい。んで、イエスとノーのどっち?」
「どうして、それをアンタに教える必要があるんだ?」
「いいだろう別に。減るもんじゃなしに」
 その厚かましさは保険勧誘のオバちゃん並だった。ウザったいが、話すまで開放してくれそうにはない雰囲気だ。
 なので言ってやった。
「答えはノーだよ。俺は周防と付き合えない」
 厳粛に言った。
 しばしの沈黙に支配される。
「どうして?」
 答えを聞いた満琉先生の第一声は、それだった。
「俺が周防を本気で好きだからだよ」
 俺は先生の瞳を真芯から見据えて告げた。
「んっと、好きならイエスだろうよ。言ってることがおかしいぞ」
「おかしくはないさ。俺は周防に幸せになって欲しい。しかし俺は周防を幸せにできない。よって、俺と周防は付き合うべきではない。簡単な三段論法だ」
「三段論法の枠組みとしては確かに正しい。ただし、結論へ至る為の小前提がおかしいな。どうしてお前に周防ちゃんを幸せにできないと言い切れる? むしろ、周防ちゃんはお前が好きなんだろう。だったら一緒にいてやるだけで、彼女は幸せなんじゃないのか?」
 それも至極まっとうな意見。だが俺は首を横に振る。
「短期的にみたらそうかもしれない。だけどさ、もう少し長いスパンでみたらそうじゃない。詳しい事情は言えないけど俺はね、過去に何人もの人間を不幸にしている。そのせいで死んだ人間だっているんだ。そんな汚れた手で周防に触れろと? この世で一番愛おしい人を抱きしめろと? そんなことできるわけないだろう」
 普段はサポタージュ気味な感情の波が一気に押し寄せてくる。涙が迸りそうになるのをぐっとこらえた。もしここで泣いたら、自分が間違ったことを言っていると認めることになる。
「それは逃げだな。結局テメーは自分の心にブレーキをかけてるだけだ」
 俺は答えない。答えないことでしか反抗できない。
 お互いの険悪な視線は虚空で火花を散らす。
 そして、口火を切ったのは満琉先生だった。
「死ね! タヒねじゃない。死ね! あー、畜生! まだ魔法が使えるんだったら、絶対そのブレーキを外してやってるっていうのに!」
 踵を返してズンズンと去っていく先生。
 彼女の糾弾を耐えきった俺は脱力する他なかった。
 教室に帰ることは憚られた。もし、阿加坂先生と鉢合わせしたら、どういう反応をすればいいのかわからない。
 完全に燃え尽き症候群の俺はそろそろと北庭へと移動。昼休みの間は、そこのベンチで何をするでもなく認知症老人のごとくボーっとするしかなかった。

   ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 五時間目のチャイムが鳴ってから俺は教室に入った。
 幸いにしてそこに阿加坂先生の姿はなし。
 俺が入ってきたのに続いて、五時間目の教科担当も入室。
「おーい、早く席につけ」
 教師に促されて、ようやく席に突き始めるクラスメイトたち。
 全員が席に着いたところで、先生は出欠席を確認し始める。
「えーっと、そこの空席は――周防か」
 教室には一つ空席があった。教室のほぼ中央に位置する席だった。
 周防がいない?
 どうして?
 今日は確かに学校に来ていた。
「誰か周防がどうしたのか知らないか?」
 教師の質問に生徒の一人が、
「昼休みの終わりごろに、調子が悪いからって保健室に行きました」
 体調不良?
 俺は引っかかるものを感じながらも、あえて口にはしない。
 そうやって周防を欠いた教室で授業は淡々と進められていく。
 俺は板書された文字や図解をノートに写すだけだった。先生の言うことは右耳から左耳へ馬耳東風。
 そうやって、五時間目、六時間目と過ぎていくが周防はついには現れなかった。
 ここまで来ると、体調不良というよりは、放課後まで俺に顔を合わせるのを憚っているようにも思えてくる。
 告白の返事を聞くのは放課後で、今はあえて俺と距離を置きたい。あるいは力を温存したいと考えているのかもしれない。
 好きと言った周防。それに応えられない俺。
 もしかしたら、放課後は修羅場になるかもしれないな。
 俺は、ボケっと窓の外を眺めらながらそんなことを考えていた。
 そして、帰りのショートホームルームを終えると、すぐに本館六階に移動した。
 六階廊下や被服室の掃除当番の人の邪魔になるであろうから、もう少し時間が経ってから本館六階入りを果たしても良かった。
 でも、俺は周防よりも早く約束の場所にいたかった。
 告白を断るなんて、失礼極まりないことをしようとしているのだ。せめてもの誠意を見せないと、本当に申し訳が立たない。
 そして、四時を過ぎる頃には掃除当番の生徒も用事を済ませて、本館六階は閑散としていた。
 俺は廊下の壁に凭れかかり、腕を組んで目を閉じ、黙考する。
 告白を断ったとき、周防がどう出るか、考えられる可能性を想像する。
 素直に受諾するパターンから、剃刀などの刃物を取りだされるパターンまで、一応極端から極端まで、どんな自体が起きても受け入れる覚悟は決めたつもりだ。
 黙考すること数分。
 ケータイがバイブした。
 周防だろうか、と思って取り出してみると、全く的外れだった。
 知らない番号からの通話だった。
 誰だろう?
 無視したい気分だったが、周防絡みだったら困るので電話を取った。
『ハローハロー、そちらは瀬田翔馬のクソヤローですか?』
 電話の主は軽薄な声でそう言った。
 声には聞き覚えがあった。
 俺はクソ忌々しい通話相手の名前を口にした。
「何のようだ、ウジ虫の王様・阿加坂光栄」
 電話してきたのは阿加坂光栄。【IV・皇帝】のアルカナ使いにして、ド変態ヤローだった。
「おいおい、そんな口を聞いてもいいのかな? 周防氷華梨の運命は俺の掌の中にあるんだけど?」
 絡むような声で阿加坂は言う。
「どういう意味だ?」
「クロロホルムって薬品知ってるか? あれってドラマとかで、人を失神させるのに使われるじゃん。ほら、ハンカチとか布にしみ込ませて。俺さ、本当に効くのか前々から疑問だったわけ。んで、折角何で試してみたわけよ。まあ、誰に試したかは言わんでもわかるよな?」
 楽しそうに、虫けらの腕をもぎ取るように楽しそうに阿加坂は笑った。
「テメーッッ!!」
「ハハハハハ、そうそう、怒れ怒れ。でもあんまり調子こいたことは言うんじゃねえぞ? 周防の身が大事だっていうんならな」
「お前いま、どこにいる」
「教えてやんね。でも隣にはすやすやと夢の世界に旅立った眠り姫がおられます。人質の場所は明かせないな。だから、お前さ、今から俺の言う場所に来いよ」
「どこだよ」
「本館六階の廊下」
「奇遇だな、今ちょうどそこにいるところだよ」
「ふーん。そうなんだ。じゃあ、ちょっとそこで待ってろ。直々に俺が行ってやるから。あ、そうそう、言うまでもないけどもしこのことを誰かに連絡したら周防がどうなるかわかってるよな?」
 念を押すように言うと、電話は切れた。
 クソ、何だって言うんだ一体。
 かくして、甘酸っぱい告白イベントは、塩辛い周防奪還のための交渉作業へと移行する。あるいは、もしものことがあったなら戦闘イベントに塗り替えることも厭わない覚悟を俺は決めていた。

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