アルカナ・ナラティブ/第7話/06

 平穏な放課後に溢れる音が階下から聞こえる。例えばそれは、吹奏楽部の人々が練習のために鳴らす管楽器の音色だったり、放課後も居残って友達と遊んでいる生徒の笑い声。
 きっと大多数のヤツらからすれば雑音に過ぎないであろう音の洪水も、俺が愛してやまない日常の一部。
 けれど、同じ校舎の一画だというのに、俺がいる本館六階はこれから闘争の場と化そうとしていた。まるでこの六階と、その下の階の間に頑なな岩盤で出来た地層でもあるかのようだ。
 俺が憎んでやまないのは、俺を『普通』の世界から引き剥がそうとする輩だ。
 だから俺は、階下から上がってくる怨敵の二人を、腕を組んで睨めつける。相手になめられまいとするためのポーズではない。心の底からの侮蔑だ。
 階段を上ってくるのは、俺を非日常に引きずり下ろした二人組。阿加坂光栄と槍先覚。
 阿加坂は鼻歌を交えながらポケットに手を突っ込んだ状態で軽快に階段を上る。段を踏み外して転げ落ちて死ねばいい。本気で俺は彼を呪った。
 一方、槍先先輩は阿加坂とは対照的に重厚な動き。手を硬く握り締め、腕を振り子状に動かし一歩一歩着実に段を踏みしめる。阿加坂満琉の件で同盟を結んでいた分、余計に憎たらしかった。
 階段の縁に陣取っていた俺を通り過ぎ、同じフロアに立った阿加坂は言う。
「お待たせしましたよ、っと。ちゃんと『待て』ができるとは、お前が犬だったらさぞ立派な忠犬になれていただろうな」
「もし俺が犬だったら、不審なヤツが近づいてきた段階で有無を言わさず、そいつの喉笛を食いちぎってただろうよ。俺が人間で、お前ラッキーだったぜ」
 嫌みの応酬。周防が人質に取られているからといって、言われっぱなしの俺ではない。
 余裕ぶっていた阿加坂の表情が、途端厳しいものに変わる。下品な笑顔が、子供じみた憤怒へと変化。
「あんまり調子乗るんじゃねえぞ? こっちには人質がいる。お前の言葉次第じゃ、周防は俺の仲間にあられもない姿にされんだぞ?」
 こんなヤツに仲間なんて出来るのか、という疑問が湧いたが、槍先の例もある。なにかしらの利権が絡んで阿加坂につくヤツがいたと考えれば一応の納得はいく。あるいは周防にちょっかいを出せるというのは一部の嗜虐的な人種からすれば涎の出る話なのかもしれない。
 人質がいるというのは厄介だ。それが周防というなら尚のこと。
 しかも、阿加坂の言いぶりから察するに、この場の状況は、阿加坂の仲間とやらにリアルタイムで伝わっていると判断できる。
 彼自身が盗聴器ないし隠しカメラでも持っているのだろう。あるいは、そんな高価な機器などなくとも、ケータイの通話機能をオンにし続けたままでも盗聴器の役割は果たせる。
 俺は不快感から舌打ちを鳴らす。
 それに満足したらしい赤坂は、再び下品に笑う。
「悔しいだろう。周防の運命はまさに俺の手の中にある。生かすも殺すも俺次第だ」
 西側の窓から射し込む陽光を背に、まるで世界の支配者気取りで阿加坂は語る。
 一方で槍先先輩は口を真一文字に結んで、なに一つとして語ろうとしない。硬く眼を閉じ、表情から彼の真意を掴むことは不可能に近い。
 どうして槍先先輩は、阿加坂のような外道に与する?
 それが阿加坂光栄のためだと本気で考えているなら馬鹿だし、阿加坂光栄に満琉先生との仲を取り持ってもらうための交渉条件だったとしたら愚かだ。つまり、どっちにしろ救いようがない。
 残念だ。槍先先輩はもう少し聡明な人物だと思っていたが、それは過大評価だったようだ。
「それで、お前の目的は何だ? 周防を襲いたいだけなら、俺を呼びだす必要はないよな。俺をわざわざ人気のないところに呼んだからには、それなりの理由があるんだろう?」
 俺は阿加坂に対して、目を細めながら訊く。
「そうそう、まさに今回の本題はそこなんだよ。俺はねえ、常々お前に復讐をしてやりたいと考えていたのさ」
 逆行を背負う形で、半ばシルエットになっていた阿加坂だが、その口元がより醜悪に歪むのだけはわかった。
「その復讐として周防への八つ当たりか?」
「違う違う。俺はもっとお前に直接的に苦しんで欲しいわけよ。だから、槍先を連れてきた」
「どういう意味だ? 黙って槍先先輩にボコられろって話か?」
「ニアピンってところだな。でも考えて見ろよ、せっかく周防を人質にとってるんだから、俺はそれをネタに無抵抗なお前をボコボコにできるわけだ。つーか、そっちの方が槍先にやらせるより手っ取り早いし、気持ちいいし」
「だったら、俺にどうしてほしいんだよ?」
 彼の不可解な物言いに、俺が苛立ちを感じていると、阿加坂はあっけらかんと言うのだ。
「お前、これから槍先と戦えよ。つまりさ、ここでお前と槍先が戦って、お前が槍先を見事に撃破したら周防を解放してやろうって話だ」
「随分と気前のいい条件だな」
 と俺は言うが、内心では彼の言葉を信じていない。阿加坂の言っている内容は支離滅裂だ。せっかく人質を取っておいて、俺が勝ったら周防を開放なんて話がうますぎる。
 訝る俺の表情を汲み取ったのか阿加坂は、頷く。
「人を見たら泥棒と思え。瀬田は実にお利口さんだ。俺はただ、お前が足掻く姿を観たいだけだ。周防奪還のために必死になって槍先と戦って、ボロ雑巾にされるお前。これはさぞかし愉快だろうな。でも勘違いするんじゃねえぞ。お前が負けたらその瞬間に周防にもボロ雑巾になってもらう。つまりだ。お前の勝利条件は、まず槍先に打ち勝ち、そしてその後に周防を奪還すること。ちなみに逃走はお前の負けを意味するので周防はバッドエンド確定」
 阿加坂が言うないなや、頑なに不動を貫いていた槍先先輩が動く。閉じられていた瞳が剣呑に見開かれ、拳を腰だめに構える。
「容赦はしないぞ、瀬田翔馬。恨みはないが、我が魔法【ブーステッド】の前に沈めてくれる」
 槍先先輩は深く息を吸い込む。
 すると彼の纏っている空気がにわかに変化する。もちろん、空気自体は目に見えないわけだが、それでも俺の脳内で危険信号が鳴り響く。彼の目は充血し、握られた拳の血管がよりくっきりと浮かび上がる。
「いざ、勝負!」
 槍先先輩が床を蹴り、勢いに体重を乗せた拳を、俺の頭部目がけて繰り出す。
 速い。しかし、動きは単純。
 俺は半身を逸らして、紙一重で彼の打撃を回避する。
 槍先先輩の動きが直線的だったからできた芸当だ。彼が腕を伸ばすよりも先に、つまり予備動作を取るより早い段階で俺は回避行動に移っていた。そうでなければ彼の疾風迅雷の攻撃は避けられない。武道の世界には先の先というものがあるが、まさにそれだ。
 彼の拳は俺の眼前十センチのところにあった。彼が拳を繰り出した瞬間に、重い風圧が俺を猛襲。強烈な負圧に俺の頭は彼の腕に吸い込まれそうになる。
 って、拳で人一人を吸いつけるってどんな攻撃だよ。まともに食らっていたら顔面骨折は確定だった。下手したら死んでいた。
 これはもう、取るべき戦術は一つしかない。
 殺られる前に殺れ。孫子も『兵は拙速を好む』という至言を残している。
 然るに俺は、拳を繰り出したことで隙だらけになった槍先先輩の腹部に、左膝で蹴りを叩き込む。
 その瞬間に激痛が走った。――俺の膝に。
 あまりの痛みに声すら出ない。
 まるで鋼鉄の塊に攻撃したみたいな感触。もはや彼の肉体は頑健なんてレベルじゃない。人型兵器といっても過言ではない。
 正直、槍先先輩の魔法を軽く見ていた。身体能力の向上と聞いて、単なる筋トレの凄いヴァージョンを想像していたが次元が違う。
 彼の魔法は、まさしく魔法だ。常人がいかに努力しようとも辿りつけない極地に到達させてしまう奇跡の術。
「どうした? 俺はまだ力の半分も出していないぞ?」
 彼の言葉は抑揚がない。俺の膝蹴りが全くの無意味であると言外に証明していた。
「全力を出したらどうなるんだ? スーパーサイヤ人みたいに髪が逆立つとか?」
 膝の痛みに耐えながら、俺は敢えて軽口を放つ。そうでもしなければ心が折れそうだ。
「その期待には残念ながら沿えないな。そもそも俺が好きなキャラはヤムチャだ」
 彼の発言はボケと取るべきか、マジと取るべきか。まあ好みは人それぞれだ。敢えて何も言うまい。
 俺は槍先先輩から視線を逸らさず、後ろずさりで距離を取る。彼が本気を出した場合どうなるかは未知数だが、先ほどの攻撃レベルなら、事前に距離を置けば避けられる。要は槍先先輩の軌道を読んでしまえばいいだけだ。
 問題なのはどうやって攻撃側に回ればいいかだ。
 魔法による肉体の強化。いっそ男子にとって禁じ手の金的でも食らわせてやろうか。けれど、魔法が相手である以上、それも無効化されそうで怖い。そもそも、初手から隙が生じる大ぶりの攻撃を仕掛けている時点で、槍先先輩には防御するという考えが無さそうだ。それは逆を言えば防御など端から考える必要がないと取るべきだ。
 つまり、現在槍先先輩は魔法という鎧に全身を包まれていると考えるのが適切。
 しかも、そんな相手であっても逃げた瞬間に周防に危害が及ぶ。
 彼の魔法が解けるのは、その特性上俺という対戦者を倒したとき。
 あるいはいっそ、阿加坂を人質にとってみるか? いや、それも最善手とは言い難い。この状況が盗聴されていると仮定すると、阿加坂が『仲間』とやらに指示を出せば周防がジエンド。そもそも、阿加坂を人質にとろうにも俺は刃などの凶器の類は所持していない。よって人質作戦は大前提として破綻している。
 手詰まりだ。そもそも勝利条件が存在しない勝負に、どうやって勝てというのだ。
 とか、考えていると、槍先先輩は悠然と俺に向かって歩いてくる。
 その様は敵地に進軍する戦車を彷彿とさせる。
 彼は今まさに人間兵器として、俺を踏みつぶそうと距離を詰める。
 万策尽きた俺は、後方に退くしかない。しかし、ここは建物内。無限に退路があるわけではない。
 やがて俺の背中は壁にぶち当たる。
 袋小路に獲物を追い詰めた槍先先輩だが、その表情は微塵も揺らがない。獲物を前に舌舐めずりする輩なら、出し抜けそうな気分にもなれたが、駄目だ。彼からは一切の隙を感じない。
 万が一の奇跡を信じて槍先先輩の横をすり抜けようとしたが、そこに待っていたのは強烈なラリアット。後方に吹き飛ばされる。ラリアットの衝撃と、壁にぶつかる衝撃で二重のダメージ。
 槍先先輩は容赦なく床に崩れた俺を蹴りつける。もはや勝負でなく、一方的な暴力と化していた。
 俺は負けるのか? 周防を助けることができないのか?
 薄れゆく意識の中で、俺の視界が滲んでいく。

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