アルカナ・ナラティブ/第7話/07

 槍先先輩からの一方的な蹴りを浴び続け、俺は満身創痍だった。
 呼吸は自然と浅く速くなる。けれど、未だ意識は飛ばず、朦朧としながらも俺は立ちあがる。
「随分痛めつけたつもりだったが、まだ立つか」
 槍先先輩から零れる言葉は、果たして侮蔑か感嘆か。かすれた意識では、そんなことすら分析できない。
「スゲー根性あるじゃねえか。それともドMなのかな? んん?」
 赤坂の罵声が聞こえてくるが、槍先先輩に集中したかったので返答は破棄した。それにこの状況なら下手な皮肉を返すよりも無視された方が、阿加坂の自尊心にダメージをあたえられそうだ。
「愚かだな。立ちあがるということは、まだ俺に挑むということ。まだ俺に挑むということは、更に痛い目に遭うということ。勝てない勝負から何故逃げようとしない」
 槍先先輩の言いぶりには相変わらず抑揚がない。勝利が九割九分確定してなお彼には油断がない。
「お前たちが周防に仇なす敵だからだ。周防の幸せを略奪するなら、そんな計画は俺が叩きつぶす」
 明確にして単純な理由。敢えて言う必要はないが、自己完結させない意味で彼らに宣言した。
「まるで周防を護る騎士みたいな言い分だな」
 阿加坂の不快そうな声。俺は、首を横に振る。
「騎士なんて格好良いものじゃない。俺は単なる周防の虜だ」
「ふーん、なら、やっぱお前はドM確定だ。まあ、周防が良い女っていうのは賛同してやるけどな。俺も周防の全てが愛おしい。俺だって彼女の全てを手に入れたいもんだよ」
「だったら俺とお前の想いは食い違っている」
 しみじみという赤坂に対し、俺は吐き捨てる。
「つまりお前は周防の全てを愛せないと? おいおい、自称でも周防の虜のくせに、そいつは実に不誠実じゃないか?」
 罵倒の言葉。残念ながらその通りだ。だから俺は言い訳程度に言ってやった。
「俺はさ、周防の全ては愛せないんだ。いくらアイツの笑顔に蕩けそうになっても、どれだけアイツの凛々しい姿に心震えても、それでも俺はアイツの全ては愛せない。アイツの悲しそうな顔や、苦しんでる姿なんて愛しようがない。けど、俺は周防を愛していたい。だから! アイツに冷酷な仕打ちをしようっていうなら、俺はそいつを許さない。どんな手を使ってでもだ!」
 叫んだ。叫んでから気づく。それが俺の本当の想いであると。
 周防に幸せになって欲しいが、俺には彼女を幸せに出来ない。だから、俺は周防と付き合うべきではない、と俺は考えてきた。否、考えるようにしてきた。
 だけど、そんなのは甘えに過ぎなかったんだ。俺はただ、周防を失うのを恐れていただけだったんだ。
 滑稽だ。『嘘は嫌い』とかほざきながら、自分自身に俺は嘘をつき続けてきたのだから。
 周防が欲しくて堪らない。それが俺の本心。
 霞んでいた視界が、急にクリアになる。心なしか体も少し軽くなった。
 裂帛の気合を以って、槍先先輩を見据える。
「良い目だ。実に羨ましい」
 槍先先輩は苦笑らしき表情を浮かべる。
「どの辺が羨ましいんだ? こっちは勝利の方程式が解けなくて、にっちもさっちも行ってないんだけど?」
 槍先先輩の不可解な発言を鼻で笑う。胸のつかえが取れて、舌の回りも絶好調だ。
「勝ちたい相手がいる、というのはそれだけで幸せなことだ。俺には、どんなに頑張ったところで、どんな魔法を身につけたところで、勝ちたい相手はこの世のどこにもいないのだ」
「その言いぶりだと、アンタの魔法の源になってるコンプレックスは、亡くなった兄に由来してるっぽいな」
 俺の指摘を受けて、槍先先輩は粛と頷く。
「いかにも。俺の心のわだかまりは、なにをしても兄に勝てなかったことだ。特に武道に関しては兄の足元にも及ばなかった。俺が勝ちたい相手は兄一人。故に魔法【ブーステッド】など無用の長物!」
「すると、アンタの阿加坂満琉を手に入れたいって想いは、兄を越えたいって辺りから来てるのかな? アンタの恋心は所詮はコンプレックスである、と?」
 俺の指摘に槍先先輩が、全力で目を瞬かせる。これまでの悠然とした態度が嘘のように動揺している。
 コンプレックスを突かれた人間は、ちぐはぐな言動を取るものだ。しかし彼の場合、それ以上のものを内包しているように見える。
 何をそんなに焦っているのだろうか。
「俺が兄を越えたかった理由を教えてやろう。それはな、俺が満琉さんが好きだったからだ。けれど、そのときには既に満琉さんは兄と付き合っていた。だから、俺は兄を越える人間になって満琉さんを奪いさりたかった! けれど、もう越えるべき兄はいない! だったら俺は、どうすれば満琉さんを手に入れられる。俺は誰に勝てばいいというのだ!」
 それまでの淡々とした語りはどこへやら。彼の言葉は迷える獣の咆哮であった。
「なら、自分に打ち勝てばいいんじゃねえの?」
 俺は呆れ、溜息を吐いた。
「なに?」
「誰かを好きだという気持ちを抑えつけるから話がややこしくなる。そりゃ、誰だってコンプレックスの一つや二つあるものさ。だけど、それを理由に本当の気持ちから逃げるのは大馬鹿者だ」
 彼も俺と同じ穴のムジナだ。好きな気持ちは抑えようがないのだ。止まらぬ想いを止めようとするのは、さながら猛る戦車を身体一つで止めようとするようなもの。愚か以外の何物でもない。
「ならば、お前はどう足掻く? 俺に勝たなければ周防氷華梨はお前のものには成りはしない。しかし、お前は俺に勝つ術がない」
 再び拳を構える槍先先輩。悔しいが彼の言う通りだ。どんなに言葉を尽くそうとも、殴り合いになったら俺に勝ち目はない。
 身体能力を反則的に向上させる魔法と、高々自分の存在を相手に誤認させる程度の魔法。その二つがぶつかってどうなるかは、シミュレーションするまでもない。
 俺の中に再び焦りと、明確な敗北のイメージが過る。
 そこで俺はふと気づく。現在俺の中に横溢している敗北のイメージこそが、勝利のカギだと。
 まともにぶつかったら、俺は彼には勝てない。
 ならば魔法に頼るしかないが、俺の魔法は精々人を騙すことにしか使えない。
 だったら、やることなんて自ずと導き出される。
 俺は槍先先輩を騙せばいい。
 嘘やハッタリは好きではない。しかし、周防のためならどんな手でも使うと宣言したのだ。故に、槍先先輩には俺の詐欺行為の被害者になってもらう!
「なにか策でもあるような表情だな」
 槍先先輩に指摘されて、自分の口元が嫌みにつり上がるのを自覚する。
「名残惜しいがここで試合終了だ。これからアンタには俺に勝利してもらう」
「話の内容が矛盾しているが、覚悟ありということは見届けた。いざ!」
 槍先先輩が突進してくるが、俺は動かなかった。
 極限まで、自分の負け姿をイメージする。
 その様は、さながら武蔵坊弁慶の如く。死に至りながら、それでもなお仁王立ちで相手に挑まんとするイメージ!
 俺は魔法【レンチキュラー】を発動!
 その瞬間、槍先先輩の動きが急停止。
 拳を振り上げる動作まで行っていたが、そこから先の動作を取ることは叶わない。
 振りあげた拳は下方へ転落。槍先先輩自身の身体も前方に倒れた。まるで糸の切れたマリオネットだった。
 地に伏せた槍先先輩は、それでも俺に向かって進軍しようとしているのか、全身を小刻みに揺らしていた。
 けれど、彼はまともに動けない。全身の筋肉が委縮してしまったかのように、自由が利かなくなっていた。
「どうした槍先! 何があった!?」
 槍先先輩の突然の機能停止に阿加坂は悲痛な叫び声を上げる。
「身体に力が入らない。魔法の効果が切れたようだ」
 絞り出すようなか細い声で槍先先輩は答える。
「どうして! 瀬田はまだ立ってるじゃないか!? まだお前は瀬田を倒していない。なのにどうして魔法が切れる!?」
「どういうわけか瀬田が、事切れているように見えた」
「なんだと? どういう意味だ?」
 赤坂は問い詰めるが、無駄な行為だった。槍先先輩は完全に力尽きたらしく、瞳を閉じていた。一応呼吸はしているので死んではいないが、意識はないと取るべきだ。
 槍先先輩が動けなくなったのは、勿論偶然などではない。俺の策が上手くいったからだ。
 彼は以前に自らの魔法の重大な欠点について俺に教えてくれた。すなわち、魔法の効果が続くのは相手に勝利するまで。それ以降は戦闘力はゼロになる、と。
 ここで一つの疑問が浮かび上がる。相手に勝利する、という条件は何を以って判断されるのか。
 審判員が厳密に判断する試合ならいざ知らず、これはただの殴り合いの喧嘩だ。だったら、魔法【ブーステッド】の使い手である槍先先輩自身の『自分が勝利した』という認識を以って勝敗の判断とするしかない。
 そう、この戦いの勝敗は、槍先先輩の認識にかかっていたのだ。
 ならば、彼に『自分が勝利した』と誤認させられれば、彼の魔法は効果を失うのではないかと俺は考えた。
 俺の魔法【レンチキュラー】は『自分の存在を対象者に錯覚させる』ことができる。今では自分を他人のように見せるという使い方をしてきた。だが、『存在』を錯覚させることができるなら、別に他人への変化だけに使用方法は留まらない。
『生きている瀬田翔馬』という存在を、『事切れている瀬田翔馬』という存在に錯覚させることもできるかもしれない。
 今までにやったことがない使用方法だったので上手くいくかは賭けだったが、俺は賭けに勝った。
 俺の魔法により、槍先先輩は無意識のレベルで『瀬田翔馬が死亡した』と認識し、俺に勝利したと誤認。結果として槍先先輩の魔法が解けるという事態に及んだのだ。
 相変わらず俺は、相手を騙すことばかりに抜きんでているな、と自己嫌悪とお決まりの頭痛。
 だが今は、そんなものに構っている時間はない。
「さて、と」
 俺は視線を槍先先輩から阿加坂へと移動させる。そこにあったのは顔面を蒼白にし、震え縮みあがる負け犬の姿。
 俺が彼に向って前進すると、彼は怯えながら後退しようと試みる。しかし、足がもつれて強かに尻もちをつく。
 無様としか表現できない状態だが、周防の命運がかかっている以上、容赦する気は全くない。
「瀬田翔馬、動くな!」
 力一杯の大声で叫ぶ阿加坂。彼は自身の魔法【オートマトン】で、名前を呼んだ他者を命令に従わせようとしているようだが不毛な行為だ。
 彼の魔法は他人にしか通用しない。つまり、阿加坂が『他人』と認識している相手にしか通用しない。故に、【レンチキュラー】を使い、彼にとって『本人』である阿加坂に変化してしまえば彼の魔法は恐るるに足らず。
「周防の居場所を吐いてもらおうか」
「見逃してくれ! 俺は何もしていない!」
「ああん?」
 意味不明な戯言に、俺の血管はぶち切れる思いだった。
 周防を拉致しておいて何を言ってるんだ。
「ふざけんな、このクソ野郎が!」
 右足で彼の腹に蹴りを叩き込んだ。肉の感触が気持ち悪かった。
 俺は犯罪者としては頭脳犯であった。拷問は専門外だが、彼が周防の居場所を吐くまでは、暴力の限りを尽くすのも厭わない。
「助けてくれ! 殺される!」
 阿加坂は制服の胸ポケットに向かって叫び出す。察するに、そこに盗聴器なり何なりの『仲間』とやらへの連絡手段を忍ばせているらしい。
「ちょっと貸せよ」
 俺は彼の胸ポケットに手を入れ、中身を没収する。あったのは厚み五ミリ程度のカード状の機械。
 おそらく盗聴用の発信機だ。
 俺は発信機に向かって吠える。
「いいか、周防に一ミリでも触れてみろ。そこにいる全員を調べ上げて家族ごと血祭りに上げてやる!」
 警告する。これで相手が逃げ出すようなら良し。それでも周防に手を出すようなら、警告を実行するまでだ。
「んで、お前は喋る気になったのかよ?」
 発信機を投げ捨てると、阿加坂の胸倉を掴み恫喝。彼はついには泣き出す始末。
「信じてくれよ。俺は何も悪くない。周防だって無事なんだよ」
 言うに事欠いて、まだ妄言を垂れ流すか。
「喋れないんだ。じゃあいい。お前はもう要らない」
 俺は阿加坂の首に手を掛け、締め上げる。阿加坂は口から泡を吐くが、汚物としか思えない。
 これでまた、俺は罪を重ねることになる。だけど、自分を律し、止めることができない。周防を助けても、彼女と同じ道を歩む術はもうない。
 苦笑と共に涙が溢れ出る。
 しかし、背後から俺を制止する声。
「やめて!」
 力強い一言が廊下に反響する。俺には一瞬にして声の主がわかった。
 即座に阿加坂の首から手を離した。そして振り返る。
 そこにいたのは周防氷華梨。汗だくで、両手を膝につき、肩を上下させながら息を荒げていた。
「もうやめて翔馬! その人の言うように、彼らは何も悪くないの。全部私が悪いの!」
 涙交じりに、周防は言う。俺には彼女の言葉の意味が理解できない。
「何を言ってるんだ。こいつはお前を拉致して、酷い目に合わせようとしたんだろう?」
「違うの。私が拉致されたというのは嘘なの。これは全て狂言だったの」
 周防の説明に、俺は茫然とするしかなかった。
「じゃあ、お前は何も酷い目にあってないと?」
 こくりと頷く周防。両手を握りしめ、迷子の子供みたいに震えていた。
 俺は彼女との距離を詰める。半ば俺の頭は真っ白だった。思考力が皆無になった頭で、それでも俺は一歩ずつ周防へと歩む。
 俺は目の前の周防が幻でないのを確かめるために、彼女を思い切り抱きしめた。
「ちょ、翔馬?」
 彼女は大慌てで声を発するが、構わない。柔らかい彼女の温もりだけが俺にとっての全てだった。
 俺は心の底から安堵して言うのだ。
「泣くなよ、周防。お前が無事なら問題ない」

次へ→

←前へ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする