アルカナ・ナラティブ/第7話/08

 本館六階廊下には、被服室と礼法室しか教室がない。そのため、手芸部と茶道部が活動しない曜日の放課後には人気が無くなる場所である。
 にもかかわらず、本日の本館六階には人が溢れていた。俺と戦っていた槍先先輩と阿加坂。俺の凶行を止めた周防。そして周防がやって来たのに続き、今回の一件の関係者と思わしき者たちが現れる。
 ヒノエ先輩と満琉先生だった。彼女たちも周防と同じく汗だくで息を切らせていた。どこかから駆けつけてきたようだ。
 二人が現れたとき、俺は周防に抱きついたままだった。そんな状態で、六階に上がってきた二人と遭遇。双方ともに気まずい空気。
「お邪魔した。ゆっくりしていってくれたまえ」
 最初に心が折れたのはヒノエ先輩だった。
「ちょっと待て。これはアンタの考えているような意味じゃない」
 踵を返し、愛用の黒マントをはためかせるヒノエ先輩を俺は呼びとめる。
 俺もいい加減、冷静さを取り戻し、周防から離れる。
「では一体どう意味なのかね?」
 再度踵を返し、合計三六○度回転したヒノエ先輩は、気だるそうな半眼で俺に問う。
「これは、えっと、スイマセンでした。反省してます」
 テンパった俺は謝った。情けない態度がツボに入ったらしく、満琉先生は大爆笑。
「せっかく悟に勝って姫君を護ったのに、それはちょいとヘタれすぎじゃないか?」
 腹を抱えて笑いながら、どうにかといった様子で満琉先生は言葉を発する。相手を労う気持ちが一欠けらも籠っていない。こんな人が教育実習生だというのだから世も末だ。
 俺は憮然としながら、その場に胡坐をかいた。正直立っているのもやっとだったのに、満琉先生の有様に、すっかり緊張の糸が切れてしまったのだ。
「ヒノエと周防ちゃんも楽にしろや」
 俺に続き満琉先生も廊下に座り、どういう了見かこの場を仕切り始める。きっとウザイくらいの仕切り屋ぐらいじゃないと教師には向かないのだろう、と俺は自分を無理矢理に納得させる。
 満琉先生に言われた通り、周防とヒノエ先輩も床に座る。
「後、そっちでビビってないで光栄もこっち来い。もう翔馬も怒ってないよ。多分だけど」
 満琉先生は推測で俺の心理状態を言うが、俺の怒りは完全には収まっていない。さりとて、ここで『まだ怒っている』と正直に言うと話が進まない。なので俺は無言を貫いた。
 阿加坂はおっかなびっくりでこちらに来ると、俺の正面から三〇度ほどずれた位置に正座した。
「では、キャストが全員集合したところで、ネタばらしといこう。実は周防ちゃんの拉致事件は狂言で、その目的はお前の心のブレーキを外すこと。何か質問は?」
 満琉先生の豪快な解説。枝葉末節なんてありやしない。
「説明がざっくばらん過ぎる。補足を求める」
 頭が痛い。どうしてこんなテキトーな人間が、数学という論理性を求められる教科の教師を目指しているんだ。
「では、私が脚注を入れよう。つまりだ、これは作戦なのだよ。言ってみれば大作戦だ。あるいは超作戦と言ってもいい。御理解いただけたかな?」
 日本語らしき言語を発したヒノエ先輩はドヤ顔だった。しかし、彼女の宇宙言語が理解不能なのは言わずもがな。いつもながらの説明能力の無さに脱帽だ。俺は行間を読むのが得意な読書家を自負しているが、彼女の言葉からは一切の情報を読み取れない。想像も膨らまない。砂でも齧っているような気分になってくる。
「ヒノエ先輩、アカウンタビリティって言葉は知ってるか?」
「知っているとも。その言葉をウィキペディアで検索すると『説明責任』という語に転送される。なので、そちらで解説しても構わないかね?」
「要らん。ウィキペディアを読みあげるだけなら、フリーウェアでも出来る」
 この人、大学に入ったとしても、レポート作成で、真っ先にネット上の情報を丸移ししそうだ。今次、そんなことをすれば剽窃とされ単位を落とすハメになる。ヒノエ先輩の将来が掛け値なしに心配だ。
「しゃあねえ。やっぱアタシが懇切丁寧に説明するか。うへえ、面倒臭え」
 うんざりした様子で項垂れる満琉先生。この人、教師目指すの止めた方が良いんじゃないか?
「俺が納得できる形で収めて欲しいな」
「善処する。事の発端は、翔馬が周防ちゃんの告白に煮え切らない態度を取ってたからだ。アタシはさ、そういうのって大嫌いなんだ。だから、付き合うなら付き合う、付き合わないなら付き合わない。どっちかバシッと決めて欲しいわけよ。それって、女の子にとってスゲー失礼だと思わない? だから、アタシは周防ちゃんに味方しようと思ったわけよ。具体的には内通してた」
 彼女の言いぶりは軽い。ヘリウム原子並に軽い。あまりの軽さに宇宙まで飛びたってしまいそうだ。
「一体、いつ頃から?」
「今週の火曜日、つまりお前とコーヒーショップで駄弁った日の翌日だな」
「教育実習二日目から、スパイの真似事か。行動的過ぎるだろう」
「褒め言葉として受け取っておく。やっぱ教師たるもの行動派じゃないと駄目だよな」
「隠し事は嫌いじゃなかったのか?」
 彼女のポリシーを突いてみる。まあ、無駄だろうけど。
「嫌いだよ。隠し事ってメンドイからな。だから、周防ちゃんと内通してますかって訊かれてたら、アタシは正直に答えてたよ」
 案の定、悪びれた様子もなく彼女は言ってのける。この人の性格、絶対スパイに向かない。なのにそれを見抜けなかった俺は、相当に間抜けだ。
「アンタが周防のスパイをしていたことと、今回の一件とどう繋がって来るんだ?」
「それを説明するには今日の昼休みに時間を戻す必要がある。お前言ったよな。周防ちゃんが好きだけど、周防ちゃんとは付き合えないって。アタシは面倒臭いヤツは嫌いだが、ウジウジしてるヤツはもっと嫌いだ。我慢ならなかったアタシは、その情報を即座に周防ちゃんにリークした。そうしたら周防ちゃんにが泣きだすから大変だったよ。つーわけで、放課後どうするかを二人で作戦会議したんだよ。適当な場所がないから魔法研究部の部室を借りた。そのよしみで、鍵を持ってる部長のヒノエも今回の一件に関わってるわけだ」
「だから、周防は今日の五、六限目に教室にいなかったわけか」
 まさか、俺が阿呆みたいな顔で授業を受けている裏で、危険な女子会が開かれているとは。
「んで、アタシは一計を案じた。翔馬は周防ちゃんが好きだけど、完全に心にブレーキをかけちまってる。なら、そのブレーキを取り外せばいい。アタシが魔法を使えたら、一瞬で解決したんだけど、アタシにはもう魔法【アクセラレーション】は使えない。だから、策略でどうにかするしかない。だからさ、大切で大切で堪らない相手が悪漢に拉致されたかのように見せかけるっていう設定をつくったわけさ。具体的には光栄と槍先の召喚だな」
「そして俺は、アンタの思惑通りに阿加坂と槍先先輩にカチ切れて、周防が盗聴器で聞いているであろうところに、周防への想いを全部吐露したと」
「一世一代の名台詞だったとアタシは評価している。相手の全部を愛せる、なんて言うヤツは胡散臭いよな。それでいくとお前の言葉は誠意の塊だった」
「そりゃどーも」
 半ば放心状態の俺。あのときの言葉も盗聴されていて当然の理屈だ。おかしいな、あの言葉を叫んだときは何の恥ずかしさもなかったのに、いざ他人から指摘されると恥辱が込み上げてくる。
「んで、その言葉を聞いた周防ちゃんは、作戦の範囲外の行動をとったわけ。槍先との戦いが終わるまでは魔法研究部の部室で盗み聞きを続ける手筈だったのに、いきなり部屋を飛び出す始末だ。お姉さんマジでビビったよ。どうして周防ちゃんはあの時、部屋を出て行ったの?」
 言葉とは裏腹に、満琉先生は愉快そうだ。この人、完全にこの状況を楽しんでやがる。
 話を振られた周防は、俯きがちに語りだす。
「あのとき翔馬が、どんな手でも使う、って言ってたから。だから、私は先生たちとの約束を違えてでも止めないといけないと思ったんです。翔馬って、普段は大人しいけど、いざとなると想像もできないことをしでかすから」
 俺は猛獣か? とか、反論しようとしたが無理だった。確かにあのとき周防が止めなければ阿加坂を絞殺していた。ナイス判断。
「話の内容は大体掴めたけど、まだ疑問が残る。どうして槍先先輩たちは、満琉先生の計画に加担したんだ? そんなことするメリットがあるとは思えないが」
 俺は阿加坂に視線を移した。その瞬間、彼は小さく悲鳴を上げる。未だなお、阿加坂は俺に怯えている。どうやら彼にトラウマを一つ作ってしまったようだ。
「それはね、アタシが光栄に選ばせたんだよ。周防ちゃんの下着姿を無理矢理に撮影した件について、アタシからの御咎めとしてフルボッコにされるか。それとも、アタシの立てたパーフェクトプランの駒になるかを。流石にアタシとしても、魔法を乱用した弟を許す気にはなれないわけさ。でも、いきなり鉄血制裁ってのも可哀想だ。だから、選択肢を増やしてやった。自分の優しさに我ながら感心するよ」
 腕を組み呵々大笑の満琉先生。けれど、彼女の発言には不可解な点がある。
「どうしてアンタは自分の弟のやらかしたことを知っている? うちのクラスではアンタには黙っておこうって話でまとまってたんだけど?」
 まさか阿加坂本人が言うとも思えない。どこから情報が漏れたというのだ。
「それ? 天野っていう三年生が教えてくれた。翔馬や覚を成長させるには、それが最善手だとか意味不明なこと言ってたよ」
 あの極悪人め! 何が取引の対称性だ。言いだしっぺが情報漏洩しでかしてるじゃないか。
 しかも、その目的が俺と槍先先輩を成長させるためときた。最良の結果を出すために道徳すら嘲ったのだ。
 天野先輩の魔法は、ある意味ではこれまであったアルカナ使いの中で一番厄介だ。『アルカナ使いを成長させる方法がわかる』という魔法は、一見聞いただけでは人畜無害。しかし、その実、アルカナ使いを成長する方法は、アルカナ使いにとっての試練を拵えることに他ならない。
 天野先輩の魔法は、一歩間違えれば相手の運命を操ることに通じるのではなかろうか。
 天野先輩は、本人はヒノエ先輩のために自分の魔法効果を偽っている。けれど、取引を成立させる大原則を破綻させた。よって、制裁としてここで真実をぶちまけてやろうか、とも考えた。しかし、念のためにこの場ではやめておいた。
 きっと彼には悪意はなく、剥き出しの善意でやってのけたのだ。あの人の善人具合は、もはや狂人と揶揄しても良いレベルに達している。流石に狂人の相手を俺はしたくない。
「そうやって、周防拉致の狂言の舞台は整ったわけか。それにしても、周防の拉致が狂言だっていうなら、俺は無理に槍先先輩に勝つ必要はなかったんだな」
 急に自分が掴み取った勝利がくすんで見えてきた。全てが満琉先生の掌の上の出来事だというなら、俺はその上で踊っていたに過ぎない。
「いいや、違うね。お前が槍先に勝ってなかったら、周防ちゃんは光栄のものになってた。だから無駄じゃない」
 首を横に振りながら、満琉先生は言う。
「どういう意味だ?」
「いくらアタシからの鉄血制裁から逃げたかったからといって、じゃあ、狂言に協力しますってのは労力として釣り合わないだろう。光栄も最初は渋ってたよ。だから、光栄を動かすために周防ちゃんは禁じ手を使ったんだ」
「一体何を?」
「もし、翔馬が二人に勝てなかったら、そのときは周防ちゃんが光栄のカノジョになる。そういう取り決めだよ」
「どうしてそんな無茶苦茶な約束を!?」
 俺は、一瞬にして周防に視線を向けていた。そのとき自分がどんな表情をしていたのか自分ではわからない。驚き、怒り、呆れ、そういった感情が綯い交ぜになっていた。
「翔馬が欲しかったからだよ。そのためには、私は自分を賭けの材料にしても構わないと思った。今日の昼休み、満琉先生から放課後に翔馬が私を振るつもりだって聞いて胸が張り裂けそうだった。何としても、そんな未来をなくしたいと思った。だから、私も覚悟を決めたの。どんな手を使ってでも、アナタを手に入れようって」
 周防は淡々と述べていく。さっきまでの俯きがちな視線ではない。真っ直ぐに俺を見つめていた。
 静かならがも苛烈な意志に、俺は気圧される。
「お前は他の人から告白されていたんだろう? ほら、バスケ部の目黒って人。どんな人か知らないけど、噂に聞く限りでは、お前にぴったりだと思った。だから槍先先輩と戦う前までの俺は、その人に周防を幸せにしてもらいたいと考えてたんだ」
「翔馬は、変なところで馬鹿なんだね。私はアナタに恋をした。だから、アナタを手に入れられなかったら、もうどうだっていいのよ。そんな世界は要らない。それぐらい、私はアナタに恋をしているの」
「じゃあ、訊くけど、もし俺が槍先先輩に勝てなかったらどうするつもりだったんだ?」
「そんな未来は考えていないよ。だって翔馬は強いんだもん。きっと、どんな相手にも勝つって信じてた」
「おいおい、論理性の欠片もないな。あんまり俺を理想化しないでくれ」
 俺は照れてしまい、俯いて周防を直視できなかった。それでも上目で彼女を見ると、そこにあったのは彼女の笑顔。やっぱりこいつの美しさは、他のどんな表情より笑顔で映える。
「でもね、翔馬。アナタは魔法を使った槍先先輩に勝った。私にとってそれだけが真実なのよ」
 まったく、女という生き物は恐ろしい。小賢しい理屈の遥か上を悠然と征くのだ。
 けれど、確かに周防のためならば、誰にも負ける気はしてこない。
 ただし、他ならぬ周防自身には微塵も勝てる気はしてこないが。

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