アルカナ・ナラティブ/第8話/01

 クラスメイトに対し、カノジョができたことを言うタイミングを完全に失した。
 先週の金曜日、俺、瀬田翔馬には生まれて初めてカノジョができた。カノジョの名前は周防氷華梨。俺のクラスメイトで、学年一位の美少女と名高い高嶺の花の少女だ。
 そんなみんなの憧れの的が、俺みたいなヘタレ草食系男子のカノジョになる。
 俺本人も未だに現実感はない。
 それでも、この一週間、恋人らしく二人きりで昼食を食べてみたり、下校をしてみたりと、高校生として健全な交際のファーストステップは踏んできたつもりだ。
 問題は、それをクラスメイトにきちんと伝えられていないところにある。
 わざわざ「交際はじめました」と宣言するのも不自然だ。
 それでなくとも氷華梨は男子にとって憧れの的。そんな美少女にカレシができたと知れたら、それは大騒動に発展する。
 俺は出来るだけ穏便に、緩慢に俺と氷華梨の交際が伝わっていく計略を策定していた。
 しかし、熟慮は見方を変えればただの優柔不断にほかならない。
 どう伝えるべきか考えているうちに一週間経ってしまった。
 ……阿呆にもほどがある。
 ちなみに氷華梨から女子サイドに情報が漏洩していないのは明々白々。うちのクラスは男子と女子の仲がよく、しっかりと交流は持たれている。にもかかわらず、男子が俺と氷華梨の交際を知らないということは、女子にも情報が降りていないことにほかならない。
 もっとも氷華梨の場合、優柔不断にタイミングを図っていたとは考え難い。氷華梨は奥ゆかしい性格なので、主張するのをはばかったのだろう。
 そんなわけで、俺たちは教育実習生の阿加坂満琉先生の教育実習最終日までズルズルと交際についてクラスメイトに打ち明けられずにいた。
 どうせなら、みんなに祝福してもらいたい。しかし、もう少し二人でゆっくりしていたいという気持ちもある。
 我侭な葛藤だ。
 けれど、そんなどっち付かずな覚悟不十分は、一人の女傑によって完全なる破壊が下される。
 教育実習最終日の帰りのショートホームルーム。
 今週は教育実習生の満琉先生がショートホームルームの司会だ。今日は最終日ということでか重々しい調子で彼女は教壇に立つ。
 ところが、彼女の口から放たれたのは別れの挨拶ではなかった。
「諸君、このクラスに一組、自分たちがリア充であるのを隠している男女がいる!」
 自身の教育実習とは全く以て無関係の殺劇の言葉。
 満琉先生の突然の告発に、クラスメイトたちは一瞬の沈黙を置いて、にわかにざわめき立つ。
 俺は脳内をホワイトアウトさせながら、白目を剥くことしかできない。口元が痙攣するのを自覚する。
「えっと、阿加坂先生、それはどういう意味でしょうか?」
 彼女に訊いたのはクラス担任の柳川先生。柳川先生は怪訝そうに瞬きを幾度となく繰り返す。柳川先生は二十代後半にしては肝の座った性格と評判だ。しかし、満琉先生の発言は想定の範囲外だったのだろう。というか、想定できていたら、それはエスパーだ。
「言葉の通りです、柳川先生。このクラスに密やかに恋の花が芽吹いているのに、本人たちはそれを公にしない。それでは皆に祝福してもらえないであろうと考え、アタシが公表することとしたのです」
 満琉先生の配慮は劇薬に過ぎる。余計なお世話も甚だしい。地獄への道は善意によって舗装されているという格言が脳裏で明滅。
 確かにクラスメイト全員から祝福されれば、それ以上の幸せはない。けど、無理だろう。コイバナ大好きな女子からは『祝』の一文字を頂けても、男子からはそうは問屋が卸さない。氷華梨を恋い慕う男子からは『呪』の怨念を漏れなく贈呈されるのは確定的に明らか。
 頼む、柳川先生。教育実習の本筋とは大きくかけ離れたダメ実習生の暴走をここで窘めてくれ!
 俺は天に祈った。特定の宗教や神様は信じていないが一心不乱に祈った。しかし祈りは付け焼刃。都合のいい奇跡など起きやしない。
 柳川先生は目を輝かせていた。
「それは素晴らしいわね。一体誰なのかしら?」
 この担任、ノリノリである。
「というわけだ、翔馬に周防ちゃん。クラスの仲間たちに隠し事をするのは良くない。全て明らかにして、楽になるが良い」
 満琉先生の言葉によって、教室から噴出する驚愕の声。
 皆が皆、俺と氷華梨の顔を交互に眺める。クラスメイトは、未だ俺と氷華梨の交際が信じられないらしく動揺していた。
 動揺は騒然を呼び、騒然は恐慌を呼ぶ。
 教室内の治安は千々に乱れる。しかし、そんな世紀末の様相の教室を収める救世主が現れる。
「みんな、落ち着け!」
 俺の学校でのツレの一人、熊沢が声の主だった。『軍曹』と渾名されるだけのことはあり、堂々とした態度。クラスメイト、特に男子の混乱が収束していくのが肌で感じ取れた。
 熊沢の言葉を受け取り、更にもう一人のツレである犬養が言葉を紡ぐ。その冷静さたるや『少佐』と渾名されるにふさわしい。
「みんな、まずは裁判を開こう」
 ……ただし、冷静なのは声のトーンだけで、内容までは保証されるものではなかった。
 裁判って、アンタ……。
 何が悲しくて、クラスの女子と付き合い始めただけで裁かれなければならないというのだ。完全に的を外してやがる犬養の発言。しかし、クラスの馬鹿男子共は、
「そうだ! 少佐の言う通りだ!」
「この件はしっかと吟味せねばならん!」
「我らが姫君である周防に手を出すとは男の風上にも置けん!」
 負のベクトルに一致団結。集団心理って怖くね?
 そんなわけで、男子の皆様方は席に座ったままの俺を囲う。
 裁判というよりは、イジメに近い様相。どうみても絶体絶命です、本当にありがとうございました。
「何か申し開きはあるかね、被告・瀬田翔馬」
 悪乗りなのかガチなのかは計り知れないが、熊沢が尋問してくる。
「待て、裁判なのに罪状認否もなしかよ」
 かつて詐欺事件で裁判にかけられたときは、もっと粛々と裁判は進められたものだ。今のみんなのように裁く側が感情的になっていては公平な裁判などできようはずもない。
 この場合、フェアなジャッジを求めても無駄なんだろうけれど。
「して、プロポーズにはどんな言葉を?」
 熊沢は腕を組み、俺を見下ろす姿勢。
「異議あり! それ、ここで言う必要があるのか?」
 俺は被告であると共に、自らの身を守る弁護士でもあった。というか、よく考えてみるとこの裁判、俺以外の男子は裁判官と検事を兼ねているようなもの。そんな役割設定では、公平さなど夢のまた夢。近代法制度からテメエら勉強し直して来い。
 ……なんて、頭でっかちなことは反発が恐ろしくて言えません。当方、ただのヘタレですからね。
「異議申し立てを却下するわ。私たちも是非、翔馬がどんな言葉で周防さんを口説き落としたのかを知りたいわ」
 カットインしてきたのは、このクラスの女子の取りまとめ役的な存在の有馬紅子という生徒。
「ちょ、おま……。それは単なる好奇心だろう! そんなんで俺の人権を侵害するな!」
「翔馬、この世の中は平気で理不尽や不条理が存在するものよ。だからね、高校生である今のうちから、私たちはそれを受け入れる準備をしなければならないの。だから、私はあえて心を鬼にしてアンタに尋問する。でも、わかって。私だって本当は心が張り裂けそうなまでに痛いの」
 とか言いながら、有馬の口元は愉快そうに歪んでいた。
 他の女子も爛々とした眼差しで俺を見つめてくる。中にはケータイを構えている奴もいる。ムービー機能を回しているのだろう。
 しかも、先生方は透徹した賢者の瞳をしておられる。平たく言うと助ける気が皆無なご様子。
 ヤベエ、これは裁判なんて上等な代物でなければ、イジメなんて生易しいものでもない。
 公開処刑だ。
 この時の俺には、クラスメイトが迫り来る亡者に映っていた。コイバナに飢えた思春期という名の化物どもだ。
 俺は死を覚悟した。いや、別に命までは取られんだろうが、大切な何かは奪われるに違いない。
 ところが、亡者が跋扈する地獄の底に天から一条の光が差し伸べられる。
「みんな、やめてあげて! 翔馬は何も悪いことなんてしていない。そもそも、私たちが付き合い始めたのは私から告白したからなんだよ」
 周防の声が、教室中に響き渡る。
 それは悲痛な叫びのようでいて、しかし、聖女の慈しみだった。
「なんと……。そういえば周防さん、好きな人がいると言っていたけど、それって……」
 有馬が思い出したように言う。
「その相手こそ翔馬だよ」
 クラスメイト全員の注目を浴びて尚、氷華梨に臆するところは一切なし。
 それどころか、加えて言うのだ。
「翔馬の初恋は私がもらったの。誰にもそれは渡さない」
 氷華梨さん、マジカッケー。
 俺のカノジョがイケメンすぎて生きているのが辛い。
 氷華梨の宣言に対し、満琉先生は「よし」と手を叩いた。
「周防ちゃんの覚悟はしっかりと受け取った。んで、翔馬はどうよ? 周防ちゃんを愛しているかい?」
「当たり前だろうそんなこと。俺は、世界で一番周防氷華梨を愛している。それは誰にも文句は言わせない」
 俺は断言した。
 そんな俺にクラスメイト、主に女子から歓声が上がる。
「ならば、問題はあるまい。他の連中も翔馬に嫉妬する気持ちはわからんではないが、縁は異なもの味なもの。こうして、付き合い始めた二人を祝福してくれるとアタシとしては嬉しいな」
 満琉先生は、まるでいい話のようにまとめようとしているが、そもそもこの騒動の発端が自身にあるのを全力で棚上げしておられる。
 けれど、事情はどうあれ、一方的で裁判になっていない裁判が閉廷するなら文句は言うまい。
 これ以上、満琉先生にいられると、またどんなトラブルを生み出すかわかったものではない。
 俺は、一旦教室を出て、近くの空き教室に隠しておいた満琉先生の送別用の品を取りに行く。品は花束とクラスメイトの寄せ書きがしたためられた色紙というありふれたものだ。
「満琉先生、二週間ありがとうございました」
 俺は花束と色紙を贈呈する。
「ありがとう。色紙はありがたく頂いておく。でも、花束は私ではなく君と周防ちゃんが受け取るべきだ。アタシなどより、これからリア充の道を歩むであろう君たちにこそ、この艶やかな色彩はよく似合う」
 俺から渡された花束を、満琉先生は返却。
「先生……」
 彼女なりの配慮に、俺の涙腺がゆるみかける。
 しかし、満琉先生はそんな俺に耳打ちする。
「実はな、今日の日程が終わったら実習生仲間で飲みに行くんだ。その時に花束があるとかさばってしょうがない。なので、お前がもらっておいてくれ」
 感動が一気にぶち壊しだ。サイテーだな、この人。
 さりとて、ここで真実を皆に告げれば、せっかくの祝福ムードがぶち壊し。俺は空気を読んで、あえて何も言わない。というか、事なかれ主義者なので言えるわけがなかった。

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