アルカナ・ナラティブ/第8話/04

 バイロンの詩集を読み終わると、時刻は六時半。ちょうど、氷華梨が部活を終えて出てくる時刻だ。
「うむ。地雷処理を存分に堪能した。今日のスコアは七代先まで更新されることはないだろう」
 満足気な表情でヒノエ先輩は、パソコンをシャットダウンさせる。俺が読書に勤しんでいる間、ずっとこの人はパソコンでゲームをやっていた。
 三年生ともなれば、今年は受験生。勉強しないとはすごい余裕だ。とか一瞬思ったが、この人の場合、勉強はテキトーにやっとけば大丈夫か。センター試験も何もかも、『一切の情報を忘れない』という魔法で乗り切るのだろうな。
 チートにもほどがある。
 それぞれが、己の趣味を満喫したところで、俺たちは部室を後にする。
 部室を出ると、俺とヒノエ先輩は別行動。
「年寄りが夫婦水入らずの時間を邪魔をしてはいかんな」
 と言って、ヒノエ先輩はそそくさと帰ってしまう。
 夫婦ってアンタ。随分と大仰な言い回しだ。俺まだ結婚できる年齢ですらないですよ?
 とかなんとか、無意味なことを考えていないと小っ恥ずかしくて仕方がない。
 それにしても『夫婦』ね。
 夫婦と聞くと、まず連想してしまうのは、俺の実の両親だ。
 改めて吟味するまでもなく最低の親だった。
 子供だからといって俺を容易く虐げて、ロクに食事も作りやしない。あまつさえ、俺を振込詐欺の道具として使う。
 俺はあいつらから学ぶことなんて何一つない。俺はあいつらのことなんて軽蔑しかしていない。
 けれど、ときどき恐ろしくなる。
 そんな最低の連中から生み出された俺は、ちゃんとした大人になれるのだろうか。
 もしも、あいつらと同じような最低の人間になってしまったら、俺は……。
 そこまで考えて脳裏に過ぎったのは氷華梨の笑顔。
 俺は、あいつの笑顔だけは汚したくない。だから、氷華梨から告白されたときには怯え、そして断ろうとした。
 だけど、そんな逃げの姿勢は氷華梨を苦しめるだけだと思い知らされた。
 だったらもう、俺は全力で、この身の全てを賭して、彼女を幸せにするしかない。
 高校生にあるまじき重すぎる想いだ。きっと、こんな想いは、氷華梨にとって重圧にしかならない。ならば、こんなもの隠蔽するに限る。
 大丈夫。別に氷華梨を騙すわけではない。
 ただ、ひたすらに隠すだけだ。
 学校の正門の傍らで氷華梨を待っていると、やがて彼女が姿を現す。同じ部活の仲間らしい女の子が一緒だ。眼鏡を掛けた身長百五十センチくらいの小柄な女の子だ。
「よお、お疲れ様」
 俺は氷華梨に小さく手を振った。
「うん。待たせてごめんね」
 氷華梨ははにかみながら、小さく手を振る。
 そんな俺たちの様子を、目を瞬かせながら、氷華梨と現れた女の子は交互に見ている。
「もしかしてこの人が、周防さんのカレシ?」
 眼鏡の女の子が言った。
「うん、そうだよ」
 周防は臆面もなく断言した。
「ほほう、周防さんは中々に面食いさんだったんですねえ」
 眼鏡の女の子が、俺の顔をまじまじと観察。
 人を見るのは好きだが、見られるのは苦手だ。落ち着かない。
「凄く格好良いでしょう。でも、私のカレシだからね?」
 友達に笑顔で凄んでみせる俺のカノジョ。カノジョから『格好良い』とか評されると、顔から火が出そうだ。
「むう、剣道が強くて、美人で、オマケに素敵なカレシまでゲット。周防さん、リア充にも程があるでしょう」
 俺を観察していた女の子は、半ばやさぐれた顔で肩をすくめた。
「えへへ」
 照れ笑いをするも、否定しない周防。
 学校が始まったころと比べて、随分と明るくなったものだ。
「そちらのカレシ君には、色々質問したいこともあるわ。駅まで一緒できるかしら」
 眼鏡の女の子が、俺の前方をブロックする。ナイスマーク。剣道は基本的に個人の戦いなのにフォーメーションの展開が手馴れてやがる。
 しまった、こいつもコイバナの亡者か。すっかり油断していた。
「えーっと、どうしましょうか氷華梨さん」
 俺は何故か敬語で、カノジョに振ってみる。
「そうだねえ。もう仕方がないんじゃないかな」
 眼鏡の女の子のキラキラした視線に根負けして、氷華梨は承諾。
 いい加減、逃げ続ける生活に疲れていたのかもしれない。……と書くと、まるで指名手配犯の逃亡生活みたいだな。
「それじゃ、レッツゴーなのですよ! 途中でクレープでも食べながらゆっくり駅へと向かいましょう」
 眼鏡の女の子は実に生き生きしていた。
「まっすぐ駅に向かうんじゃないのか?」
 項垂れる俺。
「駄目ですよ、カレシさん。せっかく女の子がお茶に行こうと誘っているのに無碍にしては。そんなんじゃ女の子にモテませんよ?」
「モテるも何も、俺には既に氷華梨がいるわけだが?」
「はう。これがリア充の余裕という奴ですか! 畜生、無駄にがっついていない勝者の余裕に、私の乙女心が白旗を振りそうです」
「いや俺、氷華梨以外の女子に興味ないから。後、カレシさんはやめてくれ。事実であっても大声で言われるのは恥ずかしい」
「そういえばお互い自己紹介がまだでしたね。私は大沢莉子《おおさわ・りこ》と言います」
「俺は瀬田翔馬。下の名前を呼び捨てでいいよ」
「では翔馬! クレープ屋に向かってレッツゴーです」
 というわけで、俺たちは大沢に引っ張られ、学校と駅の中間地点にあるクレープ屋へ。
 クレープ屋は、軒先にカウンターだけ面している方式の店だった。椅子も何脚か置いてあるので店の前でのんびりとクレープを食すことも可能。
「さて、二人の馴れ初めなどを訊きたいものですね」
 クレープ屋の前に置かれた椅子に三人で腰掛ける。俺は覚悟を決めて、インタビュアー大沢の質問に受け答えすることにした。カノジョの部活での友達と仲良くしておいて損はあるまい。氷華梨の身に何かあったときの情報源は持っておくべきだ。
「馴れ初めも何も、クラスメイトだよ。『周防』と『瀬田』だから、入学したときは前後の席だったんだ」
 本当はアルカナ使いの呪印の問題が絡んできたりするが、説明が面倒なのでそこは省略。
「おおそうでした! 周防さんの話ではカレシは同じクラスメイトでしたね。私としたことが失念していました。それにしても、学校が始まった段階で近くの席にこんなイケメンがいるとは恨めしい……じゃなかった、羨ましい」
「俺など大してイケメンじゃないだろう。俺以上のルックスの奴なら探せばゴマンといるだろう」
「違うのです。私がご所望の男子は、翔馬みたいに一見草食系なんだけど、その実、裏に何か抱えていそうな、そんな悲哀あふれる系の男子なのです」
 大沢の指摘にどきりとする。
 確かに俺は後ろ暗い過去を抱えているが、それを初見で見抜くとは。
 この娘、一見すると陽気天然系のようで、その実、人間観察に長けているのかもしれない。
 俺が大沢に対する評価を考えあぐねていると、
「見つけた」
 背後で冥い声がした。
 何事かと振り返ると、そこには金属バットを振りかざした、ガラの悪い男が立っていた。
「なッ!」
 俺の驚愕などお構いなしに、男は一気にバットを振り下ろす。
 しかも、振り下ろした先には、俺のすぐ横に座っていた氷華梨がいた。
「危ない!」
 俺は思いっきり氷華梨を突き飛ばす。
 乱暴な対処だが、金属バットの餌食になるよりはマシと判断。
 ただし、氷華梨を突き飛ばすということは、俺がバットの軌道に入ることにほかならない。
 ゴキッ!
 金属バットが俺の右肩にめり込む。
 激痛が電気信号となり、脳に殺到。
 左手で右肩を抑え、激痛に耐えながら俺は男の前に立ちはだかる。
「翔馬!」
 氷華梨は切り裂くような悲鳴を上げる。
「何ぼやっとしてるんだ。早く逃げろ!」
 男の凶行の動機はわからない。けれど、こんな危険人物の前にカノジョとその友達を置いておくわけにはいかない。
「どけ、どけ、どけ! 俺は罪を償わなければならない。だから周防氷華梨の骨をヘシおらなければならない。どけ!」
 男は目を血走らせながら、意味不明な言葉を吐き出す。
 意味不明さが満載だが、氷華梨が狙いというなら、尚の事、ここを退くわけにはいかない。
 とはいえ、こちらは手負いで、武器を所持した相手に対抗できる格闘術のスキルなし。
 ヤベエ、絶対絶命? リアル死亡フラクが立ちやがったか?
 こういう場合、『俺、この戦いが終わったら氷華梨と結婚するんだ』とでも言っておくべきか?
「邪魔だぁぁぁぁっっ!」
 絶叫しながら、男はバットを振りかざす。
 俺はイチかバチか、男の懐に飛び込もうと地を蹴ろうとした。
 ところがだ――。
「させないよ」
 俺の背後から、凛とした声が響いた。
 俺は、左側に突き飛ばされる。
 俺のいた場所には、氷華梨が立っていた。
 氷華梨は自身の左腕を盾にして、男のバットを防ぐ。
 ゴキリ、と骨の折れる音が響き渡る。
 氷華梨は苦悶に顔を歪ませるが、それでも瞳は男を捉えて逃さない。
「う、ああああああッッ!」
 氷華梨の左腕を折った途端に、男は別の表情に顔を歪ませた。
 その表情は恐怖。
 激しすぎる男の変化に、俺はもはやついていけない。
 一方で氷華梨に一切の容赦なし。
 氷華梨の鋭い蹴りが、男の鳩尾に突き刺さる。
「ぐえっ……」
 カエルが潰されたようなうめき声とともに、バット男は地に沈む。
「きゅ、救急車!」
 大沢が震える声で叫ぶ。
 まったく、何が一体どうなっているんだ?
 俺は、集まってくる野次馬を、辟易としながら眺めた。
 そんな中に、見つけてしまった。
 うすら寒い笑顔を貼り付けた、名壁司の姿を。

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