アルカナ・ナラティブ/第8話/07

「だったら瀬田に周防を傷物にさせろとでもいうのか?」
 ヒノエ先輩に反論の声を上げる阿加坂。
「まさか! しかし、名壁司の卑劣な計略の上で踊るのは不愉快極まりない。私はそう言っているのだ」
 声を大にしてヒノエ先輩は言う。
「それにテメエ、あわよくば翔馬のカノジョを、横からかっさらおうとか考えているんじゃないだろうな。そのために、翔馬に別れ話を持ちかけてきている。違うか?」
 阿加坂を睨みつける水橋先輩。かつて水橋先輩に血ダルマにされたトラウマがある阿加坂は、それだけで小さな悲鳴を上げる。
「オレにそんな不純な動機はない! ただ、オレは名壁の危険さをお前らにも伝えておきたかっただけなんだ」
 水橋先輩とは視線を合わせず、床を見ながら阿加坂は言う。
「名壁が危険? あれは危険というよりは、ただの変態だろう」
 俺が怪訝な印象を受けて、首を傾げる。
「違うんだ! 名壁は正真正銘壊れている。あいつはとんでもなく歪んだ【正義】の持ち主だ」
「……何かあいつの事情を知っているみたいだな」
 アルカナ使いの魔法は、自身のコンプレックスを核に形成される場合がほとんど。なので、それを知ることは、相手の魔法を知ることに繋がってくる。
 敵を知れば危うからず。これから名壁と対峙するなら、向こうの事情も知っておく必要がある。
「あいつは、人を玩具にして楽しんでいる。あいつの中では、それが正義なんだよ」
「意味がわからないな。そんなのが正義なわけがあるものかよ」
 俺は腕を組みながら、阿加坂の意見をあえて鼻で笑う。
「真面目に聞いてくれ! あいつは楽しそうにオレに言ったよ。名壁自身が、自分の正義に気づいたのは中学一年のときだって。あいつは、そのときに自分の妹に性的虐待を加えていたらしい」
「……ほう。それで?」
「どうも、中学自体の名壁の家庭は相当に複雑だったらしい。名壁司は実の母親から虐待を受けて、息子である名壁司は妹を犯し抜くことで、自分のストレスを解消していた、と言っていた」
 あの変態、自分の身内にまで手を出してやがったのか。
 呆然とする俺に、阿加坂は続ける。
「名壁は楽しそうに教えてくれたよ。自分に犯された妹は、精神的なショックで声を失って、今でも廃人同様の生活をしていると。そして、それを見た名壁は思ったそうだ。自分は大切な妹の声を奪ってしまった罪を償わなければならない、と。そこまでは当然の思考だけど、問題なのはその方法だ。名壁は、妹一人だけが心を壊されたのは可哀想だ。だから、他にも誰かの心を壊してしまうのが自分の取るべき償いの道だと語った。罪を重ねることでしか、人の罪は許されないのだと、あいつは堂々と吐き捨てた」
 阿加坂の説明が事実だとすれば、確かにそれは狂気の論理だ。
 初期条件で、名壁司の倫理観や正義感は破綻しているといわざるを得ない。
 同時に思う。
 もしも名壁が真性の狂人だというなら、彼の凶行を止めなければならない。まして名壁の意のままに操られるなどもっての外だ。
「どうして、阿加坂はそんなヤツの操り人形になっている。いくら魔法で命令を聞くように強制されていても、逆にお前の【オートマトン】を使って操り返す方法はあると思うが?」
 腑に落ちなかった点を阿加坂に確認する。
「それはダメなんだ。俺は名壁に『阿加坂光栄は、名壁司に命令するな』という命令も受けている。だから、あいつに俺の魔法は使えない」
 顔を手で覆いながら、阿加坂は述懐。
 なるほど。粘着質な手ではあるが、確実な防御策だ。
 本当に、名壁は人に嫌がらせをさせたら右に出るものはいないな。全く以て羨ましくない特技だ。
 名壁の暴走ぶりは目に余る。しかし、さしあたって、解決すべきは俺にかけられた『自分のカノジョを傷つけろ』という魔法。
 氷華梨と恋人としての縁を切るのは、おそらく名壁の思惑のうち。
 さりとて氷華梨を傷つけるなどありえない。
 となると、俺は第三の道を模索せねばならんな。
 って、簡単に第三の道なんて見つからないのが人生なんだけど。
 名壁の魔法を解除するような、都合のいい方法は現状で存在しない。
 俺ができるのは、精々『相手に自分の存在を誤認させる』というビミョーな効果の魔法だ。
 そんな魔法、今回の問題は役に立ちそうもない。
 ……いや、待てよ?
 本当に使えないのか?
 理屈をこねこねしていると、俺に一つの天啓が舞い降りる。
「なあ、この部屋に鏡とボールペンはあるか?」
 思い立ったが吉日。俺は、ひらめいたアイデアを実行せんと、ヒノエ先輩に訊いた。
「この部屋にというか、両方共、私の鞄の中に入っているよ」
「悪いけど、それ貸してくれない? いや、というか、ボールペンに関しては譲って欲しいんだけど」
「……何か、考えがあるようだね。構わんよ」
 そういうと、ヒノエ先輩は彼女の鞄から、鏡とボールペンを取り出し、俺に渡す。
 一体何をする気だという具合に、みんなの視線が俺に集まる。
 衆目に晒される中で、俺は鏡を覗き込む。
 俺の魔法【レンチキュラー】は、相手の認識を歪ませ、自らの存在を誤認させる力だ。
 今まで何度か【レンチキュラー】を使ってきた。しかし、それはいつも他者の認識を歪ませるという方法だった。
 けれど、同時にいつも考えていたのだ。
 この魔法の適応範囲は、他者だけにとどまるのだろうか、と。
「なあみんな、一つ頼みがある」
 俺は部屋にいた一同に声をかける。
「何かね?」
 代表するように応答したのはヒノエ先輩だった。
「もしも、これから俺がやることで、俺が壊れてしまったら、俺に俺が瀬田翔馬だとみっちり教え込んで欲しいんだ」
 我ながら酷く抽象的な言い振りだ。ヒノエ先輩の説明下手をバカにはできんな。
「すまん。言っている意味がわからん。もっと、具体的に説明してくれ」
 案の定、ヒノエ先輩は困惑するが、俺は構わず、鏡を覗き込む。
 右側の前髪が、不自然に長い、雄々しさゼロの顔が底にあった。
 俺は、そんな自分の容姿が好きではない。けれど、今回に関しては自分が好きではないというのは救いだ。
 何しろ、俺はこれから俺でなくなるのだから。
 名壁は俺に、『瀬田翔馬のカノジョを傷つけろ』と命令した。俺のカノジョは周防氷華梨以外にありえない。しかし、俺は周防氷華梨を傷つけたくない。
 だったら、答えは簡単だ。
 他の誰かを周防氷華梨だということにして、傷つけてしまえばいい。
 そして、その誰かとは――俺だ。
 俺は魔法【レンチキュラー】を発動する。
 発動する相手は、自分自身だ。
 鏡に映る像が、みるみるうちに歪んでいく。
 いかにも弱々しい男子の顔から、凛とした少女の顔へと姿を変えていく。
 俺は、魔法を使って自分という相手の認識を歪ませる。
 鏡の中の顔が歪むと同時に、俺の中での自分に対する認識も歪んでいく。
 俺は瀬田翔馬――。
 ――だけど私は、周防氷華梨。
 俺は――。
 ――私は。
 周防氷華梨を傷つけなくてはならない!
 そして、『俺』とも『私』ともつかない、混濁した意識の中で、『俺』は『私』に刃を向ける。
 左手に握ったボールペンを、高々と振り上げて、右手の甲に突き立てるべく、一気に振り下ろす。
 しかし、
「早まるな!」
 ボールペンは、手の甲を貫く寸前のところで急停止。
 見ると怒りで目を釣り上げた水橋先輩が『私』の左手首をがっしりと掴んでいた。
 私は――。
 ――俺は。
 意識の混濁現象が再度生じる。
 激しい頭痛が私を、それとも俺を、襲い始める。
「う……が……あああああああああっっっ!」
 自分が誰なのかわからなくなって、自我は崩壊寸前だった。
 そんな哀れな存在に対し、水橋先輩は手で印のようなものを切りながら、呪文を唱える。
「――!」
 知らない言語で紡がれた呪文が、壊れ行く心に優しく染み込んでいく。
 そして――。
「はあ……はあ……。死ぬかと思った」
 俺は瀬田翔馬としての自分を取り戻す。
 みんなを見ると、水橋先輩以外は何が起きたのかわからずポカンとしていた。
 流石にマズイと判断した俺は、全員に俺がやろうとしたことを説明する。
「馬鹿者。自分に魔法を使うなど無謀にも程がある」
 ヒノエ先輩は言葉とは裏腹に怒ってはいなかった。
 ただ、安堵のため息を漏らしていた。
 一方でご立腹らしかったのが水橋先輩。
「翔馬、もしもだ。お前の恋人が、お前のために自分を傷つけたら、お前はどう思う?」
 目はつり上がっていたが、声は淡々としたものだった。それが逆に怖い。
「それは……凄く悲しいし、同時に腹が立つ。俺のために、大切な人が傷つくなんて、あってほしくない」
「そうだな。それが普通の感覚だ。だったら訊こう。どうしてお前は今、自分の恋人を悲しませるような真似をした?」
 水橋先輩の質問に、俺は答えられない。
 俺の行為は、氷華梨のためというお題目を抱えながら、けれど結局は自分のエゴなのだ。
「お前が恋人を傷つけたくないという気持ちは買ってやる。でも、そのために自分を貶めるな。そんなもの相手にとっては重荷でしかない。重すぎる想いは、時に恋を殺しかねないんだ」
 水橋先輩の言葉は、俺の中で消化不能な澱となって残留する。
 結局、昼休みという短時間では、今回の問題に対する解決策は見つからなかった。
 一同は、始業のベルと共になし崩し的に解散した。

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