アルカナ・ナラティブ/第8話/09

 自分のカノジョを傷つけなくてはならないという衝動は抑えられない。カッターナイフの刃を構えて、俺は氷華梨に突進する。
 やめろ! やめてくれ!
 言うことを聞かなくなった自分の身体に、俺は必死になって叫ぶ。
 氷華梨と俺の距離は縮まるばかり。
 頼む、氷華梨。避けてくれ。俺はお前を傷つけたくなんかないんだ。
 絶体絶命の状況。
 その刹那、声がした。

「――瀬田翔馬は、オレを自分のカノジョと認識しろ!」

 背後からの大声。
 それは名壁の傍らに控える阿加坂のものだった。
 阿加坂の命令に貫かれた瞬間、俺の軌道は百八十度回転した。
 振り返ると、先まで阿加坂がいたはずの場所に氷華梨の姿があった。
 いや、それはあくまで誤認に過ぎない。
 そこにいるのは阿加坂光栄のはずなのに、俺は彼を周防氷華梨としか認識できない。
 俺の認識は、阿加坂の魔法によって、完全に歪まされていた。
 俺は名壁の隣に控える『自分のカノジョ』に向かって、ナイフを突き立てる。
 ――ゾブリ。
 肉を貫く、気色悪い感触が手に伝わってきた。
 見ると『自分のカノジョ』は左掌を前方につきだしており、俺はそのど真ん中を貫いた。
 次の瞬間、絶対命令という名の魔法は切れた。
 俺の目の前にいたのは、手のひらから大量出血している一人の男子生徒の姿。
「阿加坂!」
 俺は大慌てで介抱しようとするが、阿加坂は俺の手を振り払う。
「ウゼエよ。お前なんかに心配されてたまるか」
「でも、阿加坂、お前……」
 俺は半ば呆然としながら、阿加坂を凝視する。
「勘違いするんじゃねえぞ。お前が周防を傷物にしたくないのと一緒だ。オレだってそんなのいやなんだよ。あいつは絶対いつか、オレの女にしてやる。だから、名壁なんかの好きにはさせねえ!」
 強い意志を秘めた眼差しは、どこまでもまっすぐだった。
「それよりも瀬田、これからきっちり逆転劇を仕掛けてくれるんだろうな?」
 突き刺さったカッターナイフを引き抜き、傷口をハンカチで止血する阿加坂。
「もちろんだ。お前にも、ちょっと協力してもらうぜ」
 俺は言いながら、名壁を見据える。
「お前と協力するのは癪だが、名壁のいいなりになる方がもっと癪だ。いいぜ、乗ってやるよ」
 息も絶え絶えになりながらも、阿加坂は力強く宣言。
 けれど、俺と阿加坂を敵に回してなお、名壁は泰然たる態度。
「二人がどんなことをしてくるのか実に怖いなあ。けれど、どんなことをしてこようと、魔法【コンヴィクト】は君たちのしてきたことを断罪する。俺に断罪される覚悟があるなら、さあ、なんなりとしてご覧」
「残念だったな名壁。その余裕がお前の命取りだ!」
 宣言すると、俺は魔法【レンチキュラー】を発動した。
 発動した相手は阿加坂光栄。
 魔法をかけられた阿加坂は一瞬だけ目を丸くするが、俺の作戦を察したらしくニヤリと獰猛な笑みを浮かべる。
「阿加坂光栄に命令する! 名壁司がかつてお前に下した『名壁司に命令するな』という命令を忘れろ!」
 俺は堂々たる態度で、阿加坂に命じた。
 これに対して阿加坂は、機械的な声で、
「了解」
 と言った。
 同時に名壁も状況を察したのか、歯軋りをさせていた。
 今俺が阿加坂にしたことは、なんのことはない。
【レンチキュラー】で阿加坂に、俺が名壁司であると誤認させたのだ。
 しかし、誤認といっても俺の魔法は、相手の認識を根底から歪ませる力。
 名壁に姿を偽った俺の命令は、阿加坂にとって本物の名壁が言った命令と同等の力を持つ。
 これに慌てたのは名壁だった。
 彼は大慌てで、口を開き、
「阿加坂光栄、今の命令は忘れて、これから先も俺の命令を――」
「させない!」
 再度阿加坂に命令を重ねようとした名壁。しかし、機転を聞かせ蹴り込んできた氷華梨によって阻止される。
 それどころか、氷華梨の蹴りは、無防備だった名壁の鳩尾にクリーンヒット。
 名壁は咳き込み言葉を発せない。
 俺はそのチャンスを見逃さない。
 俺は俺自身の存在を、阿加坂に名壁であると誤認させた状態で、更に命令。
「加えて阿加坂光栄に命じる。今、周防氷華梨に蹴られた方の名壁司にこう命令せよ! ――自分で自分を断罪せよ、と!」
 俺の言葉に、名壁の顔が絶望に歪むが、もう遅い。
「名壁司は、自分で自分を断罪しろ!」
 俺の命令によって、阿加坂の【オートマトン】が放たれる。
 それは即ち、この戦局の終焉を意味していた。
 瞳孔の開いた瞳で、名壁はボソボソと自らに向かって呪詛を紡ぎ上げる。
「名壁司。貴様は自分の妹を犯し、彼女から声を奪った。これは許されざる罪である。よって、お前はこれから声を発してはいけない!」
 やがて、阿加坂の魔法が切れたらしく、名壁の瞳孔は元の大きさに戻る。
 しかし、彼は何も言わない。
 否、言えないのだ。
 何かを言わんと必死に口をパクパクさせているが、何も言葉を発せない。
 苦しそうな顔をして、俺を、阿加坂を、氷華梨をそれぞれ睨みつける。
 けれど、俺たちは彼に同情などしない。
「よう名壁、相手から好き勝手に蹂躙される気分はどうだい?」
 名壁が答えられないのを承知で、俺は名壁に絡んでいく。
 当初こそ俺を睨みつけていた名壁だったが、徐々に涙目になって、最後には涙をこぼしていた。
 相変わらず口を酸欠状態の金魚みたいにパクパクさせながら、彼は俺に助けを乞う。
 だけど、俺に名壁を助ける義理はない。
「――断罪されろ」
 彼には一言、そういって、俺たちはこの場を立ち去った。

   ◆

 阿加坂を保健室に連れて行くと、俺と氷華梨は、ヒノエ先輩と水橋先輩を魔法研究部の部室に呼び出した。
 本当は阿加坂の容態が気になるところだった。しかし、彼本人は悪態をつくばかりだった。
 俺に対しては、『瀬田に心配されるなんて気持ち悪い』と言った。氷華梨に対しては『周防にはこんな無様な姿をいつまでも見られたくない』と照れくさそうに笑った。
 阿加坂は、今回の一件の最大の功労者。なので、改めてお礼を言いたかったが、それは彼の怪我の治療が終わってからにしよう。
 魔法研究部に集まった先輩方は、簡単な事情説明を受けて、胸をなでおろしている様子だった。
「それにしても、阿加坂の野郎が、そこまで男を見せるとはな。これからは、接し方を変える必要があるか」
 と言ったのは水橋先輩。彼はキズナ先輩が暴力を振るわれたことは一生許さないだろう。けれど、多少なりとも認識を改めてくれてなによりだ。
「これにて一件落着かね。まったく、いつもながら翔馬君の機転の速さには恐れ入る。私は今日は帰るが、君たちはどうするかね?」
 魔法研究部の部長は、残りの部員に質問する。
「俺はこれから軽音部に出席だ。それじゃあ、先に失礼するぜ」
 水橋先輩は、立ち上がり去っていく。
 残されたのは俺と氷華梨。
 俺もすぐに帰るつもりでいた。しかし、
「私は、ちょっと翔馬と話していきたいことがあります」
 珍しく氷華梨がヒノエ先輩に要求を出す。
「そうかね。ならば、部屋の鍵は預けよう。恋人たちの間に割ってはいるのは無粋なので、私も失礼するよ」
 ヒノエ先輩も部室を去っていく。
 ただし、去り際に余計なことをほざいて。
「ちなみに、この部室でエロいことをするのは禁止だ。いくら二人きりでいいムードになったからといっても慎むように」
 呆然とする一年生二人。
 そして、二人きりになった。
「話ってのはなんだ?」
 俺は氷華梨に訊いた。
「どうして、翔馬は名壁に魔法をかけられたときに、私に相談してくれなかったの?」
 珍しく氷華梨は怒っていた。
「どうしてって、……そりゃ、お前に心配をかけたくなかったからだ。お前こそ、どうして、今日は学校にいるんだよ。名壁に呼び出されたから来たみたいだけど」
「そうだよ。私の家に名壁から電話が来たの。そして、あいつは翔馬が魔法をかけられていることを楽しそうに話していた。私は、悔しかった。どうして、そんな大事なことを、翔馬は私に相談してくれなかったんだろうって」
「だって、相談したら、お前の場合、絶対私を傷つけてって言うだろう? 俺はそんなのは嫌だ。死んでもしたくない」
「だったら、ずっと翔馬が名壁の魔法で苦しんでいるのを放っておけっていうの? そんなの私は嫌だ。だから、私は今日学校に来た。私は翔馬のためだったらどんなに傷ついたって構わない!」
 氷華梨の力強い宣言に、俺は思う。
 俺は、とんでもない女の子をカノジョにしてしまった。
 俺が氷華梨を強く想っているように、氷華梨も俺を強く想っている。
 それはある意味で最強の絆だ。けれど、それは下手をすれば二人を破綻させかねない諸刃の剣。
 純粋さは時に、相手を傷つける狂気になる。
 きっと、俺たち二人の弱点はそれなのだ。
 だから、俺は提案した。
「氷華梨、二人の間でルールを決めよう」
 いきなりの申し出に、氷華梨はきょとんとするが、俺は構わず続ける。
「俺はずっと氷華梨と一緒にいたいんだ。だからさ、そのために、二人が対等でいられるようなルールをつくろう。嬉しいことは倍にして、悲しいことは半分にできるような、そんなルールを」
 突拍子もない申し出。
 なのに氷華梨は「いいよ」と頷き、さらに言う。
「だったら、こうしよう。お互いに辛いことがあったら、隠さずにそれをちゃんと相手に言う。一人で抱え込まないで二人で考えて、解決する。これでどう?」
 微笑みを湛えながら、俺が考えていたのと同じことを、氷華梨が口にする。
 二人して、同じことを考えていたみたいだ。
「約束だ。俺はそのルールを守る。だから氷華梨もそのルールを守ってくれ」
「うん」
 そして、氷華梨は右の小指を俺に差し出す。
 俺は無言で、差し出された指に、自分の小指を絡めた。
 いわゆる指きりというやつである。

 ――指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます。指切った――

 まるで子供みたいな宣言で、二人は違えてはならない契約を結ぶ。
 それは、どんな呪詛よりも強力で、強烈な力を持った、魔法の言葉だった。

【VIII・正義】了

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