アルカナ・ナラティブ/第9話/01

「勉強の基本は暗記だ。全て覚えれば万事問題ない」
 黒マントを羽織った【隠者】は、厳かに暴言を放り投げる。
【隠者】の名前は丙火野江《ひのえ・ひのえ》。俺、瀬田翔馬が所属する魔法研究部の部長にして、我が校の三年生の学年首席。苗字と名前が一緒の音になるのをコンプレックスに感じているのが、ちょっとお茶目な麗人だ。
 彼女をフルネームで呼ぶことは、おそらくは死亡フラグ。なので生きる知恵を持つ者は彼女を『ヒノエ』と呼ぶに止める。
「ヒノエ先輩、それは暴論だ。理解しなければ、知識を使いこなすことはできない」
 俺の言葉は、まっとうな意見のはずだった。にもかかわらず、ヒノエ先輩はなびかない。それどころか、不思議そうに首を傾げている。
「彼らは、そもそも教科書の内容を理解できないのだろう? 理解が無理なら、丸暗記すればいい」
 ヒノエ先輩の理論は、鋼鉄の冷たさでその場の人間を惨殺する。
 まるで『パンがなければケーキを食べればいいじゃない』と宣った圧制者だ。世が世なら民衆が革命運動に走ってもしかたがない。
 しかし、ここは平和な法治国家。誰もわざわざレジスタンスになろうなどとは思わない。
 というかまあ、やっていることは単なる試験前の勉強会だしね。
 俺は現在、放課後の図書館でクラスメイトと共に、期末試験対策の勉強会を開いていた。いや、正確に表現するなら開かされていたと言うべきだ。
 俺は別に、仲間内で勉強をしないでも、試験をどうにかする自信はある。事実として、中学は不登校だったが、この学校の入試は独学で乗り越えた。一学期の半ばに行われた中間試験もそれなりの点数を取っている。
 そんな人間がなぜ勉強会をやっているかといえば、担任にクラスメイトのお守りを任されたからだ。
 担任は言いました。
『うちのクラスから夏休み補習者を出したくない。中間試験の成績が悪かったヤツは期末で取り返すしかない。よって、瀬田が勉強を教えてやってくれ』
 途中までは言っていることは真っ当である。教師なら自分のクラスから落ちこぼれを出したくはあるまい。
 でも、どうしてそんな連中のお守りをするのが俺なのだろう? 何を以てうちの担任は『よって』なんていう接続詞を用いたというのだ。全然、全く、一ミリも論理的ではない。
 という旨を俺はちゃんと抗議した。泣き寝入りはよくない。間違っていることは間違っていると言うべきだ。表現の自由を許した日本国憲法バンザイ!
 なんだけど、担任はさらりと、
『このクラスの学級長は瀬田だから。それともお前は、困っているクラスメイトを見捨てられるのか?』
 学級長うんぬんは関係ないにしろ、後半部分は見過ごせない。
 クラスメイトは仲間。仲間は守るべきもの。よって、夏休みの補習は阻止せねばならん。
 というわけで、俺が幹事となって勉強会を開く運びと相成った。我ながら面倒臭い性格だ。
 ところがだ、勉強会に参加するクラスメイトの一人は言うのだ。
『どうせなら、綺麗なお姉さんに勉強を教わりたい』
 ――と。
 スキルがあったら、俺はそいつに崩拳を繰り出していたに違いない。
 俺が唖然として何も言えずにいると、勉強会参加者の男子は『だったらヒノエ先輩を呼ぶしかない!』と言い始める。
 ヒノエ先輩は、四月に行われた新入生キャンプでうちのクラスと行動を共にした縁から、我がクラスと、たまに交流を持つ。
 そんな事情でヒノエ先輩を召喚した結果が現状である。
 そもそも、プレゼン能力が壊滅的に破綻しているヒノエ先輩が、人に勉強を教えられるわけがない。
 俺は事前に、こうなる未来を予想はしていた。しかし、ここまで凄まじいとは思わなんだ。
 おウチに帰りたい。俺は幼児退行しながら、窓から夕焼けに染まる空を眺めた。
 勉強会参加者は、俺とヒノエ先輩を除いて五人。男子三人、女子二人。普段は賑やかで活発なメンバーなのだが、今は揃いも揃って閉口していた。
 空気が完全に凍りついている。
 ここで、普通の人間が相手なら暗記のコツでもインタビューすればいい。
 ところが、ヒノエ先輩は普通の人間ではない。
 彼女は『一切の情報を忘れない』という魔法が使える【アルカナ使い】だ。
 試験においてはチートに等しい魔法。
 そんな魔法が使える人間から暗記のコツを聞き出せるわけがない。
 空気は一気に沈み込む。
 ヘルプ・ミー。
「理解も暗記も無理ならば、感動すればいいのです!」
 突然背後から上がった声に、俺は目を点にする。
 振り向くとそこには男子生徒。俺の見知った顔。
 天野篝火《あまの・かがりび》先輩だった。
 取立てイケメンというわけではないが、笑顔が人懐っこい印象を与えてくる。
「何の用だ、天野。冷やかしなら容赦はせんぞ?」
 ヒノエ先輩が男子生徒を氷の視線で睨みつける。
「どちらかといえば賑やかしだよ、ヒノヒノ」
 ヒノヒノ――それ即ち、ヒノエ先輩のフルネームを揶揄した呼び方。
 当然、そのような無礼(?)をヒノエ先輩が捨て置くわけがない。
「死・ぬ・が・よ・い!」
 亜光速で立ち上がったヒノエ先輩は、天野先輩の顔面を掌で鷲掴み。そこに容赦はなく、ちょっとばかり天野先輩の顔に爪がめり込んでいた。
 見ていて痛々しかったが、一悶着が終わると、天野先輩は恍惚とした表情。
「……誠に恐悦至極」
 まんざらでもない様子。
 きっと、天野先輩の属する業界ではご褒美なのだ。
「というか、本当に何しに来たんだ天野先輩?」
「テスト週間だから部活もないし、暇だから本でも借りようと図書館に来てみたら、お前らがいたからご挨拶をば」
「テスト週間に暇してるって、随分と余裕だな。勉強しなくていいのか?」
 天野先輩もヒノエ先輩と同じく三年生。進学にしろ就職にしろ今からが山場だというのに、悠長に構えすぎだ。
「勉強は、なんかもういいや。最近、俺は死ぬまでに読んでおきたい本が山ほどあることに気づいたのだ」
「試験前になると妙に勉強とは関係ないことをしたくなるって心理はわかる。でも、現実から逃げるなよ」
 まるで俺は教師のように説教を垂れる。別に人様に偉そうに言える人生は歩んでいない。しかし、天野先輩を見ていると小言の一言でも言いたくなる。
「そんなに勉強って大事かね。勉強ばっかりして、その後に何が残るんだ?」
「そういう台詞は、ちゃんと勉強してから言う方が格好つくぞ?」
 天野先輩みたいなちゃらんぽらんな人が言っても、説得力が欠片もない。
 俺は半眼で天野先輩を見ていた。ところが、天野先輩は堂々たる態度。
「例えばどれぐらい頑張れば、ちゃんと勉強したと認めてくれるのだい?」
 いけしゃあしゃあと訊いてくる。このまま続けると、この人は屁理屈でも繰り出してきそうだ。
「さしあたって、学年順位でトップテンにでも入っておけば、文句は言えないな」
 俺の言葉に、天野先輩は右手の人差し指と中指をピンと立てる。
「なぜピースサイン?」
 首を傾げる俺と、首を横に振る天野先輩。
「違うな、これは数字だ。もっと言えば俺の学年順位」
 天野先輩の言葉に、俺の頭がフリーズした。
「……もしかして、二?」
「イエス! 実は翔馬の目の前にいる男は、三年生の学年次席なのでした。といっても、首席じゃないのがちょっと格好つかないけどね」
 飄々と天野先輩は言ってのける。
 学年次席だというだけでも驚愕に値する事実。だが、俺はその言葉のもっと深い意味も理解していた。
 学年次席ということは、その上に学年主席がいる。
 その学年首席とは、ここにいるヒノエ先輩だ。
 しかし、ヒノエ先輩は前述の通り、魔法の力があってこその学年首席。それは彼女本来の実力ではない。
 一方で天野先輩は、【アルカナ使い】として魔法が使えるが、それは勉強の役に立つとは思えない代物だ。
 結論。真の実力だけで言えば、天野先輩は三年生の中で一番勉強ができる。
 ……俺は、そんな人間に『勉強しなさい』と言っていたわけですか。
 とんだ道化だな、それ。
 俺が呆然としていると、横からヒノエ先輩が、
「そうだな。確かにお前は学年次席だ。更に言えばお前は暇だという。ならば、ここにいる者たちに勉強を教えていっても罰は当たらんぞ」
 上からなモノの言い方だが、俺は瞬時に悟った。
 ヒノエ先輩、自分が勉強を教えるのが不得手だから、天野先輩に丸投げしたな?
 これに天野先輩はまんざらでもない様子。
「いいでしょう! 教えましょうとも。それがヒノエの勅命とあらば、どんな難題も成し遂げてみせましょう。蓬莱の玉の枝だろうと、火鼠の皮衣だろうと見つけてきてやらあ!」
 テンション高く、天野先輩は宣言。でも、ここは図書室である。図書室ではお静かに。
「いいんすか? 俺ら、かなりの馬鹿で、前回の中間試験で赤点取ってきたような連中なんですけど」
 クラスメイトの一人が、萎縮して言う。
 ところが天野先輩はちょちょっと指を振って、こう返す。
「自分で百点を取るより、赤点の子を救済する方がよっぽど難しいし価値がある。数学の一次関数だろうが、英語の五文型だろうが、じゃんじゃん質問してくれや」

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