アルカナ・ナラティブ/第9話/02

「数学なんて何の役に立つんですか?」
 勉強会参加者の女子の一人が、手を挙げて天野先輩に質問する。
 天野先輩はどんな質問でも承るみたいなことは言った。しかし、それは出題された問いについての質問を許可しただけ。勉強すること自体の意義を問われても困るだろう。
 ……と、普通は思うじゃん?
「的を射た質問だ。数学ができるかどうかは、数学をする意味がわかるかどうかにかかっている」
 天野先輩は女子生徒の質問に、目を輝かせていた。
「数学なんて、理数系の分野に進まん限り、役に立たない代物だ。そこに意味を求めても虚しい。しいていうなら、数学ができないと単位がもらえない。単位がもらいないと卒業できなくて困る」
 俺はさっさと勉強会を終わらせたいので、簡潔にまとめた。
「いやいや翔馬、それだけでは数学をするモチベーションにはならんよ。どうせだったら、もっと数学を他の教科に有効活用したいと思わんかね」
 天野先輩の発言は奇々怪々。
「物理や化学となら数学は親和性がありそうだが、精々それぐらいだ。文系科目では数学は使わない」
「甘いよ、翔馬。長崎のお菓子カスドースくらい甘い!」
「俺はそのお菓子を食べたことがないから、どれくらい甘いのか想像に困る」
「では、翔馬×氷華梨のカップリングくらい甘いと比喩しよう」
「いきなり、俺の人間関係を持ち出して茶化すな。……事実だけど」
 否定しきれない俺。
 こんなところで馬鹿やってないで、氷華梨と一緒に帰りたかった。
「それでだね、数学は英語にも応用が効くのだよ。例えば、英語の五文型ってあるじゃん。誰か紙とペンを貸してくれ」
 天野先輩の要求に応じ、俺はシャーペンとルーズリーフを差し出す。
 天野先輩は渡されたルーズリーフに――
 第1文型:SV
 第2文型:SVC
 第3文型:SVO
 第4文型:SVOO
 第5文型:SVOC
 五文型の全てを書き出してみせる。
「Sは主語、Vは動詞、Cは補語、Oは目的語の関係が成り立つ」
 天野先輩は、更にルーズリーフに以下のように書き足す。
 S=主語
 V=動詞
 C=補語
 O=目的語
「あとは、この法則に従って、該当する英単語を記号の中にいれていけば、英文が完成する。ところでこの、記号の中に何かを入れるって行為は何かに似てないかい?」
 天野先輩は、教え子たちの顔を見渡して質問。
「数学でよくやる代入に、なんとなく似てる?」
 男子の一人が言った。
 天野先輩は、上機嫌で頷く。
「いかにも! 英文という無限に種類があるものであっても、記号と代入を使ってやれば極めてシンプルに表現することができる。数学の醍醐味はそれだ。数学というと、まるで算数の延長のように捉えられがちだ。でも、本質はそうじゃない。物事をシンプルに、かつ正確に伝える方法が数学なんだ」
 天野先輩の熱弁は、長年数学に携わってきた学者のようだ。
 彼は更に続ける。
「高校一年生の数学レベルでは、確かに数学をやる意味が見えてこないかもしれない。でもね、いつか、今習っていることを応用した数学も習うことになる。統計学を使えば、ざっくりと全体の傾向性を説明できる。微分積分を使えば、物事がどのように変化するのかを明瞭に解析できる。対数を使えば天文学的な数字を、簡単な形で現すことができる。数学という学問はね、人々が世界についてを表現したいという情熱から生まれたものなんだ。そう考えると、数学は無味乾燥とした数式の砂漠ではないと思えるだろう? 人は数学を通して世界とつながろうとする。だから数学は美しい」
 天野先輩の熱弁に、俺たちは気圧されていた。
 果たして、天野先輩の演説は他の生徒に通じるものであろうか。
 天野先輩の言い分は、あくまで彼の主観。下手をすれば電波発言とも取られかねない。
 けれど、内容どうこうは置いておいて、数学について語る天野先輩は楽しそうなのだ。
 楽しそうな雰囲気というのは、勉強を教える上で最重要。
 どんなことでも、楽しそうなら試してみたくなるのが人の常。それは勉強においても変わらないだろう。
 天野先輩は自分を冷やかしではなく賑やかしだと言っていた。
 それは事実だ。
 彼によって今回の勉強会は、和気藹々とした雰囲気で進行。基礎だけではあるが期末試験の範囲を網羅できた。
 相変わらず、天野先輩はスペックが低いんだか高いんだかがわからない。

   ◆

 勉強会に一区切りつけた俺たちは、学食へと移動する運びとなった。
 その途中で、俺と天野先輩はトイレに寄る。
「いやはや、若人たちに勉強を教えるのは刺激的だね。若い子は乾いたスポンジのように知識を吸収してくれる。俺はそういう、今後どうなるか分からない可能性を見るのが大好きだ」
 手を洗いながら、天野先輩は鼻歌交じりに言う。
「勉強って、そんなに楽しいものかね? 勉強ばっかりやってると、ゲーテの書いたファウスト博士みたいになっちまうぜ」
 俺は皮肉混じりに言ってやった。
「あらゆる学問を極めても、結局は虚しいと言いたいのかい、それは?」
 天野先輩は俺の言葉の意味を正確に汲み取ってくる。
「知の探究者になるのもいいけれど、全知全能になれるわけじゃない。若いうちに遊んでおかないと、老いてから後悔するんじゃないかと俺は最近考えている」
「翔馬にしては言うようになったじゃないか。前は、理屈と理論で世界を捉えようとする癖があったけど、随分と柔らかくなったもんだ。それってカノジョができた影響?」
 ニヤリといたずらっぽい笑顔を貼りつけながら、天野先輩は訊いてくる。
 しかし、天野先輩のふざけた態度にたじろいでは逆に彼の思うツボ。
「仰る通りだよ。氷華梨と付き合い始めてから、自分がいかに感情を疎かにして生きてきたかを実感したよ。なんつーか、人を好きになるって凄いよな」
「うむ、まっことリア充の余裕を醸し出している。爆発すればいいのに」
 内容とは裏腹に、天野先輩の言葉には嫉妬らしき成分は含有されていない。からりとした秋の晴れ間みたいな空気感。
「そういう天野先輩の方はどうなんだよ。ヒノエ先輩との仲は進展してるのか?」
 これ以上、自分が茶化されるのは堪らないので、俺は冷やかし半分に聞いてみた。
 天野先輩はヒノエ先輩に恋をしている。それも十年来の恋。
 長い長い片思い。
 一人の女性を、脇目もふらず想い続けられるというのは、俺は尊敬に値することだと思う。
「相変わらずですな。告白してみても断られる日々を続けております」
「逆に告白する頻度が高すぎるんじゃないか? 告白が人生において大きなイベントでも毎週となると、希少価値は大暴落だ。押してもダメなら引いてみるという戦術はどうだろうか」
「ま、まさか翔馬に恋のノウハウを教わる日が来るとは思わなんだ。お兄さんは今、猛烈に感動している」
「茶化すなよ。俺は割と本気でアドバイスしているんだよ」
「……うっす」
 途端に萎縮する天野先輩。一応俺はカノジョ持ちだから、そこら辺に格差を感じているのかもしれない。
「でもまあ、正直なことを言うと、オレはそろそろヒノエのことを諦めるべきなんじゃないかと考えている」
 天野先輩はさらりと言うが、俺はしばらく反応できなかった。
「……なんで?」
 目を瞬かせながら俺は訊く。
「今更かもしれないけどさ、オレはヒノエを騙している。もし、オレとヒノエが付き合い始めたら、その嘘がバレるリスクが高まる。オレはヒノエが高校を卒業するまであいつを騙し続ける義務がある。最近、そういう考えが強く頭をもたげるんだ」
「それはつまり、魔法についての嘘のことか?」
「前にも話したけど、オレは表向きには自分の魔法は『相手がどうやって知識や記憶を整理しているかわかる』みたいなカンジの力と言っている。でも、それはあくまで、魔法【ハイブロウ】の終焉に怯えるヒノエに希望を持ってもらうための方便だ。本当は、オレにそんな力は使えない」
 天野先輩は天井を仰ぎながら、淡々と語る。
 ヒノエ先輩は【アルカナ使い】として、『一切の情報を忘れない』という魔法が使える。しかし、【アルカナ使い】の魔法はあくまで、この高校に在籍している間しか使えない。
 高校卒業後に、ヒノエ先輩が高校三年間をかけて得た記憶がどうなるかは未知数だ。最悪、記憶を全て忘れてしまうことだってありうる。
 かつてヒノエ先輩はその可能性に気づき絶望した。そこで天野先輩は一計を案じた。自分には相手の記憶状態がわかる魔法が使えると嘘をつき、ヒノエ先輩の記憶は魔法が使えなくなっても失うことはないないと嘘の太鼓判を押した。
 嘘は許されないことかもしれないけれど、それは必要悪だ。
 恋した相手に一条の光を垂らすために、天野先輩は嘘を貫き通すという茨の道を選択した。
 普段はおちゃらけていて、同時に小器用な人だけど、生き方そのものは不器用そのものだ。
「アンタみたいなヤツこそ、報われるべきなんだろうけど、どうしてこうも世界は理不尽にできているのかねえ」
 俺の口から出たのはまごう事なき本心。
「そんなもんだよ、世の中って。万事上手くいくことばがりじゃない。だから生きる価値があるんだと思う」
 天野先輩は困ったような笑っているような不可解な表情をつくる。
 そこで話を一旦切り上げて、俺たちはトイレから出る。
 ところがだ。
 男子トイレの前に仁王立ちする者の姿があった。
「ヒノエ……先輩?」
 羅刹のような形相に、俺はたじろがざるを得ない。
「天野、今しがたトイレで話していたことはどういう意味だ?」
 俺のことなど無視して、ヒノエ先輩は天野先輩に突っかかる。
「えっと、それはどういう意味だろうか?」
 天野先輩もヒノエ先輩のオーラに押されていた。
「通風孔からお前たちの会話が女子トイレまで聞こえてきたよ。天野……お前が自分の魔法を偽っているという話は本当か?」
 怒りと動揺を綯交ぜにしたヒノエ先輩の視線。
 俺は何も言えずに、天野先輩の返答を待つしかできない。
 そして、天野先輩は口を開く。
「事実だよ。オレは自分の魔法について、ずっとお前を騙していた」
 天野先輩は言い訳もしないし、謝りもしない。
 正々堂々とヒノエ先輩の瞳を捉えて宣言する。
「……嘘だ。嘘だと言ってくれ天野! わ、私の記憶は高校を卒業しても維持されるのだろう?」
 懇願するようなヒノエ先輩の言葉。迷子の子供のように震えていた。
「……それは、それは確約できない。お前の記憶に関しては、卒業後どうなるかは誰にもわからないんだ」
 残酷に天野先輩は真実を告げる。
 それに対して、ヒノエ先輩の平手打ちが天野先輩の左頬を猛襲。
 天野先輩は防御も回避もせず、ただそれを受け入れる。
「二度と、私の前に姿を見せるな、この大嘘つき! 死んでしまえ!」
 叫ぶと同時にヒノエ先輩は、踵を返し廊下の彼方へと駆け抜ける。
 天野先輩は、打たれた頬に自身の手を当てながら、虚ろな目でヒノエ先輩の後ろ姿を眺めるのみだった。

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