アルカナ・ナラティブ/第9話/06

 氷華梨の診察が終了すると、俺たちは病院正面玄関近くにある会計へ移動する。
 病院が終わったら、近くの喫茶店で明日の試験科目の勉強でもしようかな。もちろん、氷華梨も誘って。
 最近、すっかり自分がリア充をしていることに、世界のデタラメさを熟考せずにはいられない。
 他者と心が通じ合うことの喜び。
 まさか、そんな人並みの幸せが俺に訪れるなんて、幼い頃は考えもしなかった。
 自分の人生は、闇に塗れて、闇の底で、闇に溶解されていく。ずっと、そんなタカをくくっていた。
 憧れたのは、光の差す世界。
 雲ひとつない晴天の蒼と、心の淀みを洗い流してくれる爽風。
 たとえ贅沢でも、望んでみるものだね。
 その二つは、今まさに俺の隣に座っているのだから。
 願わくば、この時間が永遠に続きますように。
 それって、やっぱり強欲なのかな?
 幸せすぎることに、罪悪感がせり上がる。けれど、それはアッパーリミットが低いせいだからだと自分をなだめる。
 どうにも俺には、時間ができると内省するクセがあっていかんな。もっと、明るい性格に変えていかねば。
「どうしたの翔馬? 妙に神妙な顔をしてるけど……」
 俺のアンニュイな心持ちを感じ取った氷華梨が聞いてくる。
「んー、俺はただ、氷華梨が隣にいて幸せだなあ、と」
 本当はもっとウジウジしたことを考えていたが、氷華梨が心の栄養になっているのは事実。
 なので嘘ではない。
「え、あ、うん……はい」
 嘘でない言葉に対しては『ダウト』なんて言えようはずもない氷華梨。全力で顔を赤らめた。
 可愛い。こうなってくると、もっといじり倒したくなってくる。
 瀬田翔馬さんの中の、サドな部分が疼き始める。
 心の中の悪魔は、こう囁く。――それいけ翔馬。追い打ちチャンスだ。
 心の中の天使は、こう囁く。――ここは公共の場です。ちょっとは自重しましょう。
 けれど、心の中の悪魔と天使に俺は提言するんだ。――このまま放置も逆に良くない?
 その瞬間、悪魔と天使と俺の利害が一致し、お互い一番いい笑顔を輝かせた。
 というわけで、俺はあえて、そっと氷華梨から目を逸らしてみる。
 その時、俺の目に飛び込んできたのは、意外な人物の姿。その人物と俺の目が合う。
「……天野先輩?」
 俺は目があった人物の名をつぶやいた。
 唐突に現れた天野先輩は、盛大に目を瞬かせて、一瞬だけ気まずそうな顔をする。しかし、すぐに人のよさそうな笑顔を貼り付けた。
「いやはや、こんなところで二人に会うなんて奇遇というか、天網恢恢疎にして漏らさずというか。……病院デートとは、翔馬もやりおる」
 茶化すように言う天野先輩。
「俺はただ、氷華梨の通院に付き合ってきただけだよ。というか、天野先輩こそ、どうしてこんなところにいるんだよ? どっか悪いのか?」
「実は頭が悪いんだ」
 天野先輩は白目を剥いてみせた。
「それは知ってる。天野先輩は勉強のできるバカだって、うちのクラスではもっぱらの評判だよ」
「わお、その情報はいらなかった。翔馬は俺のことが嫌いなのか? 一体、どの選択肢で好感度が下がってしまったというのだ。このままでは翔馬コミュがマスターできないではないか」
「いや、俺と親密になっても解禁されるペルソナとかないから」
「わからんぜ? 向こうがペルソナ使いなら、こっちはアルカナ使いだ。絆を育めば、きっと到達するのはメギドラオンでございます」
「あのゲームやってない人には、何のことやらさっぱりなネタだけどな」
 俺は苦笑しながら、しかし眼差しを天野先輩から外さない。
 この人が、電波じみた発言をするときは、決まって何かを隠そうとしている。
 だから、俺はストレートに聞くのだ。
「天野先輩、今何か隠しごとをしているだろう?」
「いえ、俺は作家でも脚本家でもないので書く仕事はしておりません」
「地味に上手いこと言われて、感心したよ。そうじゃなくって、俺の言う隠しごとってのは、秘密を持っているかっていうことだ」
「……そりゃ、オレも人間だから、人には言えないマル秘事項くらい胸に抱えてますって。それを詮索するとは、お兄さんは感心しないな」
 嘘にならないように、巧妙に切り抜けてきやがった。
「だったら質問を変えよう。今日病院にいることと、ヒノエ先輩の告白を断ったことに関係はあるのか?」
 俺の問いは、どうやら天野先輩にとって致命傷だったらしく、彼は深く考え込んでいる。
 ここで下手に嘘をつこうものなら、即座に氷華梨に看破される。それは天野先輩とて百も承知。
「それに関しては、黙秘権を使わせてもらいたいな。好奇心は猫を殺す――この言葉は真理だよ」
「安心しろ、殺される猫は頭の中にしか存在しない。いわば、思考実験みたいなものだ」
「それはそれは、シュレディンガー博士もビックリだ。つまり、俺の秘密は量子力学的にしか解釈できないということかね。ふむ、実に興味深い」
「阿呆な話はこれぐらいにして、さっきの俺の質問の答えをイエスかノーかで答えてもらおうか」
 このまま天野ワールドに引き込まれたら、先輩にイニシアチブを取られてしまう。そうなると面倒臭いので脱線は早めに修正。
「今日、俺がこの病院にお見舞いに来たのは、ヒノエとは関係がある。――さて、これは嘘かな、本当かな?」
 俺と氷華梨を挑発するように、天野先輩は嫌味に顔を歪ませる。
「その言葉は……嘘ですね」
 天野先輩の返答を、氷華梨の魔法は精査する。
「そういうことだね。だから、今ここに俺がいることを誰かに言いふらさないで欲しいな。一応、オレにもプライバシーってものがあるわけだから」
「そういうものなのか?」
 先ほどヒノエ先輩と一悶着起こしたからといって、病院にいることと因果関係があると考えるのは確かに早計だったかもしれない。
「とにかく、オレとしても病院にいることは、話が大ごとになる可能性があるから、内密にしてほしいな。必要なら、ヒノエの靴ぐらい舐めてみせるぜ?」
「アンタにはプライドとかないのかよ。というか、それだと下手すれば天野先輩にとってご褒美じゃないか?」
「そ、そんなことはない……! ご褒美だなんて、そんな……!」
 天野先輩は慌てて否定しようとするが、
「――ダウト」
 氷華梨は言って見せるが、天野先輩から目を逸らしていた。完全にドン引きしているご様子だ。
「待ってくれ、周防さん。それは誤解だ! 足へのキスは隷属の証という。オレはヒノエの虜であり、そういう意味合いで言ったのであって、ヒノエをペロペロしたいとか、そういう意味はないんだ!」
 天野先輩の必死の抗弁。けれど、【女教皇】は震えていた。
「――ダウト!」
 怯える氷華梨。それもまた可愛らしい。おお、俺もマジ震えてきやがった。
 って、そろそろ天野先輩の妄言を止めないと、この場のみんなが不幸になりかねない。
「ところで、お見舞いの相手ってどんな人なんだ?」
 閑話休題と言わんばかりに、急に真面目な話題にしてみせる。
「それは……言えないな。容態を確かめに来た奴のプライバシーに関わる問題だから」
 天野先輩は、表情を曇らせた。心苦しそうに目を伏せている。
「もしかして、すごく悪いのか?」
 深入りすべきか否かは、かなりの迷いどころだったが、俺は腹をくくって聞いた。
 今日の天野先輩のお見舞いがヒノエ先輩と関係があるのは嘘――例えそうだとしても、天野先輩が関わっていることは、できるだけ把握しておきたい。後々、ヒノエ先輩との仲を改善するためのカギになるかもしれない。
「……ここだけの話、容態は最悪だよ。医者の話では、来年の春まで生きられたら奇跡だそうだ」
 ああ、やってしまった。俺はとんでもないことを聞いてしまったんだ。
 まさか、天野先輩の身近に死の気配があるなんて。
 天野先輩が容態を確認しに来た相手が、どんな人物なのかは現状の俺にはわからない。
 けれど、わざわざ学校帰りに病院にくるような相手だ。彼にとって、大切な人物に違いない。
 だとすれば、彼の普段の笑顔も、ふざけた言動も途端に切ないものに思えてきた。
 死に瀕した『誰か』を一時でも忘れるために、下らないクダを巻いていたとでもいうのだろうか。
「なあ翔馬、お前はオレみたいな嘘つきになっちゃダメだぜ?」
 天野先輩は、無理矢理に笑おうとしているのだろう、あまりにも不出来な笑顔を浮かべた。
「天野先輩……」
 俺は、かけるべき言葉がわからない。いや、誰だってそんな都合のいい言葉を見つけられるものか。
 俺はかつて、嘘によって人を殺した。だから、嘘はつかれる方より、つく方が何倍も辛いと知っている。
 だって、嘘をついた方は地獄に落ちるのだから。
 俺は逃げた。逃げるしかなかった。
「というかさ、自分は嘘つきだとか言っている嘘つきは、結局は二流の嘘つきだよ」
 俺が言うと、天野先輩は感心したように頷く。
「一理あるな。だとすれば、一流の嘘つきとは、周りから正直者だと思われているのだろうな」
「加えて言うなら、超一流は自分で自分が嘘をついているとは気づかないような連中だろうよ。そう言う奴は、得てして心が壊れている」
 俺のブラックジョークは、形がお世辞にも整っているとは言えず、世に出荷していい類のものではないだろう。
 今の天野先輩とのやりとりで、俺は一つの事実に気づく。
 俺は詐欺師としては、きっと二流以下の三流だったのだ。
 自分を騙しきることもできず、世に正直者の皮をかぶり続けることもできず、そして自分は嘘つきだと自負していたわけでもない。
 人を食い物にすることに快感を得て、調子に乗っていたただの悪ガキ。
 まいったね、これは。こういうのをとって、黒歴史というんだろうな。

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