アルカナ・ナラティブ/第9話/09


 学校最寄りの公園に天野先輩を呼び出した。
 辺りはすっかり逢魔が時。世が世なら魑魅魍魎が跋扈していそうな時間帯。
 そんな中に、俺と氷華梨と藤堂先輩、そしてヒノエ先輩は天野先輩と対峙する。
「やれやれ、藤堂さんに呼び出されたから何事かと思ったら、まさかヒノエもいたとはね。これはハメられたと取るべきかな?」
 公園の電灯に照らされた天野先輩のシルエットが、肩をすくませていた。
「むしろ、俺たちをハメたのは、天野先輩の方だろう?」
 俺は深いため息とともに言葉を吐き出す。
「はてさて、オレが一体なにをしたというのかな? ……思い当たる節は結構あるけどね」
 飄々たる天野先輩の態度に、しかし、俺は切なさを覚える。
「多分、あんたには色々な嘘をつかれているのだと思う。だけど、大半のことについては目をつむろう。人は嘘なくして生きていけない。嘘をつかないと誓ってみたところで、結局は嘘にまみれてしまうものなんだ」
 これは半分自分への言葉だった。
 思えば高校生活を始める前に、嘘はつかないと誓ったくせに、俺も多くの嘘をついてきた。
【レンチキュラー】で様々な人に姿を偽り、ときに氷華梨への気持ちについて自分で自分に嘘をつく。
 だから、俺は天野先輩の嘘は責められない。
 でも……。
「俺が怒っているのは、あんたが嘘つきだからじゃない。ヒノエ先輩に対する不誠実な態度にだ」
 俺の糾弾に、天野先輩はピクリともしない。それこそ、本当に宵闇に現れた妖怪みたいだった。
「なにを言っているのかわからないな。もうちょっとわかりやすい言葉で示さなければ、オレはなんとも言えないな。それとも、オレがボロを出すのを狙っているのかい?」
「まさか。あんたはバカだけど頭はいい。だから、自ら墓穴を掘るとは思えない。けど、頭はいいけどバカだ。一番大事なことを、一番大事な人に伝えていない」
 この言葉に、意外にも天野先輩は、
「間違いない」
 と苦笑した。
 他の女性陣は、理解不能といった顔を浮かべている。
「さあ、天野先輩。決着の時間だ。この質問に氷華梨の前で答えてもらう。――あなたは、今回の期末テストの初日が終わったあと、病院に誰かのお見舞いに行ったか?」
 俺の尋問に対して、天野先輩は、ゆっくりと暗くなりゆく空を仰いだ。
 そして、言うのだ。
「はい、オレはあの日、あの病院にお見舞いに行きました」
 茫然と、ただ、淡々と天野先輩は言葉を吐き出した。
 しかし、氷華梨はこう示す。
「……ダウト」
 たった一言。それで勝敗は決した。
「ハハハ、やはりオレと周防さんの魔法は相性が激悪だね。まったく、今年のアルカナ使いは往々にしてタチが悪い」
 天野先輩の敗北宣言。しかし、俺以外のメンバーは、ただただきょとんとするしかない。
「……どういう意味なの翔馬? 天野先輩が誰のお見舞いをしていないって。この前の病院では確かに……」
 氷華梨は混乱していた。俺はそれを解きほぐすべく、一つ一つ説明をする。
「あのとき、病院では天野先輩は一言も誰かのお見舞いをしに来たとは言っていないんだ。思い出してみてくれ。どうして、俺と氷華梨は、天野先輩が誰かのお見舞いに来たと判断したのかを」
 俺の説明に氷華梨は、首をかしげて記憶を探っていた。
「あ、そうか。私はお見舞いに来たかどうこうを嘘だと判断したんじゃない。あの日、天野先輩が、お見舞いに来たことがヒノエ先輩と関係があることを嘘と判断したんだった」
「そういうことだ。天野先輩は、確かあのときこう言った。『今日、俺がこの病院にお見舞いに来たのは、ヒノエとは関係がある』と」
 これに対して氷華梨が嘘だという判断をした。だから、俺たちは天野先輩が病院にいることはヒノエ先輩と関係ないと判断した。
「けれど、この言葉は天野先輩がしかけたトラップだったんだ。この言葉で本当に嘘だった部分はヒノエ先輩との関係の有無じゃない。そもそもお見舞いに来たという部分だったんだよ。言葉としてひと繋ぎだから、氷華梨の魔法はどこを嘘かを精査できなかった。たった、それだけのことだったんだ」
「そういうことだったの……」
 驚くべきは、天野先輩の頭の回転の速さだ。あの日、彼が俺たちと病院で遭遇したのは偶然だ。
 なのに、一瞬にしてこんな複雑な文法を組み上げるなんて、やっぱりこの人は頭がいいのだ。
「で、でも翔馬。それだとおかしくない? 天野先輩はあのとき、病院には誰かの容態を見に来ていたみたいなことを言っていたじゃない……あ!」
 氷華梨もようやく真実に気づいたようだ。
「天野先輩は確かに誰かの容態を見に来ていたんだよ。他ならなぬ、天野先輩自身の病気の容態をね」
 俺の言葉に、氷華梨は言葉を失った。
 だから、俺が彼女の代わりに言葉をついだ。
「……あの病院で天野先輩はこうも言っていた。容態を見に来た相手は、不知の病で来年の春まで生きられるか怪しい――と。にもかかわらず、氷華梨の魔法は、その言葉を嘘とは判断しなかった。ということは……」
 俺はここで一拍置いた。
 けれど、最後の宣告は天野先輩自身が行ってくれた。
「いかにも、お前たちの目の前にいる男は、余命幾ばくとない状態なんだ。それが……残念ながらたった一つの真実だよ」
 天野先輩は、不気味なほどに達観した顔で微笑んだ。
 一瞬の沈黙。
 それを破ったのは、ヒノエ先輩だった。
「な、何を言っているのだ、お前は……。冗談にしてはふざけすぎだ! 嘘だ! 嘘だと言ってくれ!」
 唇をわななかせながら、彼女は叫んだ。
「じゃあ、言うよ。俺が不治の病だというのは嘘だよ」
 残忍な笑顔で、天野先輩は言う。
 それを見ていた氷華梨は、ぎゅっと服の裾を掴んで何も言わない。否、何も言えないのだ。
 その様子に、ヒノエ先輩は顔面を蒼白にさせる。
 誰も何も言えないようなので、俺が話を進めることにした。
「一体、いつから自分の病気のことを知っていたんだ?」
「んー。身体の調子がおかしくなり始めたのは、中学の三年頃かな。んで、医者に高校卒業までは生きられないだろうと宣告されたのが、高校入学してすぐのことだ」
 あっけらかんと天野先輩は告げる。
 まるで、他人事のように。
「それを自分以外で、それを知っている人は?」
「両親と、あと地味に体育科の主任には伝えているよ。激しい運動は控えるように医者から言われているものでね」
 これまた、淡々と語る。
「どうして……どうして私には言わなかった……!」
 ヒノエ先輩の絶叫が周囲に響き渡る。
「言うと何か素敵な特典でもあったのかい?」
 軽薄を装いながら、天野先輩はヒノエ先輩を踏みにじる。
「一つわからないことがある。天野先輩がヒノエ先輩の告白を断った理由は、自分に死期が近づいていると知ったからだよな?」
「そうだよ。まさか、こんな死にぞこないがヒノエと付き合って、彼女の大切な時間を食いつぶすわけにはいくまい」
「だったら、どうして、余命宣告を受けた高校入学の段階でヒノエ先輩から離れようとしなかった? おかしいじゃないか。今の天野先輩は自分の命の時間が少ないから、ヒノエ先輩から離れようとしている。けど、時間がないのは高校入学の段階でわかっていたんだろう。あんたのやっていることは妙にちぐはぐだ」
「それは……」
「つまりさ、あんたは逃げたんだよ。幸せになることから。自分の命に期限が定めらる恐怖、これは俺ごときには想像もつかない。でも、幸せから逃げたくなる気持ちは、痛いほどわかる。だって俺もそうだったから」
「耐えられる幸せには上限がある――まるで【女帝】の三国さんの言い分だな」
「まさしく、俺はあの人からアッパーリミットの概念を学んだ。今の天野先輩はどうよ? 幸せが自分の臨界値を超えそうなんじゃないのか?」
 俺と天野先輩の視線が中空で激突する。
「そうかもしれんな。だけど、ヒノエだって、こんな死にぞこないのお守りなんてしたくないだろう。これから、ヒノエはいよいよ本格的に進路に向けて準備する。未来に向けて歩むべき時期に、未来のない人間と一緒にいても意味がない。だから俺は、極力ヒノエとはかかわらないように決めたんだ。そもそも、後先のない人間がそばにいたら、それだけで縁起が悪いだろう?」
 俺の中で何かが切れた。
 格好つけた台詞を吐いているけど、やっぱりこの人はヒノエ先輩と真っ向から向き合っていない。
 だけど、憤怒の雷を落としたのは俺ではなかった。
「ふざけるな! 私の幸せは私が決める! お前が四の五のいちゃもんを付けて言い問題ではない!」
 怒号の主はヒノエ先輩。
 顔を真っ赤にして、目を釣り上げていた。
 なのに、瞳からは涙。
「ヒノエ……」
 流石の天野先輩もたじろがざるを得ない。完全に腰が引けていた。
「私が今まで天野の告白を断ってきたのは、自分に自信がないからだ。それは私のわがままで、それに振り回してしまったことは謝る。けれど、私はずっと、ずっと、ずっと昔からお前のことが大好きだった! 何度だって私は私を呪ったよ。もっと頭がよければ良いのにと! もっと可愛らしい容姿だったらいいのにと! もっと社交的だったら良いのにと! もっと言えば、天野に釣り合う人間になれれば良いのにと! でも、今の貴様はどうだ!? 腑抜けにも程がある! 私の知る天野篝火は、ヘタレているが決して臆病者ではなく、軟弱であっても優柔不断ではなかったはずだ!」
 ヒノエ先輩の説教は高電圧なクセに、どこか優しかった。
「ヒノエ、それは買いかぶりすぎだよ。俺は大して立派な人間ではない。俺にできるのは、恋した相手を追い掛け回して、悦に浸るくらいだ」
「だったら……最後の最後まで私を追いかけろ! それぐらいの責任はとってみせろ!」
 ヒノエ先輩は、天野先輩に詰め寄った。
「お、オレだって、いつまでもヒノエといたいよ! 死ぬたくなんてない! でも、これはもうどうしようもないことなんだ! 分かれよ!」
「知るか、そんな理屈! 私の頭が悪いのはお前が一番よく知っているはずだ! 私はもう決めたぞ。私は生涯をかけて貴様を愛し抜く。それは絶対に絶対だ!」
 告白というには、あまりにも苛烈な宣言。
 だけど、それがヒノエ先輩のすべてなのだと俺は悟った。
 次いでヒノエ先輩は言う。
「私には夢がある。丙火野江ではなくなることだ」
 いきなりの言い分に、その場の誰もが首を傾げる。
「いや、お前はヒノエであって、それからは逃げられないんじゃ……?」
 天野先輩は全力で目を瞬かせるが、そんな彼にヒノエ先輩は侮蔑の視線を送る。
「天野は頭が良いくせに、妙なところで抜けているな。私は丙という苗字が嫌いだ。何せ下の名前と一緒だからな。子供の頃はそれで何度もからかわれたりもした。正直、今でもその屈辱は忘れられない。だから、私はお前の『天野』という苗字が欲しいんだ」
 ヒノエ先輩は、顔を俯けながら大告白。
「……わかった。もう俺も覚悟を決めるよ。ただし、俺の十八歳の誕生日は来年の三月だ。それまでは、待ってくれよ?」
「む、むむう。そうだったな。それぐらいは待ってやるさ。お前の苗字は予約済みだ。これを少しでも忘れてみろ。女は恋と復讐において、いかようにも残酷になれることをその身に刻んでやる」
「う、うっす! 肝に命じるであります。だから、ヒノエ。俺は最後の日まで、俺は生きるよ」
 そして、二人は微笑む。
 やれやれ、これにて一件落着かね。
「あ、そうだ、一つ重要なことを忘れてたよ。ヒノエ、ちょっと目を閉じてみてくれ」
 思い出したように、天野先輩は言う。
 ヒノエ先輩は「何だ?」と訝しげに言うが、彼の指示に従う。
 そんな無防備なヒノエ先輩に、天野先輩は唇を重ねてみせた。
 次の瞬間、ヒノエ先輩は目を見開いた。
 こりゃ、再び雷が落ちるかな、とか思ったが、ヒノエ先輩はただ素直に天野先輩を受け入れていた。
『もう私たちは必要ありませんね』
 藤堂先輩はスマートフォンに綴った文字を俺たちに示した。
 俺と氷華梨はそれに同意すると、二人に気づかれないよう細心の注意を払ってその場をあとにした。
 立ち去る際に、俺は結ばれた二人の姿をもう一度目に焼き付けておいた。
 こうして【隠者】と青年の物語はひとまず幕を下ろし、そして新しい幕を開けたのだった。

【IX・隠者】了

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