アルカナ・ナラティブ/第10話/01

 期末試験が終わってから、夏休みの本格突入まではグータラ記念日と呼ぶべき期間だ。
 授業は午前中で終わりだし、そもそも授業自体も答案用紙の返却と答え合わせ程度の軽いものだ。
 試験結果に自信がある人間にとっては、学校に来ること自体が無駄と思われる。
 さりとて、試験が終われば授業だけでなく、保護者を交えての三者面談があったりするので気が抜けない。
 この時期になると、高校一年生であっても進路をどうするか考えることになる。
 進路……。俺にとって実に重たい言葉だ。
 幼少の頃から詐欺師として生きてきた俺は、ようやくまっとうな道を歩み始めた。将来もまっとうな道を歩みたいと真に望んでいる。
 だけど、時折考えてしまう。
 ろくでなしの両親から生まれた子どもは、本当に光射す道を歩めるのか否かを。
 なんて……シリアスを気取ってもしかたないな。
 今の俺は、カノジョがいて、友達がいて、学業に困っているわけでもない。いわゆるリア充である。
 リア充は確か、爆発する代物だったんだっけか? まるで梶井基次郎の檸檬みたいだな。
 本日の俺は、放課後に保護者である叔父を混じえての三者面談があった。さりとて、予定では俺の面談は午後四時から。予定にはかなり時間がある。けれど、家に一旦帰るのは億劫だ。
 そこで困ったときの魔法研究部。
 時間を潰すべく、魔法研究部の部室で、俺はダラダラと過ごしていた。
 ソファに座りながら、エアコンの風にあたり、のんべんだらりとサン・デグジュペリの『星の王子様』を読む。
 極めて贅沢な時間である。ミヒャエル・エンデの『モモ』に登場する時間泥棒につけこまれないか不安になってくる。
 なんて、益体のないことを考えられるほどには暇なのだ。
 ちなみに現在の部室は俺以外には、ヒノエ先輩がいる。
 彼女は相変わらずというか、部室に備え付けのパソコンとにらめっこ。
 いつも通りの仏頂面で、マウスを縦横無尽に操作していた。
 何をしているのかが気がかりだったが、どう声をかければいいのかは難しいところだ。
「よし!」
 ヒノエ先輩にしては珍しい、覇気に満ちた声。
「なにかいいことでもあったのか?」
 満面に自信を漲らせた状態のヒノエ先輩になら、声をかけることができた。
「我ながら実にいい仕事をしたと思ってね。翔馬君にも是非ご覧いただこう」
 平素のテンションは地上に墜落寸前なヒノエ先輩なのに、今日は水を得た魚のごとく生き生きしている。
 俺はヒノエ先輩の横に立つと、パソコン画面を覗かせてもらった。
 画面には、ペイントソフトが立ち上がっていた。
「これは……テストの問題用紙?」
 画面に表示された画像に、俺は首を傾げるしかない。
「いかにも! といっても、私がした作業は、この答案の回答者の氏名にモザイクをかけるのと、画像サイズを整えたぐらいだがね」
 ヒノエ先輩は苦笑する。
 俺はヒノエ先輩からマウスを借りて、画像の全体像を確認。
 画像には、問題用紙だけではなく、それに対する回答も載っていた。
 設問自体は、国語の試験にありがちな四字熟語の意味を答える問題だ。
 問題数は五問で、設問は――。

【問1】磨穿鉄硯
【問2】常勝無敗
【問3】孤立無援
【問4】酔生夢死
【問5】刀光剣影

 重厚な言葉が連続しているが、奇を衒ったような問題ではない。
 ところがである。
 画面をスクロールして、設問に対する回答を見て、ポカンとした。
 その理由は……百聞は一見にしかず。ご覧いただこう。

【問1】磨穿鉄硯→【回答】体は剣で出来ている。血潮は鉄で心は硝子。
【問2】常勝無敗→【回答】幾たびの戦場を越えて不敗。
【問3】孤立無援→【回答】ただの一度も敗走はなく、ただの一度も理解されない。
【問4】酔生夢死→【回答】彼の者は常に独り、剣の丘で勝利に酔う。
【問5】刀光剣影→【回答】その体は、きっと剣で出来ていた。

 ……なんという、アンリミテッド・ブレイドワークス。
 これ書いた奴、絶対、教師に叱られただろうな。
「ヒノエ先輩、これは一体何ぞ?」
 頭痛を患いながら、俺はヒノエ先輩に聞いた。
「あまりにも秀逸な回答だったので、ネットの某掲示板にアップしようと思ってな」
「まるで人ごとのよう言っているが、これを書いたのはヒノエ先輩じゃないのか?」
「失敬な。私は自作自演を好まない。それに、今回の期末試験、恥ずかしながら私は全部白紙で提出したわけだし」
「……そうだったな。だったら、これは誰の答案だ?」
 言いながら、俺は薄々感づいていた。
「無論、篝火(かがりび)のものだ」
 ヒノエ先輩から言われたので、一瞬俺は誰なのやら判断に困ったが、何のことはない、天野先輩である。
「ヒノエ先輩、ついに天野先輩のことを下の名前で呼ぶようになったんだな」
 俺が指摘すると、ヒノエ先輩は急に顔を赤くした。
「ま、まあ、どうやら私たちは、なんだ、つまり、恋人同士というやつだからな。これを気にあの馬鹿の呼び方を改めてみたのだ。……変かね?」
 俺の目の前には花も恥じらう乙女がいた。おかしい、ヒノエ先輩はいつもどおりに制服に黒マントというアグレッシブなファッション。なのに、まるでおとぎ話のヒロインみたいだ。
「いいと思うぜ、そういう変化。それってヒノエ先輩から言いだしたのか?」
「いや、篝火からだ。あいつ曰く『自分はヒノエをヒノエと下の名前で呼んでいるのに、自分だけ苗字なのは不公平だ』とのことだ。まったく、あの男も存外わがままだな」
 ……いや、待て。ヒノエ先輩は苗字も下の名前も『ヒノエ』なのだから、『自分は下の名前で呼んでいるのに』という理屈は通じないぞ?
 とかいうツッコミは無粋というより死亡フラグっぽいのでやめておく。
「……私は、篝火の望みは可能な限り叶えてやりたいんだ」
 ポツリと、ヒノエ先輩は切なげに言う。
 それに俺は言葉を返せない。
 ――不治の病。
 それが天野先輩の抱えていた秘密。
 天野先輩は普段、明るく、ふざけて、調子外れな言動を取る。
 つい最近まで、俺はずっとそれが天野先輩の本質だと思っていた。
 けれど、もう余命幾ばくとないとなれば、底抜けに道化た態度は、悲しみの裏返しなのではないかと勘ぐってしまう。
 考えすぎだろうか。でも、天野先輩はお馬鹿であっても頭はいいのだ。どこまでが計算で、どこまでが本音なのかは、俺ごときでは計り知れない。
 無言の俺に対して、ヒノエ先輩は、
「篝火のことは、あまり気にするな。多分、あいつは周りが笑っていることが一番幸せなのだと思う。私たちは最後の瞬間まで、泣くのは禁止だ」
 ヒノエ先輩は、ポンポンと俺の頭に手を置く。
 そう言っているヒノエ先輩が、すでに泣き出しそうなのは指摘しない。
 死亡フラグというよりは、単なる無粋だから。
「話を戻すけど、この答案用紙、ある意味でハンパないな。天野先輩、教師にこっぴどく叱られただろう」
 強引に話を元のレールに戻す能力、プライスレスにしてワンダフル。
「無論だよ。こんな滅茶苦茶な回答をして、叱られなかったら奇跡だ。とはいえ、教師が完全に呆れていたというわけではないのは、よく見ればわかるだろう?」
 ヒノエ先輩は、笑いながらため息を一つ。
「それについては、俺もかなり気になっていた。……どうして、こんなにふざけた回答なのに、バツではなく三角がついている?」
 そう、三角なのである。天野先輩による大暴投には、不正解ではないが正解ではないという意味で使われる三角が刻まれている。
「この答案を採点した教師曰く、天野の回答の元ネタになったゲームは文学だからだ――と」
 ヒノエ先輩の述懐に、俺はこの学校の未来を本気で憂いた。そんなこと言う教師を雇って大丈夫か? むしろ、DIEジョブな気がしてならない。
「補足するなら、この一件を知った他の生徒は、天野の教師に媚びない姿勢を絶賛している。篝火は『天野△(あまのサンカッケー)』と呼ばれていた」
「……なにその、どっかの動画サイトのタグみたいな評価?」
 やはり、うちの学校の青春コメディは間違っている。
「アインシュタイン曰く、『唯一の救いは、ユーモアのセンスだけだ。これは、呼吸を続ける限りはなくさないようにしよう』とのことだ。篝火にとっては、まさしくユーモアが生きる上での支えになっているのだろうな」
 ヒノエ先輩の口元が歪む。それは苦笑か、それとも苦鳴か……。
「もっとも天野先輩の場合、センスが突き抜けすぎていてついていけないことも多々あるけどな。けど、安易な一発ギャクに走らないところだけは評価する」
「篝火曰く、一発ギャクほど難しいものはないらしいぞ。一発ギャクはその場の空気や文脈を読み取らなければならんらしいからな」
「なるほどね。でも、あの人の頭のデキなら、それって可能なんじゃないかな。人にとっての頭の良さって、結局のところ、いかに文脈や関係性を対象から見出していくかだと思うんだ」
「……翔馬君は、高校一年生にして妙に達観したことを言うんだね。それだと周りから距離を取られんか?」
「そこら辺はちゃんと相手を選んでいるよ。本当にただのお馬鹿さんだったら、こんな話はしない。俺はヒノエ先輩だから、割と抽象的な哲学もどきな話をしてるんだ」
「それは光栄だね。君がずっとタメ口だから、私は先輩扱いされていないのかと思ったが、被害妄想だったようだ」
「タメ口なのは、……単なる虚勢だよ。実の親の教育が大変よろしくなかった名残だ」
「君のご両親は確か……」
 ヒノエ先輩は、そこで言い淀んでいたの俺は、
「振り込め詐欺グループの末端構成員。自分の子供に犯罪の片棒を担がせたり、気に食わないことがあったら手を上げたりと、ロクな親じゃなかったよ」
 怨嗟のように言うが、それは大失敗。ヒノエ先輩は黙りこくってしまった。
「……こんな話やめようぜ? それよりも天野先輩の奇跡の回答を、さっさとアップしちまおう」
 苦し紛れにヒノエ先輩を扇動する俺。
「そうだね。では、アップロードだ!」
 ヒノエ先輩はブラウザを立ち上げ、某掲示板サイトに画像を送信。
「どんな反応があるかが楽しみだな。……何かの手違いで炎上したりして」
 俺が言うと、ヒノエ先輩は邪悪な笑みを貼り付けた。
「それはそれで面白いのではないか? どうせ、他人の運営するサイトなのだし」
「ヒノエ先輩、お主も相当に悪よのう」
「褒めるのはよしたまえ、照れるではないか」
 二人の馬鹿会話が盛り上がる。
「では、今日の私の仕事はこれで一区切りだ。私はまた、ネットの海を泳ぐとしよう」
「ネットは広大だ。ネット依存という難破だけには気を付けろよ」
 モニターを眺めながら、マウスを操作するヒノエ先輩に、俺は軽口を返す。
 けれど、内心では刻一刻と迫り来る裁きの時に怯えていた。
 保護者を交えての三者面談なんて、憂鬱以外のなにものでもない。そこら辺は、重罪を犯した過去があったとて、一般の高校生と変わらないのだ。

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