アルカナ・ナラティブ/第10話/02

 三者面談の時間が来たので、俺は教室に向かう。
 思えば、高校に入学したての頃の俺は、新しい生活や人生に夢を膨らませていた。
 けれど、膨らむものは夢ばかりとは限らない。
 欲、妄想、負債……膨らむものには案外ロクなものがない。
 過去の自分を捨てたいと欲を膨らませ、生まれ変わった自分という妄想を膨らませたものだ。なのに、ここに来て、雪だるま式に膨らんだ過去という負債に押しつぶされそうな気分であった。
 教室の前で待ち受ける叔父の姿に、どうして俺はもっと真っ当な人生を歩めなかったんだと後悔する。
 なんというか、普通に近寄りがたい雰囲気。
 白髪混じりの髪を、きっちりとオールバックに固め、厳しく眉間にシワを寄せている。
 シルエットは痩身。廊下に用意された待合用の椅子に、しっかと腕を腰掛ける様子は、何かのご本尊みたいだ。
 六道に爪先から頭のてっぺんまで浸かっていた過去の持ち主としては、拝んでおきたい。ご利益がないにせよ、バチを受けるのは未然に防げそうだ。
「こんにちは、叔父さん。今日は忙しい中、来ていただいてありがとうございます」
 俺は背筋を伸ばして一礼した。
 他人行儀かもしれないが、何分、世話を見てもらっている身。萎縮せざるを得ないのである。
「これも保護者の勤めだ。気にするな。私の横に座りなさい」
 叔父は、表情筋をぴくりともさせず、口元だけを動かした。
 怖い、恐い、なにより叔父の表情が強い(こわい)。
 俺は叔父の顔を見ないようにするために、言われるがまま彼の横に腰掛ける。
 緊張する。息が詰まる。
 家にいるときでさえ、一緒にいることが辛いのだ。家の外では、重圧が何倍にも感じられる。
 とにかく会話をしよう。家では特に話題がないけれど、ここは学校。何かしらの話のタネは転がっているはずだ。
 視線を泳がせる。いや、泳ぐというよりは溺れるに近い。息継ぎのポイントが掴めていないのだから。
 ぐるぐるぐるりと、視界が二転三転。ケータイをいじることで間を持たせようとも考えたが、そんなことは失礼にすぎる。
 今、話題を売ってくる人がいたならば、言い値で買っていた。けれども、そもそも誰も廊下を通りかからない。
 結局、深々と沈黙が降り積もるだけで、時間が過ぎていった。
 そして、ようやく、俺の三者面談の番がやってきた。
 しかし、息をつくことなんてできようはずもない。
 本当の戦いはこれからだ。
 一体、叔父は三者面談で何を話そうというのだ。
 そもそも、どうして叔母ではなく、叔父が来ているのだ。
 叔母は専業主婦で、叔父は会社勤めの身の上。今日は平日であるからに、叔父はわざわざ有給をとってここにいることになる。
 担任の前で、叔父が紡ぐ言葉は憤怒か、それとも悲嘆か。どっちにしろ、明るい未来を想像できない。残念なことに、空想も妄想もできない。
 凍りついた空気の中で、針の筵に立たされる。それ即ち、生き地獄。今世で地獄めぐりができる場所なんて別府くらいだと甘く見積もっていた。現代のミラクルにすぎる。
 帰りたい、けど、帰れない。そもそも、帰る家は叔父と同じ場所なわけだ。
「し、失礼します!」
 声が上ずり、表情が引きつっているのを自覚する。
 今はこれが精一杯というか、むしろ手一杯。
 むしろ、よくぞ声を絞り出せたと自分で自分を褒めてやりたい。この勇気をひり出せた事実は、この先の人生で挫けるようなことがあったときに、自分を慰めてくれるに違いない。
 それに、ここでヘタレていたら、今後、氷華梨に会うのが苦痛になっていそうな気がする。
 そういう意味でも、お疲れ様、俺。

 俺たちの戦いはこれからだ!
 瀬田翔馬先生の次回作にご期待下さい!
 ――第一部・完――

 ……なんて、連載打ち切り風に飾ってみても駄目ですよね。編集者のいない物語は、最後まで書きあげないと、放棄したとみなされるのが世知辛いところです。
「どうしたの、翔馬君。今日は妙に覇気があるけれど?」
 いつもの俺の態度との間に齟齬を感じたらしい担任の柳川先生が、わざわざお尋ねになられます。こういう場合は、どう返答すればいいのか、国語の先生に聞きたいです。もっとも、うちのクラスの国語担当は、柳川先生ご自身なわけですが。
「いつも、翔馬がお世話になっています。保護者の瀬田淳二郎と申します」
 叔父が礼儀正しく、柳川先生にお辞儀をする。その角度は、斜め四十五度。これが社会人の仕草なのかと惚れ惚れする。
 はてさて、三者面談の火蓋は切って落とされた! というわけで、一旦CMを挟みたいものだ。無慈悲な時間の流れは、一秒たりとも待ってくれないけどな。
 叔父のビシッとした態度に、柳川先生も反射的に立ち上がり、深々とお辞儀をする。
「こ、こちらこそよろしくお願いします!」
 なんだこの緊迫したムード。三者面談ってレベルじゃねえぞ……。
 しばらくしてから柳川先生が頭を上げて、
「で、では二人共席に座ってください」
 着席を促してくれた。
 席に着く三者。
 さあ、柳川先生からどんな言葉が繰り出されるか。
 まるで真剣での居合に挑まんとする心境。
 柳川先生の抜刀術次第では、俺は両断されかねない。
 そんな俺の怯えなど意に介さず、柳川先生は言う。
「翔馬君には特に目立った問題はありませんね。学級長としてちゃんとクラスをまとめてくれているし、成績も優秀です」
 あっさりと、きっぱりと、さっぱりと。
 俺の評価はただ、それだけだった。
「そうですか。それは良いことです」
 叔父も叔父で、深くは追求しない。
 え、何? ビビリまくってた俺が馬鹿みたいじゃないか。
 なるほど、俺は一人でガチガチに緊張していただけか。とんだ道化だな、それ。
「それで進路はどうする気かしら? アナタの学力なら国立大学も目指せるレベルよ。ようするに選択肢は他の生徒よりも多いわ」
 話題はすでに、これから先の人生の話へとシフトしていた。
 シフトしてしまっていた。
「俺は……自分の未来のことはまだ何も考えていません」
「あら、計画と事前準備を怠らない君にしては意外な発言ね。選べる道が多いことが、逆に問題を難しくしているのかしら?」
「それは……違う。俺には歩くべき道なんて……ない」
 ごまかしだって効いたはずなのに、俺は本音を吐露していたい。
「随分とネガティブな物言いだこと。まあ、悩み事は思春期につきものだけれど」
 目の前の教師の、能天気な語り草に俺は我慢ならなかった。
「先生は、俺の正体を知っているのか? 俺は――」
 次に吐き捨てていたのは身勝手な言葉。
 他人からすれば、俺の問いへの回答なんて一つだ。
『そんなもの、知るか』
 だって、他人は俺じゃない。俺のことなんて、他人が知るわけがないんだ。
 なのに、うちの担任はこう答える。
「元詐欺師で、その被害者の中には自殺した人までいた。うちの理事長や、アナタの保護観察官からはそう聞いているわ。あと、ネットや過去の新聞記事でも調べてきたけど、こっちの方は記者が好き勝手に言い過ぎで、アナタの人柄を調べるには、あまり参考にならなかったわね」
 呑気に、脳天気に。しかし、威風堂々と。
「それは……一体いつから知ってたんだ?」
「アナタが入学する前から知っていたわよ。うちのクラスに難しい事情を持った生徒が来るってのは事前に理事長から連絡があったわ。ついでに、保護観察官の人とも会っているわよ」
「俺は保護観察官から、うちの担任に会ったという話を聞いていないわけだが?」
「実を言うと、私の方からお願いしたの。私と会ったことは内緒にしておいてくれって」
「どうして隠す必要がある? やましい事情でもあったのか?」
「私としても、元詐欺師のトンデモ少年を受け持つのは、実は怖かったのよ。だから、一学期の間はどんな子なのか様子見をということにしたの」
「へえ、そうかい。んで、先生の査定の結果は?」
「強いて評価するなら、そこそこ小器用な、でも普通の少年って感じかしらね。人並みに人間関係を形成できるけど、人並み悩む。元詐欺師って点を除けば、どこにいても不思議ではない高校生。それがアナタの本質よ」
 褒めているわけでもなければ、貶しているわけでもない。ただただ先生は事実を告げているだけ。
 先生はさらに言う。
「だからね、進路が決まらないから困ってますっていうのも、私は普通だと思うのよ。そんなこと言うのは思春期の少年少女なら平均の範囲内ですもの」
「でも、俺は過去に大きな過ちを犯した。これは覆しようがない。取り返しようがないんだ。俺はそれを一生背負い続けなければならないんだ。だから、明るく希望に満ちた未来を選ぶ努力なんて……」
「まるで、犯罪者であることが自分の本質であるような言い方ね。アナタは妙なところで繊細だから面倒だわ。ふーむ、そうねえ……では、ここでなぞなぞを一つ出しましょう」
「なんだよ、突然」
 俺は眉をしかめる。先生は意に介さず話を進めてしまう。
「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足。この生き物は何でしょう?」
 先生の出した謎は、ひどく古典的で、答えるには窮しない代物。
「答えは人間。最初は手足で這うから四本足。ちょっと成長すると二本足で歩き回り、歳を取ると杖をつくから三本足。そんなもの、古代ギリシャのエディプスが解いて以来、手垢のついた答えじゃないか」
「流石に君は物知りね。では、さらに問題。人間は朝昼夜で足の数が変わってしまうけど、どれが本当の姿なのかしら?」
 先生の次なる問いに、俺は答えられなかった。
「そんなもの知らない」
 俺はつっけんどんに返すと、先生は満足したように頷いた。
「まさしく。これって、答えようがない問題なのよ。人間は生きているその時々で足の数すら変わってしまう。ならばどうして、君が詐欺師だったという過去だけが自分の本質だと思うのかしら。確かに昔のアナタは詐欺師だったかもしれないけど、今のアナタはどうかしら。そして、これからのアナタはどうかしら。そんなもの、人間の足の数と一緒で変わってしまっても不思議ではないわ」
「それは……単なる詭弁だ。過去は過去で変えようがない。ロクでもない親から生まれた人間が、マシな人間になれるなんて保証はどこにもない」
 俺の反論は、きっと不安をぬぐいきれないだけのガキのわがままだ。
 でも、将来自分がマトモな人間として、立派に生きている姿なんて想像できない。
「よしなさい、翔馬」
 恐怖に駆られた俺を制止したのは、横に座っていた叔父だった。
 彼は心底悲しそうな顔をしていて、俺は妄言を垂れながした自分に心底失望した。
「俺は……一体何なんだよ……」
 ポツリと漏らした俺の戯言に、しかし、この場の大人たちは一切答えない。
 ただ、叔父さんは一言。
「それはお前が決めるんだ」
 彼の言葉は、きっと世にも厳しい叱責だった。

次→

←前

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする