アルカナ・ナラティブ/第10話/07

 結局、俺はボウリング大会には参加しなかった。その後のことは天野先輩が引き受けてくれた。彼からのメールによると、みんなはかなり動揺していて、とてもボウリングに興じられる様子ではなかったとのこと。混乱を収めるために、ボウリング大会は中断となったらしい。
 俺は何もできず、すごすごと逃げるように帰宅した。
 情けなくて最悪の気分だった。
 追い討ちをかけるようにクラスメイトからのメールが続々と送られてきた。
 みんな当然に、俺への説明を要求してきていた。
 俺は何も返信できなかった。
 どのように説明すればいいのかが分からない。
 考える力は根こそぎに奪われ、心は凍りつき何も感じられず、現実に立ち向かう勇気が湧いてこない。
 氷華梨のことを最優先にすれば、まず彼女に連絡を取るべきだ。
 でも……それすらも怖い。
 最低な男だな、俺。
 もうその段階で氷華梨と釣り合っていない。
 なのに、俺から送信せずとも氷華梨からのメールが先に来ていた。
 ビクビクしながら文面を確認する。
『天野先輩、すごい怖い顔で翔馬を連れて行ったけど大丈夫だった?』
 あくまで俺をするにとどめる氷華梨。けれど、それが過度の気遣いに思えて、俺は逆に返答に困った。
 天野先輩は実際には怒っておらず、むしろ俺に協力的だった。
 だから俺は素直に『大丈夫、無傷だよ(^O^)』と返信。顔文字は脳天気に笑っているが、俺の表情は凍りついたままだった。顔文字は氷華梨を安心させるためのフェイクであり、頭がズキリと傷んだ。
 しばらくして更に氷華梨からメールが来る。
『ねえ、明日会わない? 色々話したいことがあるの』
 その言葉にまず俺が抱いたのは恐怖だった。
 彼女のいう『色々』とはなんだろう。
 被害妄想とわかっていながら、ネガティブな思考が魑魅魍魎となって頭の中で溢れかえる。
 大丈夫だ、氷華梨は俺に害をなすような奴じゃない。
 そんなのはわかっている。
 だけど……ケータイを持つ俺の手が震えていた。
 返信のための言葉が紡ぎ出せない。
 何時間も何時間も、俺は考え込んでしまった。そうやっているうちにすっかり夜は更けて、日にちを跨いでいた。それでも結論は出せない。
 そして、お粗末なことに気づかぬうちに俺は眠りこけていた。
 目覚めたのは日曜日の昼下がり。遅すぎる起床。
 眠っている間に、両親に道具として酷使された幼少期のことを夢に見ていた気がする。
 夢は灰色で、色はついていなかった。
 そんな環境で育てられた子どもが、今ではそれなりに高校生活を送っている。
 まるで今の方が夢みたいな時間だ。もしかして、これまでの話が全部夢オチだったなんてないだろうな。
 完全否定しきれない。だって、どこまで行っても俺は犯罪者なのだから。
 運命の輪の轍はめぐりめぐって自分に襲いかかる。そこから逃げる術なんて、ない。
 鉛のように重たい身体を引きずって、俺は自室を出る。
 遅い朝食、というか昼食をとるためにダイニングに向かう。そこには叔父と叔母の姿。
「おはようございます」
 俺は挨拶。もう昼なので果たしてこれが適切なのかは微妙だが、本日の初顔合わせなので正しいものとしよう。
 二人は俺に『おはよう』と淡々と返してくる。
 居心地がどことなく悪いが、いつものことなので気にしない。
 食パンをトースターで焼くと、ブルーベリージャムを塗ってテーブルへ。
 叔母はテレビで芸能特集を流している番組を眺め、叔父は新聞に目を通していた。いつもの平穏な昼下がりだ。
 そのせいで俺はすっかり油断していた。
「翔馬、先程担任の先生から電話で連絡があった」
 完全にスキだらけの俺に叔父が言う。
「ひゅいッ?」
 あまりに唐突な切り出しに、奇声を上げる俺。食べていた食パンが危うく気道に侵入するところだった。
「先生の話では、クラスメイト数名からお前が過去に起こした事件について問い合わせがあったそうだ」
 叔父の言葉は、俺から食欲を奪い去るのに十分すぎた。
 俺は食パンを皿の上に置く。
「先生は、その生徒にはなんて?」
 自分の指先から体温が奪われていくのがわかった。噂の拡散速度がここまでのものとは思わなかった。
「事実確認をしてみると言って誤魔化したそうだ。つまりは多少の時間を稼いでくれたわけだな」
「逆を言うと、俺の過去は隠蔽されたわけではない、と?」
「そういうことだ。おそらく明日学校に行ったら、お前は自分が一体どのような道を歩いてきたのか説明しなければならない。それでなければ、周りは納得しない」
 叔父は怒っているわけでもないが、優しく微笑みを浮かべているわけでもない。粛々と事実を並べ立てているだけ。
「俺は……」
 考えたくない。
 明日みんなの前で真実を晒す自分の姿なんて想像したくもない。
 これまで築いてきた信頼が、徹底的に崩壊するなんて堪えられない。
「どうするかは自分できちんと選びなさい。これはお前の運命なんだ」
 叔父の言い方にはどこまでも慈悲がない。
「……夏休みまで後ちょっとだから、いっそのこと早めに夏休みに突入するというのはどうでしょうか?」
 俺は破れかぶれで言ってみた。
 しかしこれに叔父は眉間にシワを寄せる。
「駄目だ。それは許さない」
「どうして!?」
「ここで逃げたら、お前はこれから先、ずっと逃げ続ける人生を送ることになる。私はお前にそんな軟弱な生き方をさせるために面倒を見ているわけではない」
「でも……だったら俺はどうやってみんなに説明すればいいって言うんですか!?」
「正直に事実だけを伝えればいい」
「馬鹿な……そんなのありえない。そんなことをしたって、みんなに納得してもらえるわけがない!」
「では、お前はクラスメイトに嘘の報告をしたいのか?」
 叔父の問いに俺の胸がズキリと痛んだ。
「それは……でも……だって……」
 ああもう、頭がぐちゃぐちゃだ。
 最悪だ。最低だ。最凶だ。
 どうしてこんな目に遭わなきゃいけないんだ。
 俺が答えに窮すると、俺と叔父の間には致命的な沈黙が訪れる。室内には叔母が見ているテレビ番組の音声が流れるのみ。観客席の作り物じみた笑いが無性に腹が立った。
 十字架を背負った罪深い人間は、どうあっても裁かれる運命にあるらしい。
「もう……嫌だ……いっそ消えてしまいたい」
 頭を抱えるしかない。
 もしも神様がいるならば、永遠に続く苦しみから俺を救ってみろよ。でも、そんなことできるわけがない。だって、神様は役立たずのポンコツなのだから。
「思考停止は許さない。お前が自分の罪と向き合う覚悟があるなら、まず近しい人間に隠し事をするのをやめるべきだ」
 叔父の言うことは正論。ひたすらに正論。
「わかってる……そんなことはわかってるんですよ!」
 反論の余地がないがゆえに、感情的に怒鳴り散らす。そして、癇癪を起こした自分に嫌気がさして、分別のない子どもとなって自分の部屋に逃避する。
 終わりだ。
 終わった。
 終わってしまった。
 もう俺に居場所なんてない。
 明日までにどうすればいいのか結論を出さなければ。
 でも、何も考えたくない。
 もういっそ、このまま部屋に引きこもり続けたい。
 現実から逃避するためにお気に入りの本を開いてみたりしたけれど何も頭に入ってこない。
 部屋の外からは、何事もないかのように生活音が聞こえる。耳障りだったので、俺はイヤホンをかけてガンガン音楽を流す。やかましいだけで心に響くことはない。けれど、多少は脳内を麻痺させる効能はある気はする。
 そうやって数時間をドブに捨てているうちに時刻は午後四時を過ぎていた。
 もうすぐ日が沈んでしまう。日が沈んだら、いずれ夜が明け、学校へ行かなければならない。
 時は残酷に、一秒ごとに俺を確実に追い立てる。
 そんな風にしていると、部屋の扉が開け放たれた。そこには眉間にシワを寄せた叔父の姿。
 俺の背筋が凍りつく。
 そろそろ俺の答えを聞きたいということだろうか?
 俺はイヤホンを外して、叔父と向き合う。
 ところが叔父から紡がれた言葉は意外なものだった。
「翔馬、お前にお客さんが来ている」
 予想外の展開。
「えっと……誰です?」
「それはお前が確認しなさい」
 叔父に言われ、俺は部屋を出て玄関へ向かう。
「え、えっと突然訪問して、やっぱり迷惑だったかな?」
 玄関に立っていた少女は不安げな顔で俺を見つめてきた。
「いや、何だ、その……とりあえずこんなところで立ち話もあれだからとりあえず上がってくれ」
 俺は来訪者の少女――周防氷華梨にそう言った。

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