アルカナ・ナラティブ/第10話/08

「はじめまして、翔馬君とお付き合いさせてもらっている周防氷華梨と申します」
 自宅のリビングのテーブルにて、俺と氷華梨、そして叔父夫婦が着席していた。
 対面する辺に構える叔父夫婦に対して、氷華梨は丁寧に挨拶した。
 氷華梨はいつか俺の家に来てみたいとは言っていた。だから、一応住所は教えていた。
 更に氷華梨は、育ての親に会ってみたいとも言っていた。
 けれど、どうしてそれが今日だと言うのだ。
 今日だけはタイミングが悪すぎる。
 先程、俺と叔父は揉めに揉めて、その挙句に俺は部屋に逃げたのだ。
 そんな矢先に自分のカノジョを二人に紹介する。
 俺の彼女と家族が修羅場すぎるんじゃないですかね、これ。
 もしかして、氷華梨のように剣道という武術を修めんとする者は自然に修羅の道を歩む習性があるのだろうか。
 どちらにせよ、現状、俺の置かれた状況は修羅の刻だ。
「これはご丁寧に。えっと、今日はどのような要件で?」
 氷華梨に対して問いかけたのは叔母の方だった。突然の来客にどう対応していいのか迷っている様子だった。
 ちなみに、叔父は腕を組み、目を閉じて、不動の構えを見せている。
「要件はたった一つです。翔馬に会いに来ました」
 ピントぼけした氷華梨の回答に、俺も叔母もきょとんとする。唯一、叔父だけは身じろぎもしない。
「俺に会いに来て……それで?」
 全力で目をしばたかせる俺。クラス中に、俺の正体が発覚して間もない今だ。単に会いに来ただけとは考え難いんだけど。
「それだけだよ。翔馬に会いに来ること自体が目的であって、他に深い意味はない」
 もしかして、俺の正体がみんなにバレたもんだから、氷華梨も壊れてしまったというのか。だとしたら、俺はどう責任をとるべきなんだ。
「あの……周防さん。翔馬を訪ねてきてくれるのは嬉しいんですが、今はちょっと事情が込み入ってまして。申し訳ありませんが、今日はお引き取り願えますか?」
 叔母がおずおずと言葉をぼやかしながら言う。
 しかし、氷華梨は禁忌ともいえる事柄を口にする。
「込み入った事情とは、翔馬の過去がクラスメイトに知られたことですか?」
 氷華梨の発言に、しばしこの場の時間が消し飛んだ。
 彼女の言葉は、それほどまでに破壊力を持っていた。
 馬鹿な……。氷華梨は基本的に空気の読める子だと信じていたのに。彼女の考えが完璧に読めない。
 叔母はうつむいて沈黙していた。
 叔父も沈黙を崩さない。
 おお、神よ! この状況をどうしたらいいのか答えたまえ! 当然ながら天からの返事はない。というわけで神も沈黙していた。
 まさに黙示録。旧約聖書に出てきたヨブの気持ちに少し近づけた気がした。
 沈黙を破るのは誰だ?
「いや、氷華梨。今回の件はその……えっと……」
 とにかく誰かが発話しなければ空気の重さで空間が崩壊しかねない。俺はどうにかこの場を取り繕おうと口を開く。
 ……ヘタレと言いたくばヘタレと言うがよい。
「……そうよ、悪いのは全てその子なのよ」
 俺があたふたとしていると、生気のない女性の声。声の主は叔母だった。
「はい?」
 俺の身が一瞬にしてすくんだ。
 叔母の顔には、まるで地獄の亡者みたいな憎悪と憤怒に満ちていた。
「そうよ、すべてはその子が悪い! どうしてこんなロクでもない人間の面倒を、あたしたちが見なければならないっていうのよ! あたしは最初から大反対だった。こんな悪魔の子が家にいたら、いつかあたしたちまで不幸に巻き込まれるんじゃないかって思ってた! そして案の定、学校の人に翔馬の前科がバレてしまった! このままでは、あたしたち夫婦まで後ろ指をさされかねない! どうしてくれるよの!?」
 地下でたぎっていたマグマが爆発するかのごとく、叔母はまくし立てる。
「落ち着きなさい、恵美子さん。怒ってどうにかなる問題ではない」
 ようやく叔父が口を開く。ちなみに恵美子というのは叔母の名前だ。
「淳二郎さんは黙っていてください! そもそも、こんな子を引き取ろうと言いだしたのはあなただったじゃない。私はずっと反対していた。でも、あなたの、この子に更生するチャンスと与えてやりたいっていう思いに押されてあたしは渋々了承した」
 そうか、そうだったのか。普段の叔母は俺と距離を取りたがっているように思えたが、内心では俺を嫌悪していたのか。
 ……当たり前の話か。誰が好んで犯罪者を養子にしようなどと思うものか。
 むしろ、『更生するチャンスを与えたい』と言い出した叔父の方が稀有な存在なのだ。
「叔父さんは、どうして俺を引き取ったんですか? 俺みたいなどうしょうもない人間の面倒を見ても叔父さんの得になるとは思えないんですが……」
 ここまで来たら、空気を慮っていてもしょうがない。俺は思い切って聞いてみた。
「正直なことを言えば、私は自分のためにお前を引き取った」
 叔父さんの回答は、俺の予想の斜め上を行くもの。
「それは一体どういう意味でしょうか?」
 ちんぷんかんぷんな俺。
「私の家系はいわゆるろくでなしの集いみたいな家系でね。私の親も、その親も、ずっと裏街道を歩んできたような連中だった。お前の実の父親――つまり私の兄も例外にもれないような存在だったよ」
 叔父の発言に、俺は言葉を失った。
 占い師ベネも俺の家系にはロクな人間がいないと告げてきた。あの言葉はやはり正しかったようだ。
「叔父さん自身は至極真っ当な人間です」
 俺は反証材料を提示。
「今でこそカタギの世界に暮らしているが若い頃は……あまり声を大にして言えるような生き方はしていなかった」
「でも……今は違う」
「さあ、どうだろうな。そうであると言いたいところだが、蛙の子は蛙とも言う。私は……まともな人間になりたかった。だから、精一杯の努力をしてきたつもりだ。それでも時々怖くなるんだ。私は……これまで非道を歩んできた血筋にあって、真に善き人間になれるのか。加えて言えば、私はあの家系の中では単なる一代限りの例外なのではないか。そんな疑問が常に頭から離れなかった」
「そんな疑問……永久に答えは出ないのではないですか? 考えても無意味な問いだって世の中には存在します」
「まったくだ。しかし、私には自分という存在に自信が持てない。だから、一つ試してみることにしたんだ。私という存在が善であるか否かを」
「どうやって? それこそ答えなんて……」
「その方法の鍵は翔馬、お前だ」
「はい?」
「私自身が善き人間であるかを確かめるために……私はお前という存在を利用することにしたんだ。もし私が善き人間ならば、私が親を務めれば、育てられた子どもも善い人間になるに違いない。だが、私と恵美子さんの間には子どもはいなかった。だから、お前を引き取った」
「つまりそれは……俺を実験台にしたということですか? 馬鹿な。そんなの完全に理屈として破綻している。善い人間だからといって育てた子どもが善い人間になるとは限らない。叔父さんの言っていることは狂気に片足を踏み入れている!」
 頭の中に電極でも突っ込まれたような痺れがあった。叔父さんの言い分が手酷い混乱に陥っているのと同様に、俺も思考が脳で処理できない。
「わかっている! そんなことはわかっているんだ! それでも私は……自分が善いのか悪いのか知りたい」
 もはや、俺の目の前には毅然と、そして威風堂々と構えているいつもの叔父はいない。
 叔父は、実は俺によく似た人だったのかもしれない。
 自信がないから自信があるようにギリギリのところで振舞う弱い人間。そういう危ういところで生きている人種。
 それは何だか……滑稽な話だな。
 滑稽で、無様で、だから俺は心の底から安堵した。
「叔父さんから見て、俺は善き人間でしたか?」
「わからない。それはきっと、永久にわからない。お前が善いか悪いか……そして、この血筋が善いか悪いかは私たちの世代では知りようがない。最初のうちは、私とてしっかりと親を務めるつもりでいた。しかし、親になるというのは思っていた以上に難しいな。私は……迷走に迷走を重ねていただけなのかもしれないな。そうなると、ハハハ、私のしてきたことは徒労なのかもしれんな」
 愕然とうなだれる叔父。
 俺も激しい動揺に襲われる。
 もしも叔父と俺の時間が無意味なものとするなら、叔父に引き取られてからの俺は何だって言うんだ?
 ただでさえ俺の立脚点は不安定だ。叔父に引き取られてからの時間は第二の人生といっても過言ではなかった。
 それを否定されると、ひたすらに辛い。
 室内に暗黒が立ち込める。
 なのに、その中で力強い声が上がった。
「翔馬は、善い人間ですよ」
 告げたのは氷華梨だ。
「心遣いは感謝するが、気休めはいらんよ。君は……翔馬の何を知っているというのかね?」
 叔父は消耗しきった眼差しを氷華梨に向ける。
「難しい質問ですね。確かに私は翔馬と出会って数ヶ月だけの関係です。お付き合いをさせていただいている期間はもっと短い。だから、あなたたちに比べれば何も知らないのかもしれません」
「だったら、軽率な言葉は述べるものではないよ」
「いいえ、言わせてもらいます。あなたたちは翔馬を舐めてかかりすぎです」
 普段は大人しい氷華梨からは想像できない強い意思がそこにはあった。
「随分と翔馬を信頼しているようだね。だったら改めて聞こう。君は翔馬の何を知っている?」
「私は何度も翔馬に助けられてきました。自傷癖があった私が立ち直れたのは彼のおかげだし、私によからぬことをしようとたくらむ輩からも守ってくれた。それにクラスでは、例え自分の過去を隠していたとしても翔馬は善き人間であろうと必死に努めていた。それは例えあなたたちが育ての親であっても否定できることではありません」
 氷華梨の意見は、否定しようと思えばいくらでも可能。
 でも、彼女の強い眼差しだけは否定しようがない輝きだった。
 理屈よりも、感情的なもので俺たちは気圧されていた。
「君は……周防さんは、翔馬を信じているのだね」
 叔父は切なそうな、それでいて羨望を秘めた視線を氷華梨に向ける。
「はい、何といっても彼は元男性恐怖症の私が良しとしたカレシですから」
 氷華梨の微笑みは、世界の支配者みたいな不敵さ。
 それに釣られてだろうか、叔父も口元を綻ばせる。
 多分、彼は彼でほっとしたのかもしれない。
「一人でも誰かに認めてもらえたのならば、それが答えなのかもしれないな。何だか……そうだな……救われた気がするよ」
 叔父は放心したように言う。
「淳二郎さん……」
 叔母は未だにどうすればいいのか迷っている様子だ。
 そんな叔母を安心させるように、叔父は頷いた。
「子育ては難しいな。こんなことに巻き込んでしまって申し訳ない」
「そんなことは……あたしもさっきは言いすぎました」
 泣き出しそうな叔母の表情。
「なあ翔馬、そして周防さん。ちょっとだけ恵美子さんと二人で話し合いたい。数時間だけ家を空けてもらえないだろうか?」
 と叔父は言う。
 俺は氷華梨に目線を投げかける。彼女は頷く。
「俺は構いませんよ」
「私もいきなり押しかけてしまってすいませんでした。今日はもう帰ります」
 俺と氷華梨は二人で立ち上がり、玄関をくぐる。
 お見送りの意味合いを込めて、俺は氷華梨と駅の方まで歩くことにした。
「今日はいきなりお邪魔しちゃってごめんね」
 駅までの道すがら、氷華梨は言ってくる。
「いや、お邪魔どころか助かった。瀬田家の家庭崩壊が未然に防がれたよ」
「そっか、なら良かった。……話は変わるけど、翔馬はクラスの人に自分の過去を話すの?」
 氷華梨の問いは俺が棚上げしていたかったクリティカルな話題だった。
「正直な話、その件については考えたくないな。逃げ出したい。それって、駄目なことかな?」
 そんな不抜けたことをカノジョに聞く時点で駄目人間なんだけど。
「私個人の意見を言わせてもらえば、翔馬はみんなに説明するべきよ」
「でも、それをすればお前は犯罪者のカノジョっていう烙印を押されるわけだが?」
「翔馬は私の心配をしてくれてるんだね。それなら大丈夫だよ。だって、今の私には自分の身の振り方を考えるだけの脳みそも、きちんとあなたと一緒にいたいと感じられる心も、困難に立ち向かう勇気もあるから」
「脳みそに、心に、勇気か――。まるで、オズの魔法使いに出てくるカカシとブリキとライオンの所望品だな」
 俺はふとトンチキなことを思いつき、口に出してみた。
 なのに、氷華梨はこれに首をかしげない。
 それどころか、言うのだ。
「翔馬に会うまでの私はオズの魔法使いのカカシであり、ブリキであり、ライオンだった。中学時代の悲惨な環境に私はズタズタに傷ついていた。だから――頭はカカシのようにおがくずを詰められたみたいになって、ブリキのように感じる心を持てず、ライオンのように勇気を奮わすことができなかった。でも、今は違うよ。翔馬のおかげで私は西の悪い魔女を倒すことができた。ねえ、知ってる? 西の悪い魔女はとっても弱くって水をかけるだけで倒せてしまうんだよ」
 魔法のような響きの氷華梨の言葉。
 俺が見つめる先には、世界でもっとも尊い光景があった。
 恋した少女の、満面の笑顔。
 これだけは、絶対に踏みにじってはいけない。そう思った。
 だから、俺はちょっとだけ、ほんのちょっとだけ強がってみることにした。
「……なら、西の悪い魔女を退治しないといけないな。そうだなあ、氷華梨に言われると、脳みそと心と勇気を取り戻せた気がするよ」
 強がりということは、換言すれば嘘をつくというわけで、小さな頭痛に見舞われる。
 そんな嘘は、氷華梨の魔法なら簡単に看破できただろう。
 だけど彼女は『ダウト』とは言わず、
「うん、大丈夫。私は翔馬の味方だよ」
 そっと俺の手を握ってくれた。

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