アルカナ・ナラティブ/第10話/09

 運命の月曜日。
 結局、俺は学校に来てしまった。
 氷華梨に強がって見せた手前、逃亡はもはや不可能だ。ここで逃げたらヘタレ以下のゴミ虫に成り下がってしまう。
 ちなみに、俺と叔父夫婦との関係はギクシャクしたままだが、氷華梨を見送ってから一応話し合いは出来た。どうなるかは未知数だけど、クラスメイトに正直に俺の過去を説明すると宣言した。
 かくして俺は背水の陣の真っ只中に特攻。
 朝のショートホームルームの時間を担任から借りて、俺はクラスメイトの前に立っていた。
 俺に送られるクラスメイトの視線からは疑念や不安や焦燥といったものばかり。心地よさなんては微量も含まれていない。
「では翔馬。現在噂になっていることの真偽を話してちょうだい」
 担任の柳川先生が厳粛な口調で告げた。
 生徒たちの緊張がより一層増していく。
「ここ数日、俺が前科者であるという噂が流れているのは皆知っての通りだと思う。だから、俺はその真偽を答えるためにここに立っている」
 確認の意味も込めて、俺は話の主題を要約する。
「それで、実際のところはどうなんだ? まさかお前がそんなロクでもない人間だとは俺は思っていないわけだが?」
 みんなを代表するように、熊沢が言う。
 引き返すなら今しかない。
 嘘をつくならこのタイミングを外せない。
 だけど、俺は首を横に振った。
「残念だけど……その噂は事実だ。俺は元犯罪者だ。起こした事件は罪のない様々な人を不幸のどん底に叩き落とした」
 可能な限り簡潔に、俺は答えた。
 本当ならもっと言葉を濁すべきなのだろうけれど、それはみんなへの誤魔化しな気がしたからやめておいた。
 それに、グダグダと長い説明を展開した方がかえって言い訳臭くなる。そんな態度は、逆に自分の首を締めるだけだ。
 クラスメイトは沈痛な面持ちだった。
 どう反応していいのか判然としない。そんな空気。
 だから俺もこれ以上は何も言えない。
「というわけよ、みんな。他に翔馬に聞きたいことは?」
 そう言ったのは担任だ。入学したときは学校の先生なんて基本役に立たないと舐めきっていたのに、中々どうして頼れる人もいたものだ。
「翔馬は、どうしてわたしたちにそのことをずっと隠してたの? どうして話してくれなかったの?」
 クラスの女子の一人からの質問。
「怖かったんだ。高校に入って、人生をやり直せるチャンスだと思っていたのに、自分の正体が知られてしまう。そんなことになれば、普通の高校生活は送れなくなる。そんなことは堪えられないと思った。だから隠した。本当に申し訳ない」
 深々と頭を下げる俺。
 どんな罵声も批判も受け入れるつもりでいた。
 あるいは少しだけ励ましの声がもらえるかもという甘えもあった。
 だけど、みんなは何も言わない。
 よく考えたら、彼らこそが普通の高校生なのだ。透徹して理性的に物事を処理できる大人でもないし、感情の赴くままに発言できる子どもでもない。
 だから、ここで押し黙るのは極めて自然な現象だ。
「とりあえず、翔馬は頭をあげましょうか。さて、他に質問はあるかしら?」
 先生が進行役を執り行ってくれるのは非常にありがたい。彼女がいるから、ギリギリのところで話が展開している。
「えっと、このことは誰か他の人は知っていたんですか?」
 また別の女子が聞いてくる。
 その質問は想定の範囲内だったので、回答は用意してきたつもりだった。けれど、俺は中々返答に踏み切れない。
 俺の正体を知っていた人を教えるということは、下手を打てばその人にも迷惑がかかる。
「少なくとも私は翔馬を受け持つ担任として学校側から話は聞いていたわ。まあ、ここ数日間のみんなからの問い合わせには『事実確認をしてみる』と言って誤魔化していたけれどね」
 答えたのは柳川先生だった。
「つまり先生は私たちに嘘をついたわけですか?」
 憤怒にも似た声が教室から上がる。
「そうね……そういうことになるわね。その件については私にも非があるわ。ごめんなさい。でも、この問題は私個人がホイホイと答えて良い類の問題ではないと思ったのも理解して欲しいの。真実を告げるにしろ、嘘で誤魔化すにしろ私が受け持つ生徒の人生を左右しかねない問題だったから。答えるべき責任を負うのは当然に当事者である瀬田翔馬という人間だと私は判断した」
 先生の言い方には言い訳臭いところがない。極めて誠実な態度だった。
「じゃあ、周防さんはどうだったんだ? 翔馬と付き合うときに話は聞かされていたのか?」
 そう聞いたのは男子生徒。このクラスのメンバーは一応全員が俺と氷華梨が交際していることを知っている。気にならないはずがない。
「私は、高校に入学した当初から翔馬の過去を知ってた。知ってしまったのは偶然からだけど、私はそれを知った上でずっとみんなには黙っていた」
 氷華梨の正直な述懐。
「そんなの……あんまりだ! それは俺たちに対しての裏切りじゃないか!」
 クラスの一人から吹き出す憤怒。
「はいはい、みんな落ち着いて。だったらみんなは氷華梨ちゃんに翔馬が犯罪者だって言いふらしてほしかったの? 違うでしょ? 彼女は彼女なりに、知ってしまった人間としてずっと悩んできたはずよ。それを裏切り者扱いするのはあんまりでしょう?」
 柳川先生は宥めるようにいう。
「さて、他に質問は?」
 みんなからの発言はない。
 それを見届けると担任は話を進める。
「別に私は翔馬を許せとも迫害しろとも言わないわ。この問題はすぐに答えが出るような問題ではない。ただ、私個人の希望を言わせてもらえれば、翔馬の罪と罰は社会的には確定している。その上で高校生をすることが許されているの。その権利だけは奪ってはいけない。ともあれ、みんなには感情的に納得のいかない部分はあるでしょう。それはこれから先の学校生活でちょっとずつ答えを出していけばいいわ。一番いけないのは答えを出すのに焦ることよ」
 担任の言葉がどこまでみんなに浸透したのかは俺の知るところではない。
 誰もが口を閉ざして、その日の教室はまるで死んだようだった。

   ◆

「翔馬君、遊ぼうぜ~」
 能天気な声が帰りのショートホームルームが終わった教室に響き渡る。
 声は扉の方から聞こえてきたもので、そこには天野先輩が立っていた。
 俺は現在、クラスで極めて微妙で繊細な立ち位置にいる。誰かに声をかけられるだけで、過敏に反応してしまう。
 クラスメイトも、天野先輩にどう対応すればいいのか困っている様子だ。
 気まずい空気が漂っていようと、天野先輩は臆さずに教室へと踏み込んでくる。
「おいおい、どうしたみんな? 異常に表情が曇ってるんだけど……まさか、このクラスの生徒の身に不幸でもあったの?」
 今朝のショートホームルームでのクラスのやりとりなんて知る由のない天野先輩は、センシティブすぎる話題に切り込んでくる。
 誰も天野先輩に説明できない。当事者の俺でさえ、口を閉ざすしかないのだ。
 空気を読むしか能がない一団と化した俺たちに、天野先輩は優しく微笑みかける。
「詳しい事情はわからないが、沈黙を以て答えるしかないというのは理解した。現状でこんな気まずくなる可能性があるとすれば、翔馬絡みのことだろうな。違うかい、翔馬?」
「それは……」
 話を振られた俺は、指先から血の気が失せていく。
 否定したい。でも、天野先輩の指摘が的を射ている以上、否定なんてできない。
「ならば質問を変えよう。みんなは翔馬のことが嫌いかい?」
 天野先輩は困ったように眉を掻くと、今度はクラス全体に視線を配る。
 最初はみんなも戸惑っていたが、やがて意見が噴出し始める。
「そんなことはない! でも……」
「頼れるクラスメイトだと思っていた……」
「でも、犯罪者だっていうのは確かなんだろう?」
「真実を隠されていたのが許せない」
 などなど。
 やはり朝のショートホームルームと同じだ。
 誰もが、俺の問題について結論を出せずにいた。
「天野先輩は、翔馬が自分の過去を黙っていたのをどう思うんですか?」
 クラスメイトの一人が天野先輩に問う。
「別に何とも思わないよ? なぜなら、翔馬が犯罪者だろうが、そうでなかろうが俺の人生には直接関係ないから」
 けろりと天野先輩は言い切った。
 あまりに飄々とした態度にクラス中が狼狽えていた。
 天野先輩は話を続ける。
「そもそもさあ、人間なんだから生きてれば誰にも話したくない秘密なんて一つぐらいあるものだよ。恥ずかしい恋愛の失敗談とか、実は中二病でしたとか、家庭環境がぐちゃぐちゃだとか。心の闇の深さは人によって違うけど、それでも誰かしらちょっとぐらいは病んでいるものさ。それを拒絶し合うか、それとも支え合うかで人間としての真価が決まるわけですよ。違うかい? 翔馬の場合はちょいとヘビー級な闇だから、みんなが圧倒されてしまうのはわかるけどさ。でも、大丈夫! 翔馬にはこれから先、長い時間があるから。どんなに暗すぎる過去であっても、これからの人生でいくらでもやり直せる。過去は変えられないけど、未来は変えられる。これはそういう話なんだよ、きっと」
 底抜けに明るく振舞う天野先輩。
 世の大人たちは周りの空気に流されるなと言うけれど、そんなことは不可能だ。
 大半の人間は空気を読んで行動する。それは羊の群れと例えてもいい。
 だから、本当に大事なのは空気に流されることでも逆らうことでもない。いかに周りの人間を動かす空気を醸成していくかだ。計算か天然かは知らないが、天野先輩はそれができている。
 誰だって、暗い気持ちでいるのはシンドイ。本当なら明るくポジティブに生きていたい。葛藤するなんて辛すぎる。
 だから、多分、このクラスの奴らは天野先輩が作った空気に流されることにしたんだと思う。それまで俺に対して疑念の目を向けていた連中の眼差しが和らいだ気がした。
 俺の肩に乗っかっていた重荷が少しだけ軽くなる。
 俺は、卑怯だけど今の空気に便乗することにした。
 意を決して、俺は顔と身体をクラスメイトの方に向けた。
「俺はみんなにずっと言いたいことがあった。知っての通り、俺は過去に許されない罪を犯した。それについて言い訳するつもりはない。批判も、罵倒も、断罪も受け入れるつもりだ。だけど、可能ならこれからの人生を使って、これまで不幸にした人の数以上に、誰かを幸せにしたいと考えている。だから、まず、お前たちを幸せにさせてくれ! そのためには俺はどうなっても構わない! 頼む!」
 頭を下げる。
 心からの言葉であったとしても、このタイミングで言うのは反則だな。
 でも、こんなタイミングでもなければ、恐ろしくて言えるわけがない。
 なるほど、ようやくわかった。俺の本質はずるくて狡くて卑怯なのだ。同時に、小さくて、脆くて、薄っぺらい。
 だったら、そんな弱さだって受け入れよう。それがきっと俺の運命であって、それは逃れようがないのだ。逃げられないものから逃げるなんて非効率にもほどがある。
「しょうもない奴だな、お前は。そんな言い方されたらノーと言えるわけがないじゃんか。正直言うと、まだ翔馬が犯罪者だってことが腑に落ちたわけじゃないけど、俺は今のお前が極悪人だとはどうしても思えない。だからまあ、今度はきちんと人間関係を構築したいと考えている」
 熊沢が苦笑混じりで言う。
 それを皮切りに、クラスメイトも頷き合う。
「まあ、まだ完全に納得はいかない人のいるだろうけど、今すぐに結論を出す必要もないさ。ただ、同じクラスの仲間なんだから、理解し合った方がお得だよとはアドバイスしておく」
 天野先輩の発言は、下手をすれば皮肉とも受け取られかねない言い方だが、そこには優しさがあった。
 とりあえず、俺の過去についての問題は一山越えたと見ていいだろう。
 一安心した俺が、まず視線を送ったのは当然に氷華梨だった。
 彼女も彼女で安堵したらしく、口元を綻ばせていた。
「さーて、では、次の話に移りますかね」
 そういうと天野先輩は、振り返り廊下の方を見据えた。
 廊下には人だかりができていた。多分、このクラスのゴタゴタを見物しにきたのだろう。
 というか、クラス内では俺の過去について話が一区切りしたけど、クラス外では噂の拡散は防げないのだろうな。結局、噂を拡散したベネがどんな奴なのか未解決のままだし。
 とか考えていると、天野先輩は教室の扉を潜ると、見物人の一人である女子生徒の前に立った。
 長い黒髪を三つ編みにした、取り立てて目立つような外見ではない女子生徒だった。怪我でもしているのだろか、右手には包帯が巻かれている。
 履いている校内用のスリッパの色から一年生と判断できたが、名前までは知らない人間だ。
「アタシに何か用ですか?」
 突然の事態に女子生徒は戸惑っていた。
「君にはちょいと聞きたい話があるのでご足労願いたいですな」
「……意味がよくわからないんですけれど」
 少女は眉をひそめていたが、天野先輩は微塵の迷いなく告げた。
「知らばっくれるのはお互いなしでいこうぜ。だって君、【運命の輪】のアルカナ使いだよね?」

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