アルカナ・ナラティブ/第11話/03

「いらっしゃいませ!」
 午前九時の開店時間と共に、お客様が来店し始めた。
 滑り出しは上々で、席はすぐに満席になる。いっぱいのお運びで有り難く御礼申し上げます。
 もてなす側としては、目が回った上で、白目を剥かずにはいられないけど。
 ホール係の俺は、お客様のオーダーを聞き取るために店内を奔走する。
 当店では、多種多様なメニューを取り揃えております。フードメニューは焼きそばのように定番のものからロコモコなんて洒落たものまで。飲料もソフトドリンクだけでなくアルコール類もあり、かき氷の味も多種多様。
 正直言って、メニューのバリエーションが多すぎる。海の家って精々マズいラーメンに、イチゴ味かレモン味のかき氷ぐらいしか出せない場所じゃないの?
 昨今の海の家は化物か。
 市場競争が加熱した結果がこれなのか。自由経済おそるべし。
 オーダーミスなどしないように気をつけねば。ちょっとの油断が失敗につながりかねない。
 ちなみにホール係は俺と店長と久留和の三人。水橋先輩と四塩先輩はキッチン係。ただし、店長に関しては初心者の俺と久留和に一通りの仕事を教えたら、キッチンをアシストするらしい。
 足らぬ足らぬ、人手が足らぬ。
 どうして水橋先輩が俺に必死にバイトの勧誘をしてきたのか腑に落ちた。
 これ、キャンセルした人の代理で俺が来なかったら店が確実に回っていない。
 せめて、事前にメニューの一覧をもらっておいて、ある程度は暗記しておけばよかったよ。完全に油断していた。
 今以上にヒノエ先輩の『一切の情報を忘れない』という魔法が使いたくなることもないだろう。
 しかも、タチの悪いことに相方の久留和の方は今ひとつ俊敏性に欠ける。
 というか、面倒臭そうにふてくされながら仕事をしていた。
 こいつ、客商売を舐めているのか!
 ……いや、俺も真っ当な客商売はこれが初めてだけどね。
 真っ当じゃない方の客商売――つまりは裏稼業の方は、基本的にメールでやり取りしていたわけだし。
 久留和がきちんとしないとその分の負担が俺にのしかかる。
 それは流石によろしくない。どうにか久留和にも勤勉に動いてもらわねばならん。働きアリの二割は遊休状態なんて理屈はこの場では通じないのだ。
「なあ久留和、お前、もうちょっときびきびと動けないのか?」
 俺は彼女に聞いた。忙しさからどうしても声は刺々しいものになる。
「これでも精一杯動いてますわよ! アタシを侮辱するおつもりかしら?」
 憮然とする久留和。
「そうじゃないが、もうちょっと本気を出してくれと言っている」
「まあ! アタシはいつでも本気ですわ! それにいちゃもんをつけるなんて、アナタは何様のおつもりなのかしら?」
 心底腹立たしそうに、久留和は歯ぎしりしていた。
 怒りの沸点が低い。俺はちょっと注意しただけなのに。
「おいおい二人共、喧嘩は後でしてくれよ。これは一応客商売なんだからね?」
 険悪なムードを察して、オーナーである桑原氏が間に入ってくる。
「すいません。気をつけます」
 俺は自分の至らなさを自覚し、反省する。
 確かに誰かを注意するなら客のいないところで行うべきだな。
 それに久留和とてサボっていたわけではない。単に仕事が極端に遅いだけなのだ。
 もっとも、俺と桑原氏から注意を受けた久留和は当然に楽しくないわけで、途端に接客態度が悪くなる。
 スマイルゼロ円なんて久留和には通じない。笑ってほしくば金を積めと言わんばかりである。
 それに対して、桑原氏もチラチラと厳しい顔をするようになる。
 態度のなっていない従業員は、ただちに叱責すべき。しかし、あまりに忙しすぎて二人でホールから外れるわけにもいかないのだろう。結局として久留和は放置された。

   ◆

 接客という戦いは、閉店時間の午後五時まで続いた。途中で休憩を挟んだりもしたが、基本的には働き詰めだった。客人は一日中ひっきりなしにやってきて、まさに千客万来。経営者は嬉しい悲鳴が止まらず、従業員は酷使されるがゆえの悲鳴が止まらない。
 しかし、俺たちは一日目を戦い抜いた。
 一通りの店内清掃が終わると、俺は海岸沿いのテトラポットに座り、海に沈む夕日を眺めていた。
 まさか、真っ当に働くことがこんなにも大変だったなんて。
 パソコンの前に座ってちまちまと詐欺サイトを運営していた日々が懐かしい。懐かしいだけで戻りたくはないけど。
 水平線の彼方に沈もうとしている夕日を反射し、海面は金色に輝く。
 波音は途切れることなく、悠久の調べを奏でる。
 潮の香りが鼻腔をくすぐり、疲れを優しく慰める。
 海は広いな大きいな。単純に陸地に対する面積比が広大なのではなく、矮小な人間を包み込む懐の深さが計り知れない。
「よお、何を黄昏ちゃってるの? それともそんな自分に酔いしれちゃってる系?」
 背後から不躾な、しかし不快感は抱かない声がかけられる。
 振り向くとバイト先で一緒にお世話になっている四塩先輩の姿。顔半分を覆う火傷跡が印象的すぎて一瞬言葉に詰まってしまう。
「あ、えっと、お疲れ様」
 今日知り合ったばかりの相手に、俺はどういう態度をとるべきか逡巡してしまう。
「おうよ、お疲れちゃん! 隣に座っていいか?」
 半ばおっかなびっくりで接する俺に、彼女は躊躇しない。どこまでも気さくに笑っている。
「構わないけど、何か用か?」
「特別に用はないよ。まあなんだ、暇だからバイト仲間に絡んでいこうかなと思ってな。同じアルカナ使いとして、噛み合う話もあるだろうさ」
「恐縮だな」
 相手に壁を作らない四塩先輩。無駄に緊張している自分が無性に気恥ずかしくなってくる。
「ハハハ、そのリアクションは初々しくて可愛らしいね。アタイ的にはポイント高いよ」
「いや、男に対して可愛いってのは褒め言葉にはならないぜ?」
「どうして昨日まで見ず知らずだった人間を褒める必要がある。アタイは単に見たままを言ってるだけさ。それが褒められたか貶されたかを判断するのはお前の仕事。ドゥー・ユー・アンダスタンド?」
「了解した。女性から可愛いって言われるのって、ビミョーに傷つくな」
「ふーん、男心って無駄に複雑なのな。アタイ、女の子だからわかんなーい」
 飄々とした笑顔で返してくる四塩先輩。
「男心はポアンカレ予想やリーマン予想よりも奥が深いものだ。懸賞金がかけられてもおかしくないね」
「女子相手に変な例え話を持ち出すな。相当にマニアックな話じゃん、それ。そんなんだとカノジョとかできないぞ?」
「その辺はご心配なく。既にリア充だ」
「マジで! パッと見た感じ、お前みたいなタイプっていい人止まりで終わりそうじゃん」
「酷い!」
「世の中クソだな」
「あんたはどこの世界のキャベツ刑事だ?」
「というのは冗談にして、マジであんたカノジョいるの? どんな子よ? 可愛い? 可愛かったらアタイにNTRされる展開がありうるかもよ?」
「四塩先輩、そのノリはウザイ。というか段々先輩のキャラが見えなくなってきた」
「それはあれだよ、この世界が例えば誰かが書いた作品だったとして、その作者が思いつきを書いているだけだからに違いない」
「メタっぽい発言は控えてくれ。つっこみきれない」
「話が脱線したけど、翔馬のカノジョってどんな子? 三次元の住人?」
「X軸とY軸に加えてZ軸も兼ね備えた女の子だよ。ケータイに写真入ってるから見る?」
「よかろう。差し出すがいい」
 謎の厳粛さをもって四塩先輩が応じる。
 俺はケータイを操作して、氷華梨の写真を表示する。
 そこには学生服姿の、若干表情の固めの美少女の姿。
 ちなみに、この写真を撮らせていただくのに俺がどれだけの申請を出してきたか。氷華梨は何故か写真に撮られることを恥ずかしがるタイプなのだ。
 撮影を可能にした俺は、彼女とのコミュランクが相当に高いに違いない。いやまあ、付き合っているから高くて当たり前なんだけど。
「ウヒョォォォォォ、何だ何だ何ですか、この国民的美少女とか言われても否定できない可愛さは。えっと待て、まずは落ち着こう」
「そうだな、冷静な判断は大事だ」
「アタイの推理によれば、この女の子はお前がネット上から落としてきた見ず知らずな娘に違いない! 嘘はよくない!」
「いや、彼女の着ている服を見てくれ。うちの学校の制服だろう?」
「ウップス! 本当だ。ということはマジで?」
「ああ、これが真実だ」
「このアタイが負けた……だと? よかろう、ここから先はお前の道だ。威風堂々と歩むがいい」
「そのけったいな言い回しは、俺の知っている三年生のA先輩を思い出させる。不愉快ではないが、複雑な気分だ」
「もしかして、天野先輩?」
「ビンゴ! お知り合い?」
「知り合いっていうか、アタイも一応メンタルヘルス部の部員だからな。割と幽霊部員だけど」
「そうだったのか……いや、そういえばアルカナ使い研究書に書いてあったようななかったような……」
「アタイがアルカナ使いとしての魔法を持て余してたら、天野先輩にスカウトされてな。それから何となく在籍させてもらってる」
「魔法か……。四塩先輩の魔法、研究書で読んだけど、ちょっと想像を絶する内容だったな」
「そうか? 割と文面通りだよ。アタイの魔法は【ソーヴ・キ・プ】――『自殺企図者から相談される』っていう、大変に困った力だよ」
「それはつまり、死にたがってる人の声を聞くことになるって意味でいいのか?」
「イエス! 発動条件は、アタイの連絡先を知っていること。つまり、基本的にアタイのケータイ番号やアドレスを知ってて、かつ人生に絶望していると魔法の効果範囲内。正直、この魔法マジしんどいわ」
「どれぐらいの頻度で相談されるんだ?」
「んー、大体週一ぐらいかな。詳しい内容は個人情報だから話せないけど、今の時代は死にたがりの多いこと。家族のこと、進路のこと、恋人のこと、金のこと、色々な悩みを抱えてこの世とあの世の境界線を歩いているよ。アタイは相談されるたびに、生きていた方がいい理由を説いてきた」
「【死神】のアルカナ使いが生きろと励ますのか。どヤバイな」
「そうさ、今は死神すらも生きろという時代なんだ。だからまあ、お前も死にたくなったらアタイに連絡してもいいよ?」
 四塩先輩は割と気軽に言って、自身のケータイを取り出す。そこには彼女の連絡先が表示されていた。
 とりあえず、礼儀として俺はそれを自分のケータイに登録する。
「とはいえ、お世話になりたくない魔法だな。連絡するときは死にたいときか」
「アタイとしてもお世話したくないな。だから、人生に絶望しないでくれよ?」

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